江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 滑稽大和めぐり 第二回

【翻字】
エーさて黒煙五平太といふ武士(さむらひ)は、やうやうに万屋利兵衛方
にて朝の支度をして出立して仕舞ひました、それに引替え(ひきか)へ
て紛郎兵衛、似多八の両人でございます、夜通(よどほし)チンと坐ツて
真蒼(まつさを)に相成ツて居りまする、所へさしてやツて来ましたのは
番頭の伊八でございます 伊八「お早うさん、最(も)うお目覚めでご

ざいますか 紛郎「お目覚めどころぢやアありやアしない、宵か
ら彼(あ)れ儘(なり)坐り往生、一(ひ)ト目(め)も未(ま)だ寝ずぢや 伊八「彼(あ)の手水(てうづ)の水
が取ツてございますから、マア手水(てうづ)をお使ひなすツて、朝の
お支度は如何(いかゞ)でございませう 紛郎「飯(めし)を喫(く)ふどころの騒ぎぢや
ありやアせん、それは然(さ)うと昨夜(ゆんべ)のお武士(さむらひ)は 伊八「エー最(も)う
今の先(さき)にお支度が済んでお立ちになりました 紛郎「ムゝウ、す
ると何かエ、松原へモウ先に行ツて待ツて居なさるのか 伊八「
何がでございます 紛郎「何がでございますツて、出会敵(であひがたき)と言ツ
たぢやアないか、仕様もない落語(おとしばなし)をしたばツかりに、拍子の
悪いそんな似寄りの仁(ひと)が泊ツて居(ゐ)るなんて、こんな災難な事
はありやアせん、それを聞いてからといふものは、水も茶も
飲むどころの騒ぎぢやあない 伊八「ハゝゝゝゝ 紛郎「お前は可笑(をかし)
いか知らぬけれども、此方(こつち)は面白い事も何(なん)ともありやアせん

飛んだ目に遭うたわ 伊八「モシお二人さん、私(わたし)も実は昨夜(ゆんべ)貴(あな)
郎方(たがた)のうち一人でも迯(にが)したら解死人(げしにん)ぢや、貴様の首を刎ねる
と仰しやツたゆゑ、実は貴郎方(あなたがた)お二人の張番(はりばん)をして居りまし
た、今朝になツてお武士(さむらひ)がお立ちかけに、敵討(かたきうち)はと斯(か)う言ひ
ましたら、それは嘘だと仰しやツた 紛郎「エーツ、イヤ伊八、
真実(ほんま)かエ 伊八「余(あんま)り貴郎方(あなたがた)が喧しく仰しやツたから、如彼(あゝ)言う
たら多分(おほかた)静かにするだらうと思ツたと、旦那が貴郎方(あなたがた)を計略(はかりごと)
にかけて、私(わたくし)も共に寝ずに番を致しました、今朝嘘だと仰し
やツたんで、大きに私(わたくし)も安心したやうな事でございます 紛郎「
ひどい目に遭はしをツたナ、土台いふと似多八、貴様が詰(つま)ら
ん事を言ふ依(よ)ツて、こんな事になツたんだ、大体にお前が軽(そゝ)
卒(つか)しい依(よ)ツて 似多「それはお前だツて仕様もない事を言ふ依(よ)ツ
て、こんな事になツたんだ 紛郎「マア併(しか)し嘘であツて大きに結

構ぢや

【語釈】
・ありやアせん…原文「ありアやアせん」。誤植の可能性が高く、訂正した。
・昨夜(ゆんべ)…ルビ不鮮明(特に「ん」)。
・今の先(さき)に…ルビ不鮮明(特に「き」)。
・飲むどころの…原文「飲むどろこの」。明らかな誤植であり、訂正した。
・解死人(げしにん)…実際の罪人の代りに捕らえられたり,刑に処せられたりしている者。
・軽卒(そゝつか)しい…ルビ不鮮明。

【解説】
 第二回は前回の続きで、伊八から出会敵が嘘であったと聞いて紛郎兵衛と似多八が安心するくだりです。
 第二回は現在の上方落語の独立したネタにはなっていません。畑宿を出て街道を大和へ向けて歩く二人の会話を描く、「つなぎ」的な回となっています。

