〈時日名言〔ジジツメイゲン〕〉(ときな)

 時日名言は年月時日の名にしてこれは物名言に属するものなれば、今殊更に名目をつけて別に出すにも及ばざらんと人皆いふべし。実に然り。然れどもこれが物名言に属してあるべきはもとよりながら、これをかの体言の分派せる物名言・形容言・助体言と三品うち並べるそれぞれのつかひかたよりいへば、この時日名言と次の数量名言とは物名言にも随ひ形容言にもしたがふべき両属のものなれば、本書にその両名言より系を引きて別に挙げたる也と知るべし。さればそのなりたちは全く物名言と同じ事にて、単称・複称の二言の外ならざる也。さるは先づ本書【谷千生著『言語構造式』3/41および4/41参照】に挙(あげ)たる語例にては〈去年〔こぞ〕〉〈今日〔けふ〕〉〈弥生〔やよひ〕〉〈二日〔ふつかのひ〕〉は複称の連合言にて〈春〔はる〕〉〈朝〔あさ〕〉は単称言なるなり。なほ其等にたぐひたるを挙ぐれば〈今年〔ことし〕〉〈昨日〔きのふ〕〉〈翌日〔あす〕〉といひ〈如月〔きさらぎ〕〉〈卯月〔うづき〕〉〈三日〔みかのひ〕〉〈四日〔よかのひ〕〉と言ひ〈夏〔なつ〕〉〈秋〔あき〕〉〈冬〔ふゆ〕〉〈夜〔よる〕〉〈昼〔ひる〕まどき〉〈暁〔あかつき〕〉〈曙〔あけぼの〕〉〈夕〔ゆふ〕〉〈黄昏〔たそがれ〕〉といふ類、なほあるべし。さればこの年月日時をいふ詞どもへいろいろなる事を冠(かむ)らせていへば皆此の時日名言に成る事にて、たとへば〈豊〔ゆたか〕なる年〔とし〕〉〈子〔こ〕の産〔うま〕れつる月〔つき〕〉〈雨〔あめ〕の降〔ふ〕りたる日〔ひ〕〉〈風〔かぜ〕の吹〔ふ〕きける時〔とき〕〉といへる類の一つづきがそれとなるなり。なほ年号なども〈明〔あき〕らけく治〔をさま〕る十〔と〕をあまり八〔や〕つの年〔とし〕〉とやうにつづきたる、また字音を嫌はぬ書(かき)かたにては〈応仁元年〔おうにんぐわんねん〕〉〈寛永〔くわんえい〕のはじめ〉などいふも皆爰(ここ)の時日名言に成るなりと知るべし。また〈世〔よ〕〉〈頃〔ころ〕〉などの詞をつけていへる〈上〔かみ〕つ世〔よ〕〉〈中頃〔なかごろ〕〉の類と〈往〔いに〕し方〔へ〕〉〈来〔こ〕し方〔かた〕〉〈行〔ゆ〕く末〔すゑ〕〉などの〈方〔へ〕〉〈方〔かた〕〉〈末〔すゑ〕〉等は、物名言の単称言の処にて言へる物の部分の名なるが、即ちここなる時日名言も日月の回転してとこしへに経ゆく間の部分の名なれば、おし通はして部分名言が時日名言にもなれる也。なほあるべけれどこれらに准(なぞ)らへて知るべきなり。

〈数量名言〔スウリヤウメイゲン〕〉(かずな)

