江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 初代露の五郎兵衛 軽口露がはなし

軽口露がはなし

巻一  巻二  巻三  巻四  巻五


凡  例

  1:底本は「落語滑稽本集」(近代日本文学大系  第22巻 1928年 国民図書刊(国会図書館デジタルコレクション))です。
  2:底本の仮名遣いはそのままとし、旧漢字とかなの踊り字は現在通用の漢字・かなに改めました。
  3:ふりがなは必要最小限加えてあります。
  4:現在では差別的とされる表現も、原典を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。
  5:『元禄笑話』(上野竹次郎編著。1927年刊。国会図書館デジタルコレクション)に収録されている話については、各話末に同書の話番号(通番)と題名を補記し、読みと意味のわかりにくい語*の同書中の表記を注記しました。下記「目録」にも(通番)を示しました。


軽口露がはなし目録

 第一 文盲なる人物の書付を批判する事(14)
 第二 京の何がし丹波へ婿入する事(50)
 第三 筆まめなる書付の事(51)
 第四 本国寺大門うゑ松の事
 第五 茶といふことを利口に取りなほす事(53)
 第六 重言くるしからずといふ事(52)
 第七 大じんと太このいはれの事
 第八 目は欲のもとでといふ事
 第九 涙は人の尋ぬるたね
 第十 六はらの勧進咄
 第十一 老いてもわかきにまけぬ咄
 第十二 推量と違つたはなし(12)
 第十三 人をけしてはまりのはやき咄
 第十四 人はそだちといふ事
 第十五 恥をいはひ直す咄(15)
 第十六 小僧が利口は却つてめいわく
 第十七 悪性の名付親
 第十八 羨ましきは食物の火事(48)
 第十九 親父がはたらき三国一(47)
 第二十 苦身も品による(21)

 第一 伊勢講の当番
 第二 蚤の式三ばん
 第三 藤の丸がかうやく(19)
 第四 はなし鳥のさた(20)
 第五 蛸やくしの日参(49)
 第六 おやも閉口(18)
 第七 仏前の三ぐそく
 第八 一家の内の物語(17)
 第九 疱瘡の養生(26)
 第十 道化者のあいさつ(27)
 第十一 文盲の風呂入り(25)
 第十二 欲ふかき姥(24)
 第十三 舞まひと百姓と口論
 第十四 坊主魚のねがひ
 第十五 きれいずき(23)
 第十六 ひけふ者の喧嘩(22)

 第一 御霊大明神へ福を祈る事(46)
 第二 塩打豆のはなし(45)
 第三 目くらの頓作(43)
 第四 賀茂川の大水
 第五 おどけ言もときによる
 第六 人より鳥がこはい(42)
 第七 百まんべん百日参り(41)
 第八 しはき坊主の若衆ぐるひ(44)
 第九 わたまし祝儀の使者(90)
 第十 とがのない盗人
 第十一 魚類がしやみせん引く事
 第十二 せいじんのむすめに意見
 第十三 東寺の塔にてばくちうち
 第十四 浄土法華の相ずまひ
 第十五 児のつまみぐひ(02)
 第十六 慮外ちがひ(01)

 第一 始めてよばれし祇園会の客(03)
 第二 野郎の金剛念仏講(04)
 第三 人のうはさ
 第四 たき物の取りちがひ(05)
 第五 うそ講の参会(06)
 第六 物のあはれは人の行末(07)
 第七 印判屋のむすこ(08)
 第八 船のしかた(09)
 第九 文盲なる者の仔細を習ふ(10)
 第十 灸おろしのさた(11)
 第十一 新仏一体の望み
 第十二 同じくふしん
 第十三 花見の提灯(12)
 第十四 りんきばなし(13)
 第十五 同じく講のくはだて
 第十六 辻談義
 第十七 順礼捨子のはなし(28)
 第十八 水瓜のせんさく

 第一 譃にもせよきびのよい事(29)
 第二 葬礼の七五三(30)
 第三 小法眼の二幅一対(31)
 第四 道頓堀にてきんちやく切の事(32)
 第五 性わるわるの坊主(33)
 第六 此の棋(ご)は手みせ禁(34)
 第七 伊勢ぬけ参り(35)
 第八 九品の浄土九々の算用
 第九 常題目の地形
 第十 えびす講の書状(36)
 第十一 弁説の過ぎたる乞食
 第十二 入院ぶるまひ
 第十三 しらねば是非もなし江戸の島原京の島原(37)
 第十四 欲のふかき長老(38)
 第十五 後家の役義
 第十六 小間物売が覚帳(39)
 第十七 十夜の長だんぎ(40)
 第十八 江州つち山のばくらう

