【翻字】
 似多「ナア紛さん、乃公(おら)ア一句作(こしら)へた、斯(か)うは如何(どう)ぢや
エ 紛郎「何(なん)と出来た 似多「斯(か)うだ、計略と此方(こちら)二人は白河に、武
士は夜船で寝ずの番頭 紛郎「イヤア、こりや面白い、併(しか)しマア
朝飯(あさめし)を持ツて来て、然(さ)う聞くと何だか急に腹が空(へ)ツて来た、
やうやうこれで乃公(おいら)二人は飯(めし)が喫(く)へるといふものぢや 伊八「畏
まりました」 これから朝飯(あさめし)をば持ツて参りました、二人の者
は膳の上で一盞(いつぱい)飲んで、食事も了(をは)り、勘定を済まして、彼(か)の
万屋の宅(たく)をば立出(たちい)でました、さて二人は畑(はた)の駅(しゆく)を背後(あと)に野辺(のべ)
へかゝりました 紛郎「ナア似多、斯(か)うやツて春の野辺(のべ)といふも
のは、実に心持(こゝろもち)の好(い)いものぢやナ、なんと口吟(くちふさぎ)でもやらうか
似多「口塞(くちふさ)ぎとは何ぢやエ 紛郎「イゝエ、お前と二人が斯(か)うやツ
て野辺(のべ)を歩いて居(ゐ)るので、何ぞ発句ツてなものをやらうかと
いふのぢや 似多「蒸芋(ほつこり)、蒸芋(ほつこり)ツて奴も好(い)いが、余計喫(た)べると屁(おなら)

が放(で)て堪(たま)らないぜ 紛郎「イヤ蒸芋(ほつこり)ぢやアない、発句ぢや、山々
に帯する今朝の霞かな 似多「成程、山々に帯する今朝の霞かな
廻(めぐ)りて見れば結び目はなし 紛郎「面白いナ、菜の花や腰より上の
人通りツてな事は行けぬか 似多「紛さん、菜の花や腰より上の人
通(どほり)とは何ぢや 紛郎「それは菜の花が咲いてゐると、向(むか)ふを通ツ
て居(ゐ)る人が、腰より上しか見えて居まいがナ、それで菜の花
や腰より上の人通(ひとどほり)ぢや 似多「成程、イヤ面白い、土地(ぢべた)より腰よ
り上の人通(ひとどほり)とは 紛郎「そりやア何の事ぢや 似多「土地(ぢべた)より腰から
しか見えて居ないがナ 紛郎「ムゝウ、彼(あ)りやア蹇(ゐざり)ぢや 似多「ハ
ゝア蹇(ゐざり)か 紛郎「路傍(みちばた)の木槿(もくげ)が馬に食はれけり、句といふものは
見た儘(まゝ)が好(い)いナ 似多「成程、それぢやア斯(か)うは如何(どう)ぢや、路傍(みちばた)
のお公卿(くげ)は馬に乗られけりとは 紛郎「イヤ面白い、それ等(ら)は狂
句で可笑(をかし)い可笑(をかし)いナ 似多「路傍(みちばた)に垂(こ)いてあるかや犬の糞(くそ) 紛郎「そりや

ア全(まる)で無茶苦茶だがナ 似多「けれども見た糞(ばゝ)が好(い)いと言ふぢや
アないか 紛郎「イゝエ、乃公(おれ)の言ふのは見た儘(まゝ)、お前の言ふの
は見た糞(ばゝ)だ、黄(き)な蝶が紛れて遊ぶ菜種かな 似多「成程、白い蝶
が紛れて遊ぶ大根の花かな 紛郎「お前は時々雑返(まぜつかへ)すから不可(いかん)、
梅が香(か)や乞食の家も覗かるゝ、こいらア好い句やナ 似多「そり
やアお前の句かエ 紛郎「イヤこりやア他(ひと)の句ぢや 似多「桃咲いて
桃々桃と吃(ども)も言はれぬ 紛郎「大名も見返る春の夫婦連(めをとづれ) 似多「成程
入相(いりあひ)を聞いての後(のち)の日暮(ひぐれ)かな 紛郎「面白い、春の日は飛雀(ひばり)チウ
チウ日が長うなる 似多「成程、それぢやア秋の日は雀チウチウ
日が短(みじ)こなる 紛郎「そんな無茶言ふなエ、長閑(のどか)さや柳も睡(ねむ)る日
和かな 似多「オイ紛さん、長閑(のどか)さや柳も睡(ねむ)る日和かなといふと
やかなぢやアないか 紛郎「これは長閑(のどか)さやで切れる、切ツて柳
も睡(ねむ)る日和かな、芭蕉の句にも、夕顔や秋さまざまの瓢(ふくべ)かな

?分やかなやけりといふものは、発句には珍しいといふが、
その句に依(よ)ツては幾らも二段切れ三段切れツて奴アあるやつ
ぢや、彼(か)の古池や蛙飛込む水の音といふは、芭蕉の名高い句
だが、彼(あ)の句を聞いて鬼貫(おにつら)という仁(ひと)の句に、池の月皺苦茶に
する蛙かな、こいらア好(い)いなア 似多「斯(か)うは如何(どう)ぢやエ、蓮の
葉にドブンとひツくりかへる(ヽヽヽ)かな 紛郎「それぢやア全(まる)で雑返(まぜつかへ)し
て居(ゐ)るのぢや、けれども斯(か)うやツてからに斯(か)ういふ事を言ツ
て居(ゐ)ると、虚々(うかうか)と道といふものは歩けるものぢやナ

【語釈】
・蒸芋(ほつこり)…ふかしたさつま芋。
・屁(おなら)…ルビ不鮮明(特に「お」)。
・廻(めぐ)りて…ルビ不鮮明。
・蹇…あしなえ。
・木槿(もくげ)…ルビ不鮮明(特に「も」)。
・こりやア他(ひと)の句ぢや…榎本其角の句。
・入相(いりあひ)…日の沈むころ。日暮れ時。ここでは「入相の鐘」の略。
・瓢(ふくべ)…夕顔の実。熟果の外果皮で炭入れ・盆・花器などを作る。
・やかなぢやアないか…「『や』『かな』と切れ字が二つあり、良くないじゃないか」の意であろう。二行あとの「やかな」「やけり」も同様であろう。
・夕顔や秋さまざまの瓢かな…「夕がほや秋はいろいろの瓢かな」(芭蕉「曠野」)
・?分…漢字ルビ共に不鮮明。
・二段切れ三段切れ…一句中に切れ字が二か所にあるのが「二段切れ」。五・七・五のそれぞれの末で三段に切れるのが「三段切れ」。
・鬼貫(おにつら)…上島鬼貫。談林派の俳人で、芭蕉とも親交があった。
・虚々(うかうか)と…ルビ不鮮明(特に「か」)。

【解説】
 紛郎兵衛と似多八が野辺の街道を歩きながら、発句を詠むくだりです。紛郎兵衛はかなり発句に詳しく、似多八に芭蕉の名句を教えたり、句切れの講釈をしたりしています。似多八はふざけたことしか言わず、漫才でいう「ボケ」役、紛郎兵衛は「ツッコミ」役を担当しているようです。


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