【翻字】
「ヘエお二人
さんお泊(とま)り、コレ、お洗足水(すゝぎ)を持ツてお出(い)でや、お早うさん
でございます、其処(そこ)で紛郎兵衛、似多八の両人は、草鞋(わらじ)を解
いている、其処(そこ)へさして山から這出(???)といふ下女(をなごし)が洗足(すゝぎ)を持ツ
て参りましたが 下女「お客様や、足を出さツせい、おれがお前
様の脛(すね)を洗ツてやるだア 似多「こりやア驚いたなア脛(すね)だツて言
やアがる 下女「お客様や、妾(わし)がお前様の足を洗ツて居(を)ると、国
許(もと)の事を思出(おもひだ)して、ホロリホロリと涙が落(こぼ)れるだ 紛郎「オイ似多
女(をなご)泣かしたり何(なん)かして居(ゐ)るぜ、イヤ似多八の色男 似多「冗談言
うて呉れなエ、オイ女中(ぢよちう)、お前は何(なに)かエ乃公(おれ)の足を洗うて涙
「ヘエお二人
さんお泊(とま)り、コレ、お洗足水(すゝぎ)を持ツてお出(い)でや、お早うさん
でございます、其処(そこ)で紛郎兵衛、似多八の両人は、草鞋(わらじ)を解
いている、其処(そこ)へさして山から這出(???)といふ下女(をなごし)が洗足(すゝぎ)を持ツ
て参りましたが 下女「お客様や、足を出さツせい、おれがお前
様の脛(すね)を洗ツてやるだア 似多「こりやア驚いたなア脛(すね)だツて言
やアがる 下女「お客様や、妾(わし)がお前様の足を洗ツて居(を)ると、国
許(もと)の事を思出(おもひだ)して、ホロリホロリと涙が落(こぼ)れるだ 紛郎「オイ似多
女(をなご)泣かしたり何(なん)かして居(ゐ)るぜ、イヤ似多八の色男 似多「冗談言
うて呉れなエ、オイ女中(ぢよちう)、お前は何(なに)かエ乃公(おれ)の足を洗うて涙
が落(こぼ)れるといふのは、国許(もと)に言交(いひかは)した情夫(をとこ)があツて、その情(をと)
夫(こ)に添ふにも添はれず、止(や)むを得ずこの奈良へ出て来て、小(こ)
刀屋(がたなや)で奉公するのも世間の手前で斯(か)う奉公してゐるのだらう
が、私(わし)の足を洗うて涙が落(こぼ)れるといふのは、お前の色男の足
に乃公(おれ)の足が似て居(ゐ)るといふのかナ 下女「ナアニ、然(さ)うでねえ
おれが故郷(くに)に居(ゐ)る時にやア、昼間ア畑で仕事をしてからに、
宅(うち)へ帰ツて来ると、おれが牛の足をば洗ひをるのが役ぢやツ
た、お前(めへ)の足を洗うて涙の落(こぼ)れるのは、おれが取扱(とりあつか)うて居(ゐ)た
牛の足によく似て居(を)るからだ 似多「馬鹿言ふナ、牛の足と人間
の足と間違ふ奴があるものか、紛さん、乃公(おれ)を牛にしてけつ
かる 紛郎「サアお前の顔も何(ど)うやら牛に似てゐる 似多「モウー
紛郎「冗談(うだうだ)言ふなエ 番頭「お客さん、お荷物は持ツて参ります、
サア何卒(どうぞ)奥へお通りを、最(も)う直にお風呂も明きますし、御飯(おしたく)
夫(こ)に添ふにも添はれず、止(や)むを得ずこの奈良へ出て来て、小(こ)
刀屋(がたなや)で奉公するのも世間の手前で斯(か)う奉公してゐるのだらう
が、私(わし)の足を洗うて涙が落(こぼ)れるといふのは、お前の色男の足
に乃公(おれ)の足が似て居(ゐ)るといふのかナ 下女「ナアニ、然(さ)うでねえ
おれが故郷(くに)に居(ゐ)る時にやア、昼間ア畑で仕事をしてからに、
宅(うち)へ帰ツて来ると、おれが牛の足をば洗ひをるのが役ぢやツ
た、お前(めへ)の足を洗うて涙の落(こぼ)れるのは、おれが取扱(とりあつか)うて居(ゐ)た
牛の足によく似て居(を)るからだ 似多「馬鹿言ふナ、牛の足と人間
の足と間違ふ奴があるものか、紛さん、乃公(おれ)を牛にしてけつ
かる 紛郎「サアお前の顔も何(ど)うやら牛に似てゐる 似多「モウー
紛郎「冗談(うだうだ)言ふなエ 番頭「お客さん、お荷物は持ツて参ります、
サア何卒(どうぞ)奥へお通りを、最(も)う直にお風呂も明きますし、御飯(おしたく)
は直に持ツて参ります、併(しか)しお旅籠料(はたご)のところは 紛郎「ナア似
多八、何(ど)うしやう、懐裡(ふところ)も乏しい依(よ)ツて、マア並(なみ)にして置か
うかエ 似多「然(さ)うしやう然(さ)うしやう 紛郎「オイ若衆(わかいしゆ)、一番安いところで
す 番頭「イヤ心得ましてございます、併(しか)しお客さん、この頃は
又道者(だうしや)が多うございますので、誠に何(ど)うもお気の毒でござい
ますが、座敷は一向(かう)ございませんゆゑ、皆(みな)さま御一緒に一ツ
寝て戴きたうございます 紛郎「アゝ何(ど)うでも大事(だん)ない、我慢を
して居(ゐ)る」
多八、何(ど)うしやう、懐裡(ふところ)も乏しい依(よ)ツて、マア並(なみ)にして置か
うかエ 似多「然(さ)うしやう然(さ)うしやう 紛郎「オイ若衆(わかいしゆ)、一番安いところで
す 番頭「イヤ心得ましてございます、併(しか)しお客さん、この頃は
又道者(だうしや)が多うございますので、誠に何(ど)うもお気の毒でござい
ますが、座敷は一向(かう)ございませんゆゑ、皆(みな)さま御一緒に一ツ
寝て戴きたうございます 紛郎「アゝ何(ど)うでも大事(だん)ない、我慢を
して居(ゐ)る」
【語釈】
・山から這出(はひで)…漢字ルビともに不鮮明。
・旅籠料(はたご)…「旅籠銭」の略。宿屋の宿泊料と食事代。
・道者(だうしや)…連れ立って社寺を参詣・巡拝する旅人。遍路。巡礼。
【解説】
宿屋に上がる時、足をすすいでくれる女中と似多八との会話のくだりです。現行版「こぶ弁慶」とほぼ同じ内容ですが、本書古形版の最後にある洒落が、現行版では省略されています。
