【翻字】
男「此(こ)の向(むか)ふの石屋の浜へ………… 次兵「
アゝ石六の浜か又甚(えら)い所(とこ)へ繋(つ)けたなア 男「ヘエ何(ど)う云ふも
のでござります 次兵「彼(あ)の上には御親類が有る、若(も)しか御親
類方(がた)の眼にでも着いて見イ、大変な騒動ぢや、ダからお前一(ひ)
ト足先(さ)きへ行ツて、東堀の住友さんの浜の能(よ)い足場の有る
所(ところ)へ船を繋(つ)けて待ツてゝお呉れ、私(わし)ア一軒鳥渡(ちよつと)道寄りをし
て直(す)ぐと行くから 男「成丈(なるだ)け夫(そ)れぢやアお早う一ツお越し
を願ひます 次兵「サア早う行け行け 〇「左様なら何卒(どうぞ)お早う」
と幇間(たいこもち)繁八(しげはち)は船に遣(や)ツて来ました、すると船の中より 芸妓「
繁八さん、次(つぎ)さんは何(ど)う成ツたのや 繁八「エゝモウ直(す)ぐとお
越(い)でゞす 芸妓「オヤ一緒やないのか 繁八「ヘエ鳥渡(ちよつと)一軒寄る
所(ところ)が有るよツて、先(さ)きへ行(い)て而(さ)う云ツて呉れ、此(この)浜の上には
御親類が有る、少し御親類へ差支(さしつか)へる、東堀の住友さまの
浜へ船を廻して呉れと仰有(おつしや)ツてゞした 芸妓「オヤ而(さ)う船頭
男「此(こ)の向(むか)ふの石屋の浜へ………… 次兵「
アゝ石六の浜か又甚(えら)い所(とこ)へ繋(つ)けたなア 男「ヘエ何(ど)う云ふも
のでござります 次兵「彼(あ)の上には御親類が有る、若(も)しか御親
類方(がた)の眼にでも着いて見イ、大変な騒動ぢや、ダからお前一(ひ)
ト足先(さ)きへ行ツて、東堀の住友さんの浜の能(よ)い足場の有る
所(ところ)へ船を繋(つ)けて待ツてゝお呉れ、私(わし)ア一軒鳥渡(ちよつと)道寄りをし
て直(す)ぐと行くから 男「成丈(なるだ)け夫(そ)れぢやアお早う一ツお越し
を願ひます 次兵「サア早う行け行け 〇「左様なら何卒(どうぞ)お早う」
と幇間(たいこもち)繁八(しげはち)は船に遣(や)ツて来ました、すると船の中より 芸妓「
繁八さん、次(つぎ)さんは何(ど)う成ツたのや 繁八「エゝモウ直(す)ぐとお
越(い)でゞす 芸妓「オヤ一緒やないのか 繁八「ヘエ鳥渡(ちよつと)一軒寄る
所(ところ)が有るよツて、先(さ)きへ行(い)て而(さ)う云ツて呉れ、此(この)浜の上には
御親類が有る、少し御親類へ差支(さしつか)へる、東堀の住友さまの
浜へ船を廻して呉れと仰有(おつしや)ツてゞした 芸妓「オヤ而(さ)う船頭
さん何卒(どうぞ)気の毒なけれど通板(あゆみ)を撤(と)ツて早う船をば東堀の
方(はう)へ 廻してお呉ンなさい 船頭「畏まりました 繁八「サア船頭さ
ん早う早う、早う船を出してと云ふのに、愚図愚図して居(ゐ)る
何(ど)うも困るなア、早う船を出しんかいな 船頭「貴公(あんた)乗りなさ
りヤアしません 繁八「イヨー乗るのを忘れて居(ゐ)る 芸妓「周章(あわて)
者(もん)やしなア」通板(あゆみ)を引上(ひきあ)げて船はチユチユチユと東堀住友
さまの浜へさして漕ぎ出し、暫くしてチヤンと廻しました所へ番頭の次兵衛「甚(えら)い遅うなツた堪忍してや
方(はう)へ 廻してお呉ンなさい 船頭「畏まりました 繁八「サア船頭さ
ん早う早う、早う船を出してと云ふのに、愚図愚図して居(ゐ)る
何(ど)うも困るなア、早う船を出しんかいな 船頭「貴公(あんた)乗りなさ
りヤアしません 繁八「イヨー乗るのを忘れて居(ゐ)る 芸妓「周章(あわて)
者(もん)やしなア」通板(あゆみ)を引上(ひきあ)げて船はチユチユチユと東堀住友
さまの浜へさして漕ぎ出し、暫くしてチヤンと廻しました所へ番頭の次兵衛「甚(えら)い遅うなツた堪忍してや
【語釈】
・通板(あゆみ)…歩み板。ここでは、船と岸との間に渡した、人が渡るための板。
・周章(あわて)者(もん)やしなア」…原文は」の所に「。誤植は明らかで、訂正した。
【解説】
番頭は船の位置を幇間に指示し、自分は幇間より一足遅れて船に現れる、というくだりです。
このあたり、本書古形版は故・桂米朝等による現行版と比べ、大きな流れは同じですが、細部はかなり違います。まず、現行版は舟での花見が大掛かりになった経緯を幇間が語り、番頭が困るというやりとりがありますが、本書古形版にはありません。また、現行版では番頭が上等の着物に着替える経緯を語りますが、本書古形版はそれがなくその代わり、幇間が先に船へ戻り、番頭の指示を伝えて船を東堀へ廻す経緯を語ります。
