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【翻字】
大灯国師(だいとうこくし)
三十余(みそあま)り われも 狐(きつね)の あなにすむ 今化(いまばか)さるゝ 人もことわり
〇師名は妙超(みやうてう)号は宗峰(しうほう)初め書写(しよしや) の戒信(かいしん)律師に仕(つか)へ後仏国国師 に参して直指(ぢきし)の旨を探(さぐ)る遂(つい)に 大応(をう)の輪下(りんか)に大悟し洛東に 卜居(ぼくきよ)する事廿年時(とき)々鴨川(かもがわ)に 出て精修(せいしゆ)せらる其時の哥に 坐禅せば四条五条の橋の上 ゆきゝの人を見るにつけても 又辻切(つぢきり)の者に出遇(であふ)て道情(だうじやう)をこゝろ み給ひし時は 憂事(うきこと)の猶も我身につもれかし 捨し心の誠(まこと)をやみん と詠(ゑい)ぜらる嘉暦(かれき)の間(あいだ)大に八宗(しう)の 僧(そう)と法を論じ悉(ことこと)く之を帰伏(きふく)せ しめ洛北に大徳寺を開(ひらい)て出世す 花園後醍醐(はなそのごだいご)の両帝(りやうてい)道風(だうふう)を崇(たつとん) でしきりに国師の号を賜(たま)ふ建武(けんむ) 四年十二月廿二日化す寿五十六

【校訂本文】
 大灯国師
 三十余り 我も狐の 穴に棲む 今化かさるる 人も理
 〇師、名は妙超、号は宗峰。
 初め、書写の戒信律師に仕へ、後、仏国国師に参して、直指の旨を探る。遂に大応の輪下に大悟し、洛東に卜居する事廿年、時々鴨川に出て、精修せらる。その時の歌に
 坐禅せば 四条五条の 橋の上 行き来の人を 見るにつけても
 又、辻切の者に出遇ふて、道情を試み給ひし時は
 憂き事の 猶も我身に 積もれかし 捨てし心の 誠をや見ん
と詠ぜらる。
 嘉暦の間、大いに八宗の僧と法を論じ、悉く之を帰伏せしめ、洛北に大徳寺を開いて、出世す。花園・後醍醐の両帝、道風を崇んで、しきりに国師の号を賜ふ。建武四年十二月廿二日、化す。寿五十六。

【語釈】
狐の穴:野狐禅。『無門関』第2則「百丈野狐」に由る。禅の真の悟りにまだ至っていない、似て非なる境地を真の悟りと誤認した境地。またその人。
書写:書写山圓教寺。天台宗別格本山。
戒信律師:不詳
仏国国師:高峰顕日(本書10)。鎌倉後期の臨済宗の僧。
直指:対象を言葉や文字でなく直接に指し示す。ここでは禅宗の意。
大応:南浦紹明。鎌倉時代の臨済宗の僧。
輪下:その人を師としてその下に弟子として修行する意。
洛東:京都の東部
卜居:土地を選んで住居を定める意
辻切:武士などが街中などで通行人を刀で斬りつける行為。『太平記』にも「毎夜京白河を廻つて辻切をしける程に、路次に行き合ふ児法師・女童部、此彼に切り倒され、横死に逢ふ者休む時無し」(巻12「兵部卿親王流刑事」)とある。
道情:不詳。あるいは「仏道に専心する情」の意か。
憂き事の猶も我身に積もれかし捨てし心の誠をや見ん:江戸時代初期の陽明学者である熊沢蕃山に類似の歌「憂き事の猶この上に積もれかし限りある身の力ためさん」がある(『増訂蕃山全集』第七冊)。
嘉暦:1326年~1329年
八宗:日本に伝来した仏教の八つの宗派。南都六宗(倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗)と平安二宗(天台宗・真言宗)の総称。
洛北:京都の北部
大徳寺:正和4年(1315年)創建の臨済宗寺院。開山は宗峰妙超。
出世:禅宗で僧が大寺院の住職となること
花園:第95代天皇(在位:延慶元年(1308年)~文保2年(1318年))
後醍醐:第96代天皇(在位:文保2年(1318年)~延元4年/暦応2年(1339年))
道風:「仏道の趣・流儀」の意か。

【解説】
 12人目は宗峰妙超です。紹介文はその略歴と詠歌二首です。
 歌意は禅でいう「野狐禅」批判ですが、「自分もかつてはそうであった」という告白には、その誠実な人柄がよく表れています。