【翻字】
紛郎「この大仏の裏手に正倉院と云
ツて、南都の結構な宝物(ほうもつ)は皆(みな)この寺にあるのぢや 似多「そいつ
を一ツ見たいなア 紛郎「なかなかそりやア伝手(つて)があツても、容
易に見る事は出来ぬ、サアお出で………これが円満院といふの
ぢや、この屋根の正面の破風の所に在(あ)る瓦は、ニコニコ瓦と
云ツて、見て居(ゐ)るとニコニコ笑うてゐるやうぢや、これは奈
紛郎「この大仏の裏手に正倉院と云
ツて、南都の結構な宝物(ほうもつ)は皆(みな)この寺にあるのぢや 似多「そいつ
を一ツ見たいなア 紛郎「なかなかそりやア伝手(つて)があツても、容
易に見る事は出来ぬ、サアお出で………これが円満院といふの
ぢや、この屋根の正面の破風の所に在(あ)る瓦は、ニコニコ瓦と
云ツて、見て居(ゐ)るとニコニコ笑うてゐるやうぢや、これは奈
良の都の八重桜といふのぢや、経昔(いにしへ)の奈良の都の八重桜、今(け)
日(ふ)九重ににほひぬるかなと、百人一首にも出てゐる通り、伊
勢大輔(いせのおほすけ)といふお方の歌ぢや 似多「ハゝア、奈良といふ処(ところ)は好(い)い
所ぢやナ 紛郎「何(なに)しろ元の都であるから、名物は此処(こゝ)で名高い
のは奈良漬、菊屋の霰酒(あられざけ)、奈良晒布(ならざらし)、奈良団扇、奈良足袋
似多「さうさう、屁でも音の好(い)いのをおなら(〇〇〇)といふ 紛郎「余計な事
を言ふなエ、これが興福寺、これが金堂、この向(むか)ふに在るの
が北円堂、此方(こちら)のが南円堂、これは西国九番の札所(ふだしよ)、御詠歌
に、春の日は南円堂に輝きて、三笠の山にはるゝ薄雲(うすぐも)、これ
から此処(こゝ)が三條通り、併(しか)し最(も)う日も暮れて来る依(よ)ツて、今夜
此処(こゝ)で泊(とま)らう」 と小刀屋(こがたなや)に印判屋といふ二軒の宿屋(はたご)がござい
ます、
この小刀屋(こがたなや)善助に印判屋といふ旅籠屋(はたごや)は、三度の食器(??)
が変(かは)るといふ名代な旅亭でございます 似多「何方(どつち)へ泊(とま)るエ 紛郎「
日(ふ)九重ににほひぬるかなと、百人一首にも出てゐる通り、伊
勢大輔(いせのおほすけ)といふお方の歌ぢや 似多「ハゝア、奈良といふ処(ところ)は好(い)い
所ぢやナ 紛郎「何(なに)しろ元の都であるから、名物は此処(こゝ)で名高い
のは奈良漬、菊屋の霰酒(あられざけ)、奈良晒布(ならざらし)、奈良団扇、奈良足袋
似多「さうさう、屁でも音の好(い)いのをおなら(〇〇〇)といふ 紛郎「余計な事
を言ふなエ、これが興福寺、これが金堂、この向(むか)ふに在るの
が北円堂、此方(こちら)のが南円堂、これは西国九番の札所(ふだしよ)、御詠歌
に、春の日は南円堂に輝きて、三笠の山にはるゝ薄雲(うすぐも)、これ
から此処(こゝ)が三條通り、併(しか)し最(も)う日も暮れて来る依(よ)ツて、今夜
此処(こゝ)で泊(とま)らう」 と小刀屋(こがたなや)に印判屋といふ二軒の宿屋(はたご)がござい
ます、
この小刀屋(こがたなや)善助に印判屋といふ旅籠屋(はたごや)は、三度の食器(??)
が変(かは)るといふ名代な旅亭でございます 似多「何方(どつち)へ泊(とま)るエ 紛郎「
サア今宵は小刀屋(こがたなや)善助方(かた)へ泊(とま)らうかエ 〇「ヘエ貴郎(あなた)方お泊(とま)り
ぢやアございませんか、私(わたくし)の方(はう)は印判屋でございます △「私(わたくし)
の方(はう)は小刀屋(こがたなや)でございます、お泊(とま)りぢやアございませんか」
二人は小刀屋(こがたなや)の宅(うち)の方(はう)へズツと這入ツて参りました
ぢやアございませんか、私(わたくし)の方(はう)は印判屋でございます △「私(わたくし)
の方(はう)は小刀屋(こがたなや)でございます、お泊(とま)りぢやアございませんか」
二人は小刀屋(こがたなや)の宅(うち)の方(はう)へズツと這入ツて参りました
【語釈】
・経昔(いにしへ)の奈良の都の八重桜、今(け)日(ふ)九重ににほひぬるかな…百人一首六十一番の歌。
・食器(??)…ルビ不鮮明。あるいは「ごき」か。
【解説】
東大寺から興福寺周辺を見物した紛郎兵衛と似多八が、小刀屋善助という宿に泊まるくだりです。
紛郎兵衛が似多八にさまざまに名所や名物を説明し、聞き手の似多八がボケて返すやりとりは、現行の故六代目笑福亭松鶴「天王寺詣り」と同様です。
二人が投宿してから、話は現行の「こぶ弁慶」と重なります。現行版「こぶ弁慶」の舞台は大津ですが、本書は奈良です。
