江戸期版本を読む

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カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 滑稽大和めぐり第八回(こぶ弁慶)

【翻字】
◎「併(しか)しこの人間といふものは
怖いものもありますが、好きなものもあるものですナ、貴郎(あなた)

も嫌ひなものがありや好きなものもありませう 〇「ヘエ、私(わたし)
の好きなものといふのは二番に酒ですナ ◎「ヘエ、すると一
番は 〇「然(さ)うです、一番は……… ◎「何ですね 〇「えらい言ひ
悪(にく)うございますけれども、女(をなご)と一緒に寝るツてな事が好きで
す ◎「そりやア誰でも好きです、貴郎(あなた)は何(なに)がお好きです
 〇「私(わたし)やア興業物(こうぎやうもの)が好きです、芝居でも浄瑠璃でも俄(にわか)で
も落語(はなし)でも、見いたり聞いたりする事が至ツて好きで ◎「成
程、で、貴郎(あなた)は △「私(わたし)やア釣(つり)が好きです ◎「ヘエー、貴郎(あなた)は 〇「私(わたし)やア苦(にが)い物が
好きです ◎「何(ど)うも妙ですなア、苦(にが)い物が好き、矢張(やつぱ)り虫が
好(す)くのですナ、貴郎(あなた)は何(なに)がお好きです ▲「私(わたし)やアこの空消炭(からけし)
が好きでございます ◎「妙なものが好きでございますナ、貴(あな)

郎(た)は ●「私(わたし)やア又この寒木(????)、あいつをシガシガ歯噛(しが)んで居(ゐ)た
いので ◎「イヤ然(さ)ういふお方(かた)もあるものです、貴郎(あなた)はナ 似多「私(わたし)やア又壁土(かべつち)が好きです ◎「何(なに)が好きです 似多「イエ壁土(かべつち)が
 ◎「アノ壁土(かべつち)、ヘエー、何(ど)ういふ壁土(かべつち)がお好きなんで 似多「エ
ー如何(どん)なのでも壁土(かべつち)なら喫(た)べたいので、それが私(わたし)の病気(やまひ)でございます ◎「ヘエー、妙なものを好きなお方(かた)があるものです
ナ、併(しか)し真個(ほんま)ならこの壁土(かべつち)毀(こぼ)ツて喫(た)べたら如何(どう)です 似多「イエ
貴郎(あなた)そんな事は出来やアしません ◎「大事(だいじ)ございません、貴(あな)
郎(た)が好きだと言ふなら、私(わたし)が引受(ひきう)けます、壁土(かべつち)を毀(こぼ)ツて進(あ)げ
ますから」 と煙管(きせる)を以(もつ)て片傍(かたへ)の壁をばトントンと毀(こぼ)ちました
 ◎「サアお上(あが)り 似多「有難う、こりやア旨い」 調子に乗ツて似
多八は、壁土(かべつち)をば喫(く)ひ始めました、側(そば)にゐた皆(みな)の者は、呆れ
て見て居(を)りましたが、その夜(よ)はコロリと寝まして、

【語釈】
・◎「併(しか)しこの…原文「〇「併(しか)しこの」。会話の続き具合から明らかに誤植であり、訂正した。
・〇「然(さ)うです、一番は…原文「◎「然(さ)うです、一番は」。会話の続き具合から明らかに誤植であり、訂正した。
・◎「何ですね…原文「〇「何ですね」。会話の続き具合から明らかに誤植であり、訂正した。
・俄(にわか)…即興的に演じる滑稽な寸劇。
・空消炭(からけし)…雑木を主とする残り炭。火種に用いた。消し炭(ずみ)。
・寒木(????)…漢字ルビともに不鮮明。
・歯噛(しが)んで…漢字ルビともに不鮮明。

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【解説】
 同室の者同士の談義は「好きな物」にうつり、似多八が壁土を食べるというくだりです。
 現行の故・桂米朝「こぶ弁慶」と、細部には相違点がありますが、大筋は同じです。ただし、本書の古形版では、壁土を食べるのは本書主人公の一人である似多八と特定されています。現行の故・桂米朝「こぶ弁慶」ではその人物はそれと特定されていません。そこに最大の相違点があります。

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【翻字】
翌朝(よくてう)朝飯(あさはん)

