(第二 下)
既にその夜も明け行けば、勝ちに乗つたる尊氏の軍勢、雲霞の如く、湊川より打つて懸かる。義貞も、西の宮より取つて返し、生田の森を後ろに当て、入り乱れ、攻め戦ふ。太刀の鍔音、鬨の声、いかなる修羅の闘諍も、これには過ぎじとおびただし。
小山田太郎高家は、心ばかりは春の花、身は埋れ木の力なき、野飼の馬の縄手綱、ちぎれ具足もあらばこそ。あまつさへ女房の、ゆうべに出て帰らぬは、心もとなさ、気遣ひさ。足に任せてここかしこ、ありかを尋ね、求塚。小松原より振り返れば、こはいかに。遥か向かうの山々に、中黒の旗、二つ引き両。巴の旗も輪違ひに、東へ靡き西へ靡き、磯山風に翩翻して、馬煙り、矢叫び、天に響き地に満ちて、新田足利の国争ひ、今を限りと見えたりける。
「ああ、羨ましき殿ばらが合戦や。せめて古具足の一領もあれかし。取つて投げかけ、何百万騎が中なりとも、只一揉みに駆け破り、両陣の目を驚かせんものを。何を言うても浪人の、紙子頭巾に鋤一丁。思ふに甲斐のあらばこそ。貧は諸道の妨げと、世の諺も我が身の上。ええ、無念、口惜しや。」と、拳を握り、牙を噛み、男泣きにぞ泣き居たる。
かかる処へ女房は、危ふき命を免れ、降つて湧いたる太刀鎧、夫に見せて喜ばせんと、足早に帰りしが、「やあ、こちの人、ここにか。このなりは、何ぞいの。さぞ待ちかねてであらうと思ひ、息せきして戻つた。これ、わしぢや、女房ぢやが。なぜに物言はんせぬ。気合ひが悪いか、高家殿。」と、抱き起こせば、涙を押さへ、「おお、気合ひもどうで、良うはない。やれ、女房。あの向かうの山々に、入り違ふ旗を見よ。今ぞ合戦、真最中。あの軍中には、主君尊氏公、父前司殿もおはすらん。まさしく主君、老いたる父が、天下分け目の晴れ軍と、命を惜しまず戦ふを、子の身として安閑と、見物して日を送る。これが無念にあるまいか。」と、言はせも果てず、「これこれこれ、その泣き言は、もういらぬ。これ見さんせ。」と、太刀鎧投げ出せば、高家、横手をちやうど打ち、鎧引き寄せ、つくづく見て、「矢どまり金物、押付の板、発伝高紐、上巻付。太刀は鳥首、兵庫鎖。むむ、これは大将の払ひ物。大抵では売るまじきが。但し、損料でばし借つたか。」と言へば、女房、くつくつと吹き出し、「ああ、つがもない。日がな一日玉綿繰つて、銭二十取るや取らぬもの。八百年の手間賃でも、中々買はるるものかいの。馬の草もなき故に、ゆうべ義貞の領内の、青麦盗み、刈りたるを、番の者に搦められ、殺さるる筈なるを、さすが義貞は、哀れを知つた大将。夫の身の上聞き届け、命を助け、その上に、この太刀具足。さあ、早う出で立つて、手柄してござんせ。」と、綿噛取つて着せんとす。
高家、突きのけ、「むむ、まことに義貞は、五常を守る名将。ものの哀れを知る事、敵味方の隔てなき人と聞く。義貞に貰うた鎧を着し、すぐに義貞に打つて懸からん事、心よからぬ軍なれば、思ひ切つたる高名も、なるべからず。ええ、由ない情けを受けたり。」と、悔やみ顔にぞ見えにける。
「ええ、こなたともおぼえぬ。義貞程の大将が、さもしい返報受けうとて、何の情けをかけられう。それ故、こなたの名も問はず、容赦なく我を討てと、言葉に念を入れ給ふ。義貞の目の前、この具足着て働き、あはよくば義貞をして遣らうと、思ふ気はないか。ええ、後れた人や。」とせきければ、「むむ、分別した。合点あり。一度着して見せずんば、その方を騙りなどと、さみせられんは、男の恥。さあ、小山田太郎高家が出陣。」と、鎧取つて投げかけ、上帯高紐、小躍りして、引き締め引き締め、太刀脇挟み、立ち上がれば、「おお、あつぱれ武者振り、よい男。私も馬に草飼うて、追つ付けそこへ。」と立ち返れば、「これ、討死は軍の習ひ。生きて帰れば仕合せ。まづ今生の暇乞ひ。必ず泣くな。」「これ、武士の妻になるからは、そこは合点。死出の山路の一二の駆け。後れはせまい。」と別れしは、早、修羅道の先陣と、後にぞ思ひ知られける。
傾く日影、西の宮、大手の合戦入り乱れ、人馬四方に馳せ違ひ、喚き叫ぶその声は、山を崩すが如くにて、官軍、既に戦ひ破れ、こらへつべうは見えざりけり。大将義貞ただ一騎、返し合はせ返し合はせ、十六度まで駆け散らし、御身をきつと見給へば、数箇所の矢疵。馬鞍に立ちし矢は、枯野の薄に異ならず。「ええ、軍の勝負、今日に限るべからず。」と、追ひ来る敵を切り払ひ切り払ひ、求塚の小松原、心静かに打ち給ふ。
