【翻字】
(似多「…)オウ彼処(あすこ)に灯火(ともしび)が
ついて居(ゐ)る宅(うち)がある、モシ、チヨイとお尋ね申します、モシ、
チヨツとお尋ね申します 老爺「ヘイ、誰方(どなた)じやナ 似多「エー私等(わたくしら)
は大阪の者でございますが、旅宿(やど)を取失(とりうしな)うて甚だ困ツて居(を)り
ますが、お庭の隅でも宜しうございます、お泊め下さるとい
ふ訳にやア参りますまいか 老爺「イヤお気の毒な事ですけれど

も、旅の衆を私(わたし)の方(はう)へ泊めるといふ訳にはいけません 似多「ヘ
エ、すると何(なん)でございますか、泊めて戴く事は出来ますまい
か 老爺「お気の毒ぢやがナ断ります 似多「札の辻までは尚(ま)だもツ
とございますか 老爺「左様、これから一丁半ほど行きなさると札
の辻へ出ますぢや 似多「それぢやア仕方がございません、お宅(うち)
で泊めて戴けませんやうな事なら、これから札の辻へ参ツて
高札をば打割(たゝきわ)ツて、それで焚火(どんど)を焚(た)いて今夜夜明(あか)しを致しま
す 老爺「コレコレ、滅相な事を言ふ仁(ひと)ぢや、札の辻の札をば打(たゝき)
割るなんて、そんな乱暴な事をされて堪(たま)るものか 似多「それぢ
やア何(ど)うかお宅(たく)にお泊めなすツて下さいまし 老爺「サアそれは
泊めて進(あ)げる事が出来ぬのぢや 似多「出来ぬやうな事なら札場(ふだば)
へ行ツて札ア打割(たゝきわ)ツてからに彼処(むかふ)ツ夜明(あか)しを致します 老爺「マ
ア乱暴な事を言ふ仁(ひと)ぢや、それぢやア斯(か)うさツしやれ、私(わたし)の

宅(うち)に泊める事は出来ぬが、私(わたし)に聞いたと言はず、これから最(も)
う四五丁行きなさると寺がある依(よ)つて、道念寺といふ山寺ぢ
やが、それへ尋ねて行きなすツて、決して私(わたし)に聞いたと言う
てはならぬ、人を助けるが出家の務(にん)、吾(わ)れ吾(わ)れは追剥(おひはぎ)に出遇(であ)
うて旅宿(やど)を取損(とりそこな)うて大きに難渋いたしますから、何卒(どうぞ)今宵は
一泊をお願ひ申しますと斯(か)う言うたら、其処(そこ)は御出家ぢやに
依(よ)ツて、必(かな)らず泊めて下さるに相違(さうゐ)ない、然(さ)うさんせ 似多「オ
イ紛さん、如何(どう)しやう 紛郎「然(さ)う云ふことなら仕方がない、ナア
オイ、其処(そこ)へ行ツて今宵は兎も角お寺で一泊をさして貰はう
か 似多「そんなら然(さ)うしやう、大きに有難うございます」 と二
人は麓へ参りまして見上げますると、上の方(はう)に斯(か)う灯火(あかり)が点(つ)
いてございますから、やうやうそれへやツて参りました

【語釈】
・焚火(どんど)…ルビ不鮮明。
・泊めて進(あ)げる…原文「泊めて進(あ)ける」。誤植と思われ、訂正した。
・彼処(むかふ)ツ…ルビ不鮮明。文意不詳。あるいは「彼処(むかふ)で」を誤植したものか。
・依(よ)つて…本書は通例「依(よ)ツて」。
・務(にん)…漢字ルビともに不鮮明。
・出遇(であ)うて…漢字ルビともに不鮮明。
・灯火(あかり)…ルビ不鮮明。

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【解説】
 人家にたどり着いた二人は宿を求めますが、家の老爺に断られます。「では高札を叩き割って暖を取る」と言うと、老爺は困り、道念寺を紹介します。そこで二人は寺へ向かうというくだりです。
 紛郎兵衛と似多八はかなり乱暴に振る舞いますが、それはこの場面ばかりではありません。直前の第6回では、無銭飲食をして宿を逃げる、神様を騙って祭りで暴れる、嘘を言って人の親切につけ込むなど、かなりの悪党です。
 それにしても二人は逞しく、めげず、明るく、刹那的です。日本の庶民、町人とはかくも自由闊達であったのかと思います。いや、現実にはいそうになかったからこそ、こうしてフィクションのヒーローになり得たのかとも思います。

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