【翻字】
藤七「ムゝヘエ 番頭「お前さんも此(この)頃聞く所に依(よ)
れば頻々(しばしば)お茶屋遊びをしてださふだ 藤七「滅相な何(ど)ふ致し
まして、決して而(そ)んな事は有りやア致しません 番頭「イゝエ
隠しなさんな、私(わし)アモウ右方(こちら)の耳から左方(こちら)の耳へ突貫(つきぬ)ける
程聞いて居(ゐ)るのぢや、エゝツ行くなとは云はんぜ、併(しか)し未(ま)だ
お前さんお茶屋遊びをばするやうな身分ぢやア有ります
まい、明治の御代(みよ)に成りましたから頭の区別は判らんが、昔
藤七「ムゝヘエ 番頭「お前さんも此(この)頃聞く所に依(よ)
れば頻々(しばしば)お茶屋遊びをしてださふだ 藤七「滅相な何(ど)ふ致し
まして、決して而(そ)んな事は有りやア致しません 番頭「イゝエ
隠しなさんな、私(わし)アモウ右方(こちら)の耳から左方(こちら)の耳へ突貫(つきぬ)ける
程聞いて居(ゐ)るのぢや、エゝツ行くなとは云はんぜ、併(しか)し未(ま)だ
お前さんお茶屋遊びをばするやうな身分ぢやア有ります
まい、明治の御代(みよ)に成りましたから頭の区別は判らんが、昔
なら未(ま)だお前さん達は漸々(やうやう)角前髪(すみまへがみ)に成ツた位(くら)ゐな者ぢや、
未(ま)だ元服して一人前の体躯(からだ)と成る所(とこ)には至ツてやします
まい、今日(こんにち)では皆散髪(ざんきり)だから其(その)区別は判らんけれども、お茶
屋遊びなんて野方途(のほうづ)でせう、マア私(わたし)も御当家へ指して、十二
歳の時から奉公に来て、是(こ)れ丈(だ)け頭は禿(はげ)てますけれども、未(ま)だ
お茶屋の二階へ登ツて見た事はない、お茶屋と云ふ茶屋は
如何(どん)な茶屋やら、芸妓(げいこ)ツてエ子は如何(どん)な子か、幇間(たいこもち)は一貫目
何程するやら、破竹(われたけ)の音も三味線(さみせん)の音も私等(わたしら)の耳には同じ
音に聞(きこ)えます、チと謹慎(つゝし)み成され阿房(あほ)らしい 藤七「ヘツ 番頭「
是(こ)りア丁稚(こども) 丁稚「ムゝヘエ 番頭「其所(そこ)に有る鉃納戸(てつなんど)の
唐御召(たうおめし)
の羽織、夫(そ)れを此方(こちら)へ持ツて来い 丁稚「ヘエ 番頭「着せエ 丁稚「
オゝ着せて遣(や)る 番頭「ナニツ何(なん)と云うた着せて遣(や)る、何(なん)ツて
エ言(もの)の云ひ様(やう)して居(ゐ)るのぢや 丁稚「誰も着せて遣(や)ると申し
未(ま)だ元服して一人前の体躯(からだ)と成る所(とこ)には至ツてやします
まい、今日(こんにち)では皆散髪(ざんきり)だから其(その)区別は判らんけれども、お茶
屋遊びなんて野方途(のほうづ)でせう、マア私(わたし)も御当家へ指して、十二
歳の時から奉公に来て、是(こ)れ丈(だ)け頭は禿(はげ)てますけれども、未(ま)だ
お茶屋の二階へ登ツて見た事はない、お茶屋と云ふ茶屋は
如何(どん)な茶屋やら、芸妓(げいこ)ツてエ子は如何(どん)な子か、幇間(たいこもち)は一貫目
何程するやら、破竹(われたけ)の音も三味線(さみせん)の音も私等(わたしら)の耳には同じ
音に聞(きこ)えます、チと謹慎(つゝし)み成され阿房(あほ)らしい 藤七「ヘツ 番頭「
是(こ)りア丁稚(こども) 丁稚「ムゝヘエ 番頭「其所(そこ)に有る鉃納戸(てつなんど)の
唐御召(たうおめし)
の羽織、夫(そ)れを此方(こちら)へ持ツて来い 丁稚「ヘエ 番頭「着せエ 丁稚「
オゝ着せて遣(や)る 番頭「ナニツ何(なん)と云うた着せて遣(や)る、何(なん)ツて
エ言(もの)の云ひ様(やう)して居(ゐ)るのぢや 丁稚「誰も着せて遣(や)ると申し
やア致しません 番頭「今云ふた 丁稚「何(なに)云うてなさる、着せて
お進(あ)げ申して遣(や)ると申しましたので 番頭「同じ事ぢや…………
是(こ)りア手を振り上げて如何(どう)する、後方(うしろ)に眼が無いから汝(われ)ア
見えんと思うて居(ゐ)るだらう、前の戸に映ツて居(ゐ)る 丁稚「アツ
拍子の悪い、余(あんま)り拭き入れて有るよツて災難ぢや 番頭「握拳(にぎりこぶ)
