江戸期版本を読む

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カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 滑稽大和めぐり第七回(鳥屋坊主)

【翻字】
エー二人は庄屋の宅(うち)を立出(たちい)でまして 似多「紛さん、一首浮(うか)んだ
が、斯(か)うは如何(どう)ぢやエ、これこれの業(わざ)かと問はれこれこれと
狐博奕(ばくち)で双方さい(〇〇)難 紛郎「イヤいつもながら面白い、サア行か
う」とこれから三輪(みわ)を背後(あと)に丹波市(たんばいち)の方(はう)へ出まして、彼(か)れ此(こ)
れするうちに、日もズンブリと暮れて仕舞ひました、両人は
懐裡(ふところ)に一文の銭(ぜに)もありませんから、何処(どこ)かで宿をば求めたい
と烏鷺々々歩いて居(を)りますうち、飛んでもない道へ這入込(はいりこ)
んで仕舞ひました 似多「紛さん、今夜如何(どう)する胸算(つもり)じや 紛郎「昨(ゆう)
夜(?)のやうな都合に何処(どつ)かでマア一(ひと)ツ地蔵堂か何(なに)かあツたら、
其処(そこ)で今宵(こよひ)は夜を明(あか)さうじやないか、さうしてマア奈良へ
行きやア、また何(ど)うにでもなるで、併(しか)し渡る世界に鬼はなし
とはよく言ツたものだ、マア斯(か)うやツて一枚の物でも着せて
貰(もら)うた依(よ)ツて、これで何(ど)うなり斯(か)うなり歩けるといふものじ

や 似多「併(しか)し妙な所(ところ)へ出て来たナ、頓(さつぱ)り道が分(わか)らぬやうになツ
て来て仕舞ツた、尋ねるにも通る人はなし、困ツた事じやナ」
と二人はブラブラ歩いて居(を)りますると、向(むか)ふの方(はう)から頭に五
徳のやうな物を載せまして、蝋燭(らふそく)に火を点(とも)し、胸に鏡を当て
白い衣物(きもの)を着た者がやツて来ました、これは所謂(いはゆる)丑(うし)の時参り
といふのです 似多「オイ紛さん 紛郎「何(なん)じやエ 似多「向(むか)ふの方(はう)か
ら妙な者が出て来たぜ、何だか斯(か)う頭に灯火(あかり)が見えて居(ゐ)る
 紛郎「ハゝア、乃公(おら)ア未(ま)だ丑(うし)の時参りといふものは聞いては居(ゐ)
るけれども、真個(ほんたう)の丑(うし)の時参りといふものは見た事がない、
一(ひと)ツ如何(どう)いふ事を為(し)をるか、密(そつ)と見てやらうではないか 似多「
イヤ面白い」 と二人は樹の蔭へ来(きた)りまして、身を潜めて窺ツ
て居(を)りますると、成程両人の推量の通り丑(うし)の時参りですナ、
此方(こなた)にサクサクやツて参り、四辺(あたり)を見廻し、懐裡(ふところ)から何(なに)か斯(か)

う半紙に描(か)いたやうなものをば片傍(かたへ)の榎(えのき)へさしてからにピタ
リと貼付(はりつ)けまして、懐裡(ふところ)から火打石(ひうちいし)と火打金(ひうちがね)をば出(いだ)して、袂(たも)
裡(と)から線香を取出(とりいだ)し火を移し、精出してこの紙に描(か)いた画姿(ゑすがた)
に灸(やいと)を据(す)ゑて居(ゐ)ますから

