【翻字】
 似多「オイ紛さん、乃公(おら)ア丑(うし)の時参り
ツてものは見た事はないが、妙な事をするものじやナ、乃公(おいら)
の聞いて居(ゐ)るのにやア藁人形をば拵(こしら)へて、其奴(そいつ)へ我(わが)恨む男の
干支(えと)を書いて、それをば五寸釘で打着(うちつ)けるといふ事は、聞き
もし又絵に描いたのも見た事があるが、妙な事を為(し)をるのじ
やなア、灸(やいと)を据ゑるとは妙だ」 二人は樹の蔭からその処(ところ)へ出
掛けて参りました 似多「オイ丑(うし)の時参り屋 女「オヤ、貴郎(あなた)方お二
人は何処(どつ)からお出(い)でなすツた、妾(わたくし)は喫驚(びつくり)しました 似多「イヤ喫(びつ)
驚(くり)したのは此方(こつち)が喫驚(びつくり)したのだ、乃公(おら)ア樹の蔭で二人が身を
潜めて、お前がする事をば見て居(ゐ)たが、ナア丑(うし)の時参り屋さん

妾「貴郎(あなた)方は人を何(なん)ぞ物を売りに来たものゝやうに仰(おつ)しやい
ます丑(うし)の時参り屋さんなんて 似多「マアそりやア何(ど)うでも可(い)いが
お前のするのを見て居(ゐ)ると、画姿(ゑすがた)へさして何(なん)じや灸(やいと)を据ゑて
居(ゐ)なさるが、丑(うし)の時参りといふものは、恨怨(うらみ)のある男の姿を
ば藁人形で拵(こしら)へて、それへさして五寸釘を打つと云ふ事は、
私(わたし)も聞いて居(ゐ)るし、又絵に描(か)いたのを見てもゐるが、何(ど)う
いふものでそんなに精出して灸(やいと)を据ゑてゐるのじや 女「成程
そのお尋ねは御有理(ごもつとも)です、妾(わたくし)の怨みのある男といふものは、
家業(しやうばい)が糠屋(ぬかや)でおます依(よ)ツて 似多「ハゝア、成程それでは釘は利
かぬわい 女「併(しか)し貴郎(あなた)方は何方(どちら)のお方でござりますナ 似多「私(わし)
等(ら)ア二人は大阪の者じやが、旅宿(やど)を取失(とりうしな)うて困ツて居(ゐ)るのじ
や、これから宿屋のあるやうな処へは最少(もそつ)と行かねばならぬ
か 女「貴郎(あなた)マアこれからと言うて丹波市の方(はう)へお出ましにな

りますのか、又は奈良の方(はう)へでも 似多「サア丹波市の方(はう)から此(こつ)
方(ち)へやツて来たのじや 女「それじやアこれから向(むか)ふへ四五丁
お出なさると、札の辻がおます依(よ)ツて、其処(そこ)へお出(い)でなさ
ると、人家(じんか)も沢山あります 似多「ハゝア、何方(どちら)へ行ツたら好(い)い
のです 女「お前さんが今然(さ)う向いてお在(ゐ)でなする方(はう)を、右へ
右へと取ツてお出(い)でなされば、札の辻の方(はう)へ出ますから 似多「
イヤ大きに有難う、ナア紛さん 紛郎「エゝツ 似多「何(ど)うも旅をし
て居(ゐ)ると様々な事があるものじやなア………

【語釈】
・家業(しやうばい)…ルビ不鮮明。
・糠屋(ぬかや)でおます依(よ)ツて…当時ぬかは飼料や肥料、漬け物や駄菓子等の原材料、石鹸の代用等用途が広く、専門の問屋まであった。
・成程それでは釘は利かぬわい…諺「糠に釘」をかけた洒落のオチ。
・四五丁…一丁は約109m。
・札の辻…「札の辻」は「街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道・辻」を一般に言う。ここで具体的にどこを指すかは不詳。奈良と丹波市を結ぶ往来間であろう。

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【解説】
 五寸釘を打たずに灸を据える女を不思議に思った似多八は、丑の刻参りの女に声をかけ、その理由を聞きます。それに対する女の答えが一つの笑話になっています。この話は『今様咄』(安永4年(1775)刊。『噺本大系第十七巻』所収)に原話があります。
 その女に宿を尋ねると、女が道を教えてくれます。「丑の刻参り」というおどろおどろしい恐ろしげな題材が、実にしょうもないユルユルの話にされてしまう可笑しさがこのくだりの眼目であり魅力でしょう。

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