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【翻字】
 似多「ナア紛さん、乃公(おら)ア一句作(こしら)へた、斯(か)うは如何(どう)ぢや
エ 紛郎「何(なん)と出来た 似多「斯(か)うだ、計略と此方(こちら)二人は白河に、武
士は夜船で寝ずの番頭 紛郎「イヤア、こりや面白い、併(しか)しマア
朝飯(あさめし)を持ツて来て、然(さ)う聞くと何だか急に腹が空(へ)ツて来た、
やうやうこれで乃公(おいら)二人は飯(めし)が喫(く)へるといふものぢや 伊八「畏
まりました」 これから朝飯(あさめし)をば持ツて参りました、二人の者
は膳の上で一盞(いつぱい)飲んで、食事も了(をは)り、勘定を済まして、彼(か)の
万屋の宅(たく)をば立出(たちい)でました、さて二人は畑(はた)の駅(しゆく)を背後(あと)に野辺(のべ)
へかゝりました 紛郎「ナア似多、斯(か)うやツて春の野辺(のべ)といふも
のは、実に心持(こゝろもち)の好(い)いものぢやナ、なんと口吟(くちふさぎ)でもやらうか
似多「口塞(くちふさ)ぎとは何ぢやエ 紛郎「イゝエ、お前と二人が斯(か)うやツ
て野辺(のべ)を歩いて居(ゐ)るので、何ぞ発句ツてなものをやらうかと
いふのぢや 似多「蒸芋(ほつこり)、蒸芋(ほつこり)ツて奴も好(い)いが、余計喫(た)べると屁(おなら)

が放(で)て堪(たま)らないぜ 紛郎「イヤ蒸芋(ほつこり)ぢやアない、発句ぢや、山々
に帯する今朝の霞かな 似多「成程、山々に帯する今朝の霞かな
廻(めぐ)りて見れば結び目はなし 紛郎「面白いナ、菜の花や腰より上の
人通りツてな事は行けぬか 似多「紛さん、菜の花や腰より上の人
通(どほり)とは何ぢや 紛郎「それは菜の花が咲いてゐると、向(むか)ふを通ツ
て居(ゐ)る人が、腰より上しか見えて居まいがナ、それで菜の花
や腰より上の人通(ひとどほり)ぢや 似多「成程、イヤ面白い、土地(ぢべた)より腰よ
り上の人通(ひとどほり)とは 紛郎「そりやア何の事ぢや 似多「土地(ぢべた)より腰から
しか見えて居ないがナ 紛郎「ムゝウ、彼(あ)りやア蹇(ゐざり)ぢや 似多「ハ
ゝア蹇(ゐざり)か 紛郎「路傍(みちばた)の木槿(もくげ)が馬に食はれけり、句といふものは
見た儘(まゝ)が好(い)いナ 似多「成程、それぢやア斯(か)うは如何(どう)ぢや、路傍(みちばた)
のお公卿(くげ)は馬に乗られけりとは 紛郎「イヤ面白い、それ等(ら)は狂
句で可笑(をかし)い可笑(をかし)いナ 似多「路傍(みちばた)に垂(こ)いてあるかや犬の糞(くそ) 紛郎「そりや

ア全(まる)で無茶苦茶だがナ 似多「けれども見た糞(ばゝ)が好(い)いと言ふぢや
アないか 紛郎「イゝエ、乃公(おれ)の言ふのは見た儘(まゝ)、お前の言ふの
は見た糞(ばゝ)だ、黄(き)な蝶が紛れて遊ぶ菜種かな 似多「成程、白い蝶
が紛れて遊ぶ大根の花かな 紛郎「お前は時々雑返(まぜつかへ)すから不可(いかん)、
梅が香(か)や乞食の家も覗かるゝ、こいらア好い句やナ 似多「そり
やアお前の句かエ 紛郎「イヤこりやア他(ひと)の句ぢや 似多「桃咲いて
桃々桃と吃(ども)も言はれぬ 紛郎「大名も見返る春の夫婦連(めをとづれ) 似多「成程
入相(いりあひ)を聞いての後(のち)の日暮(ひぐれ)かな 紛郎「面白い、春の日は飛雀(ひばり)チウ
チウ日が長うなる 似多「成程、それぢやア秋の日は雀チウチウ
日が短(みじ)こなる 紛郎「そんな無茶言ふなエ、長閑(のどか)さや柳も睡(ねむ)る日
和かな 似多「オイ紛さん、長閑(のどか)さや柳も睡(ねむ)る日和かなといふと
やかなぢやアないか 紛郎「これは長閑(のどか)さやで切れる、切ツて柳
も睡(ねむ)る日和かな、芭蕉の句にも、夕顔や秋さまざまの瓢(ふくべ)かな

