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カテゴリ:地誌・地方史 > 校訂『三重県地理教科書』(1890刊)

三重県地理教科書
  梅原三千・玉置毅三郎 同輯

総論

地図{第一}を観察して左の諸問に答ヘよ。
  {三重県は此の図の中の何れなりや。〇其の周囲を指し示せ。〇北は何によりて何県の何国に境するや。〇西は如何。〇南及び東の水色せるは何なりや。〇東の海を何と称するや。〇伊勢海を隔てて何県の何国に対するや。〇総て何が三重県の境をなすや。}
  (以上、境界)
  {三重県は何れの方向に長きや。〇何れの方向に短きや。〇南北の最も長き所は凡そ幾里許(ばかり)ありと思ふや。〇東西の狭き所は。〇其形は何といふ文字の形に似たりと思ふや。}
  (以上、地形)
  {山脈の方向は如何。〇何れの部分に山多きや。〇川は何れに発源(ハツゲン)するや。〇何れに注入するや。〇然らば川の流れ方を如何に分類し得るや。〇高地は何れの部分にありや。〇低地は。〇高地と低地とは何れか大なりと思ふや。〇何れか暖なりと思ふや。〇他府県に通ずる道路は幾條(いくすぢ)ありや。〇何れの道路が最も平坦なりと思ふや。〇海岸を見よ。外洋に面する部分と内海に面する部分とは何れか長きや。〇如何なる相違ありや。}
  (以上、地勢)
  {汝の住めるは何国なりや。〇此図の中の何れなりや。〇其他に国なきや。〇総て幾個の国ありや。〇最も大なるは何国なりや。〇最も小なるは。〇大きさの順によりて国名を挙げよ。〇国と国との境に何ありや。〇伊賀は三重県の何れの部分に位するや。〇伊勢は。〇志摩は。〇牟婁郡は。〇各の境界を語れ。}
  (以上、区画)
 地図の研窮によりて全県の大体を知りたれば、是れより各国誌に入るには自国より始むべし。

挿絵015

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伊勢国

地図の研窮(第二地図)
  {伊勢は三重県の何れの部分に位するや。〇伊勢の周囲を見よ。北は何によりて何県何国に境するや。〇西は如何。〇南は如何。〇東に何ありや。〇内海を隔てて何県何国に対するや。〇総て何々か伊勢の境をなすや。〇東の海岸と南の海岸とを比較せよ。如何なる相違ありや。〇此国は何れの方向に長きや。〇最も長き所は凡そ幾里許ありと思ふや。〇幅の広き所は。〇狭き所は。〇此国の形は何に似たりと思ふや。〇内海の長さは凡そ幾里許ありと思ふや。〇其の幅は。〇山脈は何れにありや。〇近江・美濃・伊勢の境界となる山は如何。〇美濃の境にある山を問ふ。〇近江の境にある山を挙げよ。〇伊賀の境にある山は如何。〇大和の境にある山は。〇志摩の境にある山は。〇国の内部にある山と其の位置とを語れ。〇国の何れの部分が最も山多きや。〇川は皆何れに発源して何れの方向に流るるや。〇川の名を北より順次に挙げよ。〇各川の水源及び河口を語れ。〇最も長き川は如何。〇其れは何故に長しと思ふや。〇其次に長き川は何れなりや。〇又其次は。〇高地は何れの部分にありや。〇低地は。〇高地と低地とは何れか大なりと思ふや。〇此国は幾個の郡に別れたるや。〇何が郡と郡との境をなすや。〇最も北なる郡は如何。〇郡の名を北より順次に挙げよ。〇何れの郡か最も大なりや。〇何れか最も小なりや。〇何れの郡が最も平坦なりや。〇何れの郡が最も山多きや。〇都邑の名を北より順次に挙げよ。〇其の位置を語れ。〇重もなる道路を語れ。〇内海岸にある港と其の位置とを語れ。〇内海岸の浦を名ざせ。〇外海岸にある港と其の位置とを語れ。〇外海岸にある岬と浦とを挙げよ。〇各其の位置を語れ。〇

