江戸期版本を読む

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カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 速記の花 百年目

【翻字】
百年目
 第二世 曽呂利新左衛門 口演
         丸山平次郎 速記

番頭「コレ定吉 定吉「ヘエ 番頭「精出して手習ひをせんか 定吉「
手習ひを致して居(を)ります 番頭「手習ひを致して居(を)りますツ
て、お手本の通り習はず俳優(やくしや)の首許(ばつか)り書きやアがツて、体躯(からだ)
も満足に出来る事か、而(そ)んな事がお手本に書いて有るか馬
鹿 定吉「エゝ是(こ)りやア首尽(くびづく)しでござります 番頭「甚(えら)いぞ俄(にわか)し
やアがツて、亀吉 亀吉「ヘエ 番頭「其方(そこ)も精出して紙撚(こより)を捻(ひね)ら
んか 亀吉「ヘエ捻(ひね)ツて居(を)ります 番頭「捻(ひね)ツて居(を)りますツて、紙(こよ)
撚(り)で馬を拵(こしら)へて板間(いたま)をトントン擲(なぐ)ツて其(その)馬の動くのが何(なに)
程不思議だ 亀吉「イエ是(こ)りやア馬ぢやアござりません 番頭「

何(なん)だエ夫(そり)やア 亀吉「是(こ)りやア貴下(あんた)鹿でござります、鹿と馬と
は紙撚(こより)の捻(ひね)り方が違ひます何所(どこ)の国に行ツたかて馬に角
の生えて居(ゐ)るのがおますもんかエ、其(その)鹿を見て馬と云うて
はるよツてに、貴下(あんた)馬鹿や 番頭「阿房(あほ)吐(ぬ)かせ紙撚(こより)又何本捻(ひね)ツ
たんぢや 亀吉「ヘエ百本捻(ひね)りますので 番頭「最(も)う百本捻(ひね)ツた
のか 亀吉「ヘエ三本です 番頭「モウ三本捻(ひね)ツたら百本に成る
のか 亀吉「イエ九十七本捻(ひね)ツたら百本ですね 番頭「最前から
何本捻(ひね)ツたのぢや 亀吉「丁度三本捻(ひね)りました 番頭「紙撚(こより)捻(ひね)る
のに悪戯(いたづら)許(ばか)りしてけつかるよツて、馬鹿めエ精出して捻(ひね)り
ませうぞ、是(こ)れ茂七どん

【語釈】
・俄(にわか)…即興的に演じる滑稽な寸劇。
・其方(そこ)…ルビ不鮮明。
・馬を拵(こしら)へて…原文に「へ」なし。印字かすれと思われ、訂正した。
・何(なん)だエ夫(そり)やア…原文にルビ「り」なし。印字かすれと思われ、訂正した。


【解説】 
 本書『速記の花』は明治25年(1892年)刊、講談と落語各2編、計4編を収録した速記本です。「百年目」は上方落語の大作の一つで、非常に登場人物が多くかつ多彩である、演じるのに難しい作品(故・桂米朝談)とされています。本書はその古形を伝える貴重な資料です。
 本書にはマクラはなく、いきなり番頭と丁稚の会話から始まります。故桂米朝による現行版には丁稚は一人で、最初の手習いの丁稚は登場しません。こよりの丁稚を叱るやりとりは現行版と古形版に大きな違いはありませんが、本書古形版の方がやや詳しくなっています。

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【翻字】
茂七「ヘエ 番頭「お前昨夜(ゆうべ)十二時過ぎ
から手紙を認(か)いて居(ゐ)なさツたが其(その)手紙は何所(どこ)へ出しなさ
る手紙ぢやと私(わたし)が尋ねたら、明朝東京へ出します積(つも)りでご
わす、左様か夫(そ)りやア大きにと云うて私(わたし)はお前さんに一礼

