江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ: 世説新語茶

夫(それ)花の下(もと)の居続(いつゞけ)は美景に因(よ)り樽の前
の酔(ゑひ)さめは春風に吹かる飲(のめ)や歌へや
歌念仏(うたねぶつ)も極楽浄土へ行(ゆく)時は中々
親の異見でもあまいだあまいだと説かれたり
雨の降る夜も雪の夜も福輪糖(ふくりんとう)のこり
もせで三国一の霰(みぞれ)でもなんでもかでも
与勘平(よかんべえ)と膏薬のはりつよき女郎(ぢようろ)
の誠を見る事は江戸自慢の鼻高き
山吹色の勢(いきおひ)なるべし今山の手の馬鹿人(ばかひと)が
著す所の一篇は南鐐(なんりやう)一片にまされる事
遠し身は岡場所の卑(ひきゝ)に居て天水桶の
高きをしり心は浅黄裏のあさきに
似て藍より青き色に染(そま)んかしと
書肆何某(しよしなにがし)の数請(てこずる)にまかせて葦簾(よしず)
の陰にごそごそと序す
                        折輔談翁(おりすけだんのう)

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 『世説新語茶』は「序」に「山の手の馬鹿人」の著とあり、挿絵は「秀車」、出版年・出版者・出版地は不明です。早稲田大学図書館は著者を太田南畝、いわゆる蜀山人とし、洒落本としています。底本は早稲田大学図書館の公開しているデジタル画像です(虫損箇所は大阪府立中之島図書館公開画像を参照)。
 この作品は四つの独立した短編からなり、序と跋が付いていて、刊記奥付はありません。各章は「変語 山下」「粋事 深川」「坊客 国字」「笑止 音羽」と、内容の性質を題名とし、それに場所あるいは店名が副題として付いています。内容はいずれも女郎屋が舞台で、女郎と客のやり取りを脚本風に生々しく描いたものです。

 以下、序の語釈および解説です。
 全般的に言えば、序は特に何か意味のある文章というわけではありません。はっきり言って言葉遊びを主眼とした駄文です。強いて内容を要約すれば、「遊郭の遊びは、親の意見も効果が薄く、止められるものではない」「遊郭ではお金がものを言う」「私(序文著者)はこの作品の価値を保証する」となります。
 
 以下、語釈です。
・「花の下(もと)の居続(いつゞけ)は美景に因(よ)り」…「いつづけ」とは「遊里などで幾日もの間泊まりつづけて遊ぶこと」を言います。したがって、表面上は桜の花見を言いながら、暗に「遊郭での女遊び」を言っています。
・「歌念仏」…「江戸時代の俗曲の一。念仏に節をつけて歌ったもので、のちに説経節などの文句を取り、鉦(かね)にあわせて歌う門付け芸となった」。
・「あまいだあまいだ」…(歌)念仏の「なんまいだ」が実際には「ナあンまいだア」と聞こえるように、「極楽浄土」すなわち遊郭へ息子が行くのを諫める親の異見(諌言:「~するな」という忠告)が息子には「甘いダ(厳しさに欠けていて、くみしやすい)」と聞こえる。親の意見は無効であるほどに、遊郭遊びは魅力的で、止められるものではない。
・「福輪糖」・・・ 胡麻あるいは芥子(けし) などを入れた煎餅。
・「与勘平」・・・「よい」「かまわない」意の、なまった言葉「良かんべえ」を漢字で表記したもの。冒頭の短編「変語」は、方言を話す田舎出の客を扱っている。
・「山吹色」…大判・小判。お金。
・「南鐐(なんりやう)」・・・江戸時代、二朱銀の異称。長方形の銀貨幣で、1両の8分の1。南鐐銀。
・「岡場所」・・・江戸で、官許の吉原以外の、私娼街の称。
・「天水桶」・・・防火用に雨水をためておく大きな桶。
・「浅黄裏」・・・「浅黄」は「緑がかった薄い藍色」。その色をした木綿を裏地に用いた着物。のちに、田舎出の下級武士の代名詞となり、とくに江戸の遊里吉原では、野暮な遊客の典型である田舎侍に対する蔑称となった。

  

