江戸期版本を読む

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カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 滑稽大和めぐり第八回(こぶ弁慶)

【翻字】
 二人は貰ツた礼物(れいもつ)を懐裡(ふところ)に入れて、一旦山寺へ帰りましたが

支度を致しまして、この山寺をば、和尚の不在(るす)中を幸ひに、
密(そつ)と抜出(ぬけいだ)しました、これから南都を見物して帰らうぢやアな
いかと出て参りましたが、軈(やが)て奈良の町へ這入りまして、猿
沢の池の辺りへかゝりました 紛郎「似多、これが采女(うねめ)の宮ぢや
 似多「この宮さん何(なん)で彼方(あちら)向いて居(ゐ)るのぢやア 紛郎「往昔(むかし)彼処(むかふ)に有る彼(あ)の柳は、彼(あ)れは衣掛柳(きぬかけやなぎ)と言ツて、采女(うねめ)の局(つぼね)が彼(あ)の柳へ着
物をかけて、この池へ身を投げて死んだんや、その時にお宮
が憐れに思うて、コロツと彼方(あちら)を向いたといふことだ、それで
これを今に采女(うねめ)の宮といふ、この松は猿猴(ゑ〇こう)の松といふ、サア
お出(い)で………これは十三鐘(がね)と云うて、往昔(むかし)お稚子(ちご)さんが手習(てならひ)を
して居(ゐ)た時に、鹿が出て来て草紙を咥(くは)へた、すると稚子(ちご)は硯
石を取ツてその鹿に打着(ぶつつ)けたさうだ、ところが鹿はそれが為(た)
めに即死をした、この奈良の掟は、鹿一匹殺せば石子詰(いしこづめ)の刑

罪に行ふと云ふ事がある、可憐(かわい)さうにその稚子(ちご)は此処(こゝ)へさし
て石子詰(いしこづめ)になツたさうで 似多「ムゝン、如何(どう)いふものでこれを
十三鐘(がね)といふ 紛郎「朝に六ツと暮の六ツの間にたツた一ツ鐘を
撞(つ)く、それでこれを十三鐘(がね)といふ、サア此方(こちら)へお出(い)で………こ
の辺りは総(すべ)て浅茅(あさぢ)ヶ原といふ、此処(こゝ)に浅茅焼(あさぢやき)といふ焼物(やきもの)の名
物がある、これから春日さんへ御参詣(おまゐり)に伴(つ)れて行く 似多「何(ど)う
も仰山の灯篭ぢやなア 紛郎「サア灯篭の数と鹿の数ばかりは読(よみ)
尽(つく)した者はないといふ位(くら)ゐだ、ソレ、これが蝉の灯篭だ、サ
アお出(い)で………これは走元(はしりもと)の大黒、これは春日の若宮ぢや」 そ
れを此方(こつち)へ取ツて参りますとこれから三笠山 似多「此処(こゝ)には何(なん)
ぞ名物があるかえ 紛郎「此処(こゝ)の名物は火打焼(ひうちやき)、三條小鍛冶宗近
が打ツた小狐丸の名剣、此処(こゝ)の刀を買ひに這入ると見せて呉(く)
れる、それから向(むか)ふへ取ツて行くと洞(ほら)の紅葉(もみぢ)、月日(つきひ)の岩、氷(ひ)

室(むろ)の旧跡がある、この山を向(むか)ふに越えると、鶯の滝、蝙蝠の
岩屋、七本杉などがあるが、其処(そこ)へ廻ると大分(だいぶん)に大儀ぢや依(よ)
ツて、最(も)う今日はやめて置かう 似多「アゝこれが三笠の山とい
ふのか 紛郎「然(さ)うぢや、阿部仲麻呂が唐土(もろこし)へ暦を取りに行ツて
高楼(たかどの)で詠んだ歌がある 似多「何(なん)といふ歌ぢやエ 紛郎「名高いもの
だ、天の原ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出(い)でし月か

【語釈】
・采女(うねめ)の宮…猿沢池のほとりにある、春日大社の末社。
・居(ゐ)るのぢやア 紛郎「往昔(むかし)…原文「居(ゐ)るのぢやア、往昔(むかし)」。会話の続き具合に合わず、誤植と思われ、訂正した。
・この池へ身を投げて死んだんや…この話は『大和物語』第百五十段に見える。
・猿猴(ゑ〇こう)…ルビ不鮮明。あるいは「ゑてこう」か。
・阿部仲麻呂…阿倍仲麻呂。奈良時代の遣唐留学生。


