【翻字】
君公「藤作(とうさく)始め皆の
者 皆々「ハゝツ…… 君公「斯(か)う見渡した処は格外(よほど)眺望の好(よ)き
処ぢやのウ 〇「ハツ、余程宜しき見晴しにござります 君
公「ムゝ好(よ)き眺めぢや 老爺「ハイ旦那様お待遠(まちどほ)さまでござり
ました、エゝ一寸(ちよつ)と御免下されませ……サア斯(か)うして囲
ひましたれば、旦那様如何(いかゞ)でござりませう、些(すこ)しはこれ
で臭気(かをり)も薄らぎましてござりませう、それに斯(か)う致して
置きますれバ見苦しい処も隠れまして 〇「ムゝ好(よ)し好(よ)し
 君公「藤作 〇「ハゝツ 君公「此画(これ)は土佐将監光定の画(ゑ)で
はないか 〇「御意にござります 君公「光定は画(ゑ)は名人と聞
き及びしが、斯様(かやう)なる事を描(か)きをるは名人ではない、余
程下手ぢやのウ 〇「左様にござります 君公「見れば松に鳫(かり)
を描(ゑが)きあるが、鳫なれば芦(あし)を描(か)くべき筈、また松なれば

鶴、然るに斯様な図画(づぐわ)を描(ゑが)くとは、光定は狼狽を致せし
ものか、但しは心懸けなきか、余り馬鹿馬鹿しいではな
いか、藤作余が家には将監光定が描(ゑが)きしものは沢山あれ
ど、斯様なる事を描(ゑが)く光定なれば向後(けふかう)光定が画(ゑ)は眺むる
所存なきゆゑ、国許(くにもと)へ立帰(たちかへ)りなば、悉皆(のこらず)光定の描(ゑが)きし物
は焼捨て(やきす)てゝ仕舞へ 〇「ハツ委細承知仕(つかまつ)りましてござりま
する」と申して居(を)ります処へ二人の旅人(りよじん)が、此(この)茶店の床(しよう)
机(ぎ)に腰を掛け △「老爺(おとつ)さんお茶一ツお呉れんか 老爺「ハイ
只今お上げ申します、何卒(どうぞ)マア此方(こちら)へお掛け遊ばしませ
 △「ハイハイ、やれやれ久七辛動(しんど)かツたナア 久七「ヘエ旦那今(こん)
日(にち)は余程歩きましたナア △「ムゝ余程歩いた、老爺(おとつ)さん
モウ一杯(ぱい)お呉(く)れんか 老爺「ハイ畏(かしこ)まりました △「や有難(ありがた)う
……久七一寸(ちよつ)と 久七「ヘエ △「彼(あ)の屏風を見ひ 久七「旦那ア

ゝ彼(あ)の屏風は御宅(おうち)にありました屏風と同じ画(ゑ)ですナア △
「久七宅(うち)に有ツた光定が描(ゑが)いた鳫風呂(がんぶろ)の屏風、如何(どう)やら是(こ)
れも光定らしい、此(この)屏風片方(かたほ)には函館の城が描(か)いてある
が 久七「モシ旦那様是(こ)れも矢張り光定の筆と記(しる)してござりま
す △「ムゝ然(さ)うぢやろ、此(この)位(くら)ゐの事を描(か)く人は光定より他
にあるまい、久七好(よ)いナア、アー光定は名人ぢやナア、
併(しか)し世間は広いから、何(な)にも知らぬ仁(ひと)が見たら松には必(かな)
らず鶴を描(か)く筈なのに、鳫(かり)を描(か)くとは心得のない画師(ゑし)だ
抔(など)と云ふ人もあらう 久七「左様です、併(しか)し旦那此(この)画(ゑ)を見て
其様(そん)な事を云ふ奴なら、真に何(な)にも知らぬ唐変木ですな
ア △「ムゝ其様(そん)な物知らぬ奴に見られては光定先生も御
気の毒だ」 と両人(ふたり)が話しをお聞き遊ばしたる水府公近習
の者と顔見合わせて

【語釈】
・格外(よほど)…ルビ不鮮明。
・土佐将監光定…土佐派は室町以降の日本画の名派だが、光定という人物は不詳。
・△「ムゝ然(さ)うぢやろ…原文「「ムゝ然(さ)うぢやろ」。誤植は明らかで、訂正した。
・唐変木…気のきかない人物、物分かりの悪い人物をののしっていう語。

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【解説】
 茶店の老爺が臭気防ぎに持って来た屏風の絵を見、黄門一行はさんざんにくさした後へ、茶店にやって来た町人が激賞し、雁風呂の絵を知らない者は物を知らない者だと散々にくさし、聞いていた黄門一行が唖然とするくだりです。
 身分の高い人を、それと知らない者がさんざんに扱うというエピソードは、ある意味大衆芸術の定番的要素です。水戸黄門に限らず、日本の映画やTVの娯楽時代劇や、韓国の歴史TVドラマなどでもよく見られます。

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