 数量名言は〈本言〔ホンゲン〕〉(もとごと)〈附言〔フゲン〕〉(つけごと)の二言よりなりたつものにて、ある時には〈別称附言〉(ことなるとなへのつけごと)にてなる事もあるものとす。其の本言といふは〈一〔ひと〕〉〈二〔ふた〕〉〈三〔み〕〉〈四〔よ〕〉〈五〔いつ〕〉〈六〔む〕〉〈七〔なな〕〉〈八〔や〕〉〈九〔ここの〕〉〈十〔と〕〉〈百〔もも〕〉〈千〔ち〕〉〈万〔よろづ〕〉の十三言にて、附言といふは〈箇〔つ〕〉〈箇〔を〕〉〈箇〔ち〕〉の三言なり。又、別称附言といふは〈度〔たび〕〉〈條〔すぢ〕〉〈段〔きど〕〉〈品〔しな〕〉〈種〔くさ〕〉などいへるものにて、これがなほ幾等もある上に常の物名言・部分名言はさらにて、後に示すべき用体言といへるものなどもここの本言より続く時は別称附言に成る事なれば、いと広きもの也と知るべし。
 さて其の本言と附言とが相ひ寄りて数量名言となる例は、本言の〈一〔ひと〕〉より〈九〔ここの〕〉までは附言の〈箇〔つ〕〉をつけて〈一箇〔ひとつ〕〉〈二箇〔ふたつ〕〉より〈九箇〔ここのつ〕〉とまでいひ、〈十〔と〕〉は〈箇〔を〕〉をつけて〈十箇〔とを〕〉といひ、〈百〔もも〕〉は〈箇〔ち〕〉をつけて〈百箇〔ももち〕〉といひ、これと同じ事なれど〈千〔ち〕〉につけては〈千箇〔ちぢ〕〉と濁りていひ、〈万〔よろづ〕〉は本言の尾音が(づ)となるからに、〈箇〔つ〕〉をつけて(よろづつ)といふべきを略して〈万箇〔よろづ〕〉といひ、又、十の数を重ぬるときは〈十〔と〕〉を〈十〔そ〕〉と呼びかへて音便に濁りたる〈箇〔ぢ〕〉をつけて言ふ事なるが、その中にて「二十」は(ふたそぢ)といふべきを転音と略言とによりて〈二十箇〔はたち〕〉といひ、「三十」より「九十」までは〈三十箇〔みそぢ〕〉〈四十箇〔よそぢ〕〉より〈九十箇〔ここのそぢ〕〉とまでいふ事也。然るに此うちにも「五十」は(いつそぢ)とはいはず略して〈五十箇〔いそぢ〕〉といふ例なりとしるべし。又、別称附言をつけては〈一度〔ひとたび〕〉〈二條〔ふたすぢ〕〉といふ類なり。又、物名言をつけてそれにたぐふものとなるは〈一木〔ひとき〕〉〈二枝〔ふたえだ〕〉の類にて、部分名言をつけたるは〈一間〔ひとま〕〉〈二方〔ふたかた〕〉の類なり。また用体言をつけたるは〈一番〔ひとつが〕ひ〉〈二重〔ふたかさ〕ね〉の類なりとす。さて爰に示せる別称附言及びそれにたぐへるものにてしたてたるは、ひとつの連合言とも言ふべきさましたれど、本言より直ちに下言へ続きたるは皆数量名言の格にして、常の連合言にはあらざる也。されば其本言に附言をつけて一たび数量名言となりたるを物名言に属するかたよりして或る下言につづくれば、即ち常の連合言になる事にて、さるはたとへば〈一〔ひと〕つ家〔や〕〉〈三〔み〕つ栗〔くり〕〉〈五〔いつ〕つ衣〔きぬ〕〉〈六〔む〕つの花〔はな〕〉〈十〔と〕を日〔か〕〉〈百〔もも〕ち鳥〔どり〕〉〈千〔ち〕ぢの金〔こがね〕〉〈万〔よろ〕づの物〔もの〕〉などいふ類なるが、これらは即ち連合言の例によりて下言が主となるより、上言の数量名言は客となりてその効能を失ふゆゑに、物名言に属する方のものとなりて形容言に属する方のものにはならざる也と知るべし。
