天皇かちぢの御幸
世は末世に及ぶとても、日月は地に落ちぬ、習ひとこそ思ひしに、我等いかなれば、王位を出てかくばかり、人臣にだに交じはらで、雲居の空をも迷ひ来て、行方いづくとしら露は、草葉の上に置きもせで、袂に寒き秋の霜。菊月も末つ方、故宮を忍び出給ひ、あやしの賤の神詣に、やつせど馴れぬ菅の笠。雨を含める孤村の樹、夕を送る遠寺の鐘。
哀れを催す時しもあれ、おん痛はしや先帝は、梁園の昔の御遊、華軒香車の外を出させ給はぬも、いつしか馴れぬ足袋脚巾。千歳の坂と詠ぜしも、耳には触れて手に触れぬ、憂き節繁き竹の杖。長年一人御供にて、知らぬ野山をここかしこ、辿らせ給ふ御有様、よその見る目も恐れあり。ここはいづくと里人に、いざとば縄手、秋の山。岩に砕くる瀧川の、どうどうどう、どつと寄せ来る追手の声か。それかあらぬか、いや待て暫し。あれは野面に誰招く、案山子の影に落人の、鳥より先に驚きて、共に群立つ鷺の森。急ぐとすれど玉鉾の、習はぬ道の険しきに、御足も欠け損じ、御草鞋に流るる血は、草葉に染めていさら川、紅葉しがらむ如くなり。
あはれ、げにきのふまで、玉楼金殿の床に坐し、月に戯れ色香に染み、花やかなりし玉体の、今日は岩間の苔筵、片敷く袖に御涙、堰きあへさせ給はねば、さしもに猛き長年も、涙は胸にせき戸の院。ここは名高き山崎の、麓に乱す荻萩薄、踏み分け啼くや狐川。東の空を眺むれば、あれあれ、宇治の河霧絶え絶えの、瀕々の浅瀬にわらんべの、小手さしつるる声々に、故郷恋しや我が古里の、柴の庵も懐かしや。庵も柴の、柴の庵も懐かしや。恋しゆかしと聞くからに、げに九重も遥々と、後に名残の男山。さかゆく事もありこしに、今の憂き目をみつの浦、西に霞みて淡路潟。須磨の関守呼び起こし、通ふ千鳥のちりちりちりと、寄せ来る寄せ来る、波も寄せ来る、面舵取舵、拍子揃へてさ、面白や、面白や。さつさ堺の浦遠く、帆を十分に、上げた処が面白いよの。何に譬へん五手舟、潮風寒く吹き通ふ、笠も袂もひらひらひら、平野若江も過ぎ行けば、日影も下がる藤井寺。はや告げ渡る鐘の声、こん、金剛山も遥かなり。
「あれ、御覧候へ。霞みて見ゆる高嶺こそ、信貴の毘沙門にて渡らせ給へ。」と奏聞すれば、主上、御手を合はせ、礼拝あり。「仏法擁護の本地の月、垂迹和光の影清く、再び朝憲明らかに、四海を照らさせ給へや。」と、丹精無二の御祈り、神慮も暗に測られて、ただ頼め、年ふる松の寿を、御代に譲りて高安や、それにはあらでこれも又、沖津白波立田越え、夜半にや君が一時雨、雲行く空を木蔭かと、濡れてたたずみ給ひけり。
取り伝へたる梓弓。光陰矢の如く、楠正成が百ヶ日、立つやその名も忘れ形見の、一子帯刀十一歳、父が最期の無念さの、胸にとどまり骨に泌み、幼心に只一騎、弔ひ軍思ひ立ち、鎧の袖に小桜の、花を手向けの法の駒。暁深き星の影、共に輝く銀覆輪の、鞍の山形山道の、小石交じりの小笹原。そよ吹く風にくりかけて、取つたる手綱、濃紫。藤井寺を弓手になし、馬手へさらさらしとしとしと、かつしかつしと歩ませて、神の昔も念力の、示現は今もあら人神、天神の森にぞ着きにける。
あら不思議や、後ろの方に女の声。「待てよ、待てよ。」と呼びかけたり。何者やらんと振り返れば、衣引きかかげ腰刀、長刀かい込み追ひかくるは、母上なり。「南無三宝、我をとどめんためなり。」と、一鞭くれて駆けさする。息をはかりに走り付き、鞍の四方手をむずと取り、止めても引いても駆け馬の、二、三十間引きずられ、「やれ、物が憑いたか、帯刀。母にも知らせず、いづくへ行くぞ、正行。母は息切れ、死ぬるをも構はぬか。馬を止めぬか、倅め。」と、叫び給へば正行、馬より跳んで下り、土に手を突き、頭を下げ、「父の忌の明け候へば、弔ひ軍仕り、尊氏を討ち果たさんと思ひ立ち候。御暇申さぬ段、まつぴら御免下され。」と、さしうつぶいてぞ居たりける。