挿絵018

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(一)概勢 伊勢国は南北に長く東西に狭く、中央以南は漸く広し。国の西部より南部は山多く、東部の海に近き所は低地にして平坦なり。
 (Ⅰ)山脈 北境より起り、南に趣きて国の西境をなし、大台ケ原山に至り東に折れて紀伊の境となり、尚東に引きて志摩の境をなす。此の山脈より無数の支脈出て各郡に綿亘(めんこう)す。一志郡以南は最も山多し。
   {南北の山脈は以東をして暖ならしめ、東西の山脈は以南をして暖ならしむ。}
  【鈴鹿山】は近江の境にありて滋賀県に通ずる要路なり。
   {鈴鹿山は鈴鹿関の旧趾(きうし:あと)にして古よりの通路なり。伊勢より登る所は険にして、近江に降る所は夷(たいらか)なり。
  【加太山】は伊賀の境にあり。伊賀に通ずる要路にして、近頃隧道を鑿ち鉄道を敷けり。
   {此の鉄道は四日市より来り伊賀を経て滋賀県に通じ、夫れより京都・大坂に達す。}

挿絵022

  【長野嶺】は伊賀の境にあり。伊賀に踰ゆる嶮路なり。近来隧道を鑿ちしより馬車を通ずるに至れり。
  【高見山】は県内第一の高峯なり。
  【大台原山】は県内第一の深山にして、人跡未だ到らざる所あり。
  【朝熊山】は頂上に金剛証寺あり。此山は海に臨むが故に、山上の眺望(てうばう)絶佳なり。
  伊勢の諸山は草木茂りて薪炭多く、又、雉・山鳥(やまどり)・鹿・兎・猪等の動物を産す。
  山麓(さんろく:ふもと)又は谿間(けいかん:たに)に森林ありて、松・杉・檜等の用材を出すこと夥(をびただ)し。就中、朝明郡の【福王山】、鈴鹿郡の【加太谷】、一志郡の【波瀬(はぜ)谷】、安濃郡の【河内谷】、多気郡の【大杉谷】等は有名の森林なり。
   {大杉谷は最大の森林なり。近来、宮川の上流を鑿開して、盛に良材を出さんとする計画(けいかく)あり。目下工事中なり。}
  又、往々鉱山ありて諸鉱物を採堀(さいくつ:ほりだす)す。即ち銀・銅・鉛及び石英等は、員弁郡治田(はつた)より出て、石材・陶土等は桑名・三重、其他諸郡より出て、石灰石は尤も多く員弁・鈴鹿二郡より産す。石炭坑は各地にあれども、未だ盛に採堀するに至らず。

  [附説]山間の高地は平坦ならざれども、概して乾燥(かんそう:かわく)ならずして地味肥へ、茶葉等に適し、又煙草・楮(かうぞ)・葛(くず)・薯蕷(やまのいも)・柿・椎茸(しいたけ)・漆(うるし)等を産す。楮は其皮を剥(は)ぎ取りて紙に製し、葛は其根より葛粉を製す。
   {飯高郡下瀧野村より以西、高見山に至る迄七里の間、村々皆茶を栽培(さいばい)す。所謂川俣茶、是れなり。
   {三重郡菰野村近傍の茶は菰野茶と称して良好なり。総て茶は北部諸郡に良品を産す。}