述べたぜな 茂七「ムゝヘエ………… 番頭「其(その)認(したゝ)めて有ツた手紙が
今鳥渡(ちよいと)硯箱の抽斗(ひきだし)を開(あ)けたら、矢張(やつぱり)其(その)抽斗(ひきだし)に入れて有ツた
が、夜深更(よるよなか)に書いた手紙が硯箱の抽斗(ひきだし)に入れて置いたら独(ひと)
り東京(とうけい)に行きますか 茂七「ムゝヘエ………… 番頭「可(よ)い加減に人
を馬鹿にして置きなされ、喜助どんお前さんも而(さ)うぢや、私(わし)
や最前雪隠(せつちん)へ這入ツて居(ゐ)たら、何(なん)ぢや怪体(けつたい)な声で歌を謳(うた)う
てやツたが、此頃(このごろ)お前さんは稽古屋入(はい)りをして居(ゐ)るさうぢ
や 喜助「イゝエ滅相な 番頭「イヤ隠しなさる事はない稽古屋
へも楽(たのし)みに行きなさるのは可(よ)いけれども、怪体(けつたい)な声ですか(〇〇)
たん(〇〇)謳(うた)う
てやツたが、実に聞き苦しいもんだ、彼(あ)りやア最前
何(なに)を謳(うた)うてやツたのぢや、かわいがらす、烏なら烏、硝子(がらす)なら
硝子(がらす)と明了(はつきり)謳(うた)うてやツたら何(ど)うぢやがらすツてエな言(こと)は
一向聞き悪(にく)いなア 喜助「アツハゝゝ、彼(あ)りやアがらすで可(よ)い

のです 番頭「何(なん)でぢやい 喜助「貴下(あんた)の仰有(おつしや)るのは硝子(びいどろ)のがら
すか烏のからすの事を仰有(おつしや)るのでせう、私(わたし)の謳(うた)うて居(ゐ)たの
は人に可愛(かわい)がられる事を謳(うた)うて居(を)りましたので、そやよツ
てに、可愛(かわい)がらアすウのえエえエえエ何(なん)ぢやアあゝらア
………… 番頭「馬鹿踊るなエ、戸外(かど)に人が集(たか)ツて居(ゐ)なさる、あた見(みつ)
ともない 喜助「誰方(どなた)も鳥渡(ちよつと)此方(こちら)へお這入り 番頭「阿房(あほ)云はん
せ、藤七どん

【語釈】

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【解説】 
 二人の丁稚に引き続いて、番頭が二人の手代を叱るくだりです。
 故・桂米朝による現行版「百年目」ではもう一人、本を読む手代を叱くだりがありますが、本書古形版にはありません。また、稽古屋に通う手代を叱るくだりでは、現行版が浄瑠璃の稽古へ行くこと自体を叱るのに対し、本書古形版は、浄瑠璃ではなく小唄あるいは端唄の稽古らしく、また、稽古屋に通うこと自体は認めていて、その謡いぶりが変だと叱っていて、叱られた手代の方も、現行版では恐縮するだけなのに対し、本書古形版では調子に乗って踊り出しており、内容にかなりの相違があります。

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【翻字】
藤七「ムゝヘエ 番頭「お前さんも此(この)頃聞く所に依(よ)
れば頻々(しばしば)お茶屋遊びをしてださふだ 藤七「滅相な何(ど)ふ致し
まして、決して而(そ)んな事は有りやア致しません 番頭「イゝエ
隠しなさんな、私(わし)アモウ右方(こちら)の耳から左方(こちら)の耳へ突貫(つきぬ)ける
程聞いて居(ゐ)るのぢや、エゝツ行くなとは云はんぜ、併(しか)し未(ま)だ
お前さんお茶屋遊びをばするやうな身分ぢやア有ります
まい、明治の御代(みよ)に成りましたから頭の区別は判らんが、昔

