第四

 「よさ様の寝姿、窓から見れば、花ならば初桜、月ならば十三夜。盛りまだしき閨の内、さては野に咲く百合の花。しよがえ、少勧、少勧。」とぞ謡ひける。「やいやい、やかましい、丸太めら。暮に及んで何事ぢや。番所が目に見えぬか。うぬ等が来る所でない。通れ、通れ。」と叱つても睨んでも、「さては野に咲く百合の花。しよんがえ。」「さてさて、なめ者。この所を知らぬか。坊門の宰相様の御下屋敷。尊氏将軍と御内通、後醍醐の天皇をこの所に押し籠め、近日、隠岐国へ流し者。夜の目も寝ずの大事の番。宰相様も只今、奥に御入り、追つ付けお帰り。そこ退いてをれ、退いてをれ。」と極め付くる。「ああ、堅い侍ぢや。これより厳しい番所、波に揺らるるかかり舟の中までも、小歌は付けたり、仮寝の伽に呼ばんす。寝しめての寝心は、髪のあるよりない方が、びらびらせいで、よいげな。番衆は猶用心。すはと言ふ時、早鐘まさり、私がつぶりを打たんすりや、はや勧々。」とぞじやれかくる。
 奥より、「殿のお帰り。」と、呼ばはれば番の者、ばらばらと畏る。宰相、悠々と立ち出、辺りを見廻し、「あの裏の方は塀一重。犬のくぐつた道もある。いかにしても無用心。明くる早々、巡りに蜘蛛手を結はすべし。いよいよ番を怠るな。夜中替はりに定めしからは、気の詰まる間もなし。番所は禁酒にして、よろづに気を付け油断すな。追つ付け尊氏より大国を賜はり、この宰相も公家をやめ、武家の大名となる時は、みな相応の知行、取らすべし。奉公に精出せ。また後ほど見廻らん。」と、上屋敷へぞ帰りける。
 番の者ども伸びをして、「やれ、気詰まりや。これ、おびん。旦那が往なれた。もう楽ぢや。謡はうと踊らうと、夜中まではこつちのもの。ここへ、ここへ。」と招かれて、「むむう、殿達は三人、私がお敵はどれぢやえ。気が定まらぬ。」と言ひければ、「はて、誰あらう、この鼻。」「やあ、伝五平、それはまんがち。今宵は、身が留め風呂だ。」「いや、身が先だ。」とせり合へば、「これこれ、伝五、軍太、せり合ひは無用。この源蔵に任せて置け。寝る時は、もみくじで、しぶいて来い。まづそれまでは、一杯上げて、しよげるべい。や、酒売りの又六が、もう来る時分。」と、比丘尼一人に侍三人、役目の番は、よその町、声高々と担ひ売り。「大名深草大納言。唐人分別、ぬらりころりの兼平やい。大名とは白餅、深草とは鶉餅、大納言は小豆餅、唐人もろこし、分別あん餅。ぬらりころりは鰻の蒲焼、山椒味噌。兼平とは、木曽殿の御内に今井寿司。酒盛に隠れなき、一騎当千の御肴、磯打つ波のまくり呑み。蜘蛛手かくなは十文切りの、茶碗に一杯。酒でも餅でも、旨い物の勢揃へ。銭次第。」とぞ売りに来る。
 各々喜び、「又六、来たか。これ見よ。かうした色遊び。酒も寿司も、ありたけはだけ買うて遣る。汝も呑んで、太鼓持て。」「ああ、それは忝い。商ひして酒呑んで、その内で利を取るは、めでたい西が吹いて来て、丸太舟の湊入り。三人の御番、こなたは加番に青のぼん様。かるたには太鼓の二、杯には太鼓の一。私から。」と引き受けて、ついと干し、「さあ、丸太様へ。」と差しければ、各々、口を揃へ、「その杯を、三人の内、気に入つた男に差し給へ。その者が枕並べる。くじ取りより、これがまし。思ひ差しになされ。」と面々、衣紋繕ひ、鬢掻き撫でて並びける。
 「いやいや、それでは気が知れぬ。茶椀三つで面々杯、私を思ふ数ほど呑んで、心中を見せさんせ。茶椀の数の重なるが、私が今宵の男ぢや。」「やあ、面白い。酒の売れる瑞相。」と、茶椀並べて三升樽。「すぐに御酌。」と立ちければ、いづれも、「合点。まつかせ。」と、初手一杯はついつい呑み、二杯目は早、我呑みにて、三杯からが義理一遍。後には義理も瓢箪も、ふらりふらりが忽ちに、ころりころりと行き着きて、前後も知らず臥しにけり。「これこれ、寝入らぬ先に銭しませう。これ、旦那衆。はて、手の悪い狸寝入り。酒代、早う。」と揺り起こす。