母は、とかうも涙にくれ、「ええ、いかに幼ければとて、十に余れば大人役。などさ程にも弁へなき。栴檀は二葉より香しといふ譬へもある。正成の子ならずや。日本半分切り取つたる尊氏に、お事一騎駆け向かひ、一太刀合はするまでもなく、多勢が中に取り巻かれ、当座に討たればまだしもよ。生け捕りとなつて面縛せられ、恥辱の上に命を失ひ、いつの世にか天皇様を御世に立て、父亡魂の本意をば遂ぐるぞや。親の敵討たんとて、軽々しく身を捨つるは、端侍の上の事。父御前の桜井より、汝を帰し給ひし時、生ひ先までの教訓を、母にも語り聞かせしが、百日経つや経たずにて、その諌めを忘れしか。一族語らひ軍兵揃へ、菊水の旗、真先に押し立て、古今無双の名将と、呼ばれたる足利尊氏に、一あぐみあぐませんとは思はずして、一騎武者の働きに、いかなる手柄したればとて、その名を上ぐるばかりにて、天下のためには益もなし。
「幼くとも楠正成が子、六十余州を重荷に持つ、大事の身とは思はぬか。恨めしや、情けなや。さあ帰れ、はや帰れ。重ねて母は口では言はぬ。つめつめするぞ、覚えて居や。これにつけても正成殿、今三年世に長らへ、お事が十四、十五にならば、かく憂き世話もせまいもの。はかなの浮世や、あさましや。」と、諫め口説きて泣き給へば、さしもに勇む正行も、母の嘆きに亡き父の、顔を今見る心地して、母の膝に抱き付き、声も惜しまず泣き居たる、親子の嘆きぞ哀れなる。
かかる処に又太郎長年、天皇を負ひ参らせ、森を目に掛け来りしが、やあ、心得ぬ。夜はまだ深きに、幼き身に物具堅め、女も長刀横たへしは、むむう、例の山だちよな。幸ひ、幸ひ。き奴を脅して、夜道の案内させんと思ひ、「こりやこりや、山だち。熊野詣の同道に、病人あつて迷惑なり。夜明けまで看病すべき所やある。送つてくれば、きつと礼をせん。」と言へば、母、聞きもあへず、「いやいや、我等、山だちにては無し。熊野道者の御病人とは、殊勝にもおいとしし。我が宿所は三里ばかり。折節これに馬もある。召されて御入り候へかし。」「いや、志は嬉しいが、人目を忍ぶ我々。その内に夜明けては気の毒。三里行けば隠れもなき、楠に縁ある故、方々を頼むまでもなし。」と行き過ぐれは、「これ、申し。楠に縁あると宣ふは、どなたぞ。これこそ正成が妻や子にて候へ。」
「さては、さうか。我こそ隠岐国、名和又太郎長年と申す者。負ひ奉りしは忝くも、後醍醐天皇。」と言ふより、親子は、「はつ。」とばかり、しさつて額を地に付くれば、君も泥土に下りさせ給ひ、「汝は帯刀正行、汝は母。いづれも正成が形見かや。妻子を御覧あるにつけ、父が忠節をこそ思し召し出せ。」とて、正行が髪掻き撫でて、龍顔に御涙を浮かべ給ふぞ有難き。
さて、坊門宰相、返り忠にて、君捕らはれと成り給ふを、小山田が妻と心を合はせ、奪ひ奉りし有様、詳しく語り、「尊氏方の追手の軍兵千騎ばかり、あれ、あの松明。事、急なり。まづ御辺の館まで、急ぎ御幸なし申さん。」と言ひければ、正行、頭を振つて、「いやいや、我等が館へ君を入れ奉り、追手の勢を引き受け、狭間も切らぬ塀一重、溝同然の埋れ堀。一日もこらへず攻め落とされ、敵に分量を見探され、後日の合戦なり難し。この所につつ支へ、追手の大勢打ち散らし、出合ひ頭の初軍に、敵に一しほ気を付けて、駆け悩ます程ならば、重ねて軍に二の足踏まんは必定。是非この所に食ひ止めて、一合戦。」とぞ申しける。
校訂者注
・忌の明け候へば――底本「忌のあき候へば」。『近松全集 第3巻』により改めた。
・重荷に持つ――底本「重荷に持ち」。『近松全集 第3巻』により改めた。
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