第三 七夕
灯籠の蔭に立ち寄る角虫は 恐ろしや恐ろしや

[外記浄瑠璃。筝十二段。団十郎口上。平六一節切。勘太郎琴。十次郎三味線。初弥胡弓]
 星合のさやけき月の照手の姫、家老大原後藤左衛門、女房百万。夜叉竹御前も瞽女と成り、今は津島。妹瑠璃姫、玉藻、更科、月小夜、木枯、刈藻。その外あまたの上臈達、七夕祭、めでたかりける次第なり。
 後藤左衛門、申すやう、「照手様の筝、さてさて聞き事ぢや。瑠璃姫の胡弓、初めて聞いた。津島女御、大儀。杢一、あの器用者め。今宵、牽牛織女のまぐはひとて、諸人、祝儀致す。女房ども、俺もそちと七夕を祭らう。」と言うて、奥へ入る。玉藻、言ふ。「杢一、こなたの一節切は、一しほ面白い。」杢一、聞いて、「こなたは玉藻殿か。こなたの玉は、腑抜け玉。」と言ふ。更科、聞いて、「これ、杢一。聊爾な事、言ふまいぞや。」「こなたは恥を、さらしな殿か。」百万、「これこれ、杢一。照手様の前ぢや。粗相言ふまいぞ。後藤左衛門女房百万ぢや。」「何、五度かはらけ、百で買つた。」
[十次郎三味線。平六歌]
皆々、大いに笑ひあり。残らず奥に入る。
[浄瑠璃立つ。多門、喜世三郎、吉三、虫売り]
 さる程に、小栗は小姓二人連れ、虫売り姿に様を変へ、乾の局へ来りける。百万、出合ひ、「これは、これは。恋には身をやつせでござります。姫御前の待つて殿御の忍ぶは、古うござりますによつて、お前はこれにござりませ。照手様を忍ばせませう。」「聞こえた。照手の来るまで待つのも久しからう。何との談合、こなたと寝よぢやあるまいか。」「はて、訳もない。わしは後藤左衛門といふ男がござんす。」「ほんにさうぢや。」「むむ、さうぢや。わしに夫がなくば、お前を逃がす事ではござんせぬ。塩茶を持つて参りませう。」照手、あまたの上臈に、手燭灯させ忍ばるる。小栗、濡れあり。あまた上臈、羨ましがり、覗けば、照手見て、「何をやかましう言ふぞ。」玉藻、「いえ、加勢に参りました。」「いや、手詰めの勝負ぢや。」小栗、聞いて、「一騎討ちぢや。」と、一つ閨にぞ移らるる。
 ややあつて、小栗は腹立ち姿にて、寝間出づる。照手、後より起き、「何を腹立てさんすぞ。」「なぜ久しぶりで逢うたに、そなたは帯を解かぬぞ。」「これは、こな様のため、精進します。」「俺を呪ふか。」「いや、さうではござんせぬ。お前の毒酒で空しく成らしやれたによつて、百日が間、帯を解くまいといふ願でござんす。まだ疑ひがあるさうな。家の巻物を今宵、お前に渡しませう。それに待つてござんせ。」と、奥へ入らるる。
 小栗、後にて、「寂しいが、何としたものであらう。悋気させて遊ばう。誰か来いよ。」と手を打てば、「あい。」と答へて、瞽女の津島、来りけり。「まだと寝ぬか。」「どうも休まれませぬ。久しぶりでお前と照手様が、あのの、もののと茂らしやんしよと思うて、羨ましさに、今夜といふ今夜、目が開きたうござんす。」「道理、道理。むつかしながら、肩をひねつてもらひたい。」「これは、けんびきが、きつう張りました。灸をなされませ。」「これ、耳を出しや。」「ああ、勿体ない事。いやでござんす。」「いやさ、少しの内、その真似ばかりぢや。」「それならば、苦しうござんせぬ。寝間へ参りませう。」と、手を引き、寝間に入る。
 照手、見給ひ、大きにせき上がつて、やがて小栗に向かつて、「聞こえませぬ。わし、心中を立て、水仕奉公まで勤めたに、このやうな水臭い事さつしやる。」と言ふより速く、寝間へ跳んで入り、捕らへて見れば、瞽女津島なり。「これ、照手様。私は、小栗様とは不義はない。とくと心を落とし付けて聞かさんせ。」「いやさ、聞かぬ。よくも大事の人の殿御を寝取りやつたな。小栗様、津島と添はしやませ。」と言ひ捨て、虚空無辺、駆け出る。小栗、驚き、止めんとするに、津島、引き止め、「これ、遣りませぬ。先からの戯れ、お前はざれ事ぢやと思はさらうが、全くわしは、まことの心でこざります。見捨ててどこへ行かう。成りませぬ。」小栗、迷惑し、「これ、津島。さすが三郎が妻、夜叉竹御前ともあらう人が、さもしい心底なり。」津島、聞き、「わしが目くりましたも、お前に助けられた、命の恩思ひ。夫の敵なりとて討たれませいと思うての事。又は、たんと惚れて居ました。とかく、添はねばなりませぬ。」逃げんとするを抱き止め、振り放せばすり付く処へ、青墓の長、来たれば、小栗、やがて長を頼み、逃げらるる。津島、長を小栗と心得、頭を撫で見れば、薄鬢の男。その時津島、面色、赤色に変はり、角鋭にして、長を取つて伏せ、危ふき処へ、後藤左衛門槍、百万長刀に突き止め、その後、小栗、照手の行方を尋ねけり。

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校訂者注
 ・[割注]内の人名は、『徳川文芸類聚 第六』(1915)に以下の通り。外記(浄瑠璃太夫)、団十郎(大原後藤左衛門)、平六(上掲書には「青墓の長」。但し、ここでは「杢一」。)、勘太郎(常陸小萩=照手姫)、十次郎(女今長範=夜叉竹=津島)、初弥(瑠璃姫)、多門(小栗)、喜世三郎(焼けの下の小六)、吉三(虫売り)。
 ・勘太郎琴――底本「勘太郎〇」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・浄瑠璃立つ。多門――底本「浄瑠璃多門」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・願でござんす――底本「願ひでござんす」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・その真似ばかりぢや――底本「其の真似ばかりでや」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・夜叉竹御前ともあらう人が――底本「夜叉御前ともあらう人が」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・後藤左衛門槍、百万――底本「後藤左衛門百万」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。