【翻字】
千年(ちとせ)の鶴吉が品玉(しなだま)に足をとゞめ万代(よろづよ)の亀
屋が茶飯(ちやめし)に腹をつくり広小路(ひろこうぢ)の植木に目を
よろこはしめ仏店(ほとけだな)の蒲焼に鼻をひこつかせて
[客伝五右衛門](ちくさ色くんないに丸一の紋所付(つけ)た浅黄うらの
小袖にもめんなゝ子の帯を〆(しめ)黒毛どろめんにもへ
ぎかいきのうらを付た袷羽おりうこんもめんのじゆばんを五分長
に出しやうかん色の袖づきんに顔をかくし長い大小をくはんぬき
にさしぢゞゐばしよりに中ぬきぞうりを
はき扇で調子をとり〽山寺のヲと謡ひ来る)
【通釈】
「鶴は千年」(と言われるが、そんなめでたい名を持つ芸人)の鶴吉(が行う大道芸)の品玉に足を止め(て見入っ)たり、「亀は万年」(と言われるが、そんなめでたい名を持つ料理屋)の亀屋の(名物料理の)茶飯で腹ごしらえをしたり、上野広小路の(路傍に並ぶ植木屋の出店の)植木を見て楽しみ、(うなぎ料理の店のある)仏店の(町に流れるうなぎの)蒲焼の香りに鼻をひくつかせたりしながら、客の伝五右衛門が、千草色の郡内絹に丸一の紋を付けた浅黄裏の小袖に、斜子織の木綿帯を締め、黒毛どろめんに萌黄色の甲斐絹を裏地に付けた袷の羽織に鬱金木綿の襦袢を袖口から少し出すように着、羊羹色の袖頭巾で顔を隠し、長刀と短刀を水平に閂差しし、着物の裾を爺端折りにはしょって、足には中抜き草履をはき、手には扇を持って調子を取りながら「山寺の」などと歌いながら(こちらに)やって来る。
【語釈】
・変語・・・変わった言葉。方言を貶めて言う。
・山下・・・江戸・上野にあった私娼屋街。
・品玉・・・いくつもの玉や小刀などを空中に投げ上げては巧みに受け止める曲芸。
・茶飯・・・奈良茶飯。少量の米に炒った大豆や小豆、焼いた栗、粟など保存の利く穀物や季節の野菜を加え、や醤油で味付けした煎茶やほうじ茶で炊き込んだもの。
・広小路・・・上野広小路。当時、植木の出店が多くあった。
・仏店・・・上野山下の地名。当時ここにうなぎ料理店があった。
・千草色・・・緑がかった淡い青。
・郡内・・・山梨県南都留郡地方、また、そこで織られた絹布地の略称。やや太めの格子縞を織り出したものが多く、縞甲斐絹(しまかいき:後出)とも呼ばれる。
・丸一の紋所。丸の内側に一文字が書かれた家紋。
・浅黄裏・・・・緑がかった薄い藍色をした木綿を裏地に用いた着物。当時は田舎臭い野暮な服装とされた。
・小袖・・・広袖の和服に対し、筒袖で袖口の小さい和服。
・斜子織・・・平織の一種で、単純かつ丈夫な織り方。またその織り方で織った布地。
・黒毛どろめん・・・不詳。
・萌黄色・・・黄と青の中間色。
・袷・・・裏地のある和服。
・鬱金木綿・・・鬱金色、すなわち鮮やかな濃い黄色に染めた木綿。
・襦袢・・・和服の下着。
・五分長・・・袖口より少し出る襦袢の一種。
・羊羹色・・・少し赤味がかった濃い茶色。
・袖頭巾・・・着物の袖の形をした頭巾。
・大小・・・日本刀の長刀と脇差。
・閂差し・・・かんぬきのように刀を水平に腰に差すこと
・爺端折り・・・着物の後ろの裾(すそ)をつまみあげ,帯の結び目のところで折り込むこと。歩きやすくするためにする、最も簡単で基本的な尻っぱしょり。
・中抜き草履・・・表はわらの芯で作り、わらに白紙を巻いてよった緒をつけた草履。
【解説】
 「変語」とは「変わった言葉」くらいの意味でしょう。本作を構成する四つの短編は題名がすべて漢字二字の熟語であり、副題も同様です。「山下」は江戸の上野の地名で、当時は女郎屋の集まっている遊興街の一つでした。
 冒頭から、明示されないながらも、本作の主人公である女郎屋の客・伝五右衛門の視点で上野界隈の景況が活写されています。次に伝五右衛門の服装が細かに描かれます。一言でいえば「田舎出の成金爺さん」であって、女郎にすれば「野暮でだましやすい好色爺」、遊女屋にも「手頃なカモ客」といったところだったと思われます。
 挿絵は白黒版画すから色合いは全く分かりません。頭巾をかぶっていない点に本文との大きな違いがありますが、当時の版本の挿絵は本文とずれることがよくありました。