なら未(ま)だお前さん達は漸々(やうやう)角前髪(すみまへがみ)に成ツた位(くら)ゐな者ぢや、
未(ま)だ元服して一人前の体躯(からだ)と成る所(とこ)には至ツてやします
まい、今日(こんにち)では皆散髪(ざんきり)だから其(その)区別は判らんけれども、お茶
屋遊びなんて野方途(のほうづ)でせう、マア私(わたし)も御当家へ指して、十二
歳の時から奉公に来て、是(こ)れ丈(だ)け頭は禿(はげ)てますけれども、未(ま)だ
お茶屋の二階へ登ツて見た事はない、お茶屋と云ふ茶屋は
如何(どん)な茶屋やら、芸妓(げいこ)ツてエ子は如何(どん)な子か、幇間(たいこもち)は一貫目
何程するやら、破竹(われたけ)の音も三味線(さみせん)の音も私等(わたしら)の耳には同じ
音に聞(きこ)えます、チと謹慎(つゝし)み成され阿房(あほ)らしい 藤七「ヘツ 番頭「
是(こ)りア丁稚(こども) 丁稚「ムゝヘエ 番頭「其所(そこ)に有る鉃納戸(てつなんど)の
唐御召(たうおめし)
の羽織、夫(そ)れを此方(こちら)へ持ツて来い 丁稚「ヘエ 番頭「着せエ 丁稚「
オゝ着せて遣(や)る 番頭「ナニツ何(なん)と云うた着せて遣(や)る、何(なん)ツて
エ言(もの)の云ひ様(やう)して居(ゐ)るのぢや 丁稚「誰も着せて遣(や)ると申し

やア致しません 番頭「今云ふた 丁稚「何(なに)云うてなさる、着せて
お進(あ)げ申して遣(や)ると申しましたので 番頭「同じ事ぢや…………
是(こ)りア手を振り上げて如何(どう)する、後方(うしろ)に眼が無いから汝(われ)ア
見えんと思うて居(ゐ)るだらう、前の戸に映ツて居(ゐ)る 丁稚「アツ
拍子の悪い、余(あんま)り拭き入れて有るよツて災難ぢや 番頭「握拳(にぎりこぶ)
しで汝(われ)ア擲(なぐ)る積(つも)りだらう、此(この)番頭が擲(なぐ)れるなら擲(なぐ)ツて見イ
丁稚「何(なに)も擲(なぐ)る積(つも)りで握拳(にぎりこぶし)拵(こしら)へたんぢやアござりません 番
頭「ムゝウ、デは如何(どう)する積(つも)りで………… 丁稚「昨今(けふび)此(こ)の位(くら)ゐな頭(かしら)
芋は大概(たいてい)何程(なんぼ)致しませう 番頭「馬鹿吐(ぬ)かせ、旦那さまが番頭はとお尋ねなさツたら、昨日(きのお)の事件で鳥渡(ちよつと)出られましたと
而(さ)う云うて置け 丁稚「云ふとく汝(われ)毛虫奴(め)が 番頭「ナニツ誰が
毛虫ぢや 丁稚「能(よ)う聞(きこ)える耳ぢやなア 番頭「聞(きこ)えエで聾(つんぼ)ぢや
有りやアせんわい 丁稚「誰も貴下(あなた)を毛虫ぢやと申しちやア

居りません 番頭「デは誰を毛虫ぢやと云ふたんぢや 丁稚「今
戸外(かど)を通ツたお方(かた)が駝背(せむし)かいなと申して居(を)りますので 番
頭「何(なに)を吐(ぬか)すんぢや…………アゝ店の衆頼みましたぞや」と

【語釈】
・角前髪(すみまへがみ)…江戸時代における元服前の少年の髪形。 前髪を立て、額の生え際の両隅をそり込んで角ばらせたもの。
・野方途(のほうづ)… 人を人とも思わないずうずうしい態度。横柄なこと。
・禿(はげ)てますけれども…原文に「ま」字なし。誤植と思われ、訂正した。
・一貫目…3.75kg。
・破竹(われたけ)…不詳。「竹」は「竹で作った管楽器」。
・鉃納戸(てつなんど)…鉄色がかった御納戸色。緑を帯びた鉄色。
・唐御召(たうおめし)…御召は御召縮緬の略で、最高級の絹織物。唐は不詳。文様あるいは柄の名か。
・頭(かしら)芋…サトイモの地下茎の中央にある大きな塊。おやいも。いもがしら。
・頼みましたぞや」と…原文は」の位置が「と」の後。誤植と思われ、訂正した。