?分やかなやけりといふものは、発句には珍しいといふが、
その句に依(よ)ツては幾らも二段切れ三段切れツて奴アあるやつ
ぢや、彼(か)の古池や蛙飛込む水の音といふは、芭蕉の名高い句
だが、彼(あ)の句を聞いて鬼貫(おにつら)という仁(ひと)の句に、池の月皺苦茶に
する蛙かな、こいらア好(い)いなア 似多「斯(か)うは如何(どう)ぢやエ、蓮の
葉にドブンとひツくりかへる(ヽヽヽ)かな 紛郎「それぢやア全(まる)で雑返(まぜつかへ)し
て居(ゐ)るのぢや、けれども斯(か)うやツてからに斯(か)ういふ事を言ツ
て居(ゐ)ると、虚々(うかうか)と道といふものは歩けるものぢやナ

【語釈】
・蒸芋(ほつこり)…ふかしたさつま芋。
・屁(おなら)…ルビ不鮮明(特に「お」)。
・廻(めぐ)りて…ルビ不鮮明。
・蹇…あしなえ。
・木槿(もくげ)…ルビ不鮮明(特に「も」)。
・こりやア他(ひと)の句ぢや…榎本其角の句。
・入相(いりあひ)…日の沈むころ。日暮れ時。ここでは「入相の鐘」の略。
・瓢(ふくべ)…夕顔の実。熟果の外果皮で炭入れ・盆・花器などを作る。
・やかなぢやアないか…「『や』『かな』と切れ字が二つあり、良くないじゃないか」の意であろう。二行あとの「やかな」「やけり」も同様であろう。
・夕顔や秋さまざまの瓢かな…「夕がほや秋はいろいろの瓢かな」(芭蕉「曠野」)
・?分…漢字ルビ共に不鮮明。
・二段切れ三段切れ…一句中に切れ字が二か所にあるのが「二段切れ」。五・七・五のそれぞれの末で三段に切れるのが「三段切れ」。
・鬼貫(おにつら)…上島鬼貫。談林派の俳人で、芭蕉とも親交があった。
・虚々(うかうか)と…ルビ不鮮明(特に「か」)。

【解説】
 紛郎兵衛と似多八が野辺の街道を歩きながら、発句を詠むくだりです。紛郎兵衛はかなり発句に詳しく、似多八に芭蕉の名句を教えたり、句切れの講釈をしたりしています。似多八はふざけたことしか言わず、漫才でいう「ボケ」役、紛郎兵衛は「ツッコミ」役を担当しているようです。


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【翻字】
(紛郎「…、)何とこ
れからお前と私(わし)とが一ツ後附(あとづけ)ツてな事をやらうか 似多「イヤ結
構々々、私(わし)好きぢや天門冬(てんもんとう)、生薑漬(しやうがづけ)、可(い)いナ 紛郎「そりや何
ぢやエ 似多「イエ砂糖漬(さとうづけ)ぢやらう 紛郎「イエ砂糖漬(さとうづけ)ぢやアない、
後附(あとづけ)といふのは後取(しりとり)ぢや 似多「ハゝア塵芥(ごもく)をすくふのか 紛郎「そ
れは塵取(ちりとり)ぢや、お前の後(しり)を私(わし)が取ツて私(わし)の(しり)をお前が取るの