【解説】
 紛郎兵衛、似多八の二人は、出鱈目な葬式をして受け取った礼物を着服して、山寺を出奔し、奈良見物をするというくだりです。
 第八話は現行の上方落語「こぶ弁慶」です。現行版は京都が舞台であるのに対し、本書古形版の舞台は奈良です。また、冒頭の奈良見物のくだりは、現行の上方落語「鹿政談」のマクラに使われています。

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【翻字】
 似多「ハゝア、此処(こゝ)等にチヨイチヨイと茶店があるナ 紛郎「ムゝ
こりやア手向山(たむけやま)の八幡(まん)様(さん)、この度は幣も取敢(とりあへ)ず手向山(たむけやま)、紅葉
のにしき神のまにまにといふ菅公の詠まれた御歌(おうた)がある、こ
れは四月堂、これは三月堂、これは二月堂の観音さんぢや
 似多「アゝ立派なものぢやナ、此処(こゝ)に在るのはこりやア何(なん)ぢや
エ 紛郎「それはその空井戸ぢやが、二月になると、その井戸に
水が湧くといふ、若狭からこれへ水が通ふ若狭の呼水(よびみづ)と云う

て 似多「ハゝア、奈良の水取(みづとり)といふのはこれか 紛郎「然(さ)うぢや
 似多「してこの杉は大きな杉ぢやナ、この杉には何(なに)か謂(いは)れがあ
るかエ 紛郎「こりやア良弁杉(りやうべんすぎ)と云ふて、往昔(むかし)小児(せうに)が鷲に攫(さら)はれ
て、この杉の樹へ落(おと)された、その子をば出家にして育てたが
これが良弁(りやうべん)僧正と云ツて、東大寺の開山(かいさん)になツたのぢや 似多「
ハゝア、ゑらいものやなア 紛郎「サアお出(い)で………これは大仏の
鐘ぢや 似多「ムゝウ成程大仏に大きい鐘ぢやナ 紛郎「悪い洒落や
なア、ソレ、これは大仏のわらび餅といふ名物ぢや、これが
大仏殿 似多「途方もない大きなものぢやなア 紛郎「下から斯(か)う見
て居(ゐ)ると小さいやうぢやけれども、花瓶(くわき)にさしてある蓮の葉
が直径(さしわたし)一間ある 似多「ヘエー、チヨイと見ると小さう見えるが
なかなか大きなものぢやなア 紛郎「ソレ、この竹で寸を当(あた)るや
うにチヤンとしてある、往昔(むかし)この大仏様のお目が落ちたことが

あるさうだ 似多「ハゝア、すると大仏様は眇目(???)になツたのか
 紛郎「その時にその目を元の通りに嵌(は)めにやアならぬといふの
で、広く入札をした事がある、さうしたら皆(みん)な出て来て、マ
ア五百両呉れとか千両呉れとか八百両呉れとかと、何(なに)しろこ
れを嵌(は)めやうと言うには、仰山な人数(にんず)が要(い)るから、大勢の人
でなければその目を嵌(は)める事は出来ぬ、さうすると此処(こゝ)へ父(おや)
子(こ)二人(ふたり)が出て来て、その五百両なり八百両なりは寄附をしま
せうといふ、一文も要(い)らない、私等(わたしら)が直(すぐ)に目を嵌(は)めて進(あ)げま
せうと申込(まをしこ)んだ、如何(どん)な事をするだらう、彼(か)れ此(こ)れ千両もか
ゝらうといふ仕事をば、見れば身薄(みうす)い服装(なり)をした奴が、寄附
の出来るといふやうな男でもないが、如何(どう)為(し)をるだらうと見
て居ると、腰に大きな鉄鎚(かなづち)をば一本穿(さ)して、大きな釘をば口
に咥(くは)へて、父子(おやこ)二人(ふたり)は足場もなく這上(はひあが)ツて、目の中へ這入ツ

