第二 舎利
天国の錆落ちかぬる二つ紋 疑うたり疑うたり
千秋万歳の千箱の玉を捧げん。横山の館には、宝蔵の愛染明王開帳とて、一家中参詣する。ここに後藤左衛門女房百万、若を、腰元のまん、乳母の妹げんに抱かせ、「そち達は、何か願ひがある。」まん言ふ。「私は美しい男の、しかも達者なのに添はせて下されませいと拝みます。」「むむ、小袋と小娘に油断がならぬと言ふが、正ぢや。乳母は何と拝む。」「私は、旦那もお前も、分けてこのお子の御息災にと拝みます。」「おお、さうであらう。乳母が顔に、ちらちらとぶら付いてゐる。」宝蔵へ参り、拝む処へ、人影の見えければ、怪しと思ふ折節、いぶせき男、擦り違ひ通りけり。やり過ごし、片袖取つて引き戻し、苧屑頭巾押つ取り見れば、こはいかに、横山四郎景高なり。「どうしてかやうななりに成らしやれました。」「されば某、心不肖な故に、親兄に勘当受け、この度、愛染開帳につき、願書上げようと思つて、それで来た。これこれ、願書。」「何々。願書の事。我、恭しくも横山の四男に生まるるといへども、不所存故、親の勘気を蒙る。あはれ、御慈悲に赦免なさしめ給へ。さてさて、切なる御志。追つ付け御許しござりませう。これは、いかがしうござりますれども、この金子を上げまする。人が見ますれば、いかが。早々お帰りなされませい。」「成程、内方の心底、世々生々忘れ置かぬ。これ、頂きます。」と、礼儀述べ、立ち別れしが、百万、呼び返し、「このおなりにては、人が怪しめませう。これを召しませい。」と、打掛脱ぎ、「もし人、咎めませうならば、後藤左衛門が女房、宝蔵の愛染明王拝みに参つたと、仰いませい。」と言ひ教へ、我が家へ帰る。
四郎、「さてさて、願書があつた故に、又あしを言ひ抜けにくい、危ふい場を逃れた。嬉しや。」と言ふ処へ、はいはいと人音する。鬼次新之丞、宝蔵開帳の折なれば、用心のため、馬上ゆゆしく来りしが、築地の上に怪しき者見えければ、新之丞、「その火を上げよ。」と呼ばはれば、高提灯差し上げ見れども、物のあいろ見えざれば、新之丞、いらつて、槍押つ取り、突きとむる。手応へしければ引つ掛け下ろし、火を掲げ、よくよく見れば、女の着る物なり。「聞こえた。恋ぢや。いや、色でもない。猫ではあるまいし、築地の上では合点が行かぬ。」さて、紋所を見れば、三桝に五三の桐。まさしく大原後藤左衛門夫婦の紋。「詮議がある。馬を遣れ、馬を遣れ。」
ここに横山将監、家に伝はる天国の太刀、小栗に譲らん志。次郎、同心なれども、太郎、五郎、悪人にて、兄弟異論に及ぶ処へ、執権鬼王新左衛門、駆け来り、「これは兄弟、何を角目だつて御口論なさるる。」太郎、きつと見て、「やあ、鬼王。よい処へ来た。親たる人、世になき小栗に、家に伝はる天国、譲らんとある。俺が家の惣領で、人手に渡さんより、身が申し受けようと言へば、次郎めが、生賢人ぶりの諌言立て。見るも中々奇怪な。」新左衛門、聞き、「太郎様のがお道理。さて申します。太郎様へ御家御譲りなされ、並びに天国、遣はされませうならば、しかるべう存じ奉りまする。」横山聞き、「しからば新左衛門。宝蔵より天国取り出し、太郎に相渡してよからう。」太郎、白鞘の太刀、新左衛門より受け取り、少し抜き見れば、奈良物なり。太郎驚き、投げ出せば、次郎、押し頂き、抜き見れば、奈良物なり。天国にてはなかりけり。はつと思ひける。横山、押つ取り、肝を消し、「鬼王、見い。」と投げ出す。いづれも横手をちやうど打つ。横山、はたと睨んで、「新左衛門め、憎い奴だ。おのれに日頃、大切な宝蔵を預け置いたに。おのれが盗みたるに紛れない。そこを立たう。きつと吟味の致しやうがある。」新左衛門、思案に落ち付かねば、すごすご御所を立ち去りける。
