江戸期版本を読む

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カテゴリ: 十牛歌(十牛図題詠歌・寛文年間)

 十牛歌は、十牛図を詠んだ十首の和歌で、江戸時代前期、寛文年間(三年から七年)の成立で、作者は後西院、道寛・道晃両法親王、権大納言烏丸資慶・飛鳥井雅章・日野弘資・中院通茂、権中納言平松時量、裏松資清、白川雅喬です。
 十牛図は禅画として、また仏教における悟りへの道程の図式化として有名ですが、それを和歌に詠んだ十牛歌は知られていません。「国文学研究資料館の館蔵和古書画像のためのテストサイト」で偶然に写本を見つけ、その存在を知りました。これから一首ずつ、相国寺蔵版・周文筆の十牛図とともに紹介していきます。


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【翻字】
 尋牛 雅章
 牽とめん心のつなはありなからたつねんかたもしらぬのはうし
【歌】
 牽(ひき)とめん心の綱はありながら 尋ねん方も知らぬのは憂し
【訳】
 この心を引き留める綱(としての仏の教え)はあるのに、(己の心を)探し求める方向がわからないのは辛い
【語釈】
 最後の「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第一図はこれです。

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 中央の少年は、足・手・視線の方向がばらばらで、何かを探している様子です。禅語に「己事究明」という言葉があります。十牛図は仏教における「己事究明」をわかりやすく描いた絵草紙と言えます。
 探す少年も、探される牛も、ともに「己」に他なりません。少年は悟りを求める自我であり、牛は全体としての自己であり、特に心全ての象徴です。仏道に志した当初は、「己事究明」を目指しても、どのようにすればよいかがわからず、ただきょろきょろとするばかりであることを、この絵は示しています。
 作者の飛鳥井雅章(あすかいまさあき)は慶長16年(1611年)-延宝7年(1679年)、最高位は権大納言従一位、妻は第七首の作者・烏丸資慶の姉妹、娘は第二首の作者・平松時量の妻、娘は第五首・中院通茂の嫡子の妻と、十牛歌に参加している3人に縁の深い貴族・公卿です。彼らは後水尾院歌壇の主要メンバーでした。彼らの活動は近世堂上歌壇として研究されています。
 この歌は平易で、意味も十牛図の趣旨をよく汲んでいます。

  

【翻字】
 見跡 時量
 行衛なをまよはゝうしや遠からぬ法のおしへの跡とみなから
【歌】
 行衛(ゆくゑ)なを迷はば憂しや 遠からぬ法(のり)の教への跡と見ながら
【訳】
 (今後の)行く先にこの上まだ迷うとしたら、辛いことだ。仏法の教えはもう遠くはないと(このように)その印を確認しているのに。
【語釈】
 「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第二図はこれです。

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 少年は地面に視線を定かに向けています。牛の足跡を見付けたのです。己の心の表れを確認し、そのありさま、実相を見定めようとしています。 
 作者の平松時量(ひらまつときかず)は、寛永4年(1627年)-宝永元年(1704年)、最高位は権中納言正二位です。妻は第一首の作者・飛鳥井雅章の娘です。
 この歌も第一首同様、表現は平易で、意味も十牛図の趣旨をよく汲んでいます。

  

【翻字】
 見牛 雅喬
 とりとめんこゝろにのりてしたふそよゆきかくるをはうしと見なから
【歌】
 執り留めん心に乗りて慕ふぞよ 行き駆くるをば憂しと見ながら
【訳】
 (悟りの知恵によって)捕まえ留めようとする心に(いつかは自分が)乗って(それを従えようと)求めることだよ。(それなのに心は自分の元から)走り去って行くのを(追い求める自分は後ろから)辛いと見ていることだ。
【語釈】
 「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第三図はこれです。

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 少年は足跡を追い、ついに牛本体を見つけ、その後を追います。しかし牛は走り逃げて行き、少年は尻を見て追うよりありません。 
 作者の白川雅喬(しらかわまさたか)は元和7年(1621年)-元禄元年(1688年)、最高位は非参議正二位です。
 この歌は第一首・第二首に比べ、少し意味の取りにくい歌です。特に上の句がよくわかりません。下の句は、十牛図の絵と合わせて見た時、絵の少年の思いを詠んだものとわかります。

  

【翻字】
 得牛 資清
 尋侘あはれこゝろをつくしうしひきうるつなのこゝろゆかすな
【歌】
 尋(たづね)侘(わび)あはれ心を尽くし憂し 引き得る綱の心行かすな
【訳】
 探しあぐねて、ああ、心を砕いて辛い。そんな辛苦の果てに求める牛(己が心)を綱(仏法)で引き留め得て、(この上はもうこの)心を(その欲念の向かうままに)行かせてはならない
【語釈】
 「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第四図はこれです。

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 少年は牛の角に綱を掛け、ようやく牛を捕まえます。牛は全力で逃れようと走り、少年は両手で綱を握り、渾身の力で牛と抗います。両者の姿勢と綱の張りが、自己の心と向き合ってそれを知り尽くし、統御しようとする意識と心本体との緊張、仏道修行者の心の内の葛藤を比喩的に表現しています。 
 作者の裏松資清(うらまつすけきよ)寛永3年(1626年)-寛文7年(1667年)、最高位は参議正三位、第七首の作者・烏丸資慶の弟です。彼の没年から、この十牛歌の制作年代の下限が決定されました。
 この歌は第三首同様、少し意味の取りにくい歌です。特に歌の半ば、「うしひきうるつなの」が、翻字も含め定かではありません。上に示した以外、合理的に説明できる筋を見出せません。上に示したように解すると、歌意も通り、絵にもよく符合します。

  

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