【語釈】
・これこれの業(わざ)かと問はれこれこれと狐博奕で双方さい難…第六回の内容をふまえた狂歌。紛郎兵衛と似多八は初瀬の宿でのサイコロ博奕で無一文になり、その後は出鱈目な無銭旅行を続けている。「さい」は「災(難)」に「賽子(サイコロ)」を掛けた洒落。
・三輪…現在の桜井市三輪。
・丹波市…現在の天理市丹波市町。
・胸算(つもり)じや…第二回までは「ぢや」であった。ここ(第七回)以降は「じや」になる。
・昨夜(ゆう?)…ルビ不鮮明。あるいは「ゆうべ」か。
・一枚の物でも着せて貰(もら)うた…二人は初瀬の宿を襦袢一枚で逃げ出し、三輪の庄屋の家で木綿物の着物を着せて貰ったことを指している。
・五徳…金属や陶器で作った三本または四本脚のある輪。火鉢や炉の火の上にかぶせて立て、やかんや鉄瓶などをかける。
・点(とも)し…ルビ不鮮明。
・丑(うし)の時参り…丑の時(現在の午前二時ごろ)に、神社に参り、境内の樹木に憎い人物に擬したわら人形を釘で打ちつけ、相手の死を祈る呪い事。白衣で、頭上の鉄輪にろうそくをともし、胸には鏡を下げ、顔やからだを赤く塗るなどして行う。七日目の満願の夜に願いがかなうと信じられていた。
・火打石(ひうちいし)と火打金(ひうちがね)…発火のための道具。両者を打ち合わせて用いる。


【解説】
 第三回から第六回は、現在の上方落語では上演されることのない内容で、いったん省略しました。その間紛郎兵衛と似多八は、初瀬街道を西へ進み、伊賀大和国境の関所を越え、三本松(現在の宇陀市室生三本松)の茶店(第三回)を経て、萩原で地酒を飲み(第四回。「うんつく酒」という噺のネタになっています。後ほどUPします)、初瀬の宿に投宿し(第五回。ここでの投宿時のやりとりは本書第八話に合わされて現行形「こぶ弁慶」になっています)、三輪(第六話)を経て丹波市付近に至り、この第七話になっています。
 路銀もなくなり無一文の二人は、宿も見つからないままに、丑の刻参りらしい一人の女を見、好奇心からその様子を覗き見ます。ところがその女は、五寸釘を藁人形に打ち付ける代わりに、絵姿を描いた紙にお灸をすえているという、一風変わったことをしているというくだりです。

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【翻字】
 似多「オイ紛さん、乃公(おら)ア丑(うし)の時参り
ツてものは見た事はないが、妙な事をするものじやナ、乃公(おいら)
の聞いて居(ゐ)るのにやア藁人形をば拵(こしら)へて、其奴(そいつ)へ我(わが)恨む男の
干支(えと)を書いて、それをば五寸釘で打着(うちつ)けるといふ事は、聞き
もし又絵に描いたのも見た事があるが、妙な事を為(し)をるのじ
やなア、灸(やいと)を据ゑるとは妙だ」 二人は樹の蔭からその処(ところ)へ出
掛けて参りました 似多「オイ丑(うし)の時参り屋 女「オヤ、貴郎(あなた)方お二
人は何処(どつ)からお出(い)でなすツた、妾(わたくし)は喫驚(びつくり)しました 似多「イヤ喫(びつ)
驚(くり)したのは此方(こつち)が喫驚(びつくり)したのだ、乃公(おら)ア樹の蔭で二人が身を
潜めて、お前がする事をば見て居(ゐ)たが、ナア丑(うし)の時参り屋さん

