忠兵衛、元より悪い虫、押さへかねて、ずんと出、八右衛門が膝にむんずと居かかり、「これ、丹波屋の八右衛門殿。常々の口ほどあつて、おお、男ぢや、見事ぢや。三人寄れば公界、忠兵衛が身代の棚下ろししてくれる、忝い。こりや、この水入れも男同士、母の心を休めるため、受け取つてくれるかと、謎をかけて渡したを、この忠兵衛が五十両、損かけうかと気使ひさに、廓三界披露して、男の一分捨てさする。但し又、島屋の客にまひなひ取りて、梅川に藁を焚き、あちらへ遣らうといふ事か。置いてくれ、気使ひすな。五十両や百両、友達に損かける忠兵衛ではござらぬ。ああ、八右衛門様、八右衛門め。さあ、金渡す。手形戻せ。」と金取り出し、包みを解かんとする処を、八右衛門、押さへて。
 「こりや、待てやい、忠兵衛。余程のたはけを尽くせ。その心を知つたる故、意見をしても聞くまじと、廓の衆を頼んで、こちかちよけて貰うたらば、根性も取り直し、人間にもならうかと、男づくの懇ろだけ。五十両が惜しければ、母御の前で言ふわいやい。てんがうな手形を書き、無筆の母御を宥めしが、これでも八右衛門が届かぬか。その金嵩も三百両、手金のあらうやうもなし。定めてどこぞの仕切り金。その金に疵を付け、八右衛門仕たやうに、鬢水入れでは済むまいぞ。但し、代はりに首遣るか。上り詰めるその手間で、届ける所へ届けて仕舞へ。ええ、性根の据はらぬ気違ひ者。」と、割つつ砕いて叱れども、「いやいや、仁義だて、置いてくれ。この金をよそのとは。この忠兵衛が三百両、持つまいものか。女郎衆の前と言ひ、身代を見立てられ、猶返さねば、一分立たぬ。」と、包みほどいて、十、二十、三十、しじう詰まらぬ五十両、くるくると引つ包み、「これ、亀屋忠兵衛が、人に損をかけぬ証拠。さあ、受け取れ。」と投げ付くる。「男の面へ、何とする。忝いと礼言うて、返し直せ。」と投げ戻す。「おのれに何の礼言はう。」と、又投げ付けつ投げ返し、腕捲りして、ぎしみ合ふ。
 梅川、涙にくれながら、梯子駆け下り、「なう、すつきり私が聞きました。皆、島八様のがお道理ぢや。これ、手を合はせる。梅川に許して下さんせ。」と、声を上げて泣きけるが、「情けなや、忠兵衛様。なぜそのやうに上らんす。そもや廓へ来る人の、たとへ持ち丸長者でも、金に詰まるは、ある習ひ。ここの恥は、恥ならず。何を当てに人の金、封を切つて撒き散らし、詮議に遇うて、牢櫃の、縄かかるのといふ恥と、この恥と替へらるか。恥かくばかりか梅川は、何となれといふ事ぞ。とつくと心を落とし付け、八様に詫び言し、金をつかねてその主へ、早う届けて下さんせ。私を人手に遣りともない、それはこの身も同じ事。身一つ捨てると思うたら、皆胸に籠めて居る。年とても、まあ二年。下宮島へも身を仕切り、大坂の浜に立つても、こな様一人は養うて、男に憂き目、かけまいもの。気を静めて下さんせ。あさましい気にならんした。かうは誰がした、私がした。みな梅川が故なれば、忝いやらいとしいやら、心を推して下さんせ。」と、口説き立て口説き立て、小判の上にはらはらと、涙は井出の山吹に、露置き添ふる如くなり。
 忠兵衛も有頂天、前後括らぬ間に合ひ筵。敷金の事思ひ出し、「はて、やかましい。この忠兵衛を、それ程たはけと思やるか。この金は、気使ひない。八右衛門も知つて居る。養子に来る時大和から、敷金に持つて来て、よそへ預け置いた金。身受けのために取り戻した。花車、ここへ。」と呼び寄せ、「先へ手付に五十両、今百十両、合はせて百六十両。これ、川が身の代。これ又、四十五両、いつぞや締めた帳面、買ひがかりの借銭。五両は遣り手。九月からの揚げ銭、万事十五両程とおぼえたが、算用がやかましい、二十両で帳消しや。この十両は、こなたへ御祝儀やら骨折り分。林も玉も五兵衛も、一両づつぢや。来い、来い。」と、金銀降らす邯鄲の、夢の間の栄耀なり。
