【翻字】
栄西禅師(ゑいさいぜんじ)
栄西禅師(ゑいさいぜんじ)
奥山(をくやま)の 杉(すぎ)の むらだち ともすれば おのが身(み)よりぞ 火(ひ)を出(いだ)しける
〇師(し)名(な)は栄西号は明菴(みやうあん)初(はじ)め台(たい) 密(みつ)の蘊奥を究(きはめ)後(のち)宋国(そうこく)に入(いる)事 両回(りやうくはい)疫病(ゑきびやう)を除(のぞき)て其徳(そのとく)を顕(あらは)す 宋帝(そうてい)感(かん)じて千光(せんくはう)の号を給(たま)ふ 虚菴敞(きよあんのせう)禅師に法(はふ)を嗣(つぎ)帰朝(きてう)して寿福聖福建仁の三寺を開(ひらく) 是日本禅宗弘通(ぐづう)の始(はじめ)也茶(ちや)の実(み) を採(とり)来り初(はじめ)て筑前背振山に植(うへ) 且(かつ)喫茶養生記(きつさようじやうき)を著(あらは)して茶(ちや) の功(こう)を賞(しよう)せらる本朝茶(ちや)を用(もちゆ)る 事もまた師(し)を権輿(はじめ)とす建保(けんほ) 三年微疾(びしつ)を示(しめ)し遂(つい)に初秋五 日示寂(じじやく)せらる時に春秋(しゆんじう)七十五也 △此哥は自業自得(じごうじとく)の心をよみ 給ひし也
【校訂本文】
栄西禅師
奥山の 杉の群立ち ともすれば 己が身よりぞ 火を出だしける
〇師、名は栄西、号は明菴。
初め、台密の蘊奥を究め、後、宋国に入る事両回、疫病を除きてその徳を顕す。宋帝、感じて「千光」の号を給ふ。虚菴(懐)敞禅師に法を嗣ぎ、帰朝して、寿福・聖福・建仁の三寺を開く。これ、日本禅宗弘通の始めなり。
茶の実を採り来(きた)り、初めて筑前背振山に植へ、且、『喫茶養生記』を著して、茶の功を賞せらる。本朝、茶を用る事もまた、師を権輿とす。
建保三年、微疾を示し、遂に初秋五日、示寂せらる。時に春秋七十五なり。
△この歌は、自業自得の心を詠み給ひしなり
初め、台密の蘊奥を究め、後、宋国に入る事両回、疫病を除きてその徳を顕す。宋帝、感じて「千光」の号を給ふ。虚菴(懐)敞禅師に法を嗣ぎ、帰朝して、寿福・聖福・建仁の三寺を開く。これ、日本禅宗弘通の始めなり。
茶の実を採り来(きた)り、初めて筑前背振山に植へ、且、『喫茶養生記』を著して、茶の功を賞せらる。本朝、茶を用る事もまた、師を権輿とす。
建保三年、微疾を示し、遂に初秋五日、示寂せらる。時に春秋七十五なり。
△この歌は、自業自得の心を詠み給ひしなり
【語釈】
むらだち:群がって生えていること
台密:日本天台宗の密教のこと
宋国に入事両回:1度目は仁安3年(1168年)、2度目は文治3年(1187年)~建久2年(1191年)。
疫病を除て~千光の号を給ふ:聖福寺の栄西禅師年表によると、文治4年(1188年)「疫病退散の祈祷、雨祈祷により南宋の孝宗より「千光」の号を賜る」とある。
虚菴敞:虚菴懐敞。中国の禅僧。栄西の師。
寿福:寿福寺。正治2年(1200年)、北条政子の創建した禅寺。鎌倉五山の一。
聖福:聖福寺。建久6年(1195年)、源頼朝の寄進により創建された日本最初の禅寺
建仁:建仁寺。建仁2年(1202年)源頼家の創建した禅寺。京都五山の一。
弘通:教法・経典をあまねく世にひろめること
実:植物の種子
初て筑前背振山に植:この山の中腹にあった霊仙寺に栄西がいた建久2年(1191年)の事績とされる
権輿:物事の始まり。事の起こり。発端。
建保三年:1215年
【解説】
2人目は日本臨済宗の開祖・栄西明菴です。歌意は紹介文にある通りで、山林の自然発火現象を詠むことで、人が集団の中でいがみ合うなどして災いを招くことを戒めています。
紹介文の前半は日本で禅宗を開いた宗教的事績の紹介ですが、後半は飲茶を日本に広めたという非宗教的事績の紹介であり、序には言及されていなかった本書の持つもう一つの側面、すなわち一般教養書的な性格が明瞭に認められます。

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