第三

 周の武王は木主を作つて殷の世を傾け、漢の高祖は義帝を尊んで秦の国を滅ぼす。されば尊氏将軍、天理を恐れ、後伏見の院宣を申し賜はり、朝敵の名を逃れ、忠戦の鋒先鋭くして、兵庫湊川の合戦に打ち勝ち、楠正成に腹切らせ、新田義貞を駆け散らし、馬鞍休め、物具も、脱ぎて紐解く花の都。東寺を仮の館城、大将の御所とぞ定めらる。
 猶も残党、洛中を侵す事もやと、口々の警固怠らず、生き残る義貞一家、重ねて討手を向かふべし。まづまづ軍の疲れを晴らし、楽しみを諸人と、共に楽しむ酒宴の興。この度の合戦に、分捕高名の帳面を開かせ、それぞれに御褒美ある。仁木、細川、吉良、石堂、南部、桃井、高、上杉、武田、赤松、畠山、渋川、岩松、一色、荒川、小笠原、この人々を始めとして、外様の大名小名、御家人は言ふに及ばず、雑兵、葉武者に至るまで、太刀刀、馬鎧、金銀時服の御褒美。昨日今日の足軽も、知行の感状賜はつて、首一つが一筆に、千石になるもあり。数にもあらぬ首取つて、御褒美を貪れども、わづか銀子三枚兜、拾うて着せても明らけき、名大将の賞罰と、仰がぬ人こそなかりけれ。
 ここに大森彦七盛長、腹巻に直垂うちかけ、揉み烏帽子引き立て、血塗れの兜箱、御前にさし出し、「敵の大将、楠討死の後、総大将新田義貞、西の宮の軍破れ、味方の多勢に取り巻かれ、求塚の上に駆け上り、腹切らんと致せしを、某、矢ずくめにして打ち伏せ、首取つて候。残る軍兵、落ち行く処を、播磨路まで追つ駆け申せし故、御帳にも付き申さず。ただ今実検に供へ候。」と、蓋を取れば錦の直垂。袖をちぎつて包みしは、大将軍の首のしるし。伺候の諸武士、横手を打ち、「さては義貞を討つたるか。今度の誉れは盛長一人。弓矢の冥加に叶ひし侍。お手柄、お手柄。あやかりもの。」とぞ羨まる。
 尊氏卿、暫く思案し給ひ、「錦の直垂を着し、新田左中将義貞と名乗つたるを、それぞと知つて討ちつらめ。それに虚言もあるまじ。さりながら、この尊氏も義貞も、同じ清和の後胤、八幡殿の嫡孫。敵味方とはなつたれども、共に一家の源氏の棟梁。殊に天皇に頼まれ参らせ、官軍の総大将。相従ふ門葉に、大館、大井田、里見、鳥山、大島、堀口、脇屋の歴々、数を知らず。譜代重恩のもののふも多かるべし。義貞程の大将が討死せんに、我先にと駆け合はせ、冥途の供とて一人も、討死せぬさへ不思議なるに、残る軍兵、播磨路まで逃げたるは、心得難し。一とせ、楠が焼け首を以て欺き、義貞の智略に乗せられ、京童の笑ひ草。にたにたしき首どもを、まさしげにも懸けたりと、落書を立てられ、六波羅の愚将どもが、恥かきしと聞き及ぶ。彼等は天性、武略智謀備へたる英雄。引くも駆くるも理に当たり、生きるにも死ぬるにも、勝負の損得を守る名将。いかなる謀り事をや構へつらん。卒爾にもて囃し、義貞にてなくんば、味方の恥辱は言ふに及ばず。汝、不覚人の名を取るべし。方々、いかが思はるる。評定あれ。」とぞ仰せける。