妾「貴郎(あなた)方は人を何(なん)ぞ物を売りに来たものゝやうに仰(おつ)しやい
ます丑(うし)の時参り屋さんなんて 似多「マアそりやア何(ど)うでも可(い)いが
お前のするのを見て居(ゐ)ると、画姿(ゑすがた)へさして何(なん)じや灸(やいと)を据ゑて
居(ゐ)なさるが、丑(うし)の時参りといふものは、恨怨(うらみ)のある男の姿を
ば藁人形で拵(こしら)へて、それへさして五寸釘を打つと云ふ事は、
私(わたし)も聞いて居(ゐ)るし、又絵に描(か)いたのを見てもゐるが、何(ど)う
いふものでそんなに精出して灸(やいと)を据ゑてゐるのじや 女「成程
そのお尋ねは御有理(ごもつとも)です、妾(わたくし)の怨みのある男といふものは、
家業(しやうばい)が糠屋(ぬかや)でおます依(よ)ツて 似多「ハゝア、成程それでは釘は利
かぬわい 女「併(しか)し貴郎(あなた)方は何方(どちら)のお方でござりますナ 似多「私(わし)
等(ら)ア二人は大阪の者じやが、旅宿(やど)を取失(とりうしな)うて困ツて居(ゐ)るのじ
や、これから宿屋のあるやうな処へは最少(もそつ)と行かねばならぬ
か 女「貴郎(あなた)マアこれからと言うて丹波市の方(はう)へお出ましにな

りますのか、又は奈良の方(はう)へでも 似多「サア丹波市の方(はう)から此(こつ)
方(ち)へやツて来たのじや 女「それじやアこれから向(むか)ふへ四五丁
お出なさると、札の辻がおます依(よ)ツて、其処(そこ)へお出(い)でなさ
ると、人家(じんか)も沢山あります 似多「ハゝア、何方(どちら)へ行ツたら好(い)い
のです 女「お前さんが今然(さ)う向いてお在(ゐ)でなする方(はう)を、右へ
右へと取ツてお出(い)でなされば、札の辻の方(はう)へ出ますから 似多「
イヤ大きに有難う、ナア紛さん 紛郎「エゝツ 似多「何(ど)うも旅をし
て居(ゐ)ると様々な事があるものじやなア………

【語釈】
・家業(しやうばい)…ルビ不鮮明。
・糠屋(ぬかや)でおます依(よ)ツて…当時ぬかは飼料や肥料、漬け物や駄菓子等の原材料、石鹸の代用等用途が広く、専門の問屋まであった。
・成程それでは釘は利かぬわい…諺「糠に釘」をかけた洒落のオチ。
・四五丁…一丁は約109m。
・札の辻…「札の辻」は「街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道・辻」を一般に言う。ここで具体的にどこを指すかは不詳。奈良と丹波市を結ぶ往来間であろう。

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【解説】
 五寸釘を打たずに灸を据える女を不思議に思った似多八は、丑の刻参りの女に声をかけ、その理由を聞きます。それに対する女の答えが一つの笑話になっています。この話は『今様咄』(安永4年(1775)刊。『噺本大系第十七巻』所収)に原話があります。
 その女に宿を尋ねると、女が道を教えてくれます。「丑の刻参り」というおどろおどろしい恐ろしげな題材が、実にしょうもないユルユルの話にされてしまう可笑しさがこのくだりの眼目であり魅力でしょう。

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【翻字】
(似多「…)オウ彼処(あすこ)に灯火(ともしび)が
ついて居(ゐ)る宅(うち)がある、モシ、チヨイとお尋ね申します、モシ、
チヨツとお尋ね申します 老爺「ヘイ、誰方(どなた)じやナ 似多「エー私等(わたくしら)
は大阪の者でございますが、旅宿(やど)を取失(とりうしな)うて甚だ困ツて居(を)り
ますが、お庭の隅でも宜しうございます、お泊め下さるとい
ふ訳にやア参りますまいか 老爺「イヤお気の毒な事ですけれど