を喫(た)べて紛郎兵衛、似多八の両人は、戸外(おもて)へさして立出(たちい)でま
したが 紛郎「これを西へ行くと西大寺、尼ヶ辻、此方(このはう)へ行くと
暗峠(くらがりたふげ)の方(はう)へ出るのぢやが、南へ廻ツて行かう」 とこれをば南
へさして出て参りました 紛郎「サアこれが木辻(きつじ)ぢや、往昔(むかし)は此(こ)
処(ゝ)をば鬼の辻と云うた、白宝年間に時の御門(みかど)が行幸(ぎやうかう)あらせら
れた時に、その当時(ころ)といふものは此処(こゝ)は最(も)う一面の森であツ
た、白昼でも盗賊(ぬすびと)が出る位(くら)ゐであるから、何(ど)うかせよといふ詔勅(みことのり)
が下(くだ)ツた時に願出(ねがひだ)して此処(こゝ)へ遊女を設けて、それから木辻(きのつじ)と
書くやうになツた、此処(こゝ)で有名な女郎屋といふのは米濱(こめはま)に下(しも)
の河内屋、上(かみ)の河内屋といふのぢや、彼処(むかふ)に見えるのが彼(あ)れ
が瓦堂の芝居や、サアお出(い)で」 とこれから西へ取ツて参りま
した 紛郎「これが大安寺堤(づゝみ)、芝居でする進藤治郎左衛門が返撃(かへりうち)

に遭うたツて所(とこ)は此処(こゝ)ぢや、これが大安寺餅といふ名物ぢや
これからが郡山ぢや 似多「ハゝア、郡山で何(なん)ぞ見る所(ところ)があるか
エ 紛郎「これから左へ這入ツて行くと外川(とかわ)村、これが留(とめ)の小川(こ??)
といふ 似多「ハゝア、この川は何(なん)ぞ由緒のある所(ところ)か 紛郎「これは
その婆さんが往昔(むかし)洗濯に行ツたツて所(とこ)ぢや、老爺(ぢゞい)は山へ柴
刈りに老婆(ばゞあ)は川へ洗濯にといふ昔話があるだらう 似多「ムゝ、
けれども水は流れて居(ゐ)りやアせぬがナ 紛郎「サア往昔(むかし)はこれで
も矢張(やつぱ)り水は流れて居(ゐ)たんぢや 似多「ハゝア、このお宮さんは何(なん)ぢ
やエ 紛郎「これは舌切雀どんの宮ぢや、彼処(あれ)に見えるのは彼(あ)れ
は本多大内記様の御墓所(おはかしよ)だといふ 似多「ハゝア、此処(こゝ)は何(なん)ぢや
エ 紛郎「これは生田伝八の墓ぢや 似多「閻魔さん見たやうぢやな
ア 紛郎「これは閻魔の像ぢやが、この下(した)の台に書いてある生田
伝八之墓と 似多「成程、違いない、彼(あ)んな悪い奴が何(なん)で此様(こん)な

所(ところ)に墓があるのぢやらう 紛郎「これは芝居狂言にする宗禅寺馬
場で治左衛門、喜八郎を反撃(かへりうち)にしたといふ、さうしてこの大
和へ出て来た、元郡山の家中であツた、で、柳町に餅屋があ
る、其処(そこ)の宅(うち)に隠匿(かく)れて居(ゐ)たが、何(ど)うも人を殺し卑怯にも反(かへり)
撃(うち)にして置いて、身を潜めて居(ゐ)るといふのは、本意(ほんい)でないと
いふので、その餅屋の宅(うち)で、伝八は詰腹(つめばら)をば切らされたとい
ふ、その餅屋の宅(うち)からこの墓を建てたといふやうに聞いて居(ゐ)
る 似多「で、そこ観音様見たやうなものがあるが、これは何(なん)ぢ
やエ 紛郎「それは伝八を育てた乳母(うば)の墓ぢや 似多「ムゝ