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【解説】
 番頭が茶屋遊びする手代を叱り、ふざけたり悪口を言う丁稚を叱って店を出るくだりです。
 手代を叱る場面は、現行版とかなり違います。現行版では昨夜の出来事として深夜帰宅した手代を問い詰めていますが、本書古形版は平素の茶屋遊びが過ぎるから控えるようにというごく一般的な注意にとどまっています。また、出掛ける直前の丁稚とのやり取りは、現行版ではごく簡単ですが、本書古形版ではずいぶん盛りだくさんで質量ともに大きく違います。本書古形版における丁稚は番頭にずいぶんとふざけています。この番頭はただもう恐れられているというのではなく、丁稚にとっては悪ふざけをしても許される、懐が深く情のある、保護者のような存在であったようです。

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【翻字】
番頭
は白鼠のやうでございますが、至ツて大の泥溝(どぶ)鼠でござ
います、店(うち)では此(この)番頭を次兵衛と申しまするがお茶屋へ遊
びに参りますると、お茶屋では番頭さんとも次兵衛さんと
も申しません、只次(つぎ)さん次(つぎ)さんと云ふのが通名(とほりな)と成ツてござ
います、家(うち)をば出て四五間(けん)参りますると路次(ろじ)から一人(にん)飛ん
で出ましたは男芸者所謂(いはゆる)幇間(たいこもち)です、鳥渡(ちよいと)鼠の千筋の着物に
黒の羽織八分(ぶ)の紋を背(せなか)に一ツ附けまして、赤い献上の帯を
締め天窓(あたま)は坊主でピカピカと光らせ電気灯のやうなお頭(つむ)
です 男「次(つぎ)さんマア先刻から貴公(だんな)を…………幾度(いくたび)かお店の戸外(かど)

をば彼方此方(あちこち)通りました、モウ芸妓(こどもしゆ)さんが未(ま)だか未(ま)だかと云
ふので実に私(わたし)は責められまして困ツて居(を)りますので」 番頭
の次兵衛は目瞬(めはし)を致しまして 次兵「横たはれ横たはれ、横町へ曲(まが)
れと云ふに 男「実に貴家(あんた)の戸外(かど)を何偏(なんべん)通ツたか知れません
 次兵「判ツて居(ゐ)るわいな、お前が店(うち)の戸外(かど)を一偏通ツてやツ
た時に、私(わし)ア眼で知らして居(ゐ)るのぢや 男「貴公(あんた)眼で知らして
居(ゐ)やはツても、家外(そと)から判りやアしません、大約(おほかた)七八度も通
りました 次兵「お前が通常の風なら宜(よ)いけれども誰が見た
かて幇間(たいこもち)とほか見えん体躯(からだ)ぢや、夫(そ)れに空手(てぶら)でも通る事か、
八百屋の荷を掲(かた)げて通ツたり、終(しまひ)にやア小便桶(たご)を掲(かた)げて通
り、土台気がさして店(うち)を出る事が出来やアせん、據(よんどころ)なう罪
咎(とが)もない店の者を片端(かたつぱし)から叱り倒して出て来たんぢや、デ
船は何所(どこ)に繋(つな)いで有る

【語釈】
・白鼠…主家に忠実に勤める使用人。特に、番頭のこと。
・泥溝(どぶ)鼠…主家の金品をかすめたり、主家に不利益なことをたくらんだりする番頭や雇い人。黒鼠。
・四五間(けん)…約7~9m。
・千筋…非常に細かい縞柄。せんすじ。
・八分(ぶ)…約3cm。
・献上…「献上博多」の略。博多織の帯地の上等なもので、中央に独鈷形の文様が織り出してある。
・困ツて居(を)りますので」…原文に」はない。「番頭の」以下は地の文であるので、補った。
・目瞬(めはし)…ここでは「目配せ」の意か。「瞬」は「またたく/またたき」の意。
・横たはれ…不詳。ここでは「通りを行かずに横に寄れ/入れ」との意か。

