【翻字】
君公「ムゝウ初めて聞いた鳫風呂の由来(いはれ)、余は満足
に思ふぞよ、シテ其方(そのはう)は何国(いづく)の者であるぞ △「ヘエ私(わたく)し
は大阪でござります 君公「ムゝ大阪の何(な)んと申す…… △「ヘエ
淀屋辰五郎と申します 君公「ムゝ、シテ其方(そのはう)は何方(いづれ)へ参る
 辰五「ヘエ江戸表へ参ります 君公「江戸表へ参るのか、余は
大阪へ参るが、其方(そち)が大阪へ帰る事なれば余も同道を致
すものを、江戸表へ参るとあらば致方(いたしかた)もなき次第、残念
であるぞ、シテ江戸表は見物にでも参るのか 辰五「イエ見
物ではござりませぬ、柳澤様へ三千両御用達(ごやうだて)ましたる処、
其儘(そのまゝ)にて御催促致しますれど、未(いま)だ御下(おさ)げ渡しがござり
ませぬ、甚だ迷惑致しますゆゑ、這回(このたび)江戸表へ態々(わざわざ)お願
ひに参りますのでござります 君公「爾(さ)うか、柳澤が下げ渡

せぬ筈(はず)はなけれども、掛(かゝ)り役人が悪いのであらう、アゝ
藤作 〇「ハゝツ 君公「其方(そのはう)余が代筆を致し、三千両下げ渡
すべき様、一筆認(したゝ)めて取らせエ 〇「ハゝツ畏まりまして
ござります」 と、藤作料紙硯箱(れうしすゞり)を取寄(とりよ)せ、三千両下げ渡し
の証を認(したゝ)めました 君公「辰五郎、柳澤へ参りて若(も)し三千両
渡さずば、小石川の上屋敷へ参り、此(この)証をもツて三千両
持ち出せ 辰五「ヘエ……有難う存じます」 折柄老爺(おやぢ)は膳部(ぜんぶ)を
持ち出(い)で 老爺「ヘエ旦那様お支度が出来ました 〇「オゝ出
来たか、我(わが)君様召し上(あが)られませエ」 と是より御(お)仕度をお
済ましに相(あひ)成りまして、辰五郎に別れを告げて水府公に
はお立ちに相(あひ)成ります、

【語釈】
・大阪の何(な)んと申す…… △「ヘエ…原文に「△」はない。誤植は明らかで、訂正した。
・淀屋辰五郎…江戸元禄期の大阪の豪商(1684~1718)。宝永2(1705)年、過度の豪奢を幕府に咎められ、財産没収を伴う闕所の処分を受けた。
・畏まりましてござります」 と…原文に「」」はない。誤植は明らかで、訂正した。
・柳澤様…不詳。暗に柳沢吉保(1659~1714)を指すか。
・証…証明のための文書。
・膳部(ぜんぶ)…膳にのせる料理。

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【解説】
 黄門に所と名を聞かれた町人は、大阪の淀屋辰五郎と名乗り、柳沢公への貸金三千両催促のために江戸へ行く途中だと告げます。黄門は、貸金回収できない際の立替証を近習に代筆させ、雁風呂の由来を語った礼として淀屋に渡し、大阪へ向けて先に出立する、というくだりです。

 『水戸黄門記』『講談十八番』といった講談本、故・桂米朝「雁風呂」では、淀屋辰五郎はすでにお上の御咎めを受けて巨万の富を失っている、という設定で、それを水戸黄門が口添えをして助けるという内容です。しかし、本書では淀屋はただ、滞っている貸金の催促に赴くというだけです。この違いについて、私は本書が勝るというふうに思いました。理由は単純で、歴史的事実と矛盾しないということです。講談本及び故・桂米朝版は、明らかに歴史的事実と矛盾します。淀屋がおとがめを受けた(1705)のは水戸光圀の死(1701)後だからです。
 水戸黄門説話は、幕政の不正・矛盾に苦しむ庶民を水戸黄門の公正と慈愛が救うというのが基本です。講談本及び故・桂米朝版の設定は、この点において本書よりも一層水戸黄門性が鮮やかです。ただ、歴史的事実と明らかに矛盾する設定まで必要であったのかと考えると、大いに疑問です。本書でも水戸黄門の公正仁慈と幕政の不正は十分に描けているからです。
 確かに本話はもともと虚構であり、講談本をそのまま落語にしたのであるから、虚構として楽しめるならそれで良いという立場もあるでしょう。故・桂米朝もそのように考えたかと推察はされます。けれども、淀屋辰五郎は実在の人物です。明らかな歴史的事実との矛盾は、虚構としての質を下げる要素となります。また、一般読者や聴衆は、歴史的事実に詳しくなく、こだわりもないという考え方で、このマイナス要素は問題にならないと考える立場もあるでしょう。しかし、本書においても、淀屋の闕所云々については特に言及していません。かつ、淀屋の闕所事件は時代を遡るにつれて一般大衆の認知度は高かったはずです。それは、この事件が講談化される以前に、「淀鯉出世滝徳」として浄瑠璃化(1708)、さらに歌舞伎化(1904)されていたことからも明らかです。本書出版当時であれば、「淀屋辰五郎」と聞いた聴衆の多くは、闕所処分を連想したはずです。歴史的事実に反することをわざわざ明確にする必要はなかったはずです。
 今後もしこの「雁風呂」を高座で語る噺家がいるなら、故・桂米朝版でない、二世曽呂利新左衛門版「雁風呂」を語ってほしいと、私は願っています。淀屋の闕所事件はマクラで語るなどに止め、聴衆に「連想させる」だけにしても、水戸黄門説話の面白さは十分に実現できると思います。

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