【語釈】
・暗峠(くらがりたふげ)…ルビ不鮮明(特に「た」)。
・白宝年間…「白鳳年間」の誤り。
・芝居でする進藤治郎左衛門が返撃(かへりうち)…「芝居」とは「敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)」を指すか。「進藤治郎左衛門」は正しくは「春藤次郎右衛門」。
・留(とめ)の小川(こ??)…ルビ不鮮明。
・老爺(ぢゞい)は山へ…原文「老婆(ぢゞい)は山へ」。明らかに誤植であり、訂正した。
・本多大内記…伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻の決闘)に登場する人物。
・生田伝八…正しくは「生田伝八郎」。崇禅寺馬場の仇討(そうぜんじばばのあだうち)に登場する人物。
・彼(あ)んな悪い奴…生田伝八郎が禅寺馬場の仇討で遠城治左衛門と安藤喜八郎の兄弟を返り討ちした事を指す。

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【解説】
 前の晩に壁土を食べた似多八は、翌日は何の異常もなく紛郎兵衛とともに郡山見物をするというくだりです。伊賀越えの仇討ち(1634年)と崇禅寺馬場の仇討(1715年)は実際に起こった事件で、ともに浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられ、有名であったようです。
 現行の「こぶ弁慶」とは大きく違う、旅行ガイド的なのんびりとしたくだりがもう少し続きます。

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【翻字】
 紛郎「サア
此方(こちら)へお出(い)で………これは大和の大和の源九郎さんといふ彼(あ)の源
九郎稲荷さんぢや 似多「そんなら此処(こゝ)へ参詣をしやう」 と御参
詣をして、それから此方(こちら)へやツて参りました 紛郎「これは岡町(をかまち)
といふのぢやが、この郡山の花街(はなまち)、サアお出(い)で………此処(こゝ)は片

桐といふ所ぢや 似多「此処(こゝ)に何(なん)ぞ名物があるかエ 紛郎「此所(こゝ)の名
物といふのは生揚(なまあげ)ぢやナ 似多「土産に買うて帰(い)なうか 紛郎「こん
な物をヒヨコヒヨコ大阪へ提(さ)げても帰(い)なれやアせぬが」 これか
ら出て参りましたが 紛郎「サアこれが法隆寺、聖徳太子様の御
本山で、これは七堂伽藍といふ構造(つくり)ぢや、大阪の四天王寺は
この伽藍を写したものぢや、これは竜田川 似多「ハゝア 紛郎「
これから秋になるとこの両岸(りやうぎし)の紅葉(もみぢ)がこうえふしたところは
実に立派なものぢや、在原業平といふお方の歌に、千早振る
神代も聞かず立田川、からくれなゐに水くゞるとはと詠まれ
たのは此処(こゝ)ぢや、これは龍田の明神、此処(こゝ)へさして鶏を進(あ)げ
ると、雌鶏(めんどり)に鶏冠(とさか)が出来て、皆(みな)雄鶏(をんどり)同様になるといふ 似多「ハ
ゝア妙ぢやナ」 これを参詣しまして、ブラブラとやツて参り

ましたが 紛郎「サア此処(こゝ)が岡豊橋(おかとよばし)」これから左へ行くと、道明
寺の天神さんの方(はう)へ行くのですが、これからこの橋を渡りま
す、柏原、八尾から平野の大念仏をば横に見て、天王寺小堀(こぼれ)
口(ぐち)へ戻ツて来ました、紛郎兵衛、似多八の両人は、やうやう
に宅(たく)へ帰りました、

【語釈】
・御参詣…漢字ルビともに不鮮明。
・これは岡町(をかまち)といふのぢやが、この郡山の花街(はなまち)…漢字ルビともに不鮮明。
・天王寺小堀(こぼれ)口(ぐち)…現在の大阪市天王寺区南二丁目にある近鉄南大阪線河堀口(こぼれぐち)駅付近か。

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【解説】
 紛郎兵衛と似多八が郡山から法隆寺、柏原を経て大阪の自宅まで帰り着くくだりです。この後、自宅の似多八の肩にこぶができ、いよいよ「こぶ弁慶」となります。

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【翻字】
 その後不図似多八は右の肩へさして小さ
な疣(いぼ)のやうなものが出来ました、そいつを何(なん)ぢやいナと思ツ
て引千切(ひきちぎ)ツて仕舞ふ、またその跡へコロツと出来る、心持(こゝろもち)が
わるいから、遂には寝床(とこ)に就いて居(を)りましたが、或日戸外(おもて)か
ら紛郎兵衛は 「似多、在宅(うち)かエ 似多「オウ紛さん 紛郎「何(なん)ぢや、
何処(どこ)か悪いのか 似多「ムゝ 紛郎「如何(どう)したのや 似多「斯(か)う肩へさし
て疣(いぼ)が出来たんだ、大きに心持(こゝろもち)が悪いので 紛郎「ハゝア疣(いぼ)が如(ど)
何(う)した 似多「千切(ちぎ)ると跡へさして出来、またそいつを千切(ちぎ)ると
跡へさして出来るのぢや 紛郎「ムゝウ、薬を飲んで居(ゐ)てか 似多「

