「虚舟」山名信之介の墓は三重県立美術館の裏手にある霊園にありました。2021年3月29日、曽孫の一人・藪本治子さんに同道して頂き、墓参しました。丘陵の南斜面に広がる墓地は午前の穏やかな日差しを受けて、春爛漫の陽気でした。藪本さんは途中で買った供花を花挿に生け、私は持参した線香に火を点けて墓前に供えました。
墓石の側面に次の文言が刻まれていました。「山名政方 字子正 通称信之介 号虚舟/大正元年十月四日歿 年八十/予虚舟居士拈香賦 呈柩前/大僧都明野儀海/滄浪暮里儘清遊 観到蘆花浅水秋/一酔同追聖賢跡/月明何処掉虚舟」。「拈香賦(ねんこうふ)」とは「僧が死者に哀悼の意を表して詠んだ詩賦」の意です。これは七言詩で、上二句は叙景、下二句は叙想です。秋の夕暮れの中、蘆の花の咲く水辺で舟遊びをしている中で飲酒酩酊し、昔の聖人賢者たちに思いを馳せていると、いつしか時移り、「月明(げつめい)何処(いづこ)にか虚舟に棹ささん(月明かりの下、どこにこの空ろ舟を進めようか)」と自問する。「故人は今そんなふうにあの世に旅立っているのではないか」という内容の詩賦です。漢学を究め、おそらくは酒と、花鳥風月の美を愛して天寿を全うした故人に手向けています。「月光」は仏の教えを象徴します。それは、あの世へ旅立つ人を極楽浄土へ導く救いの光です。「虚舟」は「誰も何も乗っていない空っぽの舟」です。人は、生きている時は舟に乗って棹をさしますが、亡くなれば肉体は消え、舟は空っぽになります。それでも生きて見送る人々にはその人の記憶も思いも残ります。それらはやはり行き所がなくてはなりません。それら一切を慈悲に満ちた「月光」が包みます。故人への優しい思いにあふれた美しい詩です。
大原さんの間取図に始まった今回の調査と草稿の執筆を通じて、信之介の生涯に触れた思いを藪本さんに、語りました。藪本さんは「墓前でそれを語ってくれたことを、信之介もきっと喜んでくれているでしょう」と答えてくれました。信之介の墓石は、伊勢山名氏一族の墓石が並ぶ静かな霊園の一角にあります。
墓石の側面に次の文言が刻まれていました。「山名政方 字子正 通称信之介 号虚舟/大正元年十月四日歿 年八十/予虚舟居士拈香賦 呈柩前/大僧都明野儀海/滄浪暮里儘清遊 観到蘆花浅水秋/一酔同追聖賢跡/月明何処掉虚舟」。「拈香賦(ねんこうふ)」とは「僧が死者に哀悼の意を表して詠んだ詩賦」の意です。これは七言詩で、上二句は叙景、下二句は叙想です。秋の夕暮れの中、蘆の花の咲く水辺で舟遊びをしている中で飲酒酩酊し、昔の聖人賢者たちに思いを馳せていると、いつしか時移り、「月明(げつめい)何処(いづこ)にか虚舟に棹ささん(月明かりの下、どこにこの空ろ舟を進めようか)」と自問する。「故人は今そんなふうにあの世に旅立っているのではないか」という内容の詩賦です。漢学を究め、おそらくは酒と、花鳥風月の美を愛して天寿を全うした故人に手向けています。「月光」は仏の教えを象徴します。それは、あの世へ旅立つ人を極楽浄土へ導く救いの光です。「虚舟」は「誰も何も乗っていない空っぽの舟」です。人は、生きている時は舟に乗って棹をさしますが、亡くなれば肉体は消え、舟は空っぽになります。それでも生きて見送る人々にはその人の記憶も思いも残ります。それらはやはり行き所がなくてはなりません。それら一切を慈悲に満ちた「月光」が包みます。故人への優しい思いにあふれた美しい詩です。
大原さんの間取図に始まった今回の調査と草稿の執筆を通じて、信之介の生涯に触れた思いを藪本さんに、語りました。藪本さんは「墓前でそれを語ってくれたことを、信之介もきっと喜んでくれているでしょう」と答えてくれました。信之介の墓石は、伊勢山名氏一族の墓石が並ぶ静かな霊園の一角にあります。
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「聖堂講釈図・寺子屋図」で、昌平坂学問所での学習風景です。指導者らしき人物3人、塾生らしき人物27人(4人は元服前の若者)。着座受講中5人、残りは複数の車座で会読中。これを見て私は深い興味を覚えました。寺子屋といえば、この、幕府の施設は別として、庶民では浪人が子供たちに対して手習い指導ぐらいで論語の素読は一般的にあったのか。見取り図はかなり狭く、男女別だったから私のイメージ通りだったけど、ひょっとしたら新聞の絵のように年齢は様々だったのか。何を教えていたのか。一方的な講釈か、双方向的か。私のイメージ通りだとすれば、そんなことで慶長時代から長く続けられただろうか、江戸時代でも庶民には経済格差はあるし、 教育に対する意識も異なるしと、考えることが多くありました。今度書店で読みやすい寺子屋の本でも探そうかと思っています。
papakoman
が
しました
昌平坂学問所はよくは知りませんが、当時の国内最高学府ですので、寺子屋と同列に考えられるものではないと思います
寺子屋に関しては結構わかりやすい本が多く出されています
師匠は全くの個人指導で、公民館等の習字の講座が形態としては近いと私はイメージしています
ただ、そこにチューター制あるいはピア学習と言うのでしょうか、学習段階の進んだ寺子が他の寺子を指導し、師匠を補佐する形があったようです
papakoman
が
しました