(第三 下)

 前司、跳びかかり、取つて突きのけ、首の髻を掴んで、涙をはらはらと流し、「六十の老眼に見しも違はず、我が子の小山田太郎高家にてありけるよ。お事は連れ添ふ女房な。我こそ彼が父、足利尊氏卿には譜代相伝の御家人、小山田前司高春、生年六十七歳。命長ければ恥多しとは、我が身の上に知られたり。十八年以前、き奴はその時十二歳。猪狩の御供せしに、年経る猪の峯越すを、『誰かある。あの猪射留めよ。』との御諚。犬郎、小賢しげに、小弓に矢をはげ向かひしを、尊氏、はつたと睨ませ給ひ、『小腕にて仕損ぜん。罷りしされ。』と宣ひし、御言葉も終はらぬに、弓と矢、大地へ投げ付けしを、いよいよ立腹ましまし、『誰に当たつて投げ打ち。年にも足らで慮外者。親前司はなきか。あれ、引つ立てよ。』と御怒り。
 「それより君の御不興なれば、親も即ち勘当して、十八年の春秋は、風の便りも絶え果てし。首も性あらば、よつく聞け。世間の親の勘当は、遊女博奕、大酒の沙汰。それさへ親は子を思ふ。子心にも弓矢の道、主君に向かつて意地を立てたる御憎しみ。親の身でも憎い半分、嬉しいが又半分の勘当ぞや。今度の軍に義貞方の名ある兵、首取つて来れかし。君の御前は言ふに及ばず、天下の武士に褒めさせ、我も世上の親たる者に羨まれん。今や来る来ると、毎日の高名帳、夜は繰つて明日を待つ、親に孝なく義も知らず、所領恩賞に恥を替へ、敵に手を下げ膝を突き、義貞に降参し、知行に命を捨てしよな。とても捨つる命を、なぜ尊氏に奉り、名のためには捨てざりしぞ。親は年寄る、子は犬死。小山田の名字の誉れ、誰が末の世に残すべき。ええ、あさましや。」と歯噛みをなし、持つたる首をかつぱと投げ、どうど坐して泣きけるが、「思へば汝は義貞の郎等。我は尊氏の御家人。親子ながらも敵味方。首なりとも一太刀。」と、振り上げて打ちかくる。
 女房、すがつて、「なう、悲しや。内侍様も止めて賜び給へ。親の勘当受けし身は、未来も闇に迷ふと聞く。勘当御免なき上に、親の手づから子の首に、刃を当て給はば、迷ひの上の迷ひなり。最期のやうを聞き分けて、許しの御言葉かけ給はば、名僧智識の引導も、それにはなどか優らん。」と、口説き立て口説き立て、嘆けばさすが親心。「言ふ事あらば、はや語れ。」と、咽び入りたるばかりなり。
 女房、猶も涙にくれ、「痛はしや、我が夫の、今度の軍は高家が、主親の勘気を許され、昔に帰るはこの時と、軍兵に交じり、幾度か出給へども、浪人の貧しき身、鎧一領あらばこそ。素肌武者の錆刀、拾ひ弓に拾ひ矢。畠に使ふ野飼の馬、打てどもあふれども、飼はねば痩せて足立たず。いかなる猛きもののふの、三條小鍛冶の剣にも、なう、貧苦の敵は防がれず。腹を切らんとし給ふを、わらは、さまざま力を付け、兵粮秣の志、盗みかかりし青麦の、畠は敵の領内。高手小手に縛られ、大将の前に引き出し、罪に沈む筈なりしに、敵ながら義貞は、情けある大将。身の上を聞き届け、命助かるその上に、召替の錦の鎧、太刀刀まで賜はり、『この恩あるとて必ず我を庇ふな。それゆゑ夫が名は問はぬ。』と、仁義深き御言葉。語り聞かせし我が夫の、心魂に沁みたるか、御命に替はり、『我、源義貞。』と、名乗りてあへなく討たれ給ふ。
 「たとへ千金万金を、延べたる鎧太刀にもせよ、高家程の侍が、飢ゑに臨んで死すればとて、鎧一領、太刀一振に目がくれて、そもや命が捨てられうか。これぞまことの情けの死とは、夫の事。恩を忘れ、義貞を討ち参らせ、尊氏公より大国を賜はつて、栄華を極むる果報より、義理と情けに命を捨て、獄門に懸かるこそ、武士なる者の果報なれ。おいとしや、御最期まで、心に懸かるは父御の不興。御免あるとの一言の、息をお顔に吹きかけて、親子の縁を二世までも、結んで進ぜて賜び給へ。」と、すがりかき寄せ抱き寄せ、消え入り消え入り泣きければ、内侍も、「さては我が夫の、命の親ぞ。」と諸共に、声を揃へてかこち泣き。警固の匹夫下部まで、袖を絞らぬ者は無し。
 父の前司も愁嘆の、涙にかきくれ居たりしたが、「ええ、あつぱれ、我が子や、でかしたり。只、残り多きは十二歳より、一日安堵の思ひもなく、貧苦で死なせし可愛さよ。情けにもせよ義理にもせよ、義貞を助けし子の親は、主君尊氏へは不忠の者。奉公すべき理屈なし。御前にてこの首が、義貞にてなき時は、獄門の木の下にて、腹切つて伏すべきと、はちげん放つて申せしは、かやうのため。尊氏の御手に懸かると思ひ、我が首手づから掻き落とし、勘当は冥途にて、ぢきに会うて許すべし。内侍様をかしづき、情けの恩を報ぜよや。三世の諸仏、大悲の力、親子一緒に導き給へ。これまでなり。」と、刀を首に、両手を掛け、「えいえいえい。」の声の内、二人ははつとすがれども、早その甲斐もあらしの庭の、老木に積もる白雪の、脆く落ちてぞ消えにける。
 会者定離とは言ひながら、会ふも今、別れも今、これ目前の愛別離苦。憂きを重ぬる涙の袖に、舅の首を押し包む。内侍は、「夫の命の親。これも我がため、舅ぞ。」と、身に引き添へて諸共に、まことありける現世の道、仁と言ひ、義と名付け、忠孝深き法の海、共に弘誓の舟岡山、煙の末も一筋に、乱れぬ御代の教へなる。

底本注
 ・はちげん放つ――「はちげん」は「はつげん」(発言)の転訛。「はちげん放つ」は、「言ひ放つ」を強めて言へる言葉である。宇治加賀掾正本の雁金文七に、「主人へ言訳すべいとて、はちげん放つてわめきける。」と見えてゐる。

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