【翻字】
二人は貰ツた礼物(れいもつ)を懐裡(ふところ)に入れて、一旦山寺へ帰りましたが
二人は貰ツた礼物(れいもつ)を懐裡(ふところ)に入れて、一旦山寺へ帰りましたが
支度を致しまして、この山寺をば、和尚の不在(るす)中を幸ひに、
密(そつ)と抜出(ぬけいだ)しました、これから南都を見物して帰らうぢやアな
いかと出て参りましたが、軈(やが)て奈良の町へ這入りまして、猿
沢の池の辺りへかゝりました 紛郎「似多、これが采女(うねめ)の宮ぢや
似多「この宮さん何(なん)で彼方(あちら)向いて居(ゐ)るのぢやア 紛郎「往昔(むかし)彼処(むかふ)に有る彼(あ)の柳は、彼(あ)れは衣掛柳(きぬかけやなぎ)と言ツて、采女(うねめ)の局(つぼね)が彼(あ)の柳へ着
物をかけて、この池へ身を投げて死んだんや、その時にお宮
が憐れに思うて、コロツと彼方(あちら)を向いたといふことだ、それで
これを今に采女(うねめ)の宮といふ、この松は猿猴(ゑ〇こう)の松といふ、サア
お出(い)で………これは十三鐘(がね)と云うて、往昔(むかし)お稚子(ちご)さんが手習(てならひ)を
して居(ゐ)た時に、鹿が出て来て草紙を咥(くは)へた、すると稚子(ちご)は硯
石を取ツてその鹿に打着(ぶつつ)けたさうだ、ところが鹿はそれが為(た)
めに即死をした、この奈良の掟は、鹿一匹殺せば石子詰(いしこづめ)の刑
密(そつ)と抜出(ぬけいだ)しました、これから南都を見物して帰らうぢやアな
いかと出て参りましたが、軈(やが)て奈良の町へ這入りまして、猿
沢の池の辺りへかゝりました 紛郎「似多、これが采女(うねめ)の宮ぢや
似多「この宮さん何(なん)で彼方(あちら)向いて居(ゐ)るのぢやア 紛郎「往昔(むかし)彼処(むかふ)に有る彼(あ)の柳は、彼(あ)れは衣掛柳(きぬかけやなぎ)と言ツて、采女(うねめ)の局(つぼね)が彼(あ)の柳へ着
物をかけて、この池へ身を投げて死んだんや、その時にお宮
が憐れに思うて、コロツと彼方(あちら)を向いたといふことだ、それで
これを今に采女(うねめ)の宮といふ、この松は猿猴(ゑ〇こう)の松といふ、サア
お出(い)で………これは十三鐘(がね)と云うて、往昔(むかし)お稚子(ちご)さんが手習(てならひ)を
して居(ゐ)た時に、鹿が出て来て草紙を咥(くは)へた、すると稚子(ちご)は硯
石を取ツてその鹿に打着(ぶつつ)けたさうだ、ところが鹿はそれが為(た)
めに即死をした、この奈良の掟は、鹿一匹殺せば石子詰(いしこづめ)の刑
罪に行ふと云ふ事がある、可憐(かわい)さうにその稚子(ちご)は此処(こゝ)へさし
て石子詰(いしこづめ)になツたさうで 似多「ムゝン、如何(どう)いふものでこれを
十三鐘(がね)といふ 紛郎「朝に六ツと暮の六ツの間にたツた一ツ鐘を
撞(つ)く、それでこれを十三鐘(がね)といふ、サア此方(こちら)へお出(い)で………こ
の辺りは総(すべ)て浅茅(あさぢ)ヶ原といふ、此処(こゝ)に浅茅焼(あさぢやき)といふ焼物(やきもの)の名
物がある、これから春日さんへ御参詣(おまゐり)に伴(つ)れて行く 似多「何(ど)う
も仰山の灯篭ぢやなア 紛郎「サア灯篭の数と鹿の数ばかりは読(よみ)
尽(つく)した者はないといふ位(くら)ゐだ、ソレ、これが蝉の灯篭だ、サ
アお出(い)で………これは走元(はしりもと)の大黒、これは春日の若宮ぢや」 そ
れを此方(こつち)へ取ツて参りますとこれから三笠山 似多「此処(こゝ)には何(なん)