挿絵023

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 (Ⅱ)水脈
  (1)川流 木曽川・揖斐川を除く外、総て西境の山脈に発し、東流して内海に入る。故に南部に至る程、地広きに随ひて長流をなす。
  【木曽川】・【揖斐川】は源遠くして水量多き故に、舟楫(しうしゆう)の便多けれども、亦時々水害を免れず。
   {総て流水は陸を破壊(はかい)し土砂を河口に積み、往往三角州(さんかくす)をなす。寿満山(じうまんやま)の如きは其の一例なり。}
   {目下、木曽川工事中なり。他日大成せば、患害除き利用随て大ならむか。}
  【雲出川】は伊勢の中央にあるが故に、古来、此川を以て伊勢を南北に別ち、南勢・北勢と称す。
   {此川は今より凡そ五百年前、北畠顕家(あきいえ)、賊将高師泰(こうもろやす)を敗りし所なり。}
  【宮川】は大台原山の渓間(けいかん)より発して内海に入る。其長さ三拾三里ありて第一の長流なり。櫛田川之に次ぎ、雲出川又之に次ぐ。
   {多気郡大杉村に、千尋・嘉茂助・不動・七竈等の滝あり。高皆五十丈以上なり。流末宮川に入る。}
   {飯高郡森村に布引滝あり。高九十丈余。流末櫛田川に入る。}

挿絵024

  伊勢の諸川は香魚(あゆ)・鯉・鰻等の産出多く、香魚は尤も著し。
  川の上流は水勢急にして岩石多く舟通ぜざるも、中流以下は流勢稍緩にして舟楫の便あり。
   {揖斐川には川蒸汽船ありて、桑名より美濃の大垣に往復す。}
   {宮川は十五里、櫛田川は八里、雲出川は五里、町屋川は七里の間、舟を通ず。}
 (2)池沼 数多けれども大なるものなく、且概、幾分の人工を加へたるものなり。【五桂池】・【風早池】を最大とす。
  此等の池沼は諸川と共に近傍の田畝を灌漑(くわんがい:そそぐ)す。国内、川流環繞(くわんじよう:めぐる)し、水利に乏しき所なし。
   {奄芸郡の北部は大川なきが故に、稍灌漑の便を欠く。}
  [附説]度会郡【阿曽】及び【野後(のじり)】{滝原村}の炭酸(たんさん)泉は、飲浴共に効あり。三重郡菰野村及び一志郡榊原村の温泉は、風景清麗にして浴客常に多し。
   {榊原温泉の傍に貝石山あり。貝・木・葉等の化石を出す。}
   {温泉とは地より涌(わ)き出る温湯にして、常に鉱物を含み、之に浴すれば薬効あり。}
 (Ⅲ)低地 国の東部、海に近き所、及び川流の近傍は皆低地にして、桑名より宇治山田に至る二十余里の間、沿道に一の山なし。地味は最も良好にして、近国に名高き程なり。
   【桑名郡長島】は最も低湿(ていしう)なれば、常に堤防(ていぼう)を厳にして浸水(しんすい:みづいり)を防ぐ。
   【河曲郡】は最も平坦にして、全郡山と称すべきものなく、県下第一豊腴(ほうゆ:コエル)の地なり。
  作物は、米・麦・豆・茶・藍(あゐ)・菜種・桑・甘薯(さつまいも)・実綿等、皆善く地に適し産出甚だ多く、品質も亦良好なり。殊に一志郡の米は一志米と称し、世に名あるものなり。
   {近来、甘蔗(さとう)の栽培漸く盛なり。他日、有益なる国産となるべし。}
 (Ⅳ)原野
  【広瀬野】は最大の原野にして、近時之を開墾(かいこん)し、桑茶等を培養す。【鞠ケ野】・【能褒野】は広さ広瀬野に次ぐ。
   {能褒野に日本武(やまとたける)尊の陵(みささぎ)あり。景行(けいこう)天皇の勅を奉じ東夷を征し、帰途(きと)能褒野に至りて薨ぜり。因て陵を其地に建つ。之を白鳥陵といふ。}
  【明野原】は勧農場を置きて之を開墾し、養蚕伝習場・製糸場を設け、盛に蚕糸を製す。又、牧場ありて牛・馬・豚・鶏等を畜養す。

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※校訂者注:【木曽川】・【揖斐川】の項の「寿満山(じうまんやま)」は、揖斐川河口、桑名城付近にかつて存在した「十万山」を指すと思われます。

