当流小栗判官

第一

 きのふまで早苗取りしがいつの間に、稲葉そよぎて秋の野や、萩の朝明け、荻の夕暮、月の桂も色増して、たいてい四時、心すべて懇ろなり。中について、腸を断つ秋の天と作りし、唐の歌さへ身に染みて、めでたき秋の眺めなり。
 扇の嵐いつしかに、今朝は野分と吹き替はり、一本薄、穂に出て、世に隠れなき美男たる、東三條の末流、小栗判官兼氏は、往んじ春、流人と成り、相模が原の配所の庵、せめて慰む方もやと、池の荘司を御供にて、外面の野辺に立ち出て、都に知らぬ山畑や、一叢粟の鳥脅し、鳴子に馴るる友鶉、妹背兎のはらむてふ、桔梗が露に戯るる、野菊紫蘭の乱れては、袖もさながら花摺衣。裾野に響く草刈笛、なほ目がれせず見給へば、十二、三なる草刈ども、牛追つ立てて鎌振り上げ、花をかるかや女郎花、押し分け押し分け来りける。
 小栗、御覧じ、「心なし、童ども。牛馬に飼はんためならば、花なき草こそあるべけれ。露も盛りの秋の花、いかに田夫の汝らも、つれなし。」とありければ、童ども承り、「御理や。さりながら我々は、この国の押領使、横山殿の御内の者。されば横山殿、鬼鹿毛とて、三国無双の名馬あり。かの御馬と申すは、神変不思議の相を得て、春は梅花の香を食らひ、夏は卯の花、菖蒲草、今は折から秋草の、露をそのまま秣に飼ふ。もし又かの馬、荒るる時は、人、秣を飼はざれば、厩にも立て難し。さるによつて、近国野山にて、毎日百荷の草花を。仮初ながらこれとても、君がため。」とぞ語りける。
 かかる処に、二十歳ばかりの侍の、大疵三箇所受けながら、太刀にすがつてよろぼひ来り、「これこれ、お侍と見受け申す。某は、後藤左衛門国忠と申す者。当国の住人、山形兵衛と申す、親の敵を討ち損じ、御覧の如く深手を負ひ、厳しく追手の懸かり候。人手に懸かるも無念の至り。介錯、頼み存ずる。」と、既に自害と見えし時、小栗主従、すがり付き、「やれ、待て、若者。いかに深手を負うたるとて、親の敵を討ち損じ、死なんとは何事ぞ。叶はぬまでも逃げ延び、重ねて本意を遂げうとは思はぬか。某は、流人小栗判官兼氏。この上は死なせぬ。追手懸からば、我々に任せよ。さあ、落ちよ、若者。ええ、後れたか、うろたへたか。いかに、いかに。」と宣へば、後藤左衛門、聞きもあへず、「さては、承り及びし小栗殿にてましますか。御教訓、至極仕り候。その儀ならば、落ち申さん。万事は頼み奉る。この度の御厚恩、全く忘れ申さじ。」と言へば、「いや、礼までもなし。これ幸ひの物あり。」と、鳥縅の蓑笠を左衛門に打ちかづけ、「急げ、急げ。」と力を付け、あらぬ道へぞ落としける。
 もとより小栗、案深く、かの草刈が牛引き寄せ、太刀引き抜いて、胴中をしたたかに切り下げ、追つ放せば、牛は猛つて朱に染み、畦も畠も踏み散らし、行き方知らずなりければ、草刈どもは肝を消し、皆散り散りにぞ逃げにける。案の如く追手の者、ここかしことどよめきて、「これこれ、ここへ手負は来ぬか。」と問うた。さてこそと池の荘司、「むむ、誰とは知らず、深手を負ひ、あの畦道を落ちたりし。これこれ、糊を引いたり。血のある方へ追つかけられよ。」と、牛の血を教ふれば、追手は喜び、「疑ひもなくこれなりき。過分、過分。」と、牛の血を慕ひてこそは追つかけけれ。
 時の間の善を成し、人を助くる発明は、聡明叡智、身の内の、尽きせぬ宝ぞ有難き。さてその後に、兼氏、つくづく思せしは、「牛を放せし童ども、言ひ訳は何とかせし。おぼつかなし。」と、横山の門外にたたずみて、暫し窺ひ立ち給ふ。
 されば、横山の郡司信久は、伊豆相模をしる由し、五人の子を持たれしが、末は照手、如月とて、二人の娘。恋知りの、二八、さんごの玉簾。情けを具する閨の内、「秋風寂し。いざ給へ。的場の庭の雨の後、石などりして遊ばん。」と、はらから連れて出給ひ、「ああ、ほんに気が晴れた。」と、につと笑顔の花かづら。雲の黛、寂寞として、眼元にしほの欄干たり。兼氏、遥かに垣間見て、「都優りの娘ども。恋の種蒔き、これこそ。」と、屏中門に身を寄せて、うかと見入りておはしける。
