さんせう太夫

初段

 それ、親子兄弟のわりなき事は、蒼海よりも深し。ここに、奥州五十四郡の主をば、岩城の判官正氏殿とぞ申しける。さる間、正氏、帝の御勘気蒙り、筑紫安楽寺に、流人とこそは聞こえける。これはさて置き、信夫の郡におはします、御台所や公達にて、諸事の哀れをとどめたり。
 或るつれづれの事なるに、弟の厨子王殿、御台所に近付き、「いかに、母上様。生きとし生けるもの毎に、父よ母よと御座あるが、我々には父上は御座無きか。」御台、聞こし召し、「御身が父と申すは、五十四郡の主なり。帝の勅勘蒙り、これより遥か筑紫方、流人と成つておはします。」厨子王、聞こし召し、「その儀にて候はば、姉の安寿と某に、御暇賜び給へ。父を尋ねて上るべし。」御台、聞こし召し、「さ程に思ひ立つならば、みづから共に上らん。」と、御乳母姥竹一人御供にて、忍びて用意をなされける。
 仮初ぶりに国を立ち、二十日余りの旅の空、越後の国、直江の浦に着き給ふ。日も暮方の事なるに、一夜一夜と借りけれど、宿貸す者はなかりけり。かかる処に浜路より、潮を汲んで帰る女房、御台所に近付き、「いかに、旅の上臈様。ここと申すは、慈悲第一の所なれども、一人悪しき者のあるにより、これが国司に洩れ聞こえ、旅人に宿貸す人は、人売りよ。辺り七軒、罪科たるべきと。あれ、見給へ。制札立ててあれば、御宿参らする者なく候。あれに応化の橋とて、広き橋の候。あれに一夜を御明かし候へ。」と、語り捨ててぞ通りける。さらば、教へに任せんと、急げば程なく、かの橋になりしかば、吹く風を凌ぎ、親子諸共臥し給ふ。
 これはさて置き、山岡の太夫とて、人かどはかしの名人、昼の上臈に宿貸し損じ、口惜しさに鹿杖を突き、応化の橋に急ぎける。案に違はず四人の人、旅の疲れとて、前後も知らず臥し給ふ。まづ脅して見ばやと思ひ、「これに臥したる旅人。この橋と申すは、架けて後、供養なき橋なれば、大蛇とうはばみ出合ひて、毎夜契りを籠むるにより、さてこそ応化の橋とは申すなり。いたはしや、人々。ここの土をからう。」と、語り捨てて通りける。御台、聞こし召し、慈悲ありげなる老人と思し召し、するすると立ち寄り、「いかに、里人。あれに臥したる姉弟は、奥州五十四郡の、主とならん姉弟なり。一夜の宿。」と借り給ふ。太夫、承り、「御宿、叶ふまいと思へども、情けに一夜参らせん。」と、四人伴ひ、我が家に帰り、「いかに、姥。昼の上臈に、御宿を参らせたり。今年は親の十三年に当たつて、慈悲の宿を参らせつる。」姥、聞いて、「慈悲の御宿ならば、いか程も参らせん。」と申す。太夫、喜び、浜路をさして下りける。
 さる間、姥は、中の出居に参り、「いかに、旅の上臈様。只今、御宿叶ふまいと申せしを、さぞや憎う思し召さんが、あの太夫は、人売りの名人故、いづ方へも売られ給ひ、この姥を恨み給はん悲しさに、叶ふまいと申し候。たとひ太夫が売るならば、みづから知らせ申さん。それにても、油断なされそ。」とかく申す内に、太夫、浜より帰り、立ち聞きし、中の出居へ参り、「いかに、上臈様。舟路を召され候か。くがを御越し候か。」御台、聞こし召し、「いづ方にても、道に難所のなき方を、教へて賜べ。」とぞ仰せける。太夫、承り、「まづ、くが路と申すは、かい取り、ひつ取り、ひにころび、がうし投げ、親知らず、子知らず、難所四十八か所。」と教へ、「只、舟路を召され候へ。太夫がよき舟に、便船乞うて参らせん。」と申す間に、夜も明け方の事に、人々伴ひ、浜路をさして下り、四人の人を乗せ申すと、櫓拍子踏んで押しにける。
 かかる処に、宮崎が舟と、佐渡二郎が舟を漕ぎ寄せ、「いかに、山岡。何と、以前の約束の物があるか。」「それこそあれ。」と右をさし上げ、大指一つ折つたるは、四人ありと聞こえけり。その時宮崎、「その儀ならば、五貫に買はん。」と値を成す。佐渡二郎、「六貫文に買はん。」我買はん、人買はんと、言葉論に成りしかば、太夫、舟に跳び乗り、「某、よきに売り分けて得させん。まづ佐渡二郎へは、女房二人。宮崎は姉弟二人、買うて行け。」と、二艘の舟に打ち売つて、「いかに、上臈。いづれも同じ湊に着く舟なり。上臈二人は、あの舟に召され候へ。又、姉弟は、この舟に召され候へ。いかに、上臈様。都に着き給ひ、めでたう太夫方へ、捨て文一つ賜はれ。」と、空泣きして帰りけり。
 さる間、二艘の舟、北と南へ押し分くる。御台、御覧じ、「いかに、船頭。あの舟とこの舟とは、同じ湊に着かぬかや。舟漕ぎ戻し、静かに漕がい、船頭殿。」佐渡二郎、承り、「さては上臈様は、御存じなきか。この舟と申すは、佐渡が島へ漕うで行く。あの舟は、宮崎へ漕うで行く。今生の暇乞ひ。よきに名残惜しみ給へ。」御台、夢の心地にて、扇を持つて、ひらりひらりと招き、「今朝の太夫が売つたとえ。姉が掛けたる肌の守り、地蔵菩薩。兄弟が身の上に、自然大事のある時は、必ず身代はりに立ち給ふ。又、厨子王が持つたりし、しだ玉作りの系図の巻物。それだにあれば、世に出づる。たとひいづくへ売らるるとも、命を全う持つべし。この世の機縁朽ちせずば、又こそ巡り会ふべきぞ。さらば、さらば。」と、互に姿も遠ざかり、影も形も見えざれば、いたはしや、御台は、伏しまろび泣き給ふ。
 さる程に姥竹、つくづく物を案ずるに付け、 所詮、身を投げんと思ひ切り、心の内に観念し、直江が浦に跳んで入り、終に水屑と成りにけり。御台、夢とも思はれず、流涕焦がれ泣き給ふ。御涙の隙よりも、御小袖を脱ぎ給ひ、「いかに、船頭殿。これは、今朝の値と思ひ、みづからに暇を賜べ。身を投げん。」と宣へば、二郎、大きに腹を立て、「女を失ふだに、世にも無念と思ひしに。目に物見せん。」とて、櫓櫂を以て散々に打ち伏せ、風に任せ、急ぎける。程なく佐渡に着きしかば、元の二郎が買ひ戻し、或る山端に連れ行きて、脚の筋を断ち切り、粟の鳥を逐はせける。
 いたはしや、御台。鳴子の綱に取り付き、「安寿恋しや。厨子王恋しや。ほやれ、ほう。鳥も生ある物ならば、逐はずと立つて得させよ。」と、涙の雨の曇りにや、両眼泣き潰し、明け暮れ、鳥を逐ひ給ふ。御台所の成れの果て、哀れとも中々、申すばかりはなかりけり。

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