【翻字】
[十](来る)是は旦那どふで
ごぜんす重野さんどうしなせんたへ[重]いゝにやサ宵に
の[源]宵にも何にもいらねへおれかいつて聞せふ此
ふんばりが今まで何所何所かうしやあがつてばかばか
しい売ねへ駒牽銭を見るやうにふとんの
うへにおれひとりおきあがつたかそれにもとん着(ぢやく)
ごぜんす重野さんどうしなせんたへ[重]いゝにやサ宵に
の[源]宵にも何にもいらねへおれかいつて聞せふ此
ふんばりが今まで何所何所かうしやあがつてばかばか
しい売ねへ駒牽銭を見るやうにふとんの
うへにおれひとりおきあがつたかそれにもとん着(ぢやく)
するやうないやみな事(こつ)てもねへけれどもたばこ
の火が消(けへ)たから手をたゝへたら泥鼈(すつぽん)だそふで
つらア出しやアがつて真(ま)の振(ふりよ)をしてそうぞうしい
のやかましいのとぬかしやアがるからの事さ[十]
そりやア重野さんもよくごぜんせん[重]いゝにやサ
宵に来て見たらよく寝入(ねいつ)て居なさるに仍(よつ)て
[十]それだとつてもお前モウ追付(おつつけ)七つでごぜん
の火が消(けへ)たから手をたゝへたら泥鼈(すつぽん)だそふで
つらア出しやアがつて真(ま)の振(ふりよ)をしてそうぞうしい
のやかましいのとぬかしやアがるからの事さ[十]
そりやア重野さんもよくごぜんせん[重]いゝにやサ
宵に来て見たらよく寝入(ねいつ)て居なさるに仍(よつ)て
[十]それだとつてもお前モウ追付(おつつけ)七つでごぜん
せふマア何所へ行(いつ)て居なせんした[重]ナニサお筆
さんの客衆(きやくしゆ)が宵立(よいだち)だからあの子の所(とけ)へいつてうたゝ
ねをしたらつゐ今まで[十]ソレそれが悪ふごぜん
す何所の国に客衆のあるに余所(よそ)の座敷に寝る
といふ事が有(ある)もんでごぜんすイエもふ兎角(とかく)此子(このこ)が
わるふ御座りますから御堪忍(ごかんに)なすつて御きげんよく
およりましへゝゝゝハゝゝゝ[源]いゝにくい事てごぜんす
さんの客衆(きやくしゆ)が宵立(よいだち)だからあの子の所(とけ)へいつてうたゝ
ねをしたらつゐ今まで[十]ソレそれが悪ふごぜん
す何所の国に客衆のあるに余所(よそ)の座敷に寝る
といふ事が有(ある)もんでごぜんすイエもふ兎角(とかく)此子(このこ)が
わるふ御座りますから御堪忍(ごかんに)なすつて御きげんよく
およりましへゝゝゝハゝゝゝ[源]いゝにくい事てごぜんす
すが事とすべによつちやア此土地(とちよ)をはき地にして
すもふ取草(とりぐさ)にぺんぺん草ばつたこうろぎきり
ぎりすを鳴(なか)せる法もしつて居やす[十]そりやア
もふ如才(じよせへ)のねへおかたと申事ア一寸(ちよつ)と物をおつせん
すのても知れやすマア何かなしに今夜の事は
私(わたくし)に下さりまし[源]よふごぜんすこんたに昇(のぼせ)
られてあつく成(なる)のじやアねへがわつちだとつて
すもふ取草(とりぐさ)にぺんぺん草ばつたこうろぎきり
ぎりすを鳴(なか)せる法もしつて居やす[十]そりやア
もふ如才(じよせへ)のねへおかたと申事ア一寸(ちよつ)と物をおつせん
すのても知れやすマア何かなしに今夜の事は
私(わたくし)に下さりまし[源]よふごぜんすこんたに昇(のぼせ)
られてあつく成(なる)のじやアねへがわつちだとつて
も理も非も聞(きゝ)わけねへ一国(いつこく)な野郎でもご
ぜんせんそれほどにいはつしやるもんだから
何も公界(くげへ)だなんにもいはずにおとなしく夜
のあけるまで寝ていきやせふ[十]そりやア有
がたふござりますさあさあよりまし重野さん
ねかし申なせんし[重]さあおよりゐし[源]
アイ寝やせうとつて[十]まだよつ程およら
ぜんせんそれほどにいはつしやるもんだから
何も公界(くげへ)だなんにもいはずにおとなしく夜
のあけるまで寝ていきやせふ[十]そりやア有
がたふござりますさあさあよりまし重野さん
ねかし申なせんし[重]さあおよりゐし[源]
アイ寝やせうとつて[十]まだよつ程およら
れますハイ左様なら[源]これは大(おほき)に御苦労
でごぜんした[十]ナニお前へゝゝゝハゝゝゝ(跡は間ぬけ
の床入(とこいり)にたがひに無言(むごん)のしり合(あは)せ[重]はごうごう[源]はあゝ
あゝあゝいびきとあくびのかけ合(あひ)にやゝ時うつれははや明け
わたるしのゝめの空)花の雲鐘は目白か護国寺かうき
たつ春の心哉(こころかな)心哉
でごぜんした[十]ナニお前へゝゝゝハゝゝゝ(跡は間ぬけ
の床入(とこいり)にたがひに無言(むごん)のしり合(あは)せ[重]はごうごう[源]はあゝ
あゝあゝいびきとあくびのかけ合(あひ)にやゝ時うつれははや明け
わたるしのゝめの空)花の雲鐘は目白か護国寺かうき
たつ春の心哉(こころかな)心哉
【通釈】