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【解説】
 店を出た番頭が幇間と会話するくだりです。
 幇間を叱るくだりは現行版と大差はありません。大きく違うのは、本書古形版が噺家の語りとして、番頭が店の金を着服してお茶屋遊びをしていることを説明している点です。これは故・桂米朝等による現行版にはありません。

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【翻字】
男「此(こ)の向(むか)ふの石屋の浜へ………… 次兵「
アゝ石六の浜か又甚(えら)い所(とこ)へ繋(つ)けたなア 男「ヘエ何(ど)う云ふも
のでござります 次兵「彼(あ)の上には御親類が有る、若(も)しか御親
類方(がた)の眼にでも着いて見イ、大変な騒動ぢや、ダからお前一(ひ)
ト足先(さ)きへ行ツて、東堀の住友さんの浜の能(よ)い足場の有る
所(ところ)へ船を繋(つ)けて待ツてゝお呉れ、私(わし)ア一軒鳥渡(ちよつと)道寄りをし
て直(す)ぐと行くから 男「成丈(なるだ)け夫(そ)れぢやアお早う一ツお越し
を願ひます 次兵「サア早う行け行け 〇「左様なら何卒(どうぞ)お早う」
と幇間(たいこもち)繁八(しげはち)は船に遣(や)ツて来ました、すると船の中より 芸妓「
繁八さん、次(つぎ)さんは何(ど)う成ツたのや 繁八「エゝモウ直(す)ぐとお
越(い)でゞす 芸妓「オヤ一緒やないのか 繁八「ヘエ鳥渡(ちよつと)一軒寄る
所(ところ)が有るよツて、先(さ)きへ行(い)て而(さ)う云ツて呉れ、此(この)浜の上には
御親類が有る、少し御親類へ差支(さしつか)へる、東堀の住友さまの
浜へ船を廻して呉れと仰有(おつしや)ツてゞした 芸妓「オヤ而(さ)う船頭

さん何卒(どうぞ)気の毒なけれど通板(あゆみ)を撤(と)ツて早う船をば東堀の
方(はう)へ 廻してお呉ンなさい 船頭「畏まりました 繁八「サア船頭さ
ん早う早う、早う船を出してと云ふのに、愚図愚図して居(ゐ)る
何(ど)うも困るなア、早う船を出しんかいな 船頭「貴公(あんた)乗りなさ
りヤアしません 繁八「イヨー乗るのを忘れて居(ゐ)る 芸妓「周章(あわて)
者(もん)やしなア」通板(あゆみ)を引上(ひきあ)げて船はチユチユチユと東堀住友
さまの浜へさして漕ぎ出し、暫くしてチヤンと廻しました所へ番頭の次兵衛「甚(えら)い遅うなツた堪忍してや

【語釈】
・通板(あゆみ)…歩み板。ここでは、船と岸との間に渡した、人が渡るための板。
・周章(あわて)者(もん)やしなア」…原文は」の所に「。誤植は明らかで、訂正した。

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【解説】
 番頭は船の位置を幇間に指示し、自分は幇間より一足遅れて船に現れる、というくだりです。
 このあたり、本書古形版は故・桂米朝等による現行版と比べ、大きな流れは同じですが、細部はかなり違います。まず、現行版は舟での花見が大掛かりになった経緯を幇間が語り、番頭が困るというやりとりがありますが、本書古形版にはありません。また、現行版では番頭が上等の着物に着替える経緯を語りますが、本書古形版はそれがなくその代わり、幇間が先に船へ戻り、番頭の指示を伝えて船を東堀へ廻す経緯を語ります。

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