星合照手 当流源氏 小栗十二段
三升屋兵庫

第一 熊坂
長刀の光すすどき女三郎 頼もしや頼もしや

 東南に風立つて、西北に雲静かならず。夕闇の夜風烈しき山蔭に、梢、木の間や騒ぐらん。ここに横山将監三男、三郎景秀妻、夜叉竹御前とて、英雄猛武の女あり。しかるに夫三郎は、過ぎにし小栗一乱に、その身滅却致せしかば、そのあだを報ぜんと、昔、加賀国熊坂長範まなびつつ、物見の松になぞらへ、相模国に聞こえたる、かうどう石に備へを立て、女今長範とぞ申しけり。従ふ者には、浅生松若、三国九郎、三條衛門、壬生小猿、河内覚紹、磨針太郎、坂東次、坂東内、七十人与力して、上野が原に集まりけり。手の者ども申すやう、「焼けの下の小六、見えませぬ。」長範聞き、「彼は案内検見に遣はした。」「さて、君へ申し上げまする。これへ女が見えまする。いかが計らひませう。」「いや、女ではあるまい。焼けの下の小六であらう。彼は神通無辺の若者にて、法師とも女ともなる。この方より声をかけい。」かかる処へ、女一人来りしが、綿帽子取りければ、焼けの下の小六なり。その時小六、申すやう、「もし、不思議な事がござります。小栗判官兼氏、再び蘇生致しました。」夜叉竹、聞きもあへず、「夫の敵。」と、長刀、柄長く押つ取り延べ、虚空無量に駆け出す。眷属ども、「まづ暫く。」と押し止むる。小六出、「私、案内検見の次第、一々語りませう。」
[十次郎、喜世三、所作あり]
夜叉竹、寛々とうなづき、「月は出ても、朧夜なるべし。斬り入り、攻めよ。」と前後を下知し、弓手や右手に心を配つて、小栗の館へと急ぎける。
[中入り]
 ここに、峯の薬師へ参詣と打ち見え、容顔美麗の美少人、供人あまた召し連れ、山の上へと上がらるる。
[外記浄瑠璃。九蔵出端]
かかる処へ、峯の堂の方よりも、阿弥陀笠引つかぶり、金剛杖にて、山門をさして下りけり。行き違ふ坂にて、少人の蹴上げ、かの法師が水衣にかかりけり。
[九蔵□初弥□]
少人を欄干に押し伏せ、既にかうよと見えにけり。家来、あまた駆け付ける。その時少人、「まことは相模国、横山将監が娘、照手が妹、瑠璃姫でこざる。」その時法師、掛けし鬘をかなぐり捨て、「私儀、小栗が執権、池の荘司今時門と申しまする。御館へ御供致しませう。さて、こなたの御名は、何と申しまする。」「大原後藤左衛門が甥、主膳と申しまする。」「その方は何と。」「安西弥藤次と申しまする。」「そちは。」「何を隠さう、青墓の長、藤原実長と申しまする。」「不思議な所で御目にかかつた。いざ、御立ちなされい。」瑠璃姫、池の荘司対面。いにしへ五條橋にて、牛若、弁慶が働きも、これにはいかで優らんと、褒めぬ人こそなかりけり。
 ここに、青墓の長が女房、大勢の出女ども呼び集め、言ふやう、「さて、皆の者、聞きやれ。あの常陸小萩、何者かと思うたれば、相模国、横山の御娘、照手の姫ぢやとさ。今まで知らいで慮外、これへ呼び出さう。」照手は、「さてさて、御夫婦の御厄介になつた。皆の女郎衆、御懇ろになつた。国へ連れて行きませう。長殿の前は、よきやうにしませう。したが、国へ連れいても、今の言葉づかひではならぬ。照手ぢや。やい、腰元よ。火を焚いて下さんすか。水を汲んで下さんすか。どうでも小萩が出まする。」「自然に直しませう。」女房、言ふやう、「風呂がよう立ちまする。照手様、入らしやれませ。」
