第二
将の謀り事洩るる時は、軍、利なし。外、内を窺ふ時は、禍、制せずとや。坊門宰相清忠が内通ゆゑ、湊川の合戦破れ、楠正成討死すといへども、総大将新田左中将義貞、西の宮に御陣を召され、士卒をなづけ給ひければ、馳せ集まつて味方の勢、四万余騎とぞ聞こえける。
侍所、長浜六郎左衛門、松明持たせ、陣屋を巡り、めしうど四、五人搦めさせ、義貞の御前へ引つ据ゑ、「き奴ばら、今夜、近辺の田畠を荒らし、御馬の飼料に残せし青麦を、盗み刈り取りしを、搦め取つて候。見せしめのため、首斬つて獄門に懸け候はん。」と言上す。義貞聞こし召し、「そもそも今度の合戦は、朝敵を滅ぼし、民安全になすべしとの勅諚なれば、売り買ひ耕作に妨げず。田畠の一粒をも刈り取る者は、きつと刑罰すべき由、諸軍勢に相触れ、所々に立てたる高札を背きしは、敵方のあふれ者か、但し盗賊か。白状させよ。」と御諚ある。
雑兵、縄付き、引つ立て、「さあ、大将の御前なるわ。まつすぐに申すべし。偽らば、首ねぢ切らん。」ときめ付くる。「これ、粗忽なされな。我等もこの国の大将。」「やあ、大将とは。」「いやいや、巾着切の大将。鋏の弥市と申す者。或いは花見の、開帳の、又は傾国猿芝居。人立ち多き所にて、人の懐、腰の周り、手が触はると、こつちの物。元手いらずの商売。この軍始まつて、国中のよい衆は、草鞋がけで逃げ拵へ。遊山所はいかな事、我等が所在、びつしやりぼん。御法度を背きしは、いつそてんぽの皮巾着。お根付衆に咎められ、括られました。」と申しける。
その次なる大男。「うぬが面付き、ただ者ならず。まつすぐに白状せよ。のじばらば、しやつ面を張つて張つて張り廻さん。」「ああ、余り張る張る御意なされな。張りが過ぎて、このざま。我等は博打の筒取。この頃続く不仕合せ。鍋釜畳、釣御前、糠味噌桶まではたけ出し、せん方尽きて二、三日、麦を刈る田の方に張り、ひねつてもひねつても、二寸より上目なく、挙句に今夜、三寸縄に縛られました。」と泣きにける。
三番目は若き出家。「三衣に似合はぬ麦盗人。仔細を申せ。」とねめ付くる。「されば、愚僧は明石潟、蓮台寺といふ浄土寺の後住に、無海と申す法師なるが、学問の憂き晴らしに、ふと室の津へ出掛け、梅花の移りを嗅ぎ初めて、抹香の匂ひ、気詰まりさ。欠伸は百八煩悩菩提、いつそお山に宗旨を変へ、好色修行と志し、通ひ詰めたその挙句が、それはいかい借銭檀の、阿弥陀仏まで質屋へとばし、手ぐら目ぐらに調へ、今少しに手づかへ、ふつとした出来心。後悔、先へたたきがね。只今かやうの責め念仏に遭ふ事も、出家の身にはあぬまい事。あぬまい、あぬまい、ああぬまいだ。」とぞ語りける。
遥かの後に年の頃、二十余りの女房。盗み取つたる青麦を、背中に縛り付けられて、恥づかしげにぞ泣き居たる。義貞、つくづく御覧じ、「彼が体、盗みすべき者とも見えず。仔細ぞあらん。まつすぐに申すべし。」とありければ、女、ちつとも騒がず。「はあ、仔細と申して、麦を盗みしより外の仔細もなし。早々、法に行ひ給へ。」と、恐れもなげにぞ答へける。義貞、猶もいぶかしく、「仔細を言はずんば、往還にさらし、諸人に恥を知らすべきぞ。」と宣へば、女は、「わつ。」とばかりにて、暫し涙にくれけるが、「ああ、是非もなや。盗みをするも夫の恥、包まんと思ふためなるに、諸人に面をさらさん事、恥を招くか、情けなや。しからば包まず申すべし。
「わらはが夫は、足利尊氏の相伝の侍なるが、いささかの事ありて、主親の勘当受け、この国の土民と成り、忍びて暮らす憂き身にも、この度の合戦。これ屈竟の時節到来、お許しなくとも戦場に馳せ加はり、分捕高名、誉れを顕はし、主の不興、父御の勘当許されんと、思ひ定めし我が夫の、心は弥猛にはやれども、鎧一領あるにこそ。手綱ゆりかけ乗つたりとも、一町もとばぬ野飼の痩馬。住むも侘しき藁屋の窓より、鬨の声、矢叫びの音、幽かに聞こゆるその時は、歯ぎしみしての無念がり。傍で見るさへ胸堰かれ、おのれやれ、二世とかはした大事の男。このままにては果てさせじと、様々に思案し、麦を盗んで兵粮の、便よくは陣所に忍び、寝入りたる軍兵ばらが太刀物具、思ふままに盗み取り、我が夫にうち着せ、みづからも太刀脇挟み、夫婦もろとも軍して、名を後代に上ぐべしと、思ひし事もいたづらに、かかる縄目に遭ふ事も、夫の武運のつたなき故。仔細といふもこのあらまし。とても長らへ果てぬ身ぞ。憂き物思ひさせんより、早々殺して賜はれ。なう、御慈悲なるわ、人々。」と、声も惜しまず嘆きしは、目も当てられぬ風情なり。
義貞も、やや落涙あり。「おお、あつぱれ、武士の妻にてありけるよ。命懸けの盗みして、夫の武勇を励ます心。感じても猶、余りあり。罪を許し、義貞が着捨ての鎧、太刀をも添へて取らすべし。それそれ。」と宣へば、御召替の錦の直垂、黄金造りの一腰、女が膝にぞ置かれける。「さあさあ、帰つて物具着せ、明日の合戦には、義貞が陣に向かつて、打つてかかれ。敵ながらも見物せん。早、疾く疾く。」と宣ひて、縛めの縄を解かせらる。
女は、「あつ。」と頭を下げ、「情けある御大将。有難き御恩の程、何と報じ奉らん。さりながら、我が夫は、まさしく尊氏公の御家人。すは合戦に及ばん時、今賜はつたる鎧を着し、太刀を持つて、義貞公に向かはるべきか。容赦しては、尊氏への不忠。是非なく一矢仕らば、恩を知らぬ弓取と、末代までの笑ひ草。御恩はかへつてあだとなる。ただ御慈悲にはみづからを、盗み一ぺんの咎に落とし、早々殺して賜はれ。」と、首さし延べて泣き居たる、心の内こそ涼しけれ。
義貞、猶も感じ給ひ、「おお、その心を察してこそ、わざと最前より、夫が仮名、実名をも尋ねず。互に知られず知らぬ相手。名乗つて勝負を遂ぐる時、いづれに用捨のあるべきぞ。さ程の事を汝等に、教へらるる義貞ならず。いらざる詮議に時移れり。早々帰れ。」と太刀鎧、手づから取つて賜びければ、押し頂き、脇挟み、「お情けはこれまで。明日の合戦には、夫婦もろとも心を合はせ、恐れながら、御運によつて御首を、賜はる事も候べし。お許しあれ。御免あれ。」と、御前を罷り手束弓、引きは返さじもののふの、妹背の義理ぞ頼もしき。
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