ぞ名物があるかえ 紛郎「此処(こゝ)の名物は火打焼(ひうちやき)、三條小鍛冶宗近
が打ツた小狐丸の名剣、此処(こゝ)の刀を買ひに這入ると見せて呉(く)
れる、それから向(むか)ふへ取ツて行くと洞(ほら)の紅葉(もみぢ)、月日(つきひ)の岩、氷(ひ)
て石子詰(いしこづめ)になツたさうで 似多「ムゝン、如何(どう)いふものでこれを
十三鐘(がね)といふ 紛郎「朝に六ツと暮の六ツの間にたツた一ツ鐘を
撞(つ)く、それでこれを十三鐘(がね)といふ、サア此方(こちら)へお出(い)で………こ
の辺りは総(すべ)て浅茅(あさぢ)ヶ原といふ、此処(こゝ)に浅茅焼(あさぢやき)といふ焼物(やきもの)の名
物がある、これから春日さんへ御参詣(おまゐり)に伴(つ)れて行く 似多「何(ど)う
も仰山の灯篭ぢやなア 紛郎「サア灯篭の数と鹿の数ばかりは読(よみ)
尽(つく)した者はないといふ位(くら)ゐだ、ソレ、これが蝉の灯篭だ、サ
アお出(い)で………これは走元(はしりもと)の大黒、これは春日の若宮ぢや」 そ
れを此方(こつち)へ取ツて参りますとこれから三笠山 似多「此処(こゝ)には何(なん)
ぞ名物があるかえ 紛郎「此処(こゝ)の名物は火打焼(ひうちやき)、三條小鍛冶宗近
が打ツた小狐丸の名剣、此処(こゝ)の刀を買ひに這入ると見せて呉(く)
れる、それから向(むか)ふへ取ツて行くと洞(ほら)の紅葉(もみぢ)、月日(つきひ)の岩、氷(ひ)
室(むろ)の旧跡がある、この山を向(むか)ふに越えると、鶯の滝、蝙蝠の
岩屋、七本杉などがあるが、其処(そこ)へ廻ると大分(だいぶん)に大儀ぢや依(よ)
ツて、最(も)う今日はやめて置かう 似多「アゝこれが三笠の山とい
ふのか 紛郎「然(さ)うぢや、阿部仲麻呂が唐土(もろこし)へ暦を取りに行ツて
高楼(たかどの)で詠んだ歌がある 似多「何(なん)といふ歌ぢやエ 紛郎「名高いもの
だ、天の原ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出(い)でし月か
も
岩屋、七本杉などがあるが、其処(そこ)へ廻ると大分(だいぶん)に大儀ぢや依(よ)
ツて、最(も)う今日はやめて置かう 似多「アゝこれが三笠の山とい
ふのか 紛郎「然(さ)うぢや、阿部仲麻呂が唐土(もろこし)へ暦を取りに行ツて
高楼(たかどの)で詠んだ歌がある 似多「何(なん)といふ歌ぢやエ 紛郎「名高いもの
だ、天の原ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出(い)でし月か
も
【語釈】
・采女(うねめ)の宮…猿沢池のほとりにある、春日大社の末社。
・居(ゐ)るのぢやア 紛郎「往昔(むかし)…原文「居(ゐ)るのぢやア、往昔(むかし)」。会話の続き具合に合わず、誤植と思われ、訂正した。
・この池へ身を投げて死んだんや…この話は『大和物語』第百五十段に見える。
・猿猴(ゑ〇こう)…ルビ不鮮明。あるいは「ゑてこう」か。
・阿部仲麻呂…阿倍仲麻呂。奈良時代の遣唐留学生。
【解説】
紛郎兵衛、似多八の二人は、出鱈目な葬式をして受け取った礼物を着服して、山寺を出奔し、奈良見物をするというくだりです。
第八話は現行の上方落語「こぶ弁慶」です。現行版は京都が舞台であるのに対し、本書古形版の舞台は奈良です。また、冒頭の奈良見物のくだりは、現行の上方落語「鹿政談」のマクラに使われています。