これは、旧山名邸の旧土地台帳附属地図、いわゆる「和紙公図」の一部です(間取図・概況図と向きを同じにするために北を上にした結果、天地逆になっています)。旧山名邸の正確な位置は、この和紙公図によって確定できました。
 決め手になったのは画像右下の「興玉社境内」です。明治期の津市の地誌・郷土史に関する貴重な情報を多く載せる「草蔭冊子」(松田豊幹編)の複製本が津市津図書館に所蔵されています。その「第八集(明治25年(1892)刊)」の「地理部」に次のような記述があります。「興玉社 津市入江町に鎮座 祭神 猿田比古神 菅公 当社勧請年月日未詳元山内大内蔵の邸内にありしが明治十年今の地に移す俗に庚申の祠と称す」。文中の「山内大内蔵」は「山名大内蔵」の誤りであることは、同書前頁の「村社伊奈利神社」に「津入江町住山名大内蔵氏」とあることからも明らかです。山名大内蔵は山名政大氏の高祖父にあたり、山名家最大の学者であった山名政胤の嗣子であった人物です。「築二百年以上」という藪本さんの父や叔父叔母の証言が正しければ、旧山名邸は政胤の時代か、遅くともこの大内蔵の時代に建てられたことになります。また、文中の「庚申の祠」は、津市教育委員会が平成24年(2012)に発行した「享保期津城下図」に「入江丁 庚申堂」と記載があり、「草蔭冊子」の記述と符合します。概況図2にも最上部に「庚申サン祀ってある」という書き込みがあります(大原さんによると「ごく小さいものでした」ということで、上記「庚申の祠」「庚申堂」との関連は不明です)。
 実はこの「草蔭冊子」は、津図書館のレファレンス室の司書の方から「こちらが参考になるのでは」と示されて知りました。山名家に縁の深い津市伊予町(現津市岩田付近)の稲荷神社について調べていた私に、司書の方が「草蔭冊子」から「村社伊奈利神社」についての記述を見つけてくれたのです。その「村社伊奈利神社」の次の頁にあった「興玉社」の文字が私の目に映ってくれたので、調査が思いがけなく進展したのです。こんなことは滅多になく、「草蔭冊子」と津図書館の司書の方には手を合わせて拝みたい気分になりました。
 和紙公図では、土地が八つに分割されています。法務局の職員によると、一般に土地の分割は所有者の申し出によるもので、決して珍しいことではないとのことでした。書き込まれた坪数を端数を切り捨てて概算すると989坪となり、「千坪」という藪本さんの証言と符合します。また、和紙公図の範囲は、空中写真の中央区画の左の黒線から東側に相当し、大原さんの概況図2の範囲とほぼ一致します。和紙公図は、空中写真と間取図・概況図をつないで、それらの真実性を保証してくれるものになりました。
0320和紙公図