吉野都女楠

第一

 往んじを尋ねて来れるを知る。大権聖者の未来記、見つんべし。東魚来つて四海を呑み、西鳥来つて東魚を食らひ、海内、既に一に帰し、再び九五の御位、後醍醐の帝と重祚ある。逆臣相模入道が一族滅びて後、足利治部大輔尊氏、いささか朝家を怨み奉り、東国勢を引率し、矢矧、鷺坂、竹の下、数ヶ度の軍に勝ち誇り、おのれと征夷大将軍に押しなつて、帝都間近く攻め入りしを、新田左中将義貞、楠判官正成、陳平、張良が肺肝より、出たる如き名大将、命を風前の塵に懸け、義を金鉄より堅くして、駆け破り駆け悩まし、千変万化の合戦に、さしもの尊氏、終に打ち負け、筑紫をさして落ち潮の、八重九重や都の内、万歳をこそ唱へけれ。
 時に建武三年五月十五日、新田義貞、早馬を立てて奏聞ある。「そもそも朝敵尊氏、大友、少弐を従へ、九州の軍兵五十万騎、兵船数千艘にて攻め上り、尊氏が弟直義、山陰山陽の大勢、陸路を打つて雲霞の如く、播州の赤松、敵に組し、苔縄の城に立て籠り、官軍を遮り候を、義貞、備後備中に支へ、挑み戦ひ候間に、敵船、はや須磨明石を馳せ越え候。」と、追々注進頻りなり。
 天皇、大きに驚かせ給ひ、楠判官正成を、やがて御前に召されける。「さて義貞が注進、事急なり。罷り向かつて合戦を致すべし。」との勅諚。楠、畏つて奏せしは、「数年の戦に疲れたる御方の小勢。筑紫方は新手の大勢。機に乗つたるに駆け合はせ、常の如くの合戦は、御方、打ち負け申さん事、決定。まづ新田殿をも召し返され、君は比叡山へ臨幸なり、正成も河内に退き、敵を都へおびき入れ、河尻をさし塞ぎ、籠の鳥の如くにして、兵粮を止め、敵軍、次第に疲れ落ちん処を、新田殿は山門より押し寄せ、正成は搦手より攻め上り、真中に包んで一蒸し蒸す程ならば、朝敵、一戦に滅びん事、正成が方寸の内におぼえ候。軍は必ず、一旦の勝負を見るなかれ。始終の勝ちこそ肝要にて候へ。たとへ官軍、百度戦ひ、百度負くるとも、正成一人生きてあると聞こし召さば、聖運、終に開かるべしと、思し召され候へ。」と、世に頼もしくぞ奏しける。
 坊門の宰相清忠、御簾の前につつと出、「やあ、臆したるか、楠。尊氏が多勢に聞きおぢして、一戦にも及ばず河内へ退き、君を比叡山へ臨幸なし奉れとは。命の惜しさに、帝位を軽しめ申すよな。総じて新田義貞、勾当の内侍に思ひを残し、都に心引かるる故、軍手ぬるく、敵に勢ひ付きたるに、御辺も河内へ引かんとは、故郷の妻子がゆかしいか。伊予国の住人、大森彦七盛長といふ武士、尊氏に組するといへども、某に縁ある故、裏切りして味方に力を加へんとの内通あれば、味方の勝利目前にて、御辺らが命に気遣ひのない事は、この宰相が請け合ひ。早々、発向あるべし。」と、嘲り顔して申さるる。
 楠、元より私の怒りに、忠を忘れぬ良雄。いよいよ面をやはらげ、「仰せにては候へども、その大森彦七が内通にて、味方、勝ちに極まらば、なほ以て正成、向かふまでも候はず。さりながら、詩歌管絃は殿上の御もて遊び。弓馬合戦の道は、武門の諫言に任せられ、是非に都を明け渡し、敵に一旦勝ちを与へ、重ねて畢竟の勝ちを御覧あるこそ、謀り事を帷幄の内に巡らし、勝つ事を千里の外に顕はす籌策にて候。」と、子房が秘蔵、孔明が骨髄、残る方なく奏せらる。
 宰相、大きに色を損じ、「御辺が言ふまでもなく、弓馬合戦の道なればこそ、賤しき汝等、禁庭へ召さるる條、有難しとは存ぜずや。先年御辺、千早、赤坂の城郭にて、六波羅の大勢を傾け、相模入道滅びしも、全く武略の手柄にあらず。君の聖運、天に叶ひ、宗廟社稷の大小の神祇、王法を守護し給ふ故。殊に今度は目に見えたる勝ち軍。大森が御蔭にて、手柄すべきはこの度。早、打つ立て。」とありければ、軍法不覚の卿相雲客、口々に、「敵の内通あるからは、天の与へ、この時。是非是非楠、馳せ向かひ、朝敵尊氏、一戦に攻め滅ぼし、宸襟を休め奉れ。」と、衆議一決の勅諚は、うたてかりける御運なり。正成も、「この上は、さのみ申すに及ばず。」と、御前を立ちけるが、これぞ最後の合戦と、思ひ定めし忠臣の、屍は刃に消ゆれども、義は砕かれぬ楠と、朽ちせぬ名をこそとどめけれ。
 元来正成、智仁勇を兼備し、死を善道に守る良将。今度の合戦、味方必定、負け軍。討死の時、極まれりと、本国へも立ち帰らず、すぐに五月十六日、あり合ふ手勢五百余騎、嫡子帯刀正行十一歳、父が馬に押し並べて打ちければ、舎弟正季、一族和田の新発意源秀、同じく新兵衛尉、紀六左衛門、恩地の左近、馬物具を輝かし、心の花も咲きかくる、桜井の宿に着きけるが、まだ雲凝りて五月雨の、やや夕立と降る雨は、瀧の落つるが如くにて、人馬の足を立てかね、生田の森に打ち入れて、暫く晴れ間を待ち居たり。