(二)気候 寒・熱共に酷(はげ)しからずして動・植に適す。其南部は北部よりも暖く、海岸は内地より暖し。殊に外海岸は尤も温暖なり。雨量は概して適度を得。
  {寒暖計平均六十度。}
  {海浜は夏涼くして冬暖きものなり。}

(三)海岸
 (Ⅰ)内海岸 揖斐川口より大湊に至るまで大なる彎曲(わんきよく)をなし、海岸の長さ三十余里、波静に遠浅にして、岬港少なし。
  (1)港
   【桑名港】は美濃・尾張に近く、熱田港{尾張}・大垣町{美濃}との間に小汽船の往復ありて、漕運(そううん)便利なり。
   【四日市港】は水深く浪穏にして碇泊に便なり。東西二京の中間に位し、横浜港と日々汽船の往復ありて、二京間の水運は多く此港に由る{近来、大坂港に定期往復する汽船あり}。又、熱田港{航路八里}・贄崎港{航路八里}・神社港{航路十二里}に小汽船の定時往復あり。本県第一の良港にして、輸出入甚盛なり。
    {年内輸出入の総額三千余万円に達す。}
    {稲葉三右衛門氏、此港の狭くして不便なりしを患ひ、明治六年、築港事業を興し、海浜の地一万余坪を堀り広げしより大に便利を得て、今日の繁盛に趣けり。}
    {今後、更に大波止(はと)を設くることを得ば、繁庶今日に倍せん。}

挿絵027

   【贄崎港】は岩田川口にあり。満潮(まんちやう:しほさし)の時は大川の状をなせども、川口浅くして大船を入ること能はず。然れども四日市港・神社港より汽船の来往あり。

挿絵028R

   【神社港】・【大湊港】は宇治山田町に近くして、南勢の要港なり。神社港は小汽船の四日市・贄崎より来るものありて、伊勢参宮の要津たり。
    {大湊は造船の盛なる所なり。}
  四日市港・桑名港は洋船碇泊所にして、贄崎・神社・大湊及び【大口浦】は洋船寄港所たり。此外、【富田】・【白子】・【若松】・【松崎】・【大淀】の諸浦は、和船碇泊所なり。
  (2)浦
   【辛州】浦・【白子】浦は白砂遠く青松連り、風景佳なり。二見浦は奇石海中に双立し、景色絶佳なり。賓日(ひんじつ)館あり。海水浴場を設く。

挿絵028L

  内海の浦々は皆好き漁場なり。即ち桑名に白魚(しらうを)・蛤(はまぐり)、富田に鰕(えび)・蛤の類を産出し、【若松】・【白塚】・【阿漕】・【矢野】は、鰮(いはし)・鯷(ひしこ)の大猟(たいりよう)あり。南部に至るほど外洋に近ければ、魚介の大なるものを産す。
   {蛤は時雨(しぐれ)煮とし、鰮は食用の外、肥料を製す。}
  又、多気郡【東黒部村】・度会郡【浜郷村】の海浜は、塩を製して近郷に供給す。
 (Ⅱ)外海岸 波荒く水深くして岬湾出入し、岸に岩角多し。偏鄙(へんぴ)なれば繁盛の港なし。
   {外海岸を総称して南島といふ。}
  (1)港
   五カ所・贄・古和等は南島の要港なり。
    {贄港は近来、大坂通ひの汽船寄港す。}
  (2)岬浦
   【田曽崎】・【缺崎】は大なる山嘴(さんし:やまのみさき)なり。
  南島の海岸は温暖にして魚類多く、岬湾出入するが故に、捕魚に便利なり。海産の著名なるは、鰹・鯛・鯖(さば)・烏賊(いか)・鰕等なり。鰹は鰹節に製して諸国に出す。
   {宿田曽村字宿浦の鰹節は最も上品なり。}

挿絵029

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