江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ: 道歌心の策(禅林五十人一首)



【はじめに】
 これから紹介する版本は、私の所蔵する『道歌心の策』です。題箋も奥付もない本ですが、巻頭にある序文でその書名がわかりました。出版年は天保4年(1833年)です。
 本書の編者は序文にある無染居士、無論本名ではなく、その詳細は不明です。但し、紹介文の内容から、臨済宗妙心寺聖沢派に属する人物であると思われます。内容は、禅宗の祖師と禅宗ゆかりの宗匠・著名人の和歌を、その座姿と経歴と共に、一人一首ずつ載せたものです。なお、本書には『道歌百人一首』『禅林五十人一首』という呼称もあります。これは国会図書館の書誌情報にあり、それぞれ題箋に併記されていた副書名と思われます。
 なお、禅文化研究所が1998年に刊行した復刻本『道歌百人一首心の策』は、内容が『道歌百人一首麓枝折』(1841年刊)であり、本書とは全くの別書です。
 以下、『道歌心の策』の各頁の画像に、【翻字】【校訂本文】【語釈】【解説】を付しました。【翻字】は、ルビを( )で示し、改行箇所はスペースを挿入て示しました。【校訂本文】は読みやすさを考え、表記を適宜改めました。【語釈】【解説】はともに、必要最小限に留めました。

【目次】

序 前半 後半
 1 檀林皇后 唐土の (在家)
 2 栄西明菴 奥山の (臨済宗)
 3 明恵高弁 いつまでか (華厳宗)
 4 希玄道元 水鳥の (曹洞宗)
 5 心地覚心 何事も (臨済宗)
 6 蘭渓道隆 年毎に (渡来僧 臨済宗)
 7 性才法心 足なくて (臨済宗)
 8 無住一円 世の中は
 9 北条時頼 心こそ
10 高峯顕日 立てぬ的 (臨済宗)
11 無外如大 とやかくと (臨済宗)
12 宗峰妙超 三十余り (臨済宗)
13 夢窓疎石 聞くは耳 (臨済宗)
14 万里小路藤房 吹く時は
15 楠木正成 仁と義と (在家)
16 元翁本元 降ればまづ (臨済宗)
17 月菴宗光 枯れ果てて (臨済宗)
18 楠木正勝 笛竹の (普化宗)
19 清巌正徹 出づるとも (臨済宗)
20 一休宗純 本来の (臨済宗)
21 蜷川新右衛門親当 生まれぬる
22 一路居士 月や見む
23 大空玄虎 我もなく (曹洞宗)
24 蜷川親当妻 麻糸の (在家)
25 三条西実隆 教えぬに (在家)
26 千利休 心だに (在家)
27 沢庵宗彭 仏法と (臨済宗)
28 雲居希膺 物毎に (臨済宗)
29 愚堂東寔 葦原や (臨済宗)
30 一絲文守 梅が香を (臨済宗)
31 大愚宗築 知れば迷ひ (臨済宗)
32 烏丸光廣 花盛り (在家)
33 桃水雲渓 念仏も (曹洞宗)
34 盤珪永琢 さしむかふ (臨済宗)
35 鈴木正三 さし出づる (臨済宗)
36 至道無難 我が法は (臨済宗)
37 梅天無明 知らざるは (臨済宗)
38 鉄眼道光 釈迦阿弥陀 (黄檗宗)
39 沢水長茂 何事も
40 慧極道明 それも皆 (黄檗宗)
41 月坡道印 染めねども (曹洞宗)
42 松尾芭蕉 仏法は (在家)
43 拙堂如雲 八百の (黄檗宗)
44 売茶翁 笛吹かず (黄檗宗)
45 覚芝広本 生死事大 (黄檗宗)
46 天桂伝尊 ままよやれ (曹洞宗)
47 面山瑞芳 一口に (曹洞宗)
48 白隠恵鶴 山居せば (臨済宗)
49 𨗉翁元盧 うかうかと (臨済宗)
50 東嶺円慈 あらわれて (臨済宗)