ぢや 似多「ハゝア、後(しり)の取合(とりあ)ひか、如何(どん)な事を云ふのぢや 紛郎「
私(わし)が抑(そもそ)も色の始(はじま)りは、と斯(か)う言うたら、お前ははの字の附い
た事を云ふのぢや 似多「成程、後(あと)を附けて行くのぢやナ 紛郎「然(さ)
うぢや 似多「イヤ面白い 紛郎「シヤン、シヤシヤン、シヤンシヤ
シヤン、チリガンツチリガンツ、トッチントッチンチン、ヤツ抑(そもそ)も色の始(はじま)
りは 似多「ワンワンワン、草鞋(わらんじ)に藁灰(わらばひ)蕨餅(わらびもち) 紛郎「そりやお前のはわ
の附く事ばかり云うて居(ゐ)るのぢや、わの字から取ツて行くの 紛郎「
ぢや 似多「わらべ小賢(こざか)し牛売らぬ 紛郎「うらぬ(〇〇〇)の?雪(?せつ)に積(つも)る雪(ゆき)
 似多「雪(ゆき)より氷が冷からう 紛郎「ゆツき(〇〇〇)もチツクリ愛らしや 似多「
らしら(〇〇〇)が廻らにや尾が廻らぬ 紛郎「まはら(〇〇〇)藤太秀郷(ひでさと)は 似多「さと
は(〇〇〇)小町の百年(もゝとせ)よ 紛郎「もとせ(〇〇〇)の薄い小商売(こあきなひ) 似多「そいつア利がな
うて懸倒(かけだふ)れ、あきなひ(〇〇〇〇)ものの煮え肥(ぶと)り 紛郎「ふとり(〇〇〇)娘のお染と
て 似多「そめ(〇〇)とて此処(こゝ)に須磨の浦 紛郎「のうら(〇〇〇)の大助(おほすけ)百六歳(むつゝ) 似多「

むつ(〇〇)らむつらと恋憧(こが)れ 紛郎「こがれ(〇〇〇)甘酒飲まそものとて猪口(ちよく)出し
やれ 似多「猪口(ちよく)より茶碗が得ぢやいナ

【語釈】
・天門冬…クサスギカズラの根を蒸して乾燥したもの。漢方で滋養強壮・鎮咳(ちんがい)・止渇薬などに用いる。
・塵芥(ごもく)…ルビ不鮮明(特に「も」)。「ごもく」は「ごみ。ちり。あくた」。・
・チリガンツチリガンツ…原文「チリガンツ(踊り字)」。
・トッチントッチンチン…原文「トッチン(踊り字)チン」。
・藁灰…わらを焼いてできた灰。
・わらべ小賢(こざか)し牛売らぬ…意味不詳。
・うらぬ(〇〇〇)の?雪(?せつ)に積(つも)る雪(ゆき)…漢字ルビともに不鮮明。あるいは「うらぬの暮雪」は「比良の暮雪(近江八景の一)」の洒落か。
・ゆツき(〇〇〇)もチツクリ愛らしや…カタカナ・ルビともに不鮮明。意味不詳。
・らしら(〇〇〇)が廻らにや尾が廻らぬ…「頭が廻らにや尾が廻らぬ(諺:上に立つ者がすすんんで行動しなければ、下の者は働かない)」の洒落。
・まはら(〇〇〇)藤太秀郷(ひでさと)は…「俵藤太秀郷(平安時代の武将。近江三上山の百足退治等で有名)は」の洒落。
・さとは(〇〇〇)小町の百年(もゝとせ)よ…「卒都婆小町(能楽の一)の百年よ」の洒落。
・もとせ(〇〇〇)の薄い小商売(こあきなひ)…意味不詳。あるいは「もとせ」は「元銭」の洒落か。
・懸倒(かけだふ)れ…費用ばかりかかって、収益のないこと。
・あきなひ(〇〇〇〇)ものの煮え肥(ぶと)り…「味無い物の煮え太り(諺:うまくない物に限って煮たときの量が増えるものだ)」の洒落。
・ふとり(〇〇〇)娘のお染とて…「一人娘のお染(浄瑠璃・歌舞伎に登場する有名なヒロイン)とて」の洒落。
・そめ(〇〇)とて此処(こゝ)に須磨の浦…「住めとて此処(こゝ)に須磨(現神戸市。『源氏物語』で光源氏が一時期住んだ。「須磨」に「住ま」を掛ける)の浦」の洒落。
・のうら(〇〇〇)の大助(おほすけ)百六歳(むつゝ)…「三浦の大助百六歳(落語「厄払い」で厄払いが言う文句の一節)」の洒落。
・むつ(〇〇)らむつらと恋憧(こが)れ…意味不詳。あるいは「むつらむつら」は「うつらうつら」の洒落か。
・こがれ(〇〇〇)甘酒飲まそものとて猪口(ちよく)出しやれ…意味不詳。あるいは「ござれ甘酒」は「ここまでござれ甘酒進上(歩き始めた子供を遊ばせるときの言葉。また,自分のいる場所に相手が近づけないのを知ってからかうときの言葉)」と同意表現の洒落か。