 大森、つつと出、「いや、御評定までもなく、生け捕りの者に見せ、御尋ね候はば、実否、早速知れ申すにて候。」と、小賢しげに言上す。尊氏、大きに笑はせ給ひ、「いや、生け捕りに問ふなどとは、名もなき者の首の事。命を捨てて働き入り、生け捕らるる程の者なれば、よつく大将義貞に、忠信深き侍よ。問はれてまことを言ふべきか。もし御辺、運尽き、敵に生け捕られ、味方の謀り事を問ふならば、ありのままに言はんずな。おぼつかなし。」と宣へば、盛長は言葉なく、赤面したるばかりなり。大将、重ねて「我、義貞と一家なれども、使者の通路ばかりにて、終にぢきに対面せず。見知りたる人あらば、申されよ。」と宣へば、諸大名、立ち寄り立ち寄り、「関東以来、この度の合戦にも、遠目に見たるばかりにて、近付きし事なければ、おぼろげの事は申されず。」と、更に実否は極まらず。
 小山田前司高春、末座より伸び出て、見れば面ざし、顔のかかり、若年の昔勘当せし、我が子の小山田太郎高家に、似たりと見たる親子の縁。六十の老眼にも、紛ふ方なく胸に沁み、はつと驚き居たりしが、さあらぬ体に心を鎮め、「新田殿の御顔は、先年、鷹狩の折から、一両度も見参らせ、大方におぼえ候。」と、近々と立ち寄り、右へ廻り左へ向き、ためつすがめつ、見れば見る程、疑ひもなき我が子の高家。南無三宝。勘当して十八年、この世に長らへあるならば、この度の合戦に、大将の御目に及ぶ程の、高名せよかし。それを品に勘当許し、御前も調へ、老いが世の、子孫の栄えを見んものと、頼みし心の綱も切れ、そぞろ涙の零るるを、「はああ、老眼の霞み、定かならず。」と、目を押しのごふその内にも、当家譜代の身を以て、敵の大将義貞と、名乗つて死せしは心得ず。申す言葉にさし当たり、前後にくれたるばかりなり。
 大森彦七、つつと出、「これこれ、前司殿。生き顔と死に顔は、相好の変はるもの。その料簡して、大概似たらば似た通り、申し上げられよ。およそ道具の目利きでも、只一言で千貫の道具が、贋物になる事もある。粗忽言うて盛長が、高名を消すまいぞ。」と、色を変へてぞ申しける。前司、重ねて御前に向かひ、「面体、よく似たるとは存ずれども、某が心にて、決定しても申されず。所詮、一條大路の獄門に懸け、諸人の噂を窺はば、是非、明白に顕はれ、義貞に極まらば、味方の勝利、盛長が高名。もし、さもなき首にて候はば、六十に余る前司めが、粗忽を申して面目なしと、獄門の木の下にて、腹掻き切つて伏すならば、恥は某にとどまつて、盛長が不覚もなく、味方の恥辱も候まじ。この実否を質す事、某に任せ下さるべし。」と、望み申せば尊氏卿、「しからば、ともかくも計らふべし。さりながら都方は、義貞贔屓の万民。言葉もすぐには受け難からん。」と宣へば、「さん候。
 「寿永の昔、木曽殿、北国合戦に、手塚太郎光盛、斎藤別当実盛が首を取りしかども、名乗らねば名も知らず、見知る人もなかりしを、樋口二郎が朋友のよしみに、語りし言葉の色。染めたる墨の鬢髭を、洗ひてそれとは存じて候。友達のよしみにさへ、心を明かすは人情の習ひ。殊に義貞は情けある大将。よしみの者も多かるべし。北の方は、勾当の内侍と申す内裏上臈。かくと伝へ聞き給はば、忍ぶに余る涙の袖。諸人に紛れ給ひても、思ひは外の色に出、その隠れあるべきか。実盛が髭を洗ひしは、それは篠原池の水。これは情けの底意なく、まことを顕はす涙の水に、洗はせて御覧候へ。」と、申しもあへず首を持ち、御前を立ちけり。

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