目録 終

軽口露がはなし

凡例  巻二  巻三  巻四  巻五


軽口露がはなし 巻之一

  第一 文盲なる人物の書付を批判する事

 一 ずんど文盲なる田舎侍、供人少々めしつれ、京むろ町をとほり給ひ、家々のなうれんの書付を見て行きけるに、よめたる字一軒もなし。或所に戸をさし借家かし蔵と書き付けしを、しばらく立ちどまり、ひそかに下人を呼び、「あれは何といふ字ぢや。」と問はれけるに、かし家かし蔵ありと申す。主人うちうなづき、「尤も手はよろしからねど、いかにとしても文章がよい。」といはれた。(『元禄笑話』14「文盲なる田舎侍書付を批判す」)

  第二 京の何がし丹波へ婿入する事

 一 京の何がし丹波のおく山より縁をむすび、程へて婿入するに、土産物には大きなる生鯛一枚、小者にもたせける。七條大宮にて道中の用意にとて、ふのやき*を買ひ道すがらくうて行きけり。扨舅の家に著きければ馳走に水風呂をたき入れけり。小者も水風呂へ入るとて、懐中よりふのやき一まき落しける。山家の者共これを見て、「扨も合点のいかぬ物ぢや。」と色々評判すれども、遂に見しりたる者もなし。さらば堂の坊主と荘や殿をよびてこれを見せるに、坊主のいふは、「爰らの衆のしらぬが道理なり。是れは天狗殿の灸の蓋ぢや。」といふ。又荘や殿に、「此の魚は何と申す物ぞ。」ととへば、荘やの申さるるは、「是れは京祇園の小宮にも有り、えびす殿の腰にさしてゐらるる太刀ぢや。」というた。(『元禄笑話』50「京の某丹波へ婿入り」。*「麩の焼」)

  第三 筆まめなる書付の事

 一 ある人のかたへ、夏の頃客きたりて、素麺をふるまひけり。からしの粉をたづねるに、紙袋に書付なくて、気のせくままにあれこれと捜し、漸う取り出し振舞ひ過しけり。日暮におよびむすこ外よりかへりき、親父いふやうは、「あのかみぶくろにはそれぞれの入りたる物を書付せよ。総じてかきつけのない物は、いそぐ時のやくに立たぬぞ。」と云ふ。「いかにも心得ました。」とて、頓て親父ねられける時、紙帳に大筆にて此の内におやぢ有りと書き付けた。(『元禄笑話』51「筆まめなる書付」)

  第四 本国寺大門にうゑ松の事

 一 本国寺大門の南は、十年ばかり以前まで民家なりしを、近年は小松植わりけり。此の松に付き植木やを呼び、「あの大門より北にはむかしより大木の松八本あり。あれは法華八軸をかた取り八本なり。然るに此のたび南の空地には、法華二十八品をかた取り二十八本うゑべし。直段如何程。」といへば、木屋申すは、「とかく法華経の義理はそむかれますまい。直段一歩八貫文に御買ひ下されよ。」と云ふ。寺にも差当り高直とてねぎるべきやうもなし。其の中に小ざかしき男罷り出で、木屋の宗旨を問へば、「浄土。」といふ。「然らば其方の宗旨にて金子三歩経にまけよ。」というた。

  第五 茶といふ言(ことば)を利口に取りなほす事

 一 利口なる者の咄に、茶道坊主といふ言葉をそばにゐける人聞きていふ様は、「尤もちやを立つるなれども、あれはさだうといふ物ぢや。総じて茶にはさといふ言葉を用ゐる。」とをしへければ、彼の者が云ふ。「それは其方の申されやう無理なり。さとちやと同じことならば、笹屋の三郎兵衛を茶々屋の茶ら兵衛というても大事ないか。」と云うた。(『元禄笑話』53「茶といふ語を利口に取直す」)

  第六 重言くるしからずといふ事

 一 重言をいひ付けたるくせにて、「夜の夜中にてもあらばこそ、昼の日中に、山中の山なかにて、馬からおちて落馬して、うでのかひなを打ちをりて、医者のくすしに懸けて、養生してりやうぢしたれば、やうやうなほり平癒した。」といふを、友達聞きて、「扨も言葉はみな重言なり。よそにて左様の言をかならず申されな。」とかたく意見すれば、彼の者へらぬ口にて返答せしは、「其方は文盲な人ぢや。聖人賢人の語に多く重言有り。」といふ。「それは何の書物に有る。」といへば、「諷(うたひ)の本に有り。高砂の浦に著きにけり著きにけりと有り。」「それは目出たい事故苦しからず。」「然らば跡とふらひてたび給へたび給へといふ謡も有るぞや。」(『元禄笑話』52「重言苦しからず」)

  第七 大尽と太鼓の謂れの事

 一 「今時のわけしりは、世間せんじやうのために、一町あゆみ行くにも、太鼓といふしやれものをめしつれありくなり。それに付きあの太こといふ義理は何