 雨に波寄る昆陽の池、堤を急ぐ蓑笠は、早苗の賤かと見捨つれば、下部二人に長持舁かせ、四十余りの女房の、雨に争ふ涙の雫、しをれまろびて走り来る。下部ども、長持どつかと下ろし、「ええ、どう因果の夕立や。目も鼻もあかれぬ。いざ、来い。あの森で少し晴らして行くまいか。これ、そこな女子殿、長持預けた。番召され。」と、二人は森へぞ走りける。女、とかうにかきくれて、嘆き沈みて立ちけるが、思ひ寄りある顔付にて、長持の棒取つて捨て、石を拾ひてちやうちやうちやう、叩く手先に力なき、女力も念力の、天や見通す鍵の穴。錠前離れ、落ちければ、「なう、有難や。さあ、お出。」と、蓋を取る手にすがりつき、二十ばかりの上臈の、涙隙なく息籠り、顔にばらつく乱れ髪、柳桜をこきまぜて、水に浮かめし如くなり。「いざ、下部どもの来ぬさきに。」と抱き出せば、「ああ、嬉しや。この池こそみづからに、菩提を勧むる功徳池よ。そなたも珠数を持つてか。」「お肌に御本尊掛けてか。」「おお、本尊掛けたるほととぎす。あやめの沼は水浅し。」と、深みを尋ね、さまよひたる。
 正成、馬上より遥かに見付け、「あれあれ、身を投ぐる女あり。敵か、味方か。いづれにもせよ、源秀、駆け付け、助けられよ。」とありければ、「承る。」と和田の新発意、畦を伝うて走り寄る。その丈六尺七寸、いにしへの弁慶もあざむくばかり、鬼のやうなる赤入道。二人は、「あはや。」と手を合はせ、飛び入る処を引き寄せて、しつかと抱く。「なう、さうせいでも死ぬる身を。せめて身体に疵付けず、死なせて賜べ。」と飛び入るを、「これ、上臈。殺す程なら、何の止めう。あれなるは楠判官正成。物の哀れを見捨てぬ気質。仔細、とつくと聞き届けよとの使なり。」と言ひければ、「さては、楠殿とや。みづからこそ、新田義貞の妻、勾当の内侍なり。お情けに、新田殿の陣屋へ送り賜べかし。」と宣ふ処へ、二人の下部、立ち帰り、「やあ、う、長持の錠、ねぢ切つた。おのれ、取り逃がし、手振りで帰つて、こちとが命あるものか。こつちへうせう。」と取り付く処を、源秀、二人が首筋引つ掴み、「手振りで帰れば取らるる命、ここにて取つてくれんず。」と、蘆間にかつぱと打ち込めば、五体を絡む菱かづら、泥に酔うてぞ失せにけり。
 その隙に楠親子、馬乗り放し、とかういたはり給ひければ、内侍も涙にくれながら、「常々、夫の物語。楠判官正成は、慈悲第一の大将と、聞きしに変はらぬ御情け。何と報じ参らせん。一とせ、猿楽見物の時、伊予国の住人、大森彦七盛長とやらん、みづからに心を懸け、坊門の宰相を仲立ちにて、威勢で脅し、文で濡らし、色変へ品替へ口説きしを、つれなく返事も致さぬ間に、新田義貞の妻となつたるは、上様よりの勅諚。天下晴れての夫婦ぞや。それにこの度、義貞殿、西国発向の留守を窺ひ、宰相、理不尽に乱れ入り、先約は大森。仲人の宰相、義理が立たぬの何のとて、無理無体に長持に押し入れて、送らるる。なう、遣る方なさ、頼りなさ。乳母が慕ひ来るとは知らず、つむりも上がらず、息もならぬ長持を、揺るやら振るやら打ち付け廻る、その響き。胸にこたへ、目もくらくらと、幾度か死に入りし。火の車に乗せて行く、地獄の迎ひもかくやらん。この上のお情けに、我が夫の陣屋まで、送り届けて賜はれ。」と、乳母もろとも手を合はせ、かき口説きてぞ泣き給ふ。
 正成、打ちうなづき、「さこそ、さこそ。我、大内を出でしより、かやうの事のあらんとは、宰相が言葉の色にて察せしなり。義貞の御陣所へ、送り申すは易けれども、宰相、かくと洩れ聞かば、陣場に女中を召されしと、悪しざまに奏聞し、叡慮を以て御夫婦の仲を裂かば、御恥辱を招くに似たり。それそれ、源秀。これより都へ御供し、玄恵法印に預け参らせよ。道中、人に悟られぬ用心第一。疾く疾く。」とありければ、「合点、合点。智略はお家、勧学院の雀。任せて置け。」と小躍りして、郎等二人が具足を脱がせ、長持に入れ、棒さし通し、担はせて、「これ、内侍様も乳母御も、慮外ながら下女にして。我等は又、この体。」と、内侍の打掛、鎧の上に衣かづき、二王のやうなる大入道、五日帰りの花嫁と、しやならしやならと振り掛けて、「さあ、腰元衆。早うおぢやや。」と夕影も、眼は朝日、照る月の、都の方へと急ぎける。

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校訂者注
 ・鎧の上に衣かづき――底本「鎧の上か衣かづき」。『近松全集 第3巻』により改めた。