 「さあ、今の間に埒明け、今宵の内に出るやうに、頼む、頼む。」と言ひければ、主、俄に勇みをなし、「無い程は無いも金、ある段にはあるものかは。気を死なさう事でない。川様、嬉しう思はんしよ。や、大事の金を持つて行く。林も玉も、供しや。」と、引き連れ、走り出にけり。八右衛門は済まぬ顔、まこととは思はねども、「只さへ貰ふこの小判、返す物を、言はれぬ辞儀。五十両、確かに受け取つた。手形返す。」と投げ出し。「梅川殿、よい男持つてお仕合せ。よね様達、これに。」と、金懐中し、出ければ、「私等もいざ、帰りましよ。川様、めでたう御座んす。」と、皆宿々へぞ帰りける。忠兵衛、気をせいて、「花車は、なぜ遅いぞ。五兵衛、行つて、せつてくれ。」と、立ちに立つてせきけれども、「いや、身受けの衆は、親方が済んでから、宿老殿で判を消し、月行事から札取らねば、大門が出られませぬ。まちつと暇が要りませう。」「ええ、そこらを早う。こりや、頼む。」と、また一両投げ出す。「おつと、任せ。」と足軽く、走る三里の灸よりも、小判の効きぞこたへける。
 「さあさあ、この間に身拵へ。べたべたした取りなり。帯もきりりとし直しや。」と、めつたにせけば、「何ぞいの。一代の外聞。傍輩衆へも杯事、暇乞ひも訳ようして、ゆるりと出して下さんせ。」と、何心もなく勇む顔。男は、「わつ。」と泣き出し、「いとしや、何も知らずか。今の小判は堂島の、お屋敷の急用金。この金を散らしては、身の大事は知れた事。随分こらへて見つれども、友女郎の真中で、可愛い男が恥辱を取り、そなたの心の無念さを、晴らしたいと思ふより、ふつと金に手をかけて、もう引かれぬは、男の役。かうなる因果と思うてたも。八右衛門が面付き、すぐに母にぬかす顔。十八軒の仲間から、詮議に来るは、今の事。地獄の上の一足飛び。飛んでたもや。」とばかりにて、すがり付いて泣きければ、梅川、「はあ。」と震ひ出し、声も涙にわなわなと、「それ、見さんせ。常々言ひしはここの事。なぜに命が惜しいぞ。二人死ぬれば本望。今とても易い事。分別据ゑて下さんせ、なう。」
 「やれ、命生きようと思うて、この大事がなるものか。生きらるるだけ添はるるだけ。高は死ぬると覚悟しや。」「ああ、さうぢや。生きらるるだけ、この世で添はう。今にも人が来るため、ここへ隠れて御座んせ。」と、屏風の蔭に押し入れ、「ああ、私が大事の守りを、内の箪笥に置いて来た。これが欲しい。」と言ひければ、「はて、かかる悪事を仕出して、いかな守りの力にも、この咎が逃れうか。とかく死に身と合点して、我はそなたの廻向せん。そなたはこの忠兵衛が、廻向を頼む。」と屏風の上、顔を出せば、「はああ、悲しや、忌々しい。ちやつと置いて下さんせ。嫌な物によう似た。」と、屏風にひしと抱き付き、咽せ返りてぞ嘆きける。
 越後主従、立ち帰り、「さあ、どこもかも埒明いた。お出の勝手近ければ、西口へ札が廻つた。」と、言へども夫婦はわなわなと、「さらば、さらば。」も震ひ声。「おさぶさうなが、酒わいの。」「酒も咽を通りませぬ。」「めでたいと申さうか、お名残惜しいと申さうか。千日言うても尽きぬ事。」「その千日が迷惑。」と、ゆふづけ鳥に別れ行く、栄耀栄華も人の金。果ては砂場を打ち過ぎて、後は野と成れ、大和路や、足に任せて。

底本注
 ・藁を焚く――難癖を付けてけなすを言ふ。俚言集覧に、「無駄口を言ふ事。又、古道具を買ふに、色々悪しく言つて値切るを言ふ。」と見えてゐる。

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