ここに大原後藤左衛門、弟縫之助同道にて、我が宅へ帰りしが、女房百万出、挨拶すれども、不機嫌にて居る。折節、鬼王鬼次兄弟の参る由、縫之助聞き、左衛門に知らする。天国見えぬにつき、新左衛門不義につき、後藤左衛門、討手に殿より仰せ付けられし事なれば、「これへ通らしやれと申せ。」新左衛門兄弟は、紋所、大原が紋なれば、まさしく後藤左衛門、訝しく思ひ、笑ひの内に刀を研ぐ。互の心の内こそ危ふけれ。新左衛門、弟に持たせし二つ紋の着る物を投げ出し、「さあ、これでも争ふか。逃れはあるまい。腹を切れ。」後藤、あざ笑つて、「それは証拠にならぬ。この大原を罪に落とさんと、わざと拵へた物。邪慳ぶるものは言ふまい。」「天国、その方が盗んだと、某に討手。逃すな。」縫、「心得ました。」両方、斬り結ぶ処へ、山形城之介、馬上にて一散に駆け来り、障子押つ取り、割つて入り、「これこれ。身、不肖なれども、山形城之介が仲裁に入つた。待てと言うたら、まづ待つたがよい。」その時、両方静まりける。鬼王鬼次、暫く次の間に控へける。
ややあつて百万、立ち出、「いづれも様、帰らしやりましたか。」後藤、「これこれ、女房ども。さる方より踊り衣装に、そこ元様御内方の着類一つ、借り申したいとある。笹の小紋に二つ紋の衣装がある。貸して遣りやれ。」「それはござんしたが、今ここにはござらぬ。」「さあ、知れた。」縫、「これ、百万殿。後藤左衛門の連れ合ひともあらう人が、よくも盗みをさしやれた。」「いや、縫様。わしも侍の娘ぢや。その小袖は、さる人に進ぜたれども、先の人の名は言はれませぬ。」大原、いよいよ立腹し、「おのれは、盗みをするのみならず、間男をひろいだな。脳頭から爪先まで、寸々に刻んでも飽きのない奴だ。」と、引き伏せ打擲する処へ、城之介、新左衛門、新之丞駆け出、「何者か知らぬ、後藤殿に御目にかかりたいと言ふ者がある。」
その時四郎、立ち出づる。皆々驚き、「四郎様か。」百万、見て、「お前、御出なさるる事ではござりませぬ。」四郎、聞いて、「天国の太刀、見えぬとあつて、後藤左衛門内儀、難儀に及ぶと聞いたによつて、駆け付けた。この太刀は、身が盗んだ。百万に少しも咎はないぞ。」
[助十郎懺悔物語]
「さても某、横山が胤を継ぎ、四郎景高と言はるる身が、心不用故、浪々艱苦の身と成り、轍魚の泥にあふれたる如くなり。何とぞ家の宝、天国の太刀盗み取らんと、宝蔵の蔭に立ち忍ぶ。夜廻りと思しくて、すは、痴れ者、逃さじと、突つかくる槍、引つ外し、手応へしたる体にもてなし、五間半の総堀、ひらりと跳んで逃れしなり。様子は、かくの通りぢや。いづれもめでたい。まづ退散退散。」
校訂者注
・[割注]内の人名は、『徳川文芸類聚 第六』(1915)に以下の通り。助十郎(横山四郎)。
・そち達は、何か願ひがある――底本「其方達はなか願ひがある」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
・御家御譲りなされ――底本「御家譲りなされ」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
・待てと言うたら――底本「待てと言ふなら」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
・身が盗んだ――底本「身盗んだ」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
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