て仕舞ツた、暫(しばら)くすると二人(ふたり)は目をば担いで、チヤンと其処(そこ)
へ嵌(は)めて、前の穴の所へさしてカンカンと打ツて仕舞ツた、
すると皆(みん)な大勢それを見て居(ゐ)た者は、彼奴(あいつ)這入ることは這入
ツたが出るのは何処(どこ)から出るだらうと見てゐると、中々怜(り)
悧(こう)な奴で、煙草を二三服喫(の)む間(あひだ)に、這入ツた父子(おやこ)の二人(ふたり)は、
鼻の穴から這(は)うて出た、ナア、それで今に言うたものぢや、
怜悧(りこう)な人は目から鼻に抜けると 似多「ハゝア、そりや真実(ほんま)かエ
 紛郎「嘘や 似多「冗談(うだうだ)言ふなエ 

【語釈】
・菅公の詠まれた御歌(おうた)…百人一首二十四番の歌。
・大仏に大きい鐘ぢやナ…原文「大仏に多きい鐘ぢやナ」。誤植と思われ、訂正した。「大分(だいぶ)に大きい鐘」の洒落。
・一間…約1.8m。
・眇目…ルビ不鮮明。あるいは「かため」か。「片目」の意。
・身薄(みうす)い…ルビ不鮮明。

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【解説】
 紛郎兵衛、似多八の二人は東大寺にやって来、大仏殿で紛郎兵衛は、かつて大仏様の目の修理をした父子の話を似多八に聞かせるくだりです。
 この小話は、現行の上方落語「鹿政談」のマクラに使われています。本書では、父子は報酬を辞退し、父子ともに鼻から抜け出ますが、故・桂米朝や故・桂文枝による現行版では、報酬を十両要求し、鼻から抜け出るのは子だけです。また、現行版では演者が小話として客に直接語る形であり、嘘であることは示唆する程度ですが、本書は話中の人物同士の会話として演じ、嘘であることを明言しています。話の概要は同じですが、語り方や細部は変更されています。

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【翻字】
 紛郎「この大仏の裏手に正倉院と云
ツて、南都の結構な宝物(ほうもつ)は皆(みな)この寺にあるのぢや 似多「そいつ
を一ツ見たいなア 紛郎「なかなかそりやア伝手(つて)があツても、容
易に見る事は出来ぬ、サアお出で………これが円満院といふの
ぢや、この屋根の正面の破風の所に在(あ)る瓦は、ニコニコ瓦と
云ツて、見て居(ゐ)るとニコニコ笑うてゐるやうぢや、これは奈

良の都の八重桜といふのぢや、経昔(いにしへ)の奈良の都の八重桜、今(け)
日(ふ)九重ににほひぬるかなと、百人一首にも出てゐる通り、伊
勢大輔(いせのおほすけ)といふお方の歌ぢや 似多「ハゝア、奈良といふ処(ところ)は好(い)い
所ぢやナ 紛郎「何(なに)しろ元の都であるから、名物は此処(こゝ)で名高い
のは奈良漬、菊屋の霰酒(あられざけ)、奈良晒布(ならざらし)、奈良団扇、奈良足袋
 似多「さうさう、屁でも音の好(い)いのをおなら(〇〇〇)といふ 紛郎「余計な事
を言ふなエ、これが興福寺、これが金堂、この向(むか)ふに在るの
が北円堂、此方(こちら)のが南円堂、これは西国九番の札所(ふだしよ)、御詠歌
に、春の日は南円堂に輝きて、三笠の山にはるゝ薄雲(うすぐも)、これ
から此処(こゝ)が三條通り、併(しか)し最(も)う日も暮れて来る依(よ)ツて、今夜
此処(こゝ)で泊(とま)らう」 と小刀屋(こがたなや)に印判屋といふ二軒の宿屋(はたご)がござい
ます、
この小刀屋(こがたなや)善助に印判屋といふ旅籠屋(はたごや)は、三度の食器(??)
が変(かは)るといふ名代な旅亭でございます 似多「何方(どつち)へ泊(とま)るエ 紛郎「

サア今宵は小刀屋(こがたなや)善助方(かた)へ泊(とま)らうかエ 〇「ヘエ貴郎(あなた)方お泊(とま)り
ぢやアございませんか、私(わたくし)の方(はう)は印判屋でございます △「私(わたくし)
の方(はう)は小刀屋(こがたなや)でございます、お泊(とま)りぢやアございませんか」
二人は小刀屋(こがたなや)の宅(うち)の方(はう)へズツと這入ツて参りました