 見る人ありともしら砂に、出雀籠を据ゑさせて、柳にとまる蝶々や、松葉に巣がく蜘蛛取りて、籠に放ちて振る袖の、手飼ひになづく山雀が、とんと返りて輪を抜けて、そなたへくるり、こなたへくるり、くるりくるみ姫、くるみ姫が言葉について、廻れや廻れや、めぐれしやんと羽返す、翼も軽く、気も軽き。「ああ、可愛の鳥や。」と愛で給ひ、「なう、如月。鳥類ながらもこの鳥の、我が言ふ事を聞き分けし。天が下にこの鳥ほど、可愛いものは、よもあるまい。」と宣へば、如月も興に入り、「申し、姉様。いざ、この鳥に砂水かけて、最早休ませ申さん。」と、籠引き寄すれば、何とかしけん、籠の戸開けて山雀は、中空かけて飛び上がる。「これは、これは。」と慌てふためき給へども、その行き方はなかりけり。
 照手、色を損じ給ひ、「一命にも替へぬ大事の鳥を、何事ぞ。なう、如月。捕らへて返しや。山雀が無きならば、姉とも思ふな。妹とも思はぬぞ。山雀、返しや。返しや、返しや。」と責め給ふ。如月も詮方なく、「はあ、悲し。何とせん。遠くへは行くまじ。」と、屏中門を押し開き、走り出づれば兼氏に、会釈もなく行き当たり、はつと上気の紅に、はや男見る目遣ひあり。ややあつて如月、「どなたとは知らねども、姉様の秘蔵の山雀取り放し、御機嫌損なひ迷惑なり。捕らへて賜べ。」とぞ仰せける。小栗、聞き給ひ、「これにてあらまし聞き候が、さぞ御難儀といとほしし。命なりとも参らせん。空飛ぶ鳥は、何とも。」と、情けありげに夕日影。
 照手、遥かに御覧じて、魂深く染め渡る、色は言葉にほころびて、「これ、なう、如月。まこと山雀帰らずは、鳥の代はりにその殿を、捕らへて返しや。堪忍せん。」と宣へば、如月、喜び、「近頃、卒爾な事なれども、姉上の御機嫌、直して賜べ。ひとへに頼み参らする。」と、袖を引けどもうちつけに、さすがの小栗も興さめて、当惑したる風情なり。如月、重ねて、「なう、最前のお言葉に、命なりとも用ならばと、宣ひしは、そら言か。」と詰められて、詮方もなく兼氏も、うじうじとして入り給ふ。
 顔に紅葉や照手の姫、暫し言葉はなかりしが、思ひこぼれてつつと寄り、小栗の御手をしかと取り、「あつぱれ、この鳥。替へ得ぞや。この世はおろか来世まで、手飼ひに懐き給へや。」と、手を引き寄せて締め給ふ。兼氏は赤面し、「お志は嬉しけれども、人を鳥とは迷惑。」と、声も震ひて申さるる。「いや、これ。鳥でないとは言はれまじ。我等がための、命とりといふ鳥よ。懐けや、懐け。」と寄り添へば、呆れて猶も返事なし。
 「なう、如月。以前の鳥は、言葉を聞き、我が言ふやうになりたりしが、これは、さもなし。元の山雀、返しや、返しや。」と、又こそ御機嫌損じけれ。如月、いとど迷惑がり、「未だ人馴れぬ鳥なれば、さも候はん。これ、何事も、御心に従ひて賜べ。なう、気の毒や。」とありければ、小栗も今は包み兼ね、「我こそ流人、小栗の判官兼氏よ。お姿と言ひ、お情けに、訳知らぬ身も、繋ぎ馬。配所の月の巡り会ふ御縁もがな。」とほのめけば、「むむ、聞き伝へし小栗様か。女に物を思はせて、何のお手柄。なう、強いも事により竹の、よい折り時分。ああ、寿命の毒め。」とうちもたれ、袖より入るる手先には、いかなる恋か籠るらん。
 如月、さすが妬ましく、見ずも居られず見も遣らず、わくせきしたる折柄に、以前の山雀、帰りけり。「これこれ、姉様。元の山雀、返しません。その鳥、こちへ。」と引きのくれば、「いや、その鳥は、もう要らぬ。余の鳥千疋万疋より、この命とり、ただ一人。その山雀は秘蔵なれども、そなたに遣らん。」と宣へば、「むむ、姉様も、よい事は、よう御存じ。我もこの鳥、何せん。」と、顔打ち振つて入相の、兼氏の有様は、世にうつつなく、わりなしや。
