【翻字】
 若旦那「オイ番頭貴様はえらい者(もん)ぢやナ、
聞きやア予(わし)をば乞食(こつじき)に仕様と言ふたさうだナ格別(よほど)面白い貴様は何程
えらい者(もん)じや貴様は番頭番頭と言ふて番頭と云ふ者は何(ど)の位(くら)ゐ権利

の有るもんぢや根(ね)を調べて見たら貴様は丁稚の劫経(かうへ)たんだらう乃公(おれ)
を乞食(こつじき)にするなんて猪口才(ちよこざい)な言(こと)を云ふなへ仮令(たとへ)放蕩の乃公(おれ)でも番頭
の貴様が乃公(おれ)を乞食(こつじき)に仕様と云ふ其様(そん)な権利があるまい出来る者な
らサア乞食(こつじき)にせへ、サアせへ、せんかへ、サア為(し)ろ 番頭「ヘゝゝゝ  若旦那「
何(なん)ぢやヘゝゝゝなんてサア早くさらさんかへ 番頭「若旦那さらさん
かなんのツて其様(そん)な何(ど)うも不品行な言葉使ひが御座いますか、さらせ
と被仰(おつしや)らいでも素(もと)より私(わたし)が旦那様より御依頼受けて貴君(あんた)を乞食(こつじき)にす
るのですお急(せき)なさらいでも宜しい乞食(こつじき)にして進(あ)げます 若旦那「サア為(せ)
へ早うさらせへ 番頭「情(なさけ)無い貴君(あなた)さらせの何(なん)のと……
今為(し)ます、コラ丁稚(こども) 丁稚「ヘイ 番頭「其処(そこ)に若旦那のお寝衣(ねまき)麺桶(めんつう)頭陀
袋お椀茶椀の破損(かけ)たの種々(いろいろ)あるから此処(こゝ)へ持つて来い……よしよし
其処(そこ)へ置け、サア若旦那一寸(ちよつと)其方(そつち)へお向きなさい 若旦那「番頭乞食(こつじき)にせ
んかへ 番頭「為(し)ますから其方(そつち)へお向きなさい 若旦那「番頭如何(どう)為(す)る予(わし)

の帯に手を掛けて、アレ帯を解いて 番頭「如何(どう)為(す)るツて此(この)帯とお仕換(しかへ)申
して乞食(こつじき)に為(す)るのです 若旦那「ア、番頭真個(ほんま)に予(わし)を乞食(こつじき)に為(す)る
のかへ番頭真個(ほんま)なら一寸(ちよつと)待つてお呉れ 番頭「其様(そん)な卑怯な言(こと)被仰(おつしや)る
な貴君(あなた)乞食(こつじき)にして呉れと被仰(おつしや)るし、私(わた)しや乞食(こつじき)に仕様と思つて居(ゐ)る処
で願ふても無い、サアちやツと衣類(きもの)を早くお脱ぎ遊ばせ 若旦那「番頭一寸(ちよつと)
待つてお呉れ私(わし)ア乞食(こつじき)は虫が好かん 番頭「誰だつて乞食(こつじき)が虫の好く
者があるもんですか余(あん)まりパツトした仕事ぢや御坐いません世間の
人が能(よ)う諺に云ひますナ乞食(こつじき)三日為(す)りやア忘れられぬと随分他人(ひと)さ
んの残物(おあまり)をよばれると云ふのはゑらい気の軽いもんださうです、マ
ア試しもんだ三日位(ぐら)ゐ遣(や)つて御覧(ごらう)じろサアサアちやつと衣類(きもの)を着換(きかへ)
遊ばせ

【語釈】
・劫経(かうへ)た…ルビ漢字共に不鮮明。「劫」は「極めて永い時間。刹那の反対」。
・猪口才(ちよこざい)…小生意気なこと。こざかしいこと 。
・麺桶(めんつう)…一人前ずつ飯を盛って配る曲げ物。のちには、乞食の持つものをいう。めんぱ。めんつ。

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【解説】
 激昂するままに口汚い言葉で怒鳴り散らす若旦那に、番頭は全く動じず、乞食の着物に着かえさせようとしながら諄々と説いていくので、若旦那は次第に弱気になって行く、というくだりです。
 本書古形版は、現行形の「立ち切れ線香」よりは、はるかに丁寧に詳細に二人のやり取りを描いています。


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