別に何処(どこ)も悪いといふ事はない、只気味が悪い依(よ)ツて寝てる
のぢやが、別に薬は飲んで居(ゐ)やアせぬ 紛郎「併(しか)し養生しないと
いけないぜ」 と紛郎兵衛は帰ツて仕舞ふ、肩の疣(いぼ)でございま
す、千切(ちぎ)る度(たんび)にチクチクと大きうなりますから、遂には似多
八は根負けをして打捨(うちす)てゝ置きましたが、恁(か)くて半年程経ち
ますと、この瘤(こぶ)は当前(あたりまへ)の人の顔ほどになりまして、目鼻がチ
ヤンと出来ました、そのうちにソロソロと言(くち)を発(き)きかけまし
た 瘤「コリヤ 似多「エゝーツ、お前さん何(なん)ぢやエ 瘤「乃(お)
公(ら)ア西塔(さいたふ)の傍(かたはら)に住んで居(ゐ)た武蔵坊弁慶といふものぢや 似多「ヘ
エー、して弁慶さんが何(なん)で私(わたし)の肩へさして出店をなすツたの
ぢや 弁慶「貴様はこの春南都の小刀屋(こがたなや)善助といふ宿屋へ泊(とま)ツた
事があるだらう 似多「違ひない、泊(とま)ツた事があります、それが
如何(どう)したので 弁慶「その時に貴様は壁土を喫(く)ツたんじやらう

 似多「ヘエ、壁土を喫(く)ひました、それが如何(どう)したんですね 弁慶「
彼(あ)の壁の中へ、岩佐又兵衛といふ画師(ゑし)が、乃公(おれ)の姿をば心を
籠めて描(か)きをツた、それをば何日(いつ)か彼(あ)の壁へ塗込(ぬりこ)めて仕舞ツ
た、何(ど)うかして今一(ひ)ト度(たび)世に顕(あらは)れ、源氏の御世(みよ)に翻(ひるがへ)さんと思
ふ折柄、貴様が壁土をば喫(く)ツたに依(よ)ツて、汝(われ)の肩へさして乃(お)
公(れ)が顕(あらは)れて出て、今日から貴様の身体(からだ)を乃公(おれ)が借りるから、
サアこれから酒も飲むし飯(めし)も喫(く)ふし、女郎買(ぢよろかひ)にも伴(つ)れて行け
 似多「冗談(うだうだ)言ひなさんナ、弁慶の一番勝負と云ツて、弁慶とい
ふものは女嫌ひじや、川柳にも言うてありませう、弁慶と小
町は馬鹿だナア嬶(かゝ)ア 弁慶「そんな事は往昔(むかし)の弁慶じや、今斯(か)う
やツて世に顕(あらは)れるからは、女郎買(ひめかひ)にも伴(つ)れて行かぬと乃公(おら)ア
暴れるぞ 似多「こりやア驚いたなア」

【語釈】
・小さな疣(いぼ)…漢字ルビともに不鮮明。
・その跡へコロツと出来る…カタカナ不鮮明。
・恁(か)くて…漢字ルビともに不鮮明。
・当前(あたりまへ)の人の顔…漢字ルビともに不鮮明。
・言(くち)を発(き)き…漢字ルビともに不鮮明。
・西塔(さいたふ)の傍(かたはら)…弁慶は比叡山西塔の武蔵坊に居た(『義経記』)。

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【解説】
 伊勢参りから家に帰った似多八の肩にできた疣は、何度取っても現れ、遂には大きな瘤となり、目鼻口がついてしゃべり出し、弁慶と名乗るというくだりです。
 現行の故・桂米朝「こぶ弁慶」では、肩に瘤が出来た者を誰と特定せず、単に京都の者とするだけですが、本書古形版では東の旅の主人公の一人・似多八です。それ以外は現行「こぶ弁慶」と古形版とに大きな相違はありません。