しで汝(われ)ア擲(なぐ)る積(つも)りだらう、此(この)番頭が擲(なぐ)れるなら擲(なぐ)ツて見イ
丁稚「何(なに)も擲(なぐ)る積(つも)りで握拳(にぎりこぶし)拵(こしら)へたんぢやアござりません 番
頭「ムゝウ、デは如何(どう)する積(つも)りで………… 丁稚「昨今(けふび)此(こ)の位(くら)ゐな頭(かしら)
芋は大概(たいてい)何程(なんぼ)致しませう 番頭「馬鹿吐(ぬ)かせ、旦那さまが番頭はとお尋ねなさツたら、昨日(きのお)の事件で鳥渡(ちよつと)出られましたと
而(さ)う云うて置け 丁稚「云ふとく汝(われ)毛虫奴(め)が 番頭「ナニツ誰が
毛虫ぢや 丁稚「能(よ)う聞(きこ)える耳ぢやなア 番頭「聞(きこ)えエで聾(つんぼ)ぢや
有りやアせんわい 丁稚「誰も貴下(あなた)を毛虫ぢやと申しちやア
お進(あ)げ申して遣(や)ると申しましたので 番頭「同じ事ぢや…………
是(こ)りア手を振り上げて如何(どう)する、後方(うしろ)に眼が無いから汝(われ)ア
見えんと思うて居(ゐ)るだらう、前の戸に映ツて居(ゐ)る 丁稚「アツ
拍子の悪い、余(あんま)り拭き入れて有るよツて災難ぢや 番頭「握拳(にぎりこぶ)
しで汝(われ)ア擲(なぐ)る積(つも)りだらう、此(この)番頭が擲(なぐ)れるなら擲(なぐ)ツて見イ
丁稚「何(なに)も擲(なぐ)る積(つも)りで握拳(にぎりこぶし)拵(こしら)へたんぢやアござりません 番
頭「ムゝウ、デは如何(どう)する積(つも)りで………… 丁稚「昨今(けふび)此(こ)の位(くら)ゐな頭(かしら)
芋は大概(たいてい)何程(なんぼ)致しませう 番頭「馬鹿吐(ぬ)かせ、旦那さまが番頭はとお尋ねなさツたら、昨日(きのお)の事件で鳥渡(ちよつと)出られましたと
而(さ)う云うて置け 丁稚「云ふとく汝(われ)毛虫奴(め)が 番頭「ナニツ誰が
毛虫ぢや 丁稚「能(よ)う聞(きこ)える耳ぢやなア 番頭「聞(きこ)えエで聾(つんぼ)ぢや
有りやアせんわい 丁稚「誰も貴下(あなた)を毛虫ぢやと申しちやア
居りません 番頭「デは誰を毛虫ぢやと云ふたんぢや 丁稚「今
戸外(かど)を通ツたお方(かた)が駝背(せむし)かいなと申して居(を)りますので 番
頭「何(なに)を吐(ぬか)すんぢや…………アゝ店の衆頼みましたぞや」と
戸外(かど)を通ツたお方(かた)が駝背(せむし)かいなと申して居(を)りますので 番
頭「何(なに)を吐(ぬか)すんぢや…………アゝ店の衆頼みましたぞや」と
【語釈】
・角前髪(すみまへがみ)…江戸時代における元服前の少年の髪形。 前髪を立て、額の生え際の両隅をそり込んで角ばらせたもの。
・野方途(のほうづ)… 人を人とも思わないずうずうしい態度。横柄なこと。
・禿(はげ)てますけれども…原文に「ま」字なし。誤植と思われ、訂正した。
・一貫目…3.75kg。
・破竹(われたけ)…不詳。「竹」は「竹で作った管楽器」。
・鉃納戸(てつなんど)…鉄色がかった御納戸色。緑を帯びた鉄色。
・唐御召(たうおめし)…御召は御召縮緬の略で、最高級の絹織物。唐は不詳。文様あるいは柄の名か。
・頭(かしら)芋…サトイモの地下茎の中央にある大きな塊。おやいも。いもがしら。
・頼みましたぞや」と…原文は」の位置が「と」の後。誤植と思われ、訂正した。
【解説】
番頭が茶屋遊びする手代を叱り、ふざけたり悪口を言う丁稚を叱って店を出るくだりです。
手代を叱る場面は、現行版とかなり違います。現行版では昨夜の出来事として深夜帰宅した手代を問い詰めていますが、本書古形版は平素の茶屋遊びが過ぎるから控えるようにというごく一般的な注意にとどまっています。また、出掛ける直前の丁稚とのやり取りは、現行版ではごく簡単ですが、本書古形版ではずいぶん盛りだくさんで質量ともに大きく違います。本書古形版における丁稚は番頭にずいぶんとふざけています。この番頭はただもう恐れられているというのではなく、丁稚にとっては悪ふざけをしても許される、懐が深く情のある、保護者のような存在であったようです。