高家、それぞと見るより、大音上げ、「大将軍と見奉る。まさなう後ろを見せ給ふ。引き返して勝負あれ。」と、追つかくれば振り返り、「日本一の義貞に、声をかくるは小賢し。」と、鐙にかけて、はつたと蹴散らし、漂ふ処をひらりと飛び下り、片手を延べ、一突き突けば、木枯しに案山子の倒るる如くにて、横投げにどうど伏す。義貞、すかさず弦走に乗つ掛かり、首をかかんとし給ひしが、鎧、出で立ち、つくづくと御覧じ、「むむう、あつぱれ、おのれは痴れ者かな。義貞に易々と、組み敷かれん力とはおぼえず。何とて我を組み敷かぬ。定めて仔細あるべき。さりながら、汝が主の尊氏を、組み伏せたらんは知らず。汝如きの侍を、五十百、首取つても、さのみ義貞が手柄、本望とも思はず。さあ、仔細を語つて名乗れ、名乗れ。」と宣へば、「こは御諚ともおぼえず。いかに大将なればとて、わざと敵に組み敷かるる者や候べき。足利尊氏の家の子、小山田前司高春が一子、小山田太郎高家。不足の敵と思し召さば、ただ首打つて、捨てさせ給へ。」と、両手を緩めて働かず。
「いやいや、この物具は、夜前、女に与へし、義貞が着捨ての鎧。さては、その夫よな。恩を報ぜん志、しをらしし、優しさよ。さりながら、天下に比ぶる義貞が命。わづかの鎧一領にて、助からんとては取らせぬぞ。主親の勘当につき、望みある者と聞く。目を驚かす高名して、本望を達せよ。只今にても跳ね返し、義貞と今一勝負、せばせよかし。」と宣へども、小山田は涙にくれ、「重ね重ねの御情け、冥加の程も恐ろしく、申し上ぐる言葉もなし。言ふに甲斐なきこの高家がかせ首、義貞公の御手にかかり申す事、いかなる先陣、先駆けにも優つて、身に過ぎたる誉れ。勘気の父が聞くならば、さぞ喜び申すべし。この上の御芳志に、はや、首打つて捨てさせ給へ。」と、申し切つたる両眼に、涙を流すぞ道理なる。
「ええ、義理ばつたる男や。」と、取つて引き立て、塵打ち払ひ、「義貞に助けられしと、人に語るな。我も人に語らぬぞ。」と、手負ひし馬を引き立てて、静かに打つて過ぎ給ふ。武将の気質備はつて、古今に語るも理なり。小山田は茫然と、義貞の仁心、心に沁みて立つたる処に、大森彦七盛長、手の者五十騎ばかり、どつと駆け寄せ、大音上げ、「赤地の錦の直垂、中黒の鎧は、敵の大将義貞。遠目にも見違へず。射取れや、射取れや。」と矢先を揃へ、横切る雨と射かくる矢先。「さしつたり。」と小太刀を抜いて、はらりはらりと切り落とす。
されども鎧の隙間隙間、矢ずくめにすくめられ、「今はこれまで。我、義貞の命に代はり、その隙に易々落とし、情けの恩を報ぜん。」と、求塚に駆け上がり、「遠からん者は音にも聞け。近き者は目にも見よ。清和天皇の後胤、新田左中将義貞、十善天子に頼まれ参らせ、屍を戦場の土に埋む。功ある大将の最期の体、よつく見置いて手本にせよ。」と、高紐切つて解く処を、大森主従、折り重なり、切り伏せ切り伏せ、押さへて首をぞ掻いたりける。直垂切つて押し包み、「官軍の総大将、新田義貞を、伊予国の住人、大森彦七盛長、討ち取つたり。」と名乗りしは、いかめしうこそ聞こえけれ。
この声に驚き、馳せ散つたる味方の勢、「大将を討たせては、一人も生きて詮なし。」と、八方より引き返す。義貞も取つて返し、「やあ、同士討するうろたへ武者。まことの義貞、これにあり。」と、切つて懸かり給へば、「いや、義貞が二人あるものか。新銀古銀、同じ通用。これで堪忍仕る。」と、一散に逃げて行く。味方の大勢、追つ駆くるを、大将押さへて、「暫く、暫く。彼は、聞こゆる佞人、愚痴愚蒙のうろたへ者。かかる者の敵陣にあるは、味方の利運ぞ。」と、諸卒をしめす謀り事。智謀は居ながら天に入り、波をもくぐるあまが崎。山崎過ぎて名将の、誉れは雲居の桂川。打ち越え駆け越え渡り越え、世に立ち越えて並びなき、我が立つ杣や都の富士、西坂本にぞ入り給ふ。
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