【翻字】
尋牛 雅章
牽とめん心のつなはありなからたつねんかたもしらぬのはうし
牽とめん心のつなはありなからたつねんかたもしらぬのはうし
【歌】
牽(ひき)とめん心の綱はありながら 尋ねん方も知らぬのは憂し
【訳】
この心を引き留める綱(としての仏の教え)はあるのに、(己の心を)探し求める方向がわからないのは辛い
【語釈】
最後の「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
この歌の題である十牛図第一図はこれです。

中央の少年は、足・手・視線の方向がばらばらで、何かを探している様子です。禅語に「己事究明」という言葉があります。十牛図は仏教における「己事究明」をわかりやすく描いた絵草紙と言えます。
探す少年も、探される牛も、ともに「己」に他なりません。少年は悟りを求める自我であり、牛は全体としての自己であり、特に心全ての象徴です。仏道に志した当初は、「己事究明」を目指しても、どのようにすればよいかがわからず、ただきょろきょろとするばかりであることを、この絵は示しています。
作者の飛鳥井雅章(あすかいまさあき)は慶長16年(1611年)-延宝7年(1679年)、最高位は権大納言従一位、妻は第七首の作者・烏丸資慶の姉妹、娘は第二首の作者・平松時量の妻、娘は第五首・中院通茂の嫡子の妻と、十牛歌に参加している3人に縁の深い貴族・公卿です。彼らは後水尾院歌壇の主要メンバーでした。彼らの活動は近世堂上歌壇として研究されています。
この歌は平易で、意味も十牛図の趣旨をよく汲んでいます。