【解説】
 紛郎兵衛と似多八が野辺の街道を歩きながら、しりとりをするくだりです。とても即興とは思えない、見事な七・五の定型しりとりで、古典や能、浄瑠璃や俗謡などから得た題材を駄洒落で織り込んだ、非常に知的な言語遊戯です。いろいろと調べましたが、意味も洒落も結局わからないものも残ってしまいました。今後の課題です。



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【翻字】
 紛郎「オヤツ、何処(どこ)でそん
な茶碗を取ツて来たエ 似多「昨夜(ゆんべ)の泊りにえらい好(よ)い茶碗ぢや
と思ツて、袂裡(たもと)へ入れて来たのや 紛郎「そんな無茶するなエ、
茶碗てものは十碗とか五碗とか皆揃ツて居(ゐ)るものぢや、一ツ
足らぬやうになツて見い、忽(たちま)ち向(むか)ふでは不都合ぢや 似多「サア
そんなに乃公(おれ)も思ツた依(よ)ツてに、五ツ皆(みん)な取ツて来たんや
紛郎「そんな無茶をするなエ、そんな事をしちやアお前盗人(ぬすつと)ぢ
やぜ 似多「マア早う言(い)やア盗人やナ 紛郎「遅ふ言(い)ツたかて盗人ぢ
や、マアこんな事をするとは乃公(おら)ア夢にも知らなんだ、こん

な事をお前これまでした事があるかエ、マア料理屋へ這入ツ
て盃(さかづき)を取ツて来たり、又は徳利を取ツて戻ツたりするのは粋(すゐ)
がツてするのぢやが、こんな野暮な事はありやアせん、こん
な事をしいないナ、尚(ま)だ他所(よそ)でした事があるだらう 似多「イヤ
他所(よそ)でした事はないけれども、お前所(とこ)の宅(うち)で茶瓶(ちやびん)と鍋盥(なべたらい)を乃(お)
公(ら)ア一遍持ツて戻ツたことがある 紛郎「ひどい事をやるナ、鍋盥(なべたらい)
に茶瓶(ちやびん)がなかツたから如何(どう)したのだいナと思ツて探しても知
れなんだことがあツたが、彼(あ)りやアお前か 似多「彼(あ)りやアお前や
 紛郎「こりやア何(ど)うも驚いたなア、マア私所(わしとこ)の宅(うち)や依(よ)ツてそれ
で可(い)いけれども、他所(よそ)でそんな事をしいナや 似多「他所(よそ)でした
のはこの茶碗取ツたのが始めてや、モウ這回(こんど)からするやうな
事があツたら、お前所(とこ)の宅(うち)に極(き)めて置く 紛郎「ヤイ、そんな事
を極(き)められたら何(どう)もならぬ

【語釈】
・揃ツて居(ゐ)る…ルビ不鮮明。
・茶瓶(ちやびん)と鍋盥(なべたらい)…漢字ルビともに不鮮明。
・紛郎「ひどい事をやるナ、…原文「似多『ひどい事をやるナ…」。明らかな誤植であり、訂正した。
・這回(こんど)から…漢字ルビともに不鮮明。「這」は「この。これ」。

【解説】
 しりとりの中で「猪口(ちよく)より茶碗が得ぢやいナ」と言いながら似多八は茶碗を取り出し、それを紛郎兵衛が見とがめたところから、このくだりが始まります。
 料理屋で盃や徳利を持ち帰るのは「粋」で、旅館で茶碗を持ち帰るのは「野暮」という区別を紛郎兵衛は語っています。当時の町人の行動上のわきまえ、遊びにおける美意識の一例でしょう。
 ここでの二人のやり取りは、形は変えられていますが、故桂米朝「地獄八景亡者の戯れ」の伊勢屋のご隠居と喜ぃさんのやり取りと基本は同じです。

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【翻字】
 似多「時に紛さん、虚々(うかうか)と詰(つま)らん事
を言うて歩いて居(ゐ)るうちに、何処(どこ)がどこか頓(さつぱ)り道が分(わか)らなく
なツて来た、モシお百姓、チヨイと物をお尋ね申します、モ
シお百姓、このまたお百姓は唖(をし)か聾(つんぼ)かいナ、モシ 紛郎「阿呆(あほ)か