も、旅の衆を私(わたし)の方(はう)へ泊めるといふ訳にはいけません 似多「ヘ
エ、すると何(なん)でございますか、泊めて戴く事は出来ますまい
か 老爺「お気の毒ぢやがナ断ります 似多「札の辻までは尚(ま)だもツ
とございますか 老爺「左様、これから一丁半ほど行きなさると札
の辻へ出ますぢや 似多「それぢやア仕方がございません、お宅(うち)
で泊めて戴けませんやうな事なら、これから札の辻へ参ツて
高札をば打割(たゝきわ)ツて、それで焚火(どんど)を焚(た)いて今夜夜明(あか)しを致しま
す 老爺「コレコレ、滅相な事を言ふ仁(ひと)ぢや、札の辻の札をば打(たゝき)
割るなんて、そんな乱暴な事をされて堪(たま)るものか 似多「それぢ
やア何(ど)うかお宅(たく)にお泊めなすツて下さいまし 老爺「サアそれは
泊めて進(あ)げる事が出来ぬのぢや 似多「出来ぬやうな事なら札場(ふだば)
へ行ツて札ア打割(たゝきわ)ツてからに彼処(むかふ)ツ夜明(あか)しを致します 老爺「マ
ア乱暴な事を言ふ仁(ひと)ぢや、それぢやア斯(か)うさツしやれ、私(わたし)の

宅(うち)に泊める事は出来ぬが、私(わたし)に聞いたと言はず、これから最(も)
う四五丁行きなさると寺がある依(よ)つて、道念寺といふ山寺ぢ
やが、それへ尋ねて行きなすツて、決して私(わたし)に聞いたと言う
てはならぬ、人を助けるが出家の務(にん)、吾(わ)れ吾(わ)れは追剥(おひはぎ)に出遇(であ)
うて旅宿(やど)を取損(とりそこな)うて大きに難渋いたしますから、何卒(どうぞ)今宵は
一泊をお願ひ申しますと斯(か)う言うたら、其処(そこ)は御出家ぢやに
依(よ)ツて、必(かな)らず泊めて下さるに相違(さうゐ)ない、然(さ)うさんせ 似多「オ
イ紛さん、如何(どう)しやう 紛郎「然(さ)う云ふことなら仕方がない、ナア
オイ、其処(そこ)へ行ツて今宵は兎も角お寺で一泊をさして貰はう
か 似多「そんなら然(さ)うしやう、大きに有難うございます」 と二
人は麓へ参りまして見上げますると、上の方(はう)に斯(か)う灯火(あかり)が点(つ)
いてございますから、やうやうそれへやツて参りました

【語釈】
・焚火(どんど)…ルビ不鮮明。
・泊めて進(あ)げる…原文「泊めて進(あ)ける」。誤植と思われ、訂正した。
・彼処(むかふ)ツ…ルビ不鮮明。文意不詳。あるいは「彼処(むかふ)で」を誤植したものか。
・依(よ)つて…本書は通例「依(よ)ツて」。
・務(にん)…漢字ルビともに不鮮明。
・出遇(であ)うて…漢字ルビともに不鮮明。
・灯火(あかり)…ルビ不鮮明。

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【解説】
 人家にたどり着いた二人は宿を求めますが、家の老爺に断られます。「では高札を叩き割って暖を取る」と言うと、老爺は困り、道念寺を紹介します。そこで二人は寺へ向かうというくだりです。
 紛郎兵衛と似多八はかなり乱暴に振る舞いますが、それはこの場面ばかりではありません。直前の第6回では、無銭飲食をして宿を逃げる、神様を騙って祭りで暴れる、嘘を言って人の親切につけ込むなど、かなりの悪党です。
 それにしても二人は逞しく、めげず、明るく、刹那的です。日本の庶民、町人とはかくも自由闊達であったのかと思います。いや、現実にはいそうになかったからこそ、こうしてフィクションのヒーローになり得たのかとも思います。

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【翻字】
紛郎「
ヘエお頼(たの)申します」 トントントン 和尚「アゝ誰方(どなた)ぢやナ 紛郎「ハ