十蔵が来る。「これは旦那どうしたのでございます。重野さんどうしなさったえ」。重野「いや、さ、宵に、の」。源六「宵にも何にも(お前が言うことは)いらねえ。俺が言って聞かせよう。このアマが今までどこへか失せ(てい)やがって。馬鹿馬鹿しい、売れねえ駒牽き銭を見るように、布団の上に俺一人置きやがったが、それにこだわるような嫌味な事(を言うつもり)でもないけれども、たばこの火(種)が消えたから手を叩いたら、(こいつは)すっぽん(みたいなアマ)だそうで、つらを出しやがって、真面目なふりをして、騒々しいの、やかましいのと抜かしやがるから(大きな声を出したまで)の事さ」。十蔵「そりゃあ重野さんも良くございません」。重野「いや、さ、宵に来てみたらよく寝入っていなさるから」。十蔵「そうだとしても、あなた、もうそろそろ七つでございましょう。まあ、どこまで行っていなさった」。重野「なに、さ、お筆さんのお客が宵立ちだから、あの子の所へ行ってうたたねをしたら、つい今まで」。十蔵「それ、それが悪うございます。どこの国にお客があるのによその座敷で寝るという事があるものでございます?いえ、もうとにかくこの子が悪うございますからご勘弁なさって、ご機嫌良くお休み下さい。ヘヘヘ、ハハハ」。源六「言いにくいことでございますうが、事と次第によっちゃ、この土地を掃き地にして、相撲取り草にぺんぺん草、ばった・こおろぎ・きりぎりすを鳴かせる方法も知っております」。十蔵「そりゃあもう、抜け目のないお方と申す事は、ちょっと物をおっしゃいますのでもわかります。まあとにかく、今夜の事は私に(任せて)下さいまし」。源六「良うございます。あなたにおだてられて熱くなるのじゃあねえが、私だとて理も非も聞き分けねえ頑固な野郎でもございません。それほどに言われるもんだから、いずれにしてもこの世は苦界だ(、こだわったって始まらない)、何にも言わずに大人しく夜の明けるまで寝て行きましょう」。十蔵「そりゃあ、ありがとうございます。さあさあ、お休みなさいまし。重野さん、寝かせ申しなさいまし」。重野「さあ、お休み下さい」。源六「はい。寝ましょう」と言って(行く)。十蔵「まだよっぽど(の時間)お休みできます。はい、さようなら」。源六「これは大いにご苦労でございました」。十蔵「なに、あなた、ヘヘヘ、ハハハ」。後は間抜けな床入りに、互いに無言の(ままで)尻を合わせ、重野はごうごう、源六はああ、ああ、いびきとあくびの掛け合いに、少し時が移れば、早くも夜が明けわたる曙の空である。(上野の)桜は満開で雲のよう、明け六つの鐘は目白不動か護国寺か。浮き立つ春の心かな、心かな。
【語釈】
・ふんばり…下等な遊女を卑しめていう語。
・駒牽き銭…金のたまるまじないとして財布に入れられたりしていた、人が馬を引いていく図柄の模造通貨。
・ま…偽りがないこと。まこと。ほんとう。真実
・七つ…午前四時ころ。
・駒牽き銭…金のたまるまじないとして財布に入れられたりしていた、人が馬を引いていく図柄の模造通貨。
・ま…偽りがないこと。まこと。ほんとう。真実
・七つ…午前四時ころ。
・よる…不詳。ここでは「もたれかかる」の意から「横になり休む」の意か。
・宵立ち…遊里で、朝までの揚げ代を支払った客が、宵のうちに帰ること。また、その客。
・掃き地…立退きを命ぜられた土地。取払いを命じられた地。
・相撲取り草・・・スミレ、あるいはオヒシバの別称。
・ぺんぺん草・・・ナズナの別称。
・如才ない…気がきいていて、抜かりがない。
・何かなしに…とやかく言わずに。とにかく。
・のぼせる…おだてる。
・のぼせる…おだてる。
・公界・・・ここでは「苦海」か。苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界 (くがい) 。
・しののめ・・・夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ。あけがた。あけぼの。
・鐘・・・時を告げる鐘。
・目白・・・目白不動。
【解説】
本編冒頭、源六を店に呼び込んだ十蔵が現れ、二人の騒ぎを静め、騒動は終わります。結局源六の遊興はめちゃくちゃなままに終わります。
編名の「笑止」は「くだらない」という意味ですが、これは「こういう女郎遊びは笑止」という意味でしょう。読者はきっと悪い例、戒めとして「こういう遊び方だけはするまい」と思って読んだことでしょう。そもそも女郎遊びというものは褒められた遊びではない訳ですから、賢ぶらず、気取らず、嫌みにならないように、馬鹿を承知でさっぱりと遊ぶのが良いということなのでしょうか。
本書も残すは跋だけになりました。あと一回で読了です。
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