 下の画像は最終頁の刊記及び広告です。本書の旧蔵者の署名があり、現滋賀県日野町下駒月の人が嘉永5年(1852年)に購入した一冊であることがわかります。

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【翻字】

戯言細語第一義に帰す況や歌に於てをや古の哥の 道をもて日の本の宝とす何故たからなるやまことの道 なるがゆへ也元より森羅万象まことにあらずといふもの なければ皆うたにもるゝものなしされば倭うたは人 のこゝろをたねとしてと申侍り花に啼鶯水に すむ蛙はさら也松吹風谷ゆく水の音までもこれ 誠の響にして則哥也其こゝろまことある時は神と云 仏と云もまた外ならめや此ゆへに代々の祖師もうたは 道心のしるべともなるよしを称し修行のいとま是を 詠じ給ふ人すくなからず此頃松月菴のあるじを訪 ひて机上の反故をさぐるに吾宗代々の高僧のよみ 給ひし哥をそこはかとなくしるしおける冊子あり

【校訂本文】

 戯言細語(ぎげんさいご)、第一義に帰す。況(いわん)や歌においてをや。古(いにしえ)の歌の道をもて、日本(ひのもと)の宝とす。何故(なにゆえ)宝なるや。真(まこと)の道なるが故なり。元より森羅万象、真にあらずといふものなければ、皆歌に漏るるものなし。されば、和歌(やまとうた)は『人の心をたねとして』と申し侍り。花に啼く鶯・水にすむ蛙はさらなり。松吹く風・谷行く水の音までも、これ誠の響きにして、則ち歌なり。その心、真ある時は、神と言い、仏と言うも、また外ならめや。この故に、代々の祖師も、歌は道心の標ともなる由を称し、修行の暇、これを詠じ給ふ人少なからず。
 この頃、松月菴の主を訪(おとな)ひて、机上の反故を探るに、吾宗代々の高僧の詠み給ひしを、そこはかとなく記し置ける冊子あり。

【語釈】
戯言:ざれ言 ・ たわむれに言う言葉。ふざけたこと。
細:くだくだしい
第一義:最も大切な根本的な意義または価値。究極の真理。
されば…申侍り:紀貫之「古今和歌集仮名序」を指し、同書の引用は「…蛙はさら也」まで続く
さらなり:言うまでもない。もちろんだ。
祖師:仏教で、一つの宗派を開いた人
道心:仏道を修めて悟りを得ようとする心
称し:称賛し
松月菴:不詳。臨済宗大徳寺に松月軒という塔頭があり、あるいはそれか。
吾宗:ここでは禅宗を指す
反故:書画などをかいて不用となった紙。書き損じの紙。

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【翻字】
何人のかき留めをきしや菴主も来由をしらず是を 無下に紙魚の餅となさむも本意なきに似たればあるじの 僧に乞求めて猶近世の知識あるは参学の居士等のよみ 捨をましおぎなひ一人に一首となし画を加へ伝を付して 桜木にものし侍るされどひがめる眼をもてさらに名哥 秀逸をゑらみたるにもあらず只見るにまかせ筆にまかせて 書つけしものなれば人口に膾炙せる名哥を漏らし はた何がしの高僧のよく哥よみ給ひしをのせざるもあらんそれ はそれにして後人の補ひにゆづりこれはこれにして世に弘ふし 吾宗雲水の衲子の学に倦坐につかれたる心を慰めいよいよ 道を原む便ともなさんとみだりにこゝろの策とは名づけ侍りぬ
沙羅樹下参徒 無染居士しるす

【校訂本文】
何人(なんぴと)の書き留め置きしや、菴主も来由(らいゆ)を知らず。これを無下に紙魚(しみ)の餅となさむも本意(ほい)なきに似たれば、あるじの僧に乞ひ求めて、なお近世の知識、或は、参学の居士(こじ)等の詠み捨てを増し補ひ、一人に一首となし、画(え)を加へ、伝を付して、桜木にものし侍る。
 されど、僻める眼をもて、さらに名歌・秀逸を撰みたるにもあらず。ただ、見るに任せ、筆に任せて書き付けしものなれば、人口に膾炙(かいしゃ)せる名歌を漏らし、はた、某の高僧のよく歌詠み給ひしを載せざるもあらん。それはそれにして、後人の補ひに譲り、これはこれにして世に弘(ひろ)ふし、吾宗雲水の、衲子(のっす)の、学に倦(う)み、坐に疲れたる心を慰め、いよいよ道を原(もと)む便りともなさんと、みだりに『心の策(むち)』とは名付け侍りぬ。
 沙羅樹下参徒、無染居士記す。

