【翻字】
若旦那は承諾致しましたか
ら番頭は若旦那をば一番の土蔵(くら)へさして案内致しました、土蔵(くら)の戸前
をガラガラガラ若旦那を放り込みましてピシヤツと錠前を鎖(おろ)しまし
た 若旦那「番頭、無茶やなア此様(こん)な湿気臭い処へ放り込まれて此様(こん)な処
に百日も居(ゐ)られる者か……」ワアワアと若旦那は土蔵(くら)の中で泣(ない)て居(を)り
ます番頭は大きな顔を為(し)て台所に這入つて参りました一家(け)親類の御(お)
仁(かた)は簀子(すのこ)の下から蜘蛛の巣だらけになつて匍匐(はふ)て出る御仁(おかた)もあれば
縁先の飛石(とびいし)に頭を打(うつ)て額口(ひたへぐち)に凸凹(でこぼこ)を拵(こしら)へて出てくる御仁(おかた)もあれば種(いろ)
々(いろ)で御座います 一同「番頭どんアゝ貴公(こなた)なればこそ彼(あれ)程迄に意見を
言つて下すつた何分此(この)上ながら番頭どんお頼み申します 番頭「寄(よつ)て
集(たか)つて番頭どん番頭どんと扇で其様(そない)にしてお呉れなさいますと旦那
様風を冐(ひ)きますわいナ……」親類の御仁(おかた)は此(この)番頭に万事頼むと申して
引取(ひきと)りました旦那も大きに是(これ)で御安心になりましたが何故(なにゆゑ)に此(この)番頭

が若旦那をば百日も土蔵(くら)に放り込みましたかと云ふ其(その)原因は至つて
優(おとな)しい若旦那で御座いましたが放蕩にはなり易い者で町内に懇親会
がありまして御町内の息子達に誘(さそは)れて一寸(ちよつと)遊んで来やうかと云ふの
で難波新地へ遊びに参りまして数多(あまた)芸妓(げいぎ)を聘(よ)んで散財を致しました
処が三栄の店から出て居(を)ります小糸と云ふ十七八の芸妓(げいぎ)が不図(ふと)眼に
止まりました「アゝ容顔美麗(うつくしいをんな)ぢやなア」と思つたんです、小糸の方でも川
竹に美(い)い男の俳優(やくしや)も沢山あるが俳優(やくしや)にもおさおさ劣らん美(い)い男ぢや
ナ妾(わたし)も褄(つま)持つてる限りには此様(こん)な美(い)い男と仮令(たとへ)一夜(や)でも添寝(そひね)がして
見度(た)いと云ふ処から互ひに深い交情(なか)になりました、此(この)小糸の妓宅(やかた)は相
生町で御座います若旦那は此(この)小糸の御宅(おうち)をば我宅(わがうち)のやうにして間(ま)が
な暇(すき)がな小糸の宅(うち)に許(ばつ)かり這入込(はいりこ)んでお在(い)でありましたがお茶屋へ
揚代(はな)を附けといて而(そ)して小糸の宅(うち)に遊んで居(ゐ)ると云ふのですから更
に小言を云ふ処も無し若旦那は遊びにお入来(いで)に成りますると散財(きればなれ)が

鮮(あざや)かですから花街(さと)の妓輩(をなご)は申すまでもなく立つ児(こ)匍匐(いざる)子までも若旦
那若旦那と槌で庭掃くやうに申します

【語釈】
・難波新地…当時遊郭があり繁盛していた。
・芸妓…歌や三味線、舞踊などの芸を酒宴で披露して客をもてなす女性。
・三栄…不詳。当時あった置屋(おきや:芸妓を抱えている店)の名か。
・川竹…不詳。当時道頓堀にあった芝居小屋の名か。
・褄(つま)持つてる限り…芸妓である以上は。「褄」は着物の裾の左右両端の部分。芸妓は左褄を持って歩いたことから、「褄(を)持つ」で「芸妓である」意。
・間(ま)がな暇(すき)がな…ひまさえあればいつでも。
・お茶屋…遊郭にあった色茶屋。客に座敷と酒食を提供し、客は置屋から芸妓を呼んで遊んだ。
・揚代(はな)…花代(はなだい)。芸妓を揚げて遊ぶ代金。揚げ代。
・散財(きればなれ)…金ばなれ。気前。
・立つ児(こ)匍匐(いざる)子…不詳。
・槌で庭掃く…急な客に慌てふためきながらも、手厚く持て成そうとすること。転じて、露骨に世辞を言ったり、追従したりすることの喩え。

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【解説】
 番頭に迫られ百日の土蔵住まいとなった若旦那の放蕩について噺家がその背景を物語るくだりです。
 大筋は現行形「立ち切れ線香」と同じですが、本書古形版「線香の立切」の方は、固有名詞も使われており、現行形より具体性に富み、はるかに詳しい説明となっています。

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