第四 舞車
笹の葉に荒れたる馬の手綱引き 狂うたか狂うたか

 補陀落や岸打つ浪は三熊野の、那智のお山に響く瀧津瀬。夜叉御前弟横山頼母、百川和泉、大原縫、鬼次新之丞、同行四人にて、順礼修行に事寄せ、小栗、照手の行方、尋ねに出にけり。「あら、埴生に女一人。あの女は、見たやうな女ぢやが。」縫之助、「あれは、私嫂、百万でござります。」やがて編戸を開け、いづれも名乗り合ひ、「小栗様、照手様は、どうなされた。」百万、「未だ小栗様には、まだ巡り会ひませぬ。後藤左衛門は、小栗様の御行方、又は長々の浪人でござります故、渡世に出られまし、照手様は、奥にお休みなされてござる。皆様もおくたびれ、休めさしやませ。」
[団十郎、古金やつしあり]
 「古金買はう、買はう。賢臣、二君に仕へず。割れ鍋、二度の役に立たず。いや、時の物さ。折掛灯籠、真菰、売るわ、売るわ。」「これこれ、買ひませう。」と百万出、「埒もない、こちの人。古金と精霊の売り物と、一つに売る者があるものか。」「これ、それ程稼がねば、今この世に三人口が過ぎられるものか。内に銭は無し、買うて置きやるまいと思うて調へた。今年、世の中ようて、この粟穂稗穂の実りを見や。それは、外を歩いて見れば、踊りがはやる。相撲がある。」照手、蚊帳より起きて、「お戻りやつた。何とぞ小栗様に巡り逢ひたい。」
[蚊帳の内、沢之丞、勘太郎、歌あり]
 後藤左衛門、蚊帳の外にて、「百万ども、きつう肩が張つた。このやうに精根を揉むによつて、その筈ぢや。ちと肩を打つてくりや。」不思議や百万、声に従ひ、骸骨出、肩を打つ。忽ち夜叉竹御前の霊魂、鬼女の形にて、後藤左衛門が胸づくしを取り、苦しめる。百万、蚊帳の内より跳んで出、「これこれ、こちの人。うなされさしやるか。」怨霊、いよいよ憤激し、百万が髪の毛、くるくると手にまとひ、突き倒すと思へば、そのまま臥しにける。後藤左衛門、抜き打ちに斬りければ、忽ち消え失せ、照手の姫を殺しける。
 太刀音に驚き、頼母、和泉、縫、新之丞、「騒がしい。どうした事ぢや。」百万、起きて見れば、照手、朱になつて死し給ふ。「これ、後藤左衛門殿。起きさしやれ。照手様は死なしやれた。」大原、起き上がり、見てあれば、照手、空しくなり給ひ、「合点行かぬ。頼母殿、こなた、夜叉竹の御舎弟なれば、照手様を討たしたに紛れない。鬼次、和泉、いづれも紛らはしい。女房、油断するな。」頼母、聞き、「これは、思ひも寄らぬ難題。しからば念のため、大小を見られよ。」「成程、よい気の付きやうぢや。いや、血は引かぬ。差替を見せさしやれ。これではない。御引きなされい。鬼次、和泉が腰の物を見よう。」と言ふ。「心得た。これ、大原。侍の腰の物見るからは、仔細があらう。再び差しは候、心得たがよい。」と言ふままに、両人抜き出し、見する。「血は引かぬ。差替も別儀なし。」その時、「これ、兄者人。私がのも改めさしやれ。」「そちがのも、太刀とも、血は引かぬ。」和泉、言ふやう、「そちが腰の物も改めよう。」「成程、刀は恥づかしながら代換へて、お姫様を育んだ。脇差がそこにあるらう。」四人の人々、取り見れば、切先より鍔元まで、朱になつてあり。
 皆々驚き、「後藤左衛門、その方が殺した。逃れぬ。覚悟召されい。」百万、「そもやそも、こなたが殺しはせまい。先程とろとろ、照手様の御傍に休みましたれば、殊の外、うならしやる。どうさしつたと言うて、傍へ寄つたれば、色青ざめな女の出、わしを睨むと思うたが、後はたわいもなく臥せりました。」後藤左衛門、つくづく思案せしが、「いづれも騒ぐまい。俺が殺した仔細、先程、とろとろまどろむと思うたれば、過ぎにし夜叉竹は、身が手にかけて殺した恨みを晴らさんと、某が咽を締むる。さしつたりと、抜き打ち切つたとおぼえたが、夢にもあらず、うつつにもあらず、現在主人を相伝の家来が手にかけた。」と、乱心して嘆く。
 かかる処へ、夜叉竹御前亡魂顕はれ、「嬉しや、嬉しや。照手を殺した。この上からは、小栗、後藤左衛門、その外の奴ばら、一々取り殺さいで置かうか。」人々、斬り払ひ斬り払ひければ、そのまま消えて失せにけり。後藤左衛門をいたはり、まづ傍へ入りにけり。
[浄瑠璃。九蔵]
 ここに、池の荘司時門、古今無双の荒者なり。しかし、色には染み易く、小幡一角と知契は堅き石の帯、寛濶風流に出で立ち、君の行方、一つは又、朋輩のありか聞き出し、再び御代に出し奉らんと、方々尋ね巡りけり。
[浄瑠璃。団十郎、沢之丞狂気の処]
 かかる処へ横山三郎家来ども、今鬼鹿毛に手綱ゆりかけ、辺りを払つて来りけり。その時狂人、「あつぱれ、御馬候や。」と、言ふより速く鞭を当て、虚空無量、駆け出す。折節、池の荘司来りしが、やがて気違ひを突き落とし、うち乗り行かんとする処を、後藤、怒つて、「憎い初冠が振舞。」と、走りかかつて手綱を引き、銅の坤軸、鉄の身髪。
[浄瑠璃。団十郎、九蔵、手綱引き]
 かかる処へ、成田不動の身代はりにて、照手蘇生ぞめでたし。申すばかりはなかりけり。

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校訂者注
[割注]内の人名は、『徳川文芸類聚 第六』(1915)に以下の通り。沢之丞(百万)、勘太郎(常陸小萩=照手姫)、九蔵(池の荘司時門)、団十郎(大原後藤左衛門)
 ・三熊野の、那智のお山に――底本「三熊野の、お山に」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・「あら、埴生に女一人。あの女は――底本「或埴生に女一人みそをいけりたのなん、『あの女は」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・うなされさしやるか――底本「うなされしやるか」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・百万が髪の毛、くるくると手にまとひ――底本「百万髪の毛くると手に纏ひ」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・忽ち消え失せ――底本「忽ち失せ」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・差替を見せさしやれ――底本「差替を見せしやれ」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。
 ・和泉が腰の物を見よう――底本「和泉が腰の物を見よ」。
 ・身代はりにて――底本「身代はりに」。『徳川文芸類聚 第六』(1915)に従い改めた。