【語釈】
来由:物事の現在に至った理由。いわれ。由来。
知識:仏道に教え導く指導者。導師。善知識。
あるは:または。もしくは。
参学:座禅して仏道を学ぶこと
居士:近世以後の禅宗で、在家の座禅修行者
桜木:桜材は江戸時代、版木に使用した。「桜木にものす」で「出版する」意。
膾炙:広く世の人々に知れわたっていること
雲水:広く諸国を巡る行脚僧
衲子:衲衣を着ている者の意で、主として禅宗の僧をさす
沙羅樹:娑羅双樹。ナツツバキの通称。釈迦の病床の四方に二本ずつ相対して生えていた木。釈迦が入滅した時、鶴のように白く枯れ変じたという。

【解説】
 序は内容的に三つの部分に分けられ、校訂本文は三段構成にしました。第一段は、和歌と禅仏教が根本で通じ合う、とありますが、かなり強引な立論です。第二段は、本書の出版経緯を述べています。編者が偶然に原本を発見し、それを編者が増補し体裁を整えた、とありますが、これは江戸期の出版物にしばしば見られる類型的表現です。第三段は編集意図と命名理由、および編者の儀礼的な謙辞です。

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【翻字】
檀林皇后(だんりんくはうごう)
もろこしの 山(やま)の あな た に たつ雲(くも)は こゝにたく火(ひ)の けむり也けり
〇聖后(せいこう)御諱(いみな)は嘉智子(かちし)人王五十二 代嵯峨帝(さがてい)の后(きさき)也篤(あつ)く禅法を信(しん) じ唐国(たうごく)の義空(ぎくう)禅師を檀林寺に迎(むか) へて法要(はふよう)を尋(たづ)ね遂(つひ)に所悟(しよご)あり て此うたを詠(ゑい)じ給ふ唐土(もろこし)の斎安(さいあん) 国師(こくし)はるかにその哥を聞(きい)て深(ふか)く 仏乗(ふつじよう)を得(え)たる人なりと感(かん)ぜられし とぞ嘉祥(かじよう)二年寿(ことぶき)六十五にして崩(ほう) じ給ふ御遺語(ごゆいご)ありて尊骸(そんがゐ)をさが
野に捨(すて)しめ容色変(ようしよくへん)じて乱穢(らんゑ)の 姿(すがた)をしめし人をして愛着(あいぢやく)の念 を断(たゝ)しめ給へり又御哥に われ死(し)なば焼(やく)な埋(うづ)むな野(の)に 捨(すて)てやせたる犬の腹(はら)を肥(こや)せよ

【校訂本文】
 檀林皇后(だんりんくはうごう)
 唐土の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけり
 聖后(せいこう)、御諱(いみな)は嘉智子(かちし)。人王五十二代・嵯峨帝の后(きさき)なり。
 篤く禅法を信じ、唐国の義空禅師を檀林寺に迎へて、法要を尋ね、遂に所悟ありて、この歌を詠じ給ふ。唐土(もろこし)の斎安国師、遥かにその歌を聞いて、「深く仏乗を得たる人なり」と感ぜられしとぞ。嘉祥二年、寿六十五にして崩じ給ふ。御遺語ありて、尊骸を嵯峨野に捨てしめ、容色変じて乱穢の姿を示し、人をして愛着の念を断たしめ給へり。
 又、御歌に、
 我死なば 焼くな埋むな 野に捨てて 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

【語釈】
檀林皇后:橘嘉智子(たちばなのかちこ)。第52代・嵯峨天皇(在位:大同4年(809年)~弘仁14年(823年))の皇后。
義空:唐の禅僧。承和14年(847年)来日し、檀林寺の開基となる。
檀林寺:承和年間(834年~848年)に檀林皇后が嵯峨野に創建した日本最初の禅寺
法要:仏法のかなめ。仏の教えの大切な要点。
所悟:悟るところ。悟ること。
斎安国師:中国禅宗の高僧。『景徳伝灯録』巻七の伝記には生没年の記載はない。
仏乗:自分が仏になるとともに、他をも悟りに至らせる教法。大乗。菩薩乗。

【解説】
 1人目は、日本で初めて禅寺を建立し、禅僧を中国から招いて日本禅宗史の出発点となった檀林皇后です。歌意自体は平易ですが、禅的な含意は難解で、この世の全てが仏法の因果の理に支配されていて、根本においては何の区別もないことを詠んでいるのであろうと思います。
 斎安国師は臨済宗の基礎を作った高僧・馬祖道一の高弟で、義空の師としてその日本行きを勧めた人物です。ただここでの逸話はおそらくはフィクションでしょう。
 檀林皇后の遺骸処置については、「檀林皇后九相図絵」として描かれ、現存しています。同図絵は、京都市東山区の西福寺で、毎年夏に一般公開されています。

