【翻字】
 六方「ナア八方 八方「ムゝツ 六方「お寺
へ来てから生臭い物は喫(く)ツた事はなし、明けても暮れても浄(あお)
い物ばかり、全(まる)で小鳥のやうだ、便所(てうず)に行きやア青い糞(くそ)ばか
り垂(た)れている、何(ど)うか一ツ肉食(にくじき)がしたいなア 八方「イヤそれな
ら幸ひ好(い)い事があるわい 六方「何(なん)ぢやエ 八方「彼(あ)のお庄屋さんの
所(ところ)に鶏が仰山(ぎやうさん)飼うてあるよツて、向(むか)ふへ行ツて鶏をば一ツ借
りて来ようぢやアないか 六方「借りて来るツて如何(どう)する、何(なん)と
言ツて借りて来るのじや 八方「サア其処(そこ)は乃公(おれ)に任して置け、
他じやアございませんが、和尚さんが此間(こなひだ)うちから本山の方(はう)

へさしてお出(い)でになりましたお不在(るす)でございます、ところが勝
手を存じませんので、掛時計が歪(くる)ひまして、修復(なほ)す事も出来
ませんので時刻(とき)が分(わか)りません、で、鐘を撞(つ)くことが出来ません
から、何卒(どうぞ)鶏をば時計の代(かは)りに、暫く時計が修復(なほ)ツて参りま
すまで、お貸しなすツて下さいましと、斯(か)う云ツて借りて来
やうと思ふ 六方「成程 八方「さうしてそれを借りて、途中(みち)で絞殺(しめころ)
して来る、本堂の銅鑼(どら)を取ツて来て、彼(あ)れで鋤焼(すきやき)ツてやつで
やらうか 六方「イヤそいつア洒落てゐる、好(い)い所(ところ)へ気が付いた
八方、それじや貴様行ツて借りて来て呉れるか 八方「ムゝ、乃(お)
公(れ)が借りに行ツて来る 六方「それじやア料理は乃公(おれ)がする依(よ)ツ
て大丈夫だ、万事好(い)いかナ 八方「ヨシ、チヤンと支度をして置
き、行ツて来るぜ、今から火を大層拵(こしら)へて置いて」 八方は寺
を飛出(とびだ)しました、やツて来たは庄屋の宅(たく) 八方「ヘエ御免下さい

まし 庄屋「イエこれは誰方(どなた)かと思うたら八方さん、何(なん)ぞ御用事
かナ 八方「エー和尚さんは一両日前(あと)に本山へさしてからに火急
の御用事が出来たといふのでお出(い)でになりました 庄屋「アゝ、
ムゝ和尚さんが本山へ、それはそれは、直(ぢき)お帰りかナ 八方「マア十(とを)
日(か)と十五日(にち)はお帰りがない様子でございます 庄屋「然(さ)うかナ、
お留守の所(ところ)はお前さんと六方さんの二人なら確かであらう、
マア如彼(あゝ)いふお小僧ばかりぢや依(よ)ツて、万事頼みますぞや
 八方「畏まりました、エー今日(こんにち)出ましたのは、余(ほか)の事でもござ
いませんが 庄屋「ハイ何(なん)ぢやナ 八方「掛時計が止(とま)ツて仕舞ひまし
たので、チヨイと掛けやうと思ツたら勝手が知れませんから
時計が歪(くる)ツて仕舞ひました、修復(なほ)しにはやりましたけれども
その時計がございませんと、朝昼晩鐘楼堂へ上(あが)ツて鐘を撞(つ)く
事が出来ません、時計が出来て参りますまでのうち、何(ど)うか

一つお宅(うち)の鶏を、斯(か)うやツて沢山飼うてお在(ゐ)でなさる依(よ)ツて
一夜(や)だけチヨイとお借り申したいので参りましたが 庄屋「アゝ
然(さ)うかナ、それは何(なに)より易い事ぢや、サアサア持ツて行かし
やれ 八方「左様なら何卒(どうぞ)一ツ 庄屋「アゝコレコレ八方さん、チヨ
イとお待ち、そりやア雌鶏(めんどり)ぢや、雄(をん)の方(はう)を持ツてお帰り 八方「
イヤそれは不旨(あぢな)い 庄屋「イヤ何(なん)と言はしやる 八方「イエこれでも
時を作ります 庄屋「コレコレ、そんな無茶な………如何(あゝ)いふ軽卒(そゝつか)し
い、雌鶏(めんどり)を持ツて行ツて、何(なん)の時を作るものかエ

【語釈】
・浄(あお)い物…漢字ルビともに不鮮明。
・垂(た)れている…漢字不鮮明。
・お不在(るす)でございます…原文「お不在(るす)でございす」。誤植は明らかであり、訂正した。
・途中(みち)で…ルビ不鮮明。
・一両日前(あと)…ここでの「あと」は「以前」の意。
・お宅(うち)…ルビ不鮮明。
・不旨(あぢな)い…ルビ不鮮明。

前頁  目次  次頁

【解説】
 和尚が本山へ出掛けると、すぐに二人は羽根を伸ばし、肉食を企みます。といって二人にはお金はなく、八方こと似多八は庄屋を騙して鶏を手に入れようと、六方こと紛郎兵衛に持ちかけ、六方も賛成します。八方は庄屋を訪ね、鐘を撞くのに必要な時計が壊れたから、時計替わりの鶏を貸してくれと頼みます。庄屋は承諾しますが、八方は雌鶏を借り、庄屋の止めるのも聞かずに去る、というくだりです。
 いよいよ「鳥屋坊主」の本編が始まりました。和尚といい庄屋といい、全くお人よしで、丸で疑う事を知りません。二人は赤子の手をひねるように、両者の信頼を悪用して悪事を働いていきます。現行の笑福亭仁鶴「鳥屋坊主」と本書の古形版との違いは、「宿屋仇」のそれとほぼ同様です。現行形がスピーディーで洗練されているのに対し、古形版は描写が詳細で展開が理詰め、リアリティが豊かであると言えます。

イメージ 1