 「まあ、よいわいの。たつた今、寝入りばな。今夜は帰つて、明日でも取つたがよいわいの。」と言へば又六、腹を立て、「むむ、さては、相ぢやの。さあ、そなたから銭せう。」と、ねだれかかるその間に、塀の破れに月影の、白犬一疋、尾を振つて、箱の寿司を狙ひ付け、くはへる処を又六、「どつこい。」と首玉押さへ、「犬も人も、この屋敷は食ひ逃げの大寄せ。罷りならぬ。」ともぎ離す。「これこれ、言うても畜生、執心が可愛い。そのあたひは、わしが遣る。中で一番大きなを、おなかのまま取つて、魚ばかり売つてたも。」「これは犬殿、大尽が付いた。何も商ひ。丹後の鯖の一番、三十八文。合点か。」「合点、合点。竹の皮一枚たも。」と木蔭に立ち寄り、懐中より一通の文、ぐるぐる巻き、魚中に入れて、「こいこいこい。」と投げ出せば、引つくはへ、塀の破れに入りにける。
 又六、とつくと見済まし、小声になつて、「これ、比丘尼殿。そなたは異国の范蠡を遣らるるの。この所は、坊門の宰相下屋敷。天皇様を押し籠め置く。定めしそなたは、新田殿よりの案内と見た。違ふまい。某は、出雲国名和の、又太郎長年といふ者。御厚恩の綸旨を受け、近寄るべき便り、かやうの商人、せめて一人、かたうどのあれかし。奪ひ出し奉らんと、心を砕く処なり。御身の上、ありやうに聞かまほしし。」と言ひければ、「おお、我等は小山田太郎高家と申す者の妻。新田殿の情けを受け、夫高家は討死し、みづからは尼と成り、勾当の内侍様と、一つ住まひのその内にも、天皇様を奪ひ、新田殿の御本意をと、思へども女業。せめての便りに御力を、付け参らするばかりなり。」と、語れば長年、大きに喜び、「これぞ御運の開くる時。折しも、番の者は食らひ酔ふ。この塀一重、踏み破り、易々奪ひ奉り、吉野の奥に皇居を据ゑ、根来法師、熊野武者を語らひ、吉野十八郷を、都と定むるものならば、北国西国靡く事、案の内ぞ。」と餡餅の、担ひ棒にて塀一間、どうどうどうと突き崩し、つつと入れば、犬の声々。
 一犬吠ゆれば万犬に、番の者ども目を覚まし、起き上がれども、ひよろひよろひよろ。よろりよろりとよろめきながら、「南無三、塀を破つた。又六めか、丸太めか。一打ちにしてくれん。」と、抜き連れ抜き連れ入りけるは、危ふかりける次第なり。
 既に夜半の番替はり、引き連れて宰相、検見のために来りしが、「やあ、う、番の者は一人もなく、塀押し破りしは心得ず。敵の忍びの入りけるぞ。込み入つて討ち取れ。」と、喚いて入らんとする処に、又太郎、大肌脱ぎ、棒引つ提げ、つつと出、「我等は酒売りの又六と申す者。誰とも知らず十人ばかり、我等が酒寿司呑み食らひ、番衆にも振舞うて、まんまと抱き込み、銭を払はず、塀を破つて入り候。我等がためには食ひ逃げの敵。奥に気遣ひなさるるな。これへ追ひ出し申すべし。酒臭い者を合図に、討ち取り給へ。」と言ひければ、「おお、でかした、でかした。急いでこれへ追ひ出せ。」「承る。」と、つつと入り、無二無三に追ひ立つる。
 三人の酔ひ覚めども、逃げ出づれば、「そりや、討ち取れ。」と取り廻す。「いや、我等は御内の伝五平。」「伝五平でも、酒臭いは痴れ者なり。」と、はたと斬る。「我等も御家来源蔵。」「やれやれ、き奴も酒臭い。」「拙者は軍太。」「こいつは取り分け酒臭い。一人も逃すな。」と、片瑞切つて捨てにけり。又太郎、跳んで出、「お手柄、お手柄。裏門は、大方仕舞ひ。表門の酒臭さ、鼻がもげて往にまする。皆々、表へ御廻り。」「おお、心得た。随分、鼻を利かせよ。」と、表門へと駆け出す。
 その隙に、高家が女房、天皇の御手を引き、走り出づれば、あまたの犬、後先を取り巻いて吠えかかれば、又太郎、「討ち洩らされの今井の四郎、手並を見よ。」と、寿司も餅も投げ出し、虎の尾を踏み毒蛇の口、犬の背中を躍り越え、大和路さしてぞ。

底本注
 ・丸太――小唄を便りに色を売る比丘尼を言ふ。丸太は即ち円木で、僧を木の端と言ふより、比丘尼どもをも円木の意にとりなした称である。。
 ・しよげる――「しげ(茂)る」の訛り。「籠る」義で、即ち、男女籠る事で、交媾を言ふ。

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校訂者注
 ・御内に今井寿司――底本「御内は今井ずし」。『近松全集 第3巻』により改めた。