 下男長三郎、頬かぶりにて、桶を持ち来りて、人に爪を取つて遣るとて、色々濡れる。照手、長三郎を見て、「見馴れぬ男ぢや。」「わしか。この頃の新参ぢや。こなたは何といふ人ぢや。」「俺は、相模国横山が娘、照手ぢや。」「さてはこなたは、聞き及びたる照手殿か。何とてこのやうに、水奉公をさしやる。」「そんなら様子を語りませう。都三條右大臣、兼家公の惣領、小栗判官兼氏様といふ、天下一の美男があり。かの人と、夫婦語らひをなした処に、親兄の悪心にて、毒酒を以て小栗様を失うた。その故、流浪し、この長方へ奉公に参り、流れを立てよ、勤めをせいと、折檻に遇ひます。小栗殿への心中に、かやうに悲しき水奉公を致す。」「さてさて、草場の蔭で、小栗殿聞かれたらば、さぞさぞ満足でござらう。」「聞いて下され。難題に、七種唐名を買うて来いと言はれまして、とんとこれに困りました。」「俺がそこに居たならば、教へてやらうものを。」「とうなんとは。」「豆腐の事ぢや。」「それでござらぬ。つくづくし。せいなんとは。」「雪踏の事よ。」「芹でござる。うてもり。」「もぐらもち。」「かごもりとは。」「駕籠舁き。」「皆違ひました。ところとは。」「山の芋ぢや。」「いちじとは。」「一文字よ。」「かいらうとは。」「海老の事。」「闇の夜のつれをのこ。」「それは夜鷹の妓夫ぢや。」「筝の柱の事。」「俺がのは、皆違うた。」
[餓鬼阿弥、勘太郎、熊野の道行]
「何を隠さう、俺こそ小栗。」と、頬かぶりを取る。「これは、小栗様ぢやが。どうして蘇生なされました。」「熊野本宮の湯に入つて、元の小栗となつた。」かかる処へ、鬼次新之丞、小幡一角、器量優れし若侍、島台を持参致し、「兼氏公、再び蘇生あそばさるる段、おめでたう存じ奉りまする。」瑠璃姫は、池の荘司、青墓の長同道にて参り、喜び涙、堰きあへず。判官、見給ひ、「その方は、池の荘司が一子、今荘司時門な。栴檀は双葉より芳し。あつぱれ、父荘司に劣らぬ程の器量。随分、忠を励んでよからう。」
 あら不思議や。「時分はよきぞ。早入れ。」と、言ふこそ程も久しけれ、久しけれ。皆我先にと松明を、投げ込み投げ込み乱れ入る。勢ひは踊躍神も、面を向くべきやうぞなき。今長範が頼みたる小六、手を負ひければ、女熊坂、「ええ、天命の帰する処、見非なし。」と、歯噛みをなせば、鬼次見て、「盗賊のやからとし、何の天命。皆寄つて、笑へ、笑へ。」その時長範、「まことは三男三郎が妻、夜叉竹ぢや。夫のあだを報はんため。」小栗、きつと見て、「さては、夜叉竹御前よな。とても逃れぬ。覚悟召されい。」照手、押さへ、「申しても、みづからがためには、嫂でござります。お前には蘇生なされ、かやうなめでたい折なれば、命をお助け下されませい。」「成程。命、助けた。」その時、夜叉竹、両眼をくり出し、「小栗様を見ますと、夫の敵と存じ、恨みが晴れませぬ。それ故、眼をくりました。」小栗、松の枝を持ち、「夫の敵ぢや。この小栗を打ち召されい。」「心得ました。」と打たんとせしが、心を取り直し、「何の、打たれませう。つくからに千年の坂も越えぬべし。かの遍照が詠みたりしも、今、身の上に知られたり。」次第次第に思ひは増しぬ。義理の程こそ類なし。

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校訂者注
 ・[割注]内の人名は、『徳川文芸類聚 第六』(1915)に以下の通り。十次郎(女今長範=夜叉竹)、喜世三(焼けの下の小六)、外記(浄瑠璃太夫)、九蔵(池の荘司時門)、初弥(瑠璃姫)、餓鬼阿弥(長三郎=小栗)、勘太郎(常陸小萩=照手姫)。
 ・折檻に遇ひます。冥途にまします小栗殿への心中に――底本「折檻に遇ひます。小栗殿への心中に」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・池の荘司が一子、今荘司時門な――底本「池の荘司時門な」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・夜叉竹ぢや。夫のあだを報はんため――底本「夜叉竹。夫の仇を雪がん為」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。