 さても言語には特別なる変例より成るものもある事なるが、それにつきて此條の事を一つ二つ言ふべし。〈百箇〉を(ももち)といへるは「後拾遺集」の序文また「堀河百首」の歌などに見え、たまたまは上に挙げたる(ももちどり)の如く連合言にしたるなどもあれど、おほかたは本言の(もも)を其のままにて附言をつけず連合言にする事にて、即ち(ももちどり)といふをただ(ももとり)と言ひ〈百官〉を(もものつかさ)とは言へど(ももちのつかさ)とはいはざる類にて、附言の(ち)をつけては言はざるかたなほいと多し。又〈万〔よろづ〕〉は本言にして〈万箇〔よろづ〕〉は附言をつけていへるものの略言なるよしは既に言ひ置けり。されば此の詞は甚だ紛らはしくして、〈万世〔よろづよ〕〉といふはかの別称附言をつけていへるにたぐへるかたのものなるが〈万〔よろ〕づの物〔もの〕〉といふは連合言に成りたるにて、本言の尾音の(づ)と附言の(づ)との違ひあれば、こころして書くには(づ)の字の置き所を換へねばならぬやうなるものあり。
 又、日をかぞふるには本言に〈日〔か〕〉とつけて〈三日〔みか〕〉〈四日〔よか〕〉とやうにいふ例なるが、それも〈一日〉を(ひとか)とはいはず(ひとひ)といひ、〈二日〉を(ふたか)とはいはず、これは本言の尾音を通音に転(うつ)して(ふつか)と言ひ、余は〈三日〉より〈九日〉までかはらぬ中に〈六日〉〈七日〉〈八日〉を(むか)(ななか)(やか)とは言はず(むいか)(なぬか)(やうか)とやうにいひ、又〈十日〉のみは(とか)といはずして(とをか)と附言をつけて言へり。されば連合言の例に挙げたる(とをか)はこの日を数ふるかたにはあらで月並の日をいふにて、即ち(とをにあたるひ)といふ意のかたを取れる也。されば此の詞は日をかぞふるかたのものとはまぎれてわきがたきにより外の例にて挙げまほしきを、さる例の外にあるを覚えざれば止む事を得ずして挙たる也。ただし雅言にはあらねども東海道の宇津の谷峠の麓なる名物に〈十〔と〕を団子〔だんご〕〉といふものある、ただ是のみ己が知りたるさる例なるぞかし。
 又「五十」を(いつそぢ)と言はで(いそぢ)といふよしは既にいひ置きつるが、中古にては子の産れて五十日になる祝ひを〈五十日〔いか〕〉といへれば「五十」をただ(い)とのみもいへる也。近世〈五十連音〔ゴジフレンイン〕〉を(いつらこゑ〕とよませたるは即ちこの例なり。また〈百〔もも〕〉は二百已上をいふとき〈二百〔ふたもも〕〉〈三百〔みもも〕〉とやうにいふべきものなるを、〈五〔い〕〉と〈八〔や〕〉とにつきては(ほ)とよびて〈五百〔いほ〕〉〈八百〔やほ〕〉といへり。已上にいへる外にも通常に異なるものはなほあるべし。すべて特別なる変例どもはこの数量名言に限らず諸言にわたりてもさまざまなるがある事也と心得てよろし。
 さて前條の時日名言と此條の数量名言とは詞を組たつるにつきて物名言の扱ひにするときと次條の形容言のあつかひにする時との両様ある故に、時日名言の処にて言へる如く本書には其の両言より系を引きて誌したる也としるべし。

【補説】
 谷はここでは時日名言・数量名言、今でいう数詞や序数詞とそれらの付いた名詞や名詞句を扱っている。考察は主にそれらを使用した際の音韻変化について集中している。
 以下、用語対照表を示す(左 本書独自の用語:右 現在の一般的用語)。
・(物)名言:名詞
・形容言:副詞
・助体言:助詞
・数量名言:数詞
・連合言:複合名詞
・字音:音読み
・本言:基数詞
・附言:接尾辞
・別称附言:序数詞
・用体言:動詞連用形からの転成名詞
・通音:同行音
・五十連音:五十音

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