【翻字】
エーさて黒煙五平太といふ武士(さむらひ)は、やうやうに万屋利兵衛方
にて朝の支度をして出立して仕舞ひました、それに引替え(ひきか)へ
て紛郎兵衛、似多八の両人でございます、夜通(よどほし)チンと坐ツて
真蒼(まつさを)に相成ツて居りまする、所へさしてやツて来ましたのは
番頭の伊八でございます 伊八「お早うさん、最(も)うお目覚めでご
エーさて黒煙五平太といふ武士(さむらひ)は、やうやうに万屋利兵衛方
にて朝の支度をして出立して仕舞ひました、それに引替え(ひきか)へ
て紛郎兵衛、似多八の両人でございます、夜通(よどほし)チンと坐ツて
真蒼(まつさを)に相成ツて居りまする、所へさしてやツて来ましたのは
番頭の伊八でございます 伊八「お早うさん、最(も)うお目覚めでご
ざいますか 紛郎「お目覚めどころぢやアありやアしない、宵か
ら彼(あ)れ儘(なり)坐り往生、一(ひ)ト目(め)も未(ま)だ寝ずぢや 伊八「彼(あ)の手水(てうづ)の水
が取ツてございますから、マア手水(てうづ)をお使ひなすツて、朝の
お支度は如何(いかゞ)でございませう 紛郎「飯(めし)を喫(く)ふどころの騒ぎぢや
ありやアせん、それは然(さ)うと昨夜(ゆんべ)のお武士(さむらひ)は 伊八「エー最(も)う
今の先(さき)にお支度が済んでお立ちになりました 紛郎「ムゝウ、す
ると何かエ、松原へモウ先に行ツて待ツて居なさるのか 伊八「
何がでございます 紛郎「何がでございますツて、出会敵(であひがたき)と言ツ
たぢやアないか、仕様もない落語(おとしばなし)をしたばツかりに、拍子の
悪いそんな似寄りの仁(ひと)が泊ツて居(ゐ)るなんて、こんな災難な事
はありやアせん、それを聞いてからといふものは、水も茶も
飲むどころの騒ぎぢやあない 伊八「ハゝゝゝゝ 紛郎「お前は可笑(をかし)
いか知らぬけれども、此方(こつち)は面白い事も何(なん)ともありやアせん
ら彼(あ)れ儘(なり)坐り往生、一(ひ)ト目(め)も未(ま)だ寝ずぢや 伊八「彼(あ)の手水(てうづ)の水
が取ツてございますから、マア手水(てうづ)をお使ひなすツて、朝の
お支度は如何(いかゞ)でございませう 紛郎「飯(めし)を喫(く)ふどころの騒ぎぢや
ありやアせん、それは然(さ)うと昨夜(ゆんべ)のお武士(さむらひ)は 伊八「エー最(も)う
今の先(さき)にお支度が済んでお立ちになりました 紛郎「ムゝウ、す
ると何かエ、松原へモウ先に行ツて待ツて居なさるのか 伊八「
何がでございます 紛郎「何がでございますツて、出会敵(であひがたき)と言ツ
たぢやアないか、仕様もない落語(おとしばなし)をしたばツかりに、拍子の
悪いそんな似寄りの仁(ひと)が泊ツて居(ゐ)るなんて、こんな災難な事
はありやアせん、それを聞いてからといふものは、水も茶も
飲むどころの騒ぎぢやあない 伊八「ハゝゝゝゝ 紛郎「お前は可笑(をかし)
いか知らぬけれども、此方(こつち)は面白い事も何(なん)ともありやアせん
飛んだ目に遭うたわ 伊八「モシお二人さん、私(わたし)も実は昨夜(ゆんべ)貴(あな)
郎方(たがた)のうち一人でも迯(にが)したら解死人(げしにん)ぢや、貴様の首を刎ねる
と仰しやツたゆゑ、実は貴郎方(あなたがた)お二人の張番(はりばん)をして居りまし
た、今朝になツてお武士(さむらひ)がお立ちかけに、敵討(かたきうち)はと斯(か)う言ひ
ましたら、それは嘘だと仰しやツた 紛郎「エーツ、イヤ伊八、
真実(ほんま)かエ 伊八「余(あんま)り貴郎方(あなたがた)が喧しく仰しやツたから、如彼(あゝ)言う
たら多分(おほかた)静かにするだらうと思ツたと、旦那が貴郎方(あなたがた)を計略(はかりごと)
にかけて、私(わたくし)も共に寝ずに番を致しました、今朝嘘だと仰し
やツたんで、大きに私(わたくし)も安心したやうな事でございます 紛郎「
ひどい目に遭はしをツたナ、土台いふと似多八、貴様が詰(つま)ら
ん事を言ふ依(よ)ツて、こんな事になツたんだ、大体にお前が軽(そゝ)
卒(つか)しい依(よ)ツて 似多「それはお前だツて仕様もない事を言ふ依(よ)ツ
て、こんな事になツたんだ 紛郎「マア併(しか)し嘘であツて大きに結
郎方(たがた)のうち一人でも迯(にが)したら解死人(げしにん)ぢや、貴様の首を刎ねる
と仰しやツたゆゑ、実は貴郎方(あなたがた)お二人の張番(はりばん)をして居りまし
た、今朝になツてお武士(さむらひ)がお立ちかけに、敵討(かたきうち)はと斯(か)う言ひ
ましたら、それは嘘だと仰しやツた 紛郎「エーツ、イヤ伊八、
真実(ほんま)かエ 伊八「余(あんま)り貴郎方(あなたがた)が喧しく仰しやツたから、如彼(あゝ)言う
たら多分(おほかた)静かにするだらうと思ツたと、旦那が貴郎方(あなたがた)を計略(はかりごと)
にかけて、私(わたくし)も共に寝ずに番を致しました、今朝嘘だと仰し
やツたんで、大きに私(わたくし)も安心したやうな事でございます 紛郎「
ひどい目に遭はしをツたナ、土台いふと似多八、貴様が詰(つま)ら
ん事を言ふ依(よ)ツて、こんな事になツたんだ、大体にお前が軽(そゝ)
卒(つか)しい依(よ)ツて 似多「それはお前だツて仕様もない事を言ふ依(よ)ツ
て、こんな事になツたんだ 紛郎「マア併(しか)し嘘であツて大きに結
構ぢや
【語釈】
・ありやアせん…原文「ありアやアせん」。誤植の可能性が高く、訂正した。
・昨夜(ゆんべ)…ルビ不鮮明(特に「ん」)。
・今の先(さき)に…ルビ不鮮明(特に「き」)。
・飲むどころの…原文「飲むどろこの」。明らかな誤植であり、訂正した。
・解死人(げしにん)…実際の罪人の代りに捕らえられたり,刑に処せられたりしている者。
・軽卒(そゝつか)しい…ルビ不鮮明。
【解説】
第二回は前回の続きで、伊八から出会敵が嘘であったと聞いて紛郎兵衛と似多八が安心するくだりです。
第二回は現在の上方落語の独立したネタにはなっていません。畑宿を出て街道を大和へ向けて歩く二人の会話を描く、「つなぎ」的な回となっています。