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【翻字】
 似多八は肩の弁慶めが無
理言うて困ります、飯(めし)でも喰(く)はさぬといふと、己(をの)れの手でお

のれが喰(く)はれぬやうになツて、引奪(ひつたく)ツて弁慶が喰ツて仕舞ひ
日に三升(じよう)四升(しよう)の飯(めし)を喰(く)ひ、酒といへば二升(しよう)三升(じよう)は飲まにやア
置かぬといふ、実にその日の活計(たつき)にも差支(さしつか)へるやうな事にな
ツて困ツて居(を)りますると、或日(あるひ)の事またも紛郎兵衛は訪れま
した 紛郎「オイ似多、如何(どう)じやエ、少(ちつ)とは工合(ぐあひ)が好(い)いか 似多「イ
ヤ困ツた事が出来た 紛郎「如何(どう)した 似多「マア乃公(おれ)の一(ひと)ツこの肩
ア見て呉れ 紛郎「何(なん)じや、エゝーツ……… 似多「ソレ、お前と奈良
で小刀屋(こがたなや)に泊(とま)ツたらう 紛郎「違ひない 似多「彼(あ)の時に乃公(おれ)が調子
に乗ツて壁土を喰ツたナ 紛郎「イヤそんな事があツた 似多「その
壁土の中へさして岩佐又兵衛といふ仁(ひと)が、心を籠めて弁慶を
描(か)いたが、その描(か)いた弁慶が壁の中へ塗込(ぬりこ)まれてあツたのを
それを知らぬで乃公(おら)ア喰ツたんだ、ところが弁慶は源氏の世
に翻(ひるがへ)さんといふので、乃公(おれ)の肩へさして出店をして、乃公(おれ)の

身体(からだ)ア此間中(こなひだぢう)から弁慶になツて居(ゐ)るのじやから、酒は二升(しよう)三
升(じよう)も飲みをるし、飯(めし)やア三升(じよう)も四升(しよう)も喰ひをるので、実に困
ツて居(ゐ)るのじやが、酒や肴をば当てがはんと、頭打付(こつ?こ)をさす
ので、乃公(おら)アマア頭ア痛うて往生して居(ゐ)る、何(ど)うか工夫はあ
るまいかナ 紛郎「そりやア飛んだ事が出来たなア、それじやア
斯(か)うしたら如何(どう)だ、これをば瘤だと云ツてお拝み申したら役
に立たぬが、京都の寺町に蛸薬師といふのがある、彼(そ)れは沢(さは)
からお上(あが)りなすツたお薬師さんで、沢(たく)薬師といふのであるが
何時(いつ)の程にやら彼(あ)れをば蛸薬師々々々と云ふが、このお薬
師様へさして章魚(たこ)を断ツてお拝み申すと、如何(どん)な疣(いぼ)でも取れ
るさうだ、なんと京都の方(はう)にお前の親類もあるし、それへさ
して行ツて、向(むか)ふから毎日日参をして祈ツたら如何(どう)じや 似多「
成程、それは有難い、それじやア乃公(おれ)の叔父貴が京都の釜座(かまんざ)

といふ所(ところ)に在(あ)る依(よ)ツて、それへ乃公(おら)ア行ツて来やう」 とこれ
から似多八はチヤンと支度をしまして、八軒屋へやツて来ま
した、大道(をゝど)を歩くにも昼間歩くと頭が二(ふた)ツございますので、
人が目を着けますから、夜分に被物(かぶりもの)をさせて、やうやう八軒
屋から三十石に乗ツて伏見に上(あが)り京都の釜座(かまんざ)の親類へさして
やツて参りました、

【語釈】
・頭打付(こつ?こ)…ルビ不鮮明。あるいは「ごつんこ」か。
・蛸薬師々々々と…原文「蛸薬師々々々々と」。誤植と思われ、訂正した。
・釜座(かまんざ)…現在の京都市中京区三条町釜座通のあたりか。
・大道(をゝど)…ルビ不鮮明。

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【解説】
 様子を見に来た紛郎兵衛は、似多八から事情を聞き、京都の蛸薬師へ日参し祈願するよう勧め、似多八は喜び、京都の親類宅を目指す、というくだりです。
 現行版「こぶ弁慶」と本書古形版では舞台が違うため、話の細部に異同はありますが、話の展開の大筋はほぼ同じです。

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