イ、私(わたくし)は旅の者でございますがナ、勝手を知らぬ山路(やまみち)へ踏迷(ふみまよ)
うてからに、誠に困ツて居(を)ります、何(ど)うか今宵はお庭の隅で
も宜しうございますので、一泊させて戴きたうございます 和尚「
ハゝア左様かナ、イヤ待たツしやれ、只今開けます依(よ)ツて……
ホゝウ、お前方(がた)は何方(どちら)から来(こ)んしたのぢや 紛郎「ヘエ、彼方(あちら)か
ら参じましたので 和尚「彼方(あちら)からでは分(わか)らぬが、マア兎も角も
草鞋(わらじ)を解いて此方(こちら)へ上(あが)らツしやれ、此処(こゝ)は山寺の事であるか
ら、蒲団も不用にはない、不自由ではあるけれども、柴でも
焚(た)いて緩容(ゆつくり)と夜明(よあか)しをさんせ、如何(どう)いふもので斯(か)ういふ処(ところ)へ
さしてからにお前方(がた)は来(こ)んしたのぢや 紛郎「ハイ、私(わたくし)は大阪の
者でございますが、伊勢参宮から帰途(かへりがけ)、この大和路(やまとぢ)をば見物
いたしませうと思ひまして、彼方此方(あつちこつち)と見物をして居(を)りまし
たが、昨夜(さくや)旅籠屋(はたごや)でからに泥棒の為(た)めに悉皆(すつかり)路銀をば取られ

て仕舞ひました、泊るにも懐裡(ふところ)に銭(ぜに)はございませず、それゆ
ゑ何(ど)うか一泊さして戴きたいので、お願ひに参りましてござ
います 和尚「然(さ)うかの、それはマア気の毒なことぢや、マア斯(か)
う云ふ山寺であるから、何も進(あ)げます物はないが、マア詰(つま)ら
ぬ雑炊があるで、それなと煖(あたゝ)めて喫(く)はんせ 紛郎「大きに有難う
ございます」 二人は雑炊をば饗(よば)れまして、囲炉裏に火を拵(こしら)へ
て柴を焚(た)きながら夜明(よあか)しを致しました、夜が明けてから立た
うと思ひますと、折悪(をりあ)しく雨が頻(しき)りに降ツて居(を)りますから
 似多「紛さん、困ツたなア、また雨ぢやぜ、此間(こなひだ)うちからよう
マアチヨコチヨコ雨に降込(ふりこ)められて、今日も立たうといふ訳に
はいかぬが、如何(どう)したものぢや」

【語釈】
・ございます 和尚「…原文「ございます 和尚」」。明らかな誤植であり、訂正した。

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【解説】
 道念寺を訪ねた二人は、老爺に教えられたとおり、難渋して困って居ると頼み、泊めてもらうことができました。翌朝は雨で、二人は旅立てずに困っている、というくだりです。
 この寺で、紛郎兵衛と似多八は出家をします。この第七回の話の大筋は現上方落語の笑福亭仁鶴「鳥屋坊主」の原形になっていますが、二人が出家するくだりはむしろ現上方落語の故桂枝雀「八五郎坊主」の原形となっています。「八五郎坊主」は一人、本書第七回の方は二人と、人数は違いますが、出家する町人と和尚とのやり取りはまるで同じです。

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【翻字】
 と二人は話をして居(を)ります
ところへさしてこの寺の和尚でございますナ 和尚「アゝ二人の
衆やお目覚めかナ 似多「ハイ、昨夜は色々御厄介になりまして

 和尚「如何(どう)ぢや、このやうに雨が降ツてるで、当寺(たうてら)にも下駄傘
は不用にないので、誠にお気の毒ぢやが、なんともお前方(がた)、急(せ)
かぬ旅ならマア緩容(ゆつくり)と日和になるまで遊んで居(ゐ)たが可(よ)い、如(ど)
何(う)ぢやナ 似多「有難う存じます、イヤモウ吾(わ)れ吾(わ)れは別に急(せ)か
ぬ旅でございますから、マア一日(にち)二日(ふつか)が半月(はんつき)でも一月(ひとつき)でも、
又は半季でも一年(ねん)でも置いてやらうとさへ仰(おつ)しやるなら置い
て戴きますので 和尚「サア斯(か)う云ふ寺の事ぢや依(よ)ツて、置いて
お進(あ)げ申さぬ事もないが、お前方(がた)は何(なん)と何(ど)うぢや、出家にで
もならしやツたら如何(どん)なものじや、釈迦の御弟子(みでし)になる気は
ないかナ 似多「ヘエー、釈迦の御弟子(みでし)とは 和尚「イエ頭髪(あたま)を円(まる)め
て坊主になる気はないか 似多「ヘエ、エー何でございますか、
坊主になると釈迦の御弟子(みでし)ですか 和尚「然(さ)うぢや 似多「ヘエー、
すると章魚(たこ)でも矢張り釈迦の御弟子(みでし)ツてなもので 和尚「それは