【追記】2020.10.13
 本章の歌と解説の出典の一つが判明しました。
 中古の歌物語の一つ、『女郎花物語』です。国立国会図書館デジタルコレクションにある『新註女郎花物語』(1927年刊・鳥野幸次著)15/155にあります。本章はほぼその要約と言えます。

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【翻字】
栄西禅師(ゑいさいぜんじ)
奥山(をくやま)の 杉(すぎ)の むらだち ともすれば おのが身(み)よりぞ 火(ひ)を出(いだ)しける
〇師(し)名(な)は栄西号は明菴(みやうあん)初(はじ)め台(たい) 密(みつ)の蘊奥を究(きはめ)後(のち)宋国(そうこく)に入(いる)事 両回(りやうくはい)疫病(ゑきびやう)を除(のぞき)て其徳(そのとく)を顕(あらは)す 宋帝(そうてい)感(かん)じて千光(せんくはう)の号を給(たま)ふ 虚菴敞(きよあんのせう)禅師に法(はふ)を嗣(つぎ)帰朝(きてう)して寿福聖福建仁の三寺を開(ひらく) 是日本禅宗弘通(ぐづう)の始(はじめ)也茶(ちや)の実(み) を採(とり)来り初(はじめ)て筑前背振山に植(うへ) 且(かつ)喫茶養生記(きつさようじやうき)を著(あらは)して茶(ちや) の功(こう)を賞(しよう)せらる本朝茶(ちや)を用(もちゆ)る 事もまた師(し)を権輿(はじめ)とす建保(けんほ) 三年微疾(びしつ)を示(しめ)し遂(つい)に初秋五 日示寂(じじやく)せらる時に春秋(しゆんじう)七十五也 △此哥は自業自得(じごうじとく)の心をよみ 給ひし也

【校訂本文】
 栄西禅師
 奥山の 杉の群立ち ともすれば 己が身よりぞ 火を出だしける
〇師、名は栄西、号は明菴。
 初め、台密の蘊奥を究め、後、宋国に入る事両回、疫病を除きてその徳を顕す。宋帝、感じて「千光」の号を給ふ。虚菴(懐)敞禅師に法を嗣ぎ、帰朝して、寿福・聖福・建仁の三寺を開く。これ、日本禅宗弘通の始めなり。
 茶の実を採り来(きた)り、初めて筑前背振山に植へ、且、『喫茶養生記』を著して、茶の功を賞せらる。本朝、茶を用る事もまた、師を権輿とす。
 建保三年、微疾を示し、遂に初秋五日、示寂せらる。時に春秋七十五なり。
 △この歌は、自業自得の心を詠み給ひしなり

【語釈】
むらだち:群がって生えていること
台密:日本天台宗の密教のこと
宋国に入事両回:1度目は仁安3年(1168年)、2度目は文治3年(1187年)~建久2年(1191年)。
疫病を除て~千光の号を給ふ:聖福寺の栄西禅師年表によると、文治4年(1188年)「疫病退散の祈祷、雨祈祷により南宋の孝宗より「千光」の号を賜る」とある。
虚菴敞:虚菴懐敞。中国の禅僧。栄西の師。
寿福:寿福寺。正治2年(1200年)、北条政子の創建した禅寺。鎌倉五山の一。
聖福:聖福寺。建久6年(1195年)、源頼朝の寄進により創建された日本最初の禅寺
建仁:建仁寺。建仁2年(1202年)源頼家の創建した禅寺。京都五山の一。
弘通:教法・経典をあまねく世にひろめること
実:植物の種子
初て筑前背振山に植:この山の中腹にあった霊仙寺に栄西がいた建久2年(1191年)の事績とされる
権輿:物事の始まり。事の起こり。発端。
建保三年:1215年

【解説】
 2人目は日本臨済宗の開祖・栄西明菴です。歌意は紹介文にある通りで、山林の自然発火現象を詠むことで、人が集団の中でいがみ合うなどして災いを招くことを戒めています。
 紹介文の前半は日本で禅宗を開いた宗教的事績の紹介ですが、後半は飲茶を日本に広めたという非宗教的事績の紹介であり、序には言及されていなかった本書の持つもう一つの側面、すなわち一般教養書的な性格が明瞭に認められます。

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