いナ、彼(あ)りやアお前案山子(とりおどし)だがナ 似多「オイ紛さん、うだうだ
言ふなエ、菜種の咲いた時分に案山子(とりおどし)ツてものがあるものか
 紛郎「あるものかツて此処(こゝ)に案山子(とりおどし)があるがナ、顔は一升徳利(どつくり)
で以(もつ)て笠を被(かぶ)せて蓑(みの)着せてあるがナ 似多「世の中は変(かは)ツたもの
ぢやナ、畑(はたけ)に菜種の咲いた時分に案山子(とりおどし)を拵(こしら)へるものぢや、成程顔は
徳利(とつくり)でしてある、アゝとツくり(〇〇〇〇)見なかツたのが一生の過失(あやまり)み(〇)
の(〇)誤り 紛郎「悪い洒落やナ……… 似多「モシお百姓、チョイと物を
お尋ね申します、モシお百姓、これも案山子(とりおどし)かいナ 紛郎「イヤ
こりや石の地蔵さんぢや 似多「石の地蔵さんが笠を被(かぶ)ツてゐる
案山子(とりおどし)で喫驚(びつくり)して、又石地蔵さんで喫驚(びつくり)して、これが地蔵喫(びつ)
驚(くり)、石の悪い 紛郎「悪い洒落やナ……… 似多「モシお百姓、チョイ
と物をお尋ね申します、モシお百姓、オイ五十五十、四十六

十、三十三(みつ)ツに十(とを) 紛郎「何(なん)ぢやエ三十三(みつ)ツに十(とを)とは 似多「都合百
姓、モシお百姓、何(なん)ぢやエ、この百姓、唖(をし)か聾(つんぼ)かエ、モシ 〇「
アゝ、何(なん)ぞ言うてるのか 似多「この野途(のみち)は何方(どつち)へ参じますナ 〇「
アゝお光(みつ)の事を尋ねて呉れるか、お光(みつ)は藪際の茂左衛門の息
子の所(ところ)へ嫁にやツたゞ 似多「何を吐(ぬか)してけつかる、野途(のみち)を尋ね
て居(ゐ)るのに、お光(みつ)といふ娘の事を言うてゐる、こりや奴聾(どつんぼ)や
ぜ、コリヤヤイ親爺(おやぢ)、素固丹(すこたん)ポンと打(い)ツてやらうか 〇「アゝ
好(よ)い日和(ひより)続きで結構ぢや 似多「イヤ頭(どたま)ア打擲(どつ)いてやらうかと言
うてるのぢや 〇「マア夫婦交情(なか)好(よ)うしてゐるので大きに安心
ぢや 似多「何を吐(ぬか)してけつかる、一ツ屁を嗅(かま)してやらうか 〇「
オウ、また倅(せがれ)の事を尋ねて呉れるかエ、彼(あ)りやア温和(おとな)しいも
ので、両親(おや)が喜んで居(ゐ)るだ、近々(ちかぢか)に彼(あ)れにも嫁を貰(もら)はうと思
ツてるのぢや 紛郎「オイ、そんな者に相手になツて居(ゐ)たツて、

相手は奴聾(どつんぼ)ぢや、言ツてる事が頓(さつぱ)り訳が分(わか)らぬ、向(むか)ふに百姓
が居(ゐ)るぜ、彼(あ)の百姓にチヨイと尋ねて見ろ

【語釈】
・虚々(うかうか)と…ルビ不鮮明。
・とツくり見なかツたのが一生の過失みの誤り…「とっくり(じっくり)」「一生」「身の」がそれぞれ「徳利」「一升」「蓑」の洒落。
・地蔵喫驚、石の悪い…「地蔵」は「二度」、「石」は「意地」の洒落。
・素固丹(すこたん)…頭を卑しめていう語。どたま。
・屁を嗅(かま)してやらうか…ルビ不鮮明。
・近々(ちかぢか)に…ルビ不鮮明。

【解説】
 発句にしりとりをしながら道を取り違えたことに気づいた二人は、街道を尋ねようと野良仕事をしているお百姓に声を掛けますが、最初は案山子、次は地蔵をそれと間違え、三度目にようやく本物のお百姓に尋ねたものの、ひどく耳の遠い人で、全く話が通じない、というくだりです。
 それにしても似多八と紛郎兵衛の言葉の悪さはずいぶんなものがあります。それをそのまま寄席で噺家が演じているのですから、演者の曽呂利新左衛門師匠はずいぶんとリアリズムが徹底していたのだと思います。
 ここのやりとりは、やはり形は幾分違いますが、笑福亭仁鶴「七度狐」にあるやりとりとほぼ同じです。


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