【翻字】
 丁稚「ヘエ番頭
さんが被仰(おつしや)るにやア其様(そん)な事をするのも無益な事ぢやによつて夫(それ)よ
り一層乞丐(ものもらひ)にしてお進(あ)げなすつたら如何(どう)で御座いますと 若旦那「ナニ乞(もの)
丐(もらひ)とは何(なん)ぢや誰が言ふた 丁稚「番頭さんが 若旦那「フーム…… 丁稚「
そして今おもよどんが頭陀袋を縫ふて居(を)ります茶碗の破壊(われた)んやらお
椀の破損(かけ)たのと箸も一ぜん、そして貴君(あなた)の穢(きたな)お寝衣(ねまき)細帯ちやんと今
手廻して居(ゐ)ますので愈々今日(こんにち)から貴君(あなた)は乞食(こつじき)で御座います、一寸(ちよい)と斯(か)

う見ますと大分(だいぶ)貴君(あんた)乞食面(こつじきがほ)になつて来ましたぜ……マア往つてお呉れ
若旦那「阿呆(あほ)吐(ぬか)せ彼方(そつち)行(いき)アがれ……若旦那は血相変へて「人間は僅(わづ)か五
十余年我ギヤツと出生(うまれ)た際(とき)は裸体(はだか)で又死ぬ際(とき)も裸体(はだか)で死ぬのぢや宅(うち)
の死損(しにぞこな)ひ親爺が頑固な事許(ばか)り吐(ぬか)して在(けつ)かる遂には番頭までが予(ひと)を乞(こつ)
食(じき)にするなんて生意気な言(こと)を吐(ぬか)し居(を)る……」二階より真赤な面相(かほ)をし
て段階子(だんばしご)をトントントントンと降(おり)て階下(した)のお座敷へ参りましたが一
家(け)親類の御仁(おかた)は此(この)勢(いきほ)ひに縁先へ転倒(ころげ)て落(おち)る御仁(おかた)があるやら戸外(おもて)へ逃(にげ)
出す仁(ひと)もあり簀子(すのこ)の下へ匍匐(はふ)て這入(はい)る仁(ひと)もあり片端(かたつぱし)から乱暴にも頭(あ)
上(たま)を殴打倒(なぐりたほ)して歩くんですから皆(みん)な散々乱々(ちりぢりばらばら)にお座敷には御仁(ひと)が無
くなりましたが流石に番頭は驚愕(おどろき)も致しませず煙草盆を扣(ひか)へてパク
リパクリと煙草を喫(のん)で居(を)ります

【語釈】
・マア往つてお呉れ…若旦那を乞食に見立て、しつこく物乞いする乞食に言うように丁稚が悪ふざけして言った言葉。
・段階子(だんばしご)…幅の広い板をつけたはしご状の階段。

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【解説】 
 丁稚から「明日から乞食」と言われた若旦那は激高し、階下の座敷へ暴れ込み、親類一同逃げ惑うが、番頭だけが落ち着き払っていた、というくだりです。現行形「立ち切れ線香」とほぼ同じ内容です。

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