【語釈】
・経昔(いにしへ)の奈良の都の八重桜、今(け)日(ふ)九重ににほひぬるかな…百人一首六十一番の歌。
・食器(??)…ルビ不鮮明。あるいは「ごき」か。

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【解説】
 東大寺から興福寺周辺を見物した紛郎兵衛と似多八が、小刀屋善助という宿に泊まるくだりです。
 紛郎兵衛が似多八にさまざまに名所や名物を説明し、聞き手の似多八がボケて返すやりとりは、現行の故六代目笑福亭松鶴「天王寺詣り」と同様です。
 二人が投宿してから、話は現行の「こぶ弁慶」と重なります。現行版「こぶ弁慶」の舞台は大津ですが、本書は奈良です。

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【翻字】
 「ヘエお二人
さんお泊(とま)り、コレ、お洗足水(すゝぎ)を持ツてお出(い)でや、お早うさん
でございます、其処(そこ)で紛郎兵衛、似多八の両人は、草鞋(わらじ)を解
いている、其処(そこ)へさして山から這出(???)といふ下女(をなごし)が洗足(すゝぎ)を持ツ
て参りましたが 下女「お客様や、足を出さツせい、おれがお前
様の脛(すね)を洗ツてやるだア 似多「こりやア驚いたなア脛(すね)だツて言
やアがる 下女「お客様や、妾(わし)がお前様の足を洗ツて居(を)ると、国
許(もと)の事を思出(おもひだ)して、ホロリホロリと涙が落(こぼ)れるだ 紛郎「オイ似多
女(をなご)泣かしたり何(なん)かして居(ゐ)るぜ、イヤ似多八の色男 似多「冗談言
うて呉れなエ、オイ女中(ぢよちう)、お前は何(なに)かエ乃公(おれ)の足を洗うて涙

が落(こぼ)れるといふのは、国許(もと)に言交(いひかは)した情夫(をとこ)があツて、その情(をと)
夫(こ)に添ふにも添はれず、止(や)むを得ずこの奈良へ出て来て、小(こ)
刀屋(がたなや)で奉公するのも世間の手前で斯(か)う奉公してゐるのだらう
が、私(わし)の足を洗うて涙が落(こぼ)れるといふのは、お前の色男の足
に乃公(おれ)の足が似て居(ゐ)るといふのかナ 下女「ナアニ、然(さ)うでねえ
おれが故郷(くに)に居(ゐ)る時にやア、昼間ア畑で仕事をしてからに、
宅(うち)へ帰ツて来ると、おれが牛の足をば洗ひをるのが役ぢやツ
た、お前(めへ)の足を洗うて涙の落(こぼ)れるのは、おれが取扱(とりあつか)うて居(ゐ)た
牛の足によく似て居(を)るからだ 似多「馬鹿言ふナ、牛の足と人間
の足と間違ふ奴があるものか、紛さん、乃公(おれ)を牛にしてけつ
かる 紛郎「サアお前の顔も何(ど)うやら牛に似てゐる 似多「モウー
 紛郎「冗談(うだうだ)言ふなエ 番頭「お客さん、お荷物は持ツて参ります、
サア何卒(どうぞ)奥へお通りを、最(も)う直にお風呂も明きますし、御飯(おしたく)

は直に持ツて参ります、併(しか)しお旅籠料(はたご)のところは 紛郎「ナア似
多八、何(ど)うしやう、懐裡(ふところ)も乏しい依(よ)ツて、マア並(なみ)にして置か
うかエ 似多「然(さ)うしやう然(さ)うしやう 紛郎「オイ若衆(わかいしゆ)、一番安いところで
す 番頭「イヤ心得ましてございます、併(しか)しお客さん、この頃は
又道者(だうしや)が多うございますので、誠に何(ど)うもお気の毒でござい
ますが、座敷は一向(かう)ございませんゆゑ、皆(みな)さま御一緒に一ツ
寝て戴きたうございます 紛郎「アゝ何(ど)うでも大事(だん)ない、我慢を
して居(ゐ)る」

【語釈】
・山から這出(はひで)…漢字ルビともに不鮮明。
・旅籠料(はたご)…「旅籠銭」の略。宿屋の宿泊料と食事代。
・道者(だうしや)…連れ立って社寺を参詣・巡拝する旅人。遍路。巡礼。

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【解説】
 宿屋に上がる時、足をすすいでくれる女中と似多八との会話のくだりです。現行版「こぶ弁慶」とほぼ同じ内容ですが、本書古形版の最後にある洒落が、現行版では省略されています。