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【翻字】
[としまおみや]モシモシ
およりなせんし[しらはおいと]もしもし[伝五右衛門]姉(あんねへ)さん
ちくと上(あが)るべいかの[みや]アイお上りなせんし[伝]まづお身
さまの御仮名(ごけめう)はあんといひ申す[み]ヲヤわつちが名かへ
八兵衛とさ[伝]こちらのおむすじようはあんとだの
[いと]いとゝ申ます[伝]そのいとよりほそいお姿に頭(かうべ)
だけうつ惚(ぼれ)たあよ[み]ほれたらきりきり上つて
おやりなんし[伝]アゼこんたのよふにじやけんに物(もな)ア
いはねへもんだあよコレお糸さんやうらアはあお身
さまと契る心だあがあんと可愛がつてくれます
へえかの[い]そりやアもふいつそかあいがりいすのさ
[伝]そんだら上つても大事(でへじ)おざんねへか[い]よふごぜい
すサア二階(にけい)イお出なせんし[伝]此はしごをのぼるべへ
かの[み]アイそこさ[い]ナニおはき物かへそふしてお置(おき)
なせんしなくなるこつちやアございせん[伝]イヤイヤ
そふじゃアおざんねへうらが国さあじやアがら取違(とりちがへ)て
も過料(かれう)のヲつん出すものを(とていねいにしまい二階へ)
【通釈】
女郎屋の年増女郎のおみやが「もしもし。お寄りなさいな」、見習い遊女のお糸も「もしもし」と声をかける。伝五右衛門はおみやに「お姉さん。ちょっくら店に上がるべえかの」と返す。おみや「はい。おあがりなさいまし」。伝五右衛門「まず、お前様の名は何と言います?」。おみや「おや、私の名前かい?八兵衛だよ」。伝五右衛門「こちらのお嬢さんは何と?」。お糸「糸と申します」。伝五右衛門「その糸より細いお姿に、すっかり惚れただよ」。おみや「惚れたならさっさとお上がりなさいな」。伝五右衛門「いや、あんたのように意地悪にものは言わないもんだよ。これ、お糸さんや、オラは、はー、お前さんとナニするつもりだが、たっぷりかわいがってくれますべえかの」。お糸「そりゃあもう、たっぷりかわいがりますよ」。伝五右衛門「そんなら上がってもかまいませんか」。お糸「ようございます。さあ、お二階へおいでなさいな」。伝五右衛門「このはしごを上るべえかの」。おみや「はい、そこだよ」。お糸「なに、お履き物ですか。そのままお置きなさいな。なくなることはございませんよ」。伝五右衛門「いやいや、そうじゃございません。オラの国では、ひょいと間違えても罰金を払うもんだよ」と言いながら、草履を丁寧にしまって二階へ上がる。
【語釈】
・年増・・・娘の年頃を過ぎた女性。当時、一般的には二十歳(数え年)以上の女性を指した。
・白歯・・・鉄漿で歯を染めていない女性。当時既婚女性や吉原の遊女は葉を黒く染めていた。見習いの遊女。
・およりなせんし・・・お寄りなさい。女郎言葉。以後、おみややお糸の使う言葉は全て独特の遊女言葉である。
・ちくと上るべいかの・・・田舎風の言葉。以後、伝五右衛門の使う言葉は全て田舎風の言葉である。
・仮名・・・いわゆる源氏名。本名でない、遊女としての名前。
・八兵衛とさ・・・明らかに嘘とわかる名を答えることで、田舎客の伝五右衛門をからかっている。
・おむすじよう・・・不詳。「娘さん」「お嬢さん」の意か。
・頭だけ・・・不詳。「首丈」と同じ意か。「足元から頭の高さまで全身ずっぽりと」、転じて「夢中なさま」か。
・うつ惚れ・・・不詳。「べた惚れ」の意か。
・きりきり・・・・物事をてきぱきとするさま。
・邪慳・・・人に対して思いやりのないさま。
・いつそ・・・いっそう。たいそう。
・大事おざんない・・・大事御座ない。「大事ない」を丁寧に言った表現。さしつかえありません。
・がら・・・ひょいと。つい。
【解説】
 伝五右衛門は田舎訛りそのままに、江戸上野山下の女郎屋の女郎と話します。題名の「変語」とは、伝五右衛門の話す言葉であり、伝五右衛門という客のことを表しています。年若い女郎は真面目に話していますが、年長の女郎はいかにも田舎出の客を小馬鹿にしたような対応です。今日でも大都会の歓楽街ではいかにもありそうなやりとりが展開されています。
 田舎者が江戸に出てきて女郎屋で遊ぶ一つの典型をこの短編は描いているようで。本書は今でいえば、東京の歌舞伎町の歓楽街・風俗店を紹介する成人雑誌のようなものだったのでしょう。
 この作品の文章は、当時の人々が語る言葉・発音を忠実に再現しているようです。江戸末期の人々が話していたままを追体験しているような楽しさが味わえるのも、本書の魅力です。