 かかる処へ件の牛、家路忘れず馳せ来り、にれ打ち噛みて駆け廻る。姫は驚き逃げ入り給へば、小栗も慌てて的場の安土に、立ち隠れてぞおはしける。時を移さず山形兵衛、糊を慕うて追つかけ、大音上げ、「この内へ狼籍者を付け込うだ。出せ、出せ。」と呼ばはつたり。横山太郎、同じく次郎、中に取つても三郎は、大力のあふれ者。門外につつと出、「むむ、方々は、当国山形兵衛といふ人よな。さて、途方もなき事を言ふ者かな。狼籍者を付け込みしとは、何を以て申すぞ。この横山が館に踏ん込み、案外吐かば、一人も生けて帰さぬ。合点か。」と、はつたと睨んで申しける。山形、ちつとも臆せず、「やあ、証拠なくて言はうか。糊を慕うて付け込うだり。これ、見よ。」と怒るにぞ、門の蹴放し、朱に染み、白洲に生血流れたり。
 太郎、次郎、言葉を揃へ、「この上は、門内へ手負、入りたるに紛れなし。さりながら、武士の家へ駆け込む者を、出すべき作法なし。出す事は、ならぬ。」と言ふ。三郎、つつと出、「いや、これ、兄達。我々に向かひ、頼むと言はば、命懸けてもかくまふべきが、断りなしに入つたるは、法を知らぬ狼籍者。捜し出して、搦めて渡せ。」「承る。」と郎等ども、上を下へと返せしが、「安土の蔭に、物こそ見ゆれ。やれ、こいつよ。」と、兼氏を縛めて引き出すは、さても是非なき次第なり。
 三郎、眼に角を立て、「おのれ、いづくのうず虫め。案内なく駆け込みしは、作法を知らぬうろたへ者。我々を恨むな。これこれ、山形殿。狼籍者を渡し申す。」と言へば、小栗、聞き給ひ、「暫く、暫く。全く某、狼籍はせず。一通りを聞かれよ。」と、今朝の次第を詳しく語り、「ここは我人、侍たる身の逃れぬ処と、御辺の牛を斬り、その血を以て欺き、かの者は落とせしなり。これ、見よ。某に血の出ん疵もなし。証拠には、屋の内に手負ひ牛のあるべきぞ。侍は相互、誰が身にもあるべき事。聞き分けて賜べ、横山殿。」と、理を尽くしてぞ仰せける。
 山形、聞きもあへず、「さては今朝、き奴めが我をたばかりしよな。よし、この上は、おのれを代はりに誅せん。」と、跳んで懸かれば跳びしさり、「これ、横山殿。あの者こそせいたる上、各々も名ある武士。事の道理は知り給はん。人の命を助くるからは、我が命は捨つる覚悟。一命は惜しからねど、望みあるこの身なり。侍ならば、頼み申す。」と、繰り返し仰せける。三郎、重ねて、「しからば汝、何しにここへは忍びたるぞ。」「おお、御辺の牛を切つたれば、牛飼どもが難儀せん、不憫さに便宜を窺ひ、言ひ訳して得させんためよ。」「いやいや、その言ひ訳は立ち難し。盗賊に疑ひなし。その上、牛を切つたれば、我がためにも、下人の敵。疾う疾う山形、引いて帰られよ。」とぞ申しける。
 小栗、つつ立ち、「むむ、さては、ふつつと聞き入れぬか。やいさ、畜生ども。おのれ、まことの侍と思ひ、言葉を下げし口惜しさよ。いで、物見せん。」と胸を張り、えいやつと身を振り給へば、七重八重の縛めが、はらりふつつと切れてげり。「早業軽業力業、身に兼氏が手並を見よ。」と、門の据石、軽々と引つ提げ、群がる中を縦横に、打ち据ゑ薙ぎ据ゑ、跳んづ返りつ打つ立てしは、すさまじかりし勢ひなり。
 横山一家、恐れをなし、皆逃げ散つて、寄り付かず。されども山形、曲者にて、かいくぐつて後ろより、両足取つて伏せんとす。さしつたりと二、三間、鳥より軽く跳び返り、持つたる大石さし上げ、「えいやつ。」と投げ給へば、山形が真向を、胴中まで打ちみしやがれ、微塵になつてぞ失せにける。
 すぐに駆け入り、「三郎が雑言吐いたる口、引き裂かん。」と、跳んで出しが、「いや、待て、暫し。姫の情けは捨て難し。」と、門の立石、元の如くに押し直し、「お暇申す、横山殿。手並はこれまで、これまでなり。重ねて姫に通ふため、案内を見置かん。」と、心静かに練築地、高塀高垣高遣戸、植込泉水築山を、あなたへ巡り、こなたへ巡り、衣紋繕ひ、鬢を撫で、悠々として帰らるる。文武両道、誰とても、男はかくこそありたけれ。

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