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【翻字】
 とこれから奥の座敷へさしてからに来て見まする
と、イヤ女子(じやこ)も赤子(もうざう)も一所(ひとつ)に居るやうな訳で、此方(こなた)の方(はう)には
チヨツと二三人(にん)酒を飲み始めて居(を)ります、歌を歌うたり三味(しや)
線(み)を弾いたりして喧々(わいわい)と言ツて居(を)りまする、暫時(しばらく)いたします
ると一人(にん)の男ですな、顔の色を変へて其処(そこ)へ駈込(かけこ)んで参りま
した 〇「何(なん)ぢや如何(どう)したんぢや △「アゝ喫驚(びつくり)いたしました 〇「

何(なに)を喫驚(びつくり)しなすツた △「今私(わたし)やア雪隠(せんち)へ這入りましたら、雪(せん)
隠(ち)の中に大きな蜘蛛が居(を)りました 〇「蜘蛛、蜘蛛ぐらゐが貴(あな)
郎(た)怖いのですか △「私(わたし)やア生来(うまれつ)いてより蜘蛛を見ますと、如(ど)
何(ん)な小さな蜘蛛でも戦慄(ぞつと)して身の毛が弥竪(よだ)ちますので 〇「ハ
ゝア蜘蛛ぐらゐで、そりやア妙ぢやなア ◎「イヤそりやア何(ど)
うとも言へませんぜ 〇「左様かナ △「一体人には必(かな)らず何(なに)か
怖いものがあるものです、といふのは、生(うま)れました時に、床(ゆか)
の下へさして胞衣(ゑな)を埋(うづ)めます、その胞衣(ゑな)の上をば初めて通ツ
た物が、最(も)う一番怖いと言ひますナ 〇「ハゝア、するとこの
お方などは胞衣(ゑな)の上を蜘蛛が通ツたんですナ ◎「左様 〇「然(さ)
う仰(おつ)しやると私(わたし)やア鼠が怖うございますので ◎「サア矢張(やは)り
鼠が胞衣(ゑな)の上を通ツたんでせう 〇「成程 ◎「貴郎(あなた)も何(なに)か怖い
ものがございませう ●「私(わたくし)ですか、ございますとも、私(わたくし)は鼬(いたち)

が怖うございます 〇「然(さ)うすると胞衣(ゑな)の上を鼬が通ツたんで
せう ●「ヘエー ▲「私(わたし)は又馬蜉(げじげじ)が怖うございます ◎「すると
馬蜉(げじげじ)が胞衣(ゑな)の上を通ツたんですナ、貴郎(あなた)は何(なん)ぞ怖い
ものはありませんか ◇「私(わたし)だツて怖いものはあります、私(わたし)は誠に馬が
怖いので ◎「それも初めて胞衣(ゑな)の上を馬が通ツたんで ●「空(じやう)
談(だん)なことを、床(ゆか)の下を馬が通れますものか ◎「マアその時胞衣(ゑな)
を埋(うづ)めてゐる折柄(をりから)戸外(そと)を馬が通ツたてなものでせうかエ、
貴郎(あなた)は ●「私(わたくし)は小犬(いぬころ)が怖いので ◎「小犬(いぬころ)、ハゝア、矢張(やは)り胞(ゑ)
衣(な)の上を通ツたんでせう、貴郎(あなた)は ▲「私(わたし)は雷が怖いので ◎「
その時に矢張(やは)りその上で雷が鳴ツたツてなものですナ ●「私(わたし)
は又借金取(とり)が怖うございます ◎「矢張(やは)り借金取(とり)が胞衣(ゑな)の上を
ば……… ⦿「空談(うだうだ)言ひなさんナ 

【語釈】
・◇「私(わたし)だツて…原文「◎「私(わたし)だツて」。会話の続き具合から明らかに誤植であり、訂正した。

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【解説】
 相部屋になった客たちがいる部屋に、一人の客が飛び込んできたところから、互いに怖いものを言い合うくだりです。
 現行の故・桂米朝「こぶ弁慶」とほぼ同じ内容ですが、現行「こぶ弁慶」では、にぎやかに騒いでいる喜六・清八の酒宴に他の部屋の客がどんどん入って来たところへ一人の客が飛び込んでくる、という設定なのに対し、本書の古形版では最初から相部屋であったという設定であるところに、大きな相違点があります。

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