  

【翻字】
[い]おへねへへん
ちきだの[み]あんながはまると結句よくして
くれる物だよよくあやなしな[い]あんなぞうり
せへ仕廻(しまつ)てさ[伝](にかいより皃を出し)こりやおいとさん早く
おざんねへか徒然(とぜん)だもさ[み](小ごゑにて)あれ色男がよぶ
ぜへ[い]おらアいやよ(といひながらかた手にてうしさかづき台
かたてにお定りの座ぜん豆盃台の
ふちに茶碗をのせきたり)[い]あいお茶ア上(あげ)んせふ[伝](哥)〽よんべの客
のしイたあとをふいてさアせましよぬウりまくら
こらこらこりやア色々御馳走でござり申す
御酒よりやアはやく寝なさろ[い]それでもわざ
とさホゝゝホゝゝ[伝]マアのみなさろ[い]まあお上りなんし
[伝]はてさていづくのうらでもはあ新枕(にゐまくら)の盃と
いふ物(もな)ア女房の方からおつぱじめるもんだあよ
したがハア一の谷の玉おび姫の婚礼ばつかりやア
男の方からひつぱじめる事よ[い]なぜへ[伝]その時
に越中の五郎兵衛殿といふ家老どんのおかつ
さまがアゼはあ盃のさしやくが違つたんべへ
とつてひでんのヲぶち込(こむ)からそんだら訳のヲあか
すべへとつて何がハア経もり殿が息子のあつ
もりどのを上座(かみざ)イおつ通してわれたちやア
巨細(こせへ)のヲしらねへもんだから不審のをぶつも理(ことはり)だ
アが元敦盛アちんの種だアに仍(よつ)て下(しも)ざまの祝言(しうげん)
とひとつらにやアいはれねへとつてゑときのを
されるから惣々(そうそう)がたまげる事よ[い]ちつと語つて
おきかせなんし[伝]此頃(このごろ)に本のヲ持て来てかたる
べへ[い]ほんにかへ左様ならたべて上んせうあい
【通釈】
お糸「手に負えない変な人だな」。おみや「あんな客が(女遊びに)はまるとかえってよくしてくれるものだよ。上手に扱いな」。お糸「あんな草履さえ仕舞ったりしてさ」。二階から伝五右衛門が顔を出して「これ、お糸さん。早くいらっしゃらないか。退屈だべさ」。おみや「あれ、色男が呼ぶよ」。お糸「オラあ、(あんな田舎客を相手をするのは)嫌よ」といいながら、片手にお銚子や盃を載せた台、もう片手にお決まりの座禅豆、盃台の縁に茶碗を載せて(二階に)やってくる。お糸「はい、お茶を差し上げましょう」。伝五右衛門「〽昨夜の客のした後を拭いてさせましょ塗り枕♪こりゃこりゃこりゃあ(^^♪いろいろご馳走でございます。お酒よりも早く寝ましょう」。お糸「それでもほんの形ばかりで。ホホホ・・・」。伝五右衛門「まあ飲みましょう」。お糸「まあお上がりなさい」。伝五右衛門「どの土地でも、はー、男女が初めて枕を共にする時の盃は、女の方からおっ始めるものだあよ。けども、はー、一の谷の玉オビ姫の婚礼だけは、男の方からおっ始めることよ」。お糸「なぜなの」。伝五右衛門「その時に越中の五郎兵衛殿という家老どんの奥方様が、はー、『盃の注ぎようが違ってるべえ』と言って、非道えのをぶちかますから、『そんだら訳を明かすべえ』と言って、何が、はー経、盛殿が、息子の敦盛殿を上座におっ通して、『ワレ達は、詳細を知らねえもんだから、『おかしい』と言うのももっともだが、元々敦盛は、天子様の胤だあによって、下々の祝言と同列にゃあ言えねえ』と言って、事情を説明されるから、全員がびっくりすることよ」。お糸「ちょっと(浄瑠璃で)語ってお聞かせ下さいな」。伝五右衛門「近いうちに本を持って来て語るべえ」。お糸「本当かえ。それなら(膳の料理を)食べて上げましょう、はい」。
