江戸期版本を読む

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カテゴリ:和歌集 > 十牛歌(十牛図題詠歌・寛文年間)

【翻字】
 牧牛 通茂
 かきりなきおもひのつなにひかるゝもうしとやのへにはなちかふらん
【歌】
 限りなき思ひの綱に引かるゝも 憂しとや野辺に放ち飼ふらん
【訳】
 (悟りへの強く)限りない思いの綱に引かれるのも辛いと思ってか、(牛は抗うのを止め、少年は従順になった牛を)野辺で放し飼いにするのであろうか。
【語釈】
 「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第五図はこれです。

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 少年は牛の鼻輪に結んだ綱を持ち、牛を従えて歩いています。綱に撓みがあり、牛と少年が同じ方向に歩いている絵柄は、仏道修行者の意識が既に心を統御し得ていて、内的葛藤が収まっていることを表しています。 
 作者の中院通茂(なかのいんみちしげ)は寛永8年(1631年)-宝永7年(1710年)、最高位は内大臣従一位です。

 この歌は、表現は平易ですが、歌意は禅画の意味を離れているように思います。「綱に引かれるのは嫌だと思って」というのは、牛を擬人化、それもきわめて俗にしています。十牛図が持っている深い精神性を俗に崩しすぎています。これでは和歌というより俳諧です。今まで見てきた歌の中でも出来のよくない歌と言わざるを得ません。

  

【翻字】
 騎牛皈家 弘資
 うれしともうしともけふはおもはすやのりえてかへる家路なるらん
【歌】
 嬉しとも憂しとも今日は思はずや 乗り得て帰る家路なるらん
【訳】
 嬉しいとも辛いとも、今日(となって)は思わないのであろうか、(苦労の果てにようやくこうして牛の背に)乗ることができて、家へ帰る途中なのであろう。
【語釈】
 「憂し」は「牛」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第六図はこれです。

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 少年は牛の背に乗り、横笛を吹いています。牛を御するための綱ももはや手にしてはいません。牛も少年を背に載せたまま、ゆっくりと歩を進めています。心を統御する苦しみも、心を捕まえ得た喜びも、共に過去のものとなり、修行者の心全体が統一され、落ち着いている状態を比喩的によく表している絵柄です。
 作者の日野弘資(ひのひろすけ)は元和3年(1617年)-貞享4年(1687年)、最高位は権大納言正二位です。

 この歌は、表現も平易かつ流麗、歌意も画題によく沿っており、今まで見てきた歌の中でもひときわ優れた出来であると思います。

  

【翻字】
 忘牛存人 資慶
  しるやたれもゝのみやみやの花さかり春のこゝろのうしはなつよを
【歌】
 知るや誰百の宮々の花盛り 春の心の牛放つ世を
【訳】
 いったい誰が知っているであろうか、多くの宮々の花盛りに、(十牛図の少年が牛を放って忘れてしまったように)春の心の辛さを解き放つ(このような素晴らしい)世の中を。
【語釈】
 「牛」は「憂し」を掛けています(掛詞)。
【解説】
 この歌の題である十牛図第七図はこれです。

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 少年が月を見上げて合掌しています。牛の姿はどこにもありません。自分の心を統御し得た修行者には、これまで牛として描かれていた自身と別の心はもはやありません。月は仏法、ありは悟り・解脱の象徴です。修行者はただもう悟道の境地だけを目指しています。
 作者の烏丸資慶(からすまるすけよし)は元和8年(1622年)- 寛文9年(1670年)、最高位は権大納言正二位
、姉妹が第一首の作者・飛鳥井雅章の妻、弟が第四首の作者・裏松資清です。

 この歌は、実は翻字に疑問があります。二句目は「もものみやしに」と読めますが、意味が取れません。そこで「し」を踊り字と考え、上のように読んでいます。また、歌意も定かでありません。「もものみやみや(百の宮々)」とはいったい何のことか、また、「こゝろのうしはなつ(心の牛放つ)」とはどういう意味なのか、よくわかりません。上に示したのは、私の想像し得た一解釈に過ぎません。近世堂上和歌に詳しい人であれば、より妥当な解釈が可能かもしれません。

  

【翻字】
 人牛倶忘 新院御製
  玉くしけふたつのものゝわすられし身はもとの身かそれかあらぬか
【歌】
 玉櫛笥二つのものの忘られし 身は元の身かそれかあらぬか
【訳】
 (人と牛、)二つのものが忘れられてしまった。(一体今のこの)自分自身は以前のままの自分なのか、それともそうではない(新たな自身である)のか。
【語釈】
 「玉くしげ」は「ふたつ」等にかかる枕詞。
【解説】
 この歌の題である十牛図第八図はこれです。

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 全くの空白です。何も描かれていません。禅でいう無、あるいは「父母未生以前本来面目」というものを表しているのかもしれません。
 作者は「新院」とあるだけですが、十牛歌成立時点の寛文3年から7年に「新院」と称された可能性があるのは、第111代天皇(在位:承応3年(1655年)-寛文3年(1663年)の後西院ただ一人です。後西院は寛永14年(1638年)-貞享2年(1685年)、第108代・後水尾天皇の第八皇子、第九首作者・道寛法親王の兄、第十首作者・道晃法親王の甥です。

 この歌は、表現は平易かつ流麗、歌意も画題によく沿っており、十牛歌中でも秀歌の一つと思います。

  

【翻字】
 返(通か)本還源 道寛法親王
 さやけしな花白妙にみなもとのみずみとりなる山のひかりも
【歌】
 清けしな花白妙に源の 水碧なる山の光も
【訳】
 清らかであるなあ。花は白く、水源の水も碧に輝いて見える、この山の光も(、全てが美しいことだ)。
【語釈】
 「さやけし」は「清らかで美しい」意。
【解説】
 この歌の題である十牛図第九図はこれです。

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 渓流に梅か桜の花、岩場に生える低木の枝葉が描かれています。人の手の加わらない自然として描いたものでしょう。
 作者は道寛法親王(どうかんほうしんのう)、正保4年(1647年)-延宝4年(1676)、聖護院門跡、後水尾天皇の第十一皇子。第八首作者・後西院の弟、第十首作者・道晃法親王の甥です。

 この歌は、表現は平易で、歌意も画題によく沿っています。

  

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