【翻字】
北條相模守平時頼(ほうでうさがみのかみたいらのときより)
北條相模守平時頼(ほうでうさがみのかみたいらのときより)
心(こゝろ)こそ こゝろまよはす 心(こゝろ)なれ こゝろに こゝろ 古ゝ路(こゝろ)ゆるすな
〇公は北条貞時(さだとき)の男(なん)なり 大器(たいき)あつて塞外(さいぐわい)の権(けん)を領(れう) し心を禅に帰(き)して大覚(だいかく)禅 師に参(さん)す後兀菴(ごつたん)和尚の 言下(ごんか)に契語(けいご)し祝髪(しゆくはつ)して 最明寺道崇(さいみやうじだうそう)と号す民(たみ)の 苦楽(くらく)をみんため密(ひそか)に出て諸国(しよこく) をめぐり鎌倉(かまくら)に帰つて仁政(じんせい) をほどこす弘長三年十一月 廿二日椅(いす)に坐(ざ)し欣然(きんぜん)として 卒(そつ)す
【校訂本文】 北條相模守平時頼
心こそ 心迷はす 心なれ 心に心 心許すな
〇公は北条貞時の男なり。大器あつて塞外の権を領し、心を禅に帰して、大覚禅師に参す。後、兀菴和尚の言下に契語し、祝髪して、最明寺道崇と号す。
民の苦楽をみんため、密かに出て、諸国をめぐり、鎌倉に帰つて、仁政を施す。
弘長三年十一月廿二日、椅子に坐し、欣然として卒す。
民の苦楽をみんため、密かに出て、諸国をめぐり、鎌倉に帰つて、仁政を施す。
弘長三年十一月廿二日、椅子に坐し、欣然として卒す。
【語釈】
北条貞時:鎌倉幕府第9代執権。貞時は時頼の孫であり、正しくは北条時氏。
塞外の権:不詳。「塞」は「境界」の意。幕府執権職にあって軍事権を掌握していた意か。
大覚禅師:蘭渓道隆(本書6)。中国の臨済宗の僧。
兀菴和尚:兀菴普寧。南宋から渡来した臨済宗の僧。建長寺2世。
契語:「契悟(悟りを得る)」か
祝髪:出家したしるしに頭髪をそること。剃髪。
弘長三年:1263年
【解説】
9人目は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼です。時頼は武人ですが、参禅して兀菴和尚から印可を得たので、本書に採用されたのでしょう。略歴の他に、後の水戸黄門を想起させる廻国伝説と臨終の様子が書かれています。時頼の廻国伝説は謡曲「鉢木」を初めとして各地に残っていますが、史実ではありません。一方、臨終の様子は『吾妻鏡』の記述と内容的に一致します(同書・巻51)。
問題は和歌で、実はこの歌は沢庵和尚『不動智神妙録』(17世紀前半成立)の末尾にある歌です。編者がなぜこの歌を北条時頼の歌として載せたのかはわかりません。恐らくは3の蘭渓道隆と同様、載せるべき歌がなかったため、本書の体裁上、やむなく載せたのではないかではないかと推測します。

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