【翻字】
君公「藤作藤作 〇「ハゝツ 君公「彼(あ)れなる

町人これへ呼べ 〇「ハゝツ、こりやこりや其処(それ)に居(を)る町人
、我(わが)君様がお召しだ、これへ参れ △「ヘエ……久七何(なん)の
御用であらう、お前も一緒に来て、ヘエ何(なに)か御用でござ
りますか 君公「町人此(この)屏風の画(ゑ)は巧(よ)く描(か)いてあるか △「ヘ
エ土佐将監光定先生は名人でござりますやうに存じます、
ナア久七 久七「ヘエ旦那様此(この)松に鳫(かり)の画(ゑ)は私(わたくし)共の眼で見ま
しても宜しき様に存じますが、何(な)にも知らぬ唐変木の眼
で見る時は松には鶴を描(か)く筈ぢやに、松に鳫とは馬鹿な
画師(ゑし)ぢや抔(など)と云ふ、其奴(そやつ)こそ馬鹿ですナア 〇「コリヤ町
人控へ居(を)れ、是(こ)れに御座るは誰様(どなた)だと思ふ、勿体なくも
水戸光圀公なるぞ、控へ控へ控へ居(を)らう △「ハ
ツハツ……久七お前横手から饒舌(しやべ)るさかいに 君公「藤作待
て待て、コリヤコリヤ町人苦しうない、近う進め、可(よ)い可(よ)い

これへ参れ △「ヘエー…… 君公「可(よ)い可(よ)いズツと是(こ)れへ参
れ △「ヘエー 君公「此(この)画(ゑ)は余程巧手(よい)と申したが、余は心懸
けなきゆゑ、其方(そのはう)此(この)画(ゑ)の由来(いはれ)を存じて居(を)らば申し聞かせ
て呉れよ △「ヘイ私(わたく)しも詳しき事は存じませぬが、只存
知(ぢ)て居(を)ります丈(だ)けを申し上げますでござります、此(この)屏風
の片方(かたし)には函館の城が描(か)きてござります、ヘエそれ御覧
遊ばしませ、この松の下に柴の落ちてござります処が描(か)
いてござりますのは、鳫が常盤(ときは)とか申す国から秋に我(わが)日(ひの)
本(もと)へ参ります際(とき)、口にて柴を咥(くは)へて参ります、途中にて
羽翼(はがひ)をば休め、また起(た)つ際(とき)はその柴を咥(くは)へて、
漸(やうや)く此(この)函館の松の樹に来(きた)り、茲(こゝ)で柴を捨て、来た鳫は彼(あ)
方(ちら)此方(こちら)へと別れて起(た)ち退(の)いて仕舞ひます、翌年の春と成
りますと、花の咲くのを跡に致しまして、此(この)函館の松に
帰り、各自(めいめい)来た時咥(くは)へて参ツた柴を咥(くは)へ常盤(ときは)の国へ帰り
ます、燕はまた鳫の帰る頃に日本(こちら)へ参ります、鳫の帰る
のと燕が来ますのと丁度行違(ゆきちが)ひに成ります、仍(そこ)で燕の便
り鳫の文(ふみ)と申してござります、此(この)鳫が常盤へ帰りました
跡に柴がまだ沢山残ツてござります、其(その)残ツた柴を一(ひと)ツ所に
集め旅の難渋な人へ施行(ほどこし)の為(た)め、此(この)柴で湯を沸かし風呂
へ入れて遣(や)ります、これは死亡(しん)だ鳫への吊慰(とむらひ)の為(ため)に致し
ます、仍(そこ)でこれを鳫風呂(がんぶろ)と申すさうでござります、此(この)
鳫風呂の画(ゑ)には紀貫之の古歌が添ふてござります、常盤な
る国へ帰らんかりがねの、羽(は)がひやすめん函館の松」と、

ヘエ旦那様鳫風呂のお話はマア大略(ざつと)斯様(こん)なものでござ
ります

【語釈】
・片方(かたし)…二つあるもののうちの一つ。片方。
・吊慰(とむらひ)…「吊」は「弔」の俗字。
・紀貫之の古歌…不詳。『水戸黄門記』には古歌は登場せず、『講談十八番』には「古今集」の歌として「常盤なる国から来たる雁がねのしばしやすらふ函館の松」とある。
・国へ帰らん…原文「国へ帰かん」。誤植は明らかで、訂正した。

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【解説】
 黄門は町人を呼び、屏風の絵について聞きます。町人は、雁風呂の絵であると、その由来を語ります。
 町人が引用する古歌は、調べても出典がわかりません。『水戸黄門記』にはないし、『講談十八番』に引かれる歌とは細部が異なり、作者・出典の情報も整合しません。恐らくは偽作でしょう。

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