何を言はしやるのぢや 似多「それでも頭の丸いものは釈迦の御(み)
弟子(でし)じやと思ひましたので 和尚「ハゝゝゝゝ、如何(どう)じやナ、出
家にでもならしやるなら兎に角、然(さ)うでなければ雨が上(あが)ツた
ら此処(こゝ)を立ツて行(い)ツて貰はねばならぬ、お前方(がた)を三日も四日
もお世話をする訳には行かぬでナ 似多「紛さん如何(どう)しやう、マ
ア自棄糞(やけくそ)だ、ナアオイ、これからこの頃(ごろ)の日和癖(ひよりぐせ)の事じや依(よ)
ツて、幾日(いくか)雨が降るか知れやアせぬ、銭はなし立つ事は出来
ず、坊主にならにやア置いて呉れぬといへば仕方がない、自(や)
棄糞(けくそ)じや、寧(いつ)そ坊主にならうか 紛郎「それも好(よ)からう 似多「エー
左様なら自棄(やけ)から坊主になりますので 和尚「自棄(やけ)から坊主にな
る、これは何(ど)うも自棄(やけ)から坊主になるツてな気に進(すゝ)まぬ事な
ら仕方がないおかしやれ 似多「けれども其処(そこ)を間に合(あは)せ坊主に
 和尚「間に合(あは)せ坊主といふ事があるか、如何(どう)じや、なるならな

るでなると言はしやれ 似多「エーそんならなるならなると致し
ませう 和尚「コレ、雑返(まぜつかへ)しては困る、ならしやるか 似多「エゝ、
そこはドガチヤガで 和尚「ドガチヤガと云ふ事があるかナ、マ
ア一人出家すれば九族天に生ずるといふのぢや 似多「ヘエ

【語釈】
・然(さ)うでなければ…原文「然(さ)うでなけねば」。誤植と思われ、訂正した。
・行(い)ツて…原文「行(い)いて」。誤植と思われ、訂正した。
・日和癖(ひよりぐせ)…不詳。「天候の傾向」という意か。夢野久作『ドグラ・マグラ』等に用例がある。
・おかしやれ…「置かしゃれ(置きなさい:せずに置け)」の意。
・言はしやれ…「言わしゃれ(言いなさい)」の意。
・ドガチヤガ…意味不詳。「インチキや出鱈目を含む適当な処置」というほどの意らしい。
・一人出家すれば九族天に生ずる…出家の功徳は親族に広く及ぶほど尊いという意の諺。「九族」とは「自分を中心に、先祖・子孫の各四代を含めた九代の親族」。この言葉は『仏教ことわざ辞典』『故事ことわざ辞典」等に挙げられているが、出典は不詳で、経典に典拠を持つ言葉ではないらしい。

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【解説】
 和尚に雨具は貸せぬからゆっくりして行けと言われた似多八が、半年でも一年でもと言うと、和尚は一転、長くは世話できぬ、出家してはどうかと持ち掛け、持ち金のない二人は出家を承諾する、というくだりです。
 いったいこの二人はどういう人なのだろう、と首をひねるくらい、紛郎兵衛と似多八には「人生テキトーに気楽に行こう」感が溢れています。実際にはこういう人は中々いない、フィクションの中だけの人、たとえて言えば「男はつらいよ」の車寅次郎のような人なのでしょう。


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