【語釈】
・へんちき・・・へんてこ。奇妙なさま。変なさま。また、そのようなもの。
・あやなす・・・巧みに扱う。あやつる。
・徒然・・・何もすることがなく、手持ちぶさたなこと。つれづれ。
・座禅豆・・・黒大豆を甘く煮たもの
・塗り枕・・・漆塗りの箱枕。遊郭などでよく用いられた。
・わざと・・・少しばかり。形ばかり。
・うら・・・不詳。「浦(浜辺)」、転じて「地方」「土地」の意か。
・新枕・・・男女が初めて一緒に寝ること。
・玉おび姫・・・玉織姫。平敦盛の妻。以下、伝五右衛門の語る内容は文楽・歌舞伎の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の初段「経盛館の段」に拠るもの。
・越中の五郎兵衛・・・不詳。『平家物語』に「越中次郎兵衛盛次、上総五郎兵衛忠光」と出てくるが、それを誤って言ったか。伝五右衛門の語る大筋は「一谷嫩軍記」に沿っているものの、細部は異同が多い。
・おかつさま・・・「御方様(おかたさま)」の転。他人の妻を敬っていう語。奥様。
・さしやく・・・「さしやう(差し様)」の誤刻か。
・ひでん・・・不詳。「ひでえ(非道え)」の転か。
・巨細(こさい)・・・細かく詳しいこと。詳細。
・ちん・・・朕。天子の自称。ここでは後白河院を指す。
・ひとつら・・・「一連」。同列。
・絵解き・・・事情や推理の過程をわかりやすく説明すること。
・怱々・・・全員。
・このごろ・・・ちかいうち。近日。
【解説】
 田舎者の伝五右衛門を、年増女郎は「色男」と小声で冷やかし、若い女郎は「嫌や」と冷ややかです。草履を店に預けずに自分でしまい込み、卑猥な鼻歌を歌い、「酒より早く寝よう」などといきなり露骨なことを口にする伝五右衛門は、野暮で無粋を絵に描いたような客であり、女郎に嘲笑されるのも当然だと当時の読者は思ったことでしょう。
 そんな伝五右衛門が、浄瑠璃か歌舞伎で得た知識をひけらかすのですが、細部がいい加減で、典雅な貴族階級のドラマを田舎者の言葉で説明する様子は滑稽です。現代人にとっては一部の歌舞伎ファンを除いては縁遠い内容ですが、当時の読者にとっては、有名な歌舞伎のお話しは皆一般常識に近いものだったでしょうから、伝五右衛門の奇妙な言葉遣いによって語られるその雑駁な説明は、相当におかしかったことと思われます。
 お糸はおみやの助言そのままに、伝五右衛門の語るに任せて、上手に相手をしています。当時の女郎はただ性的なサービスを提供するだけでない、相当に洗練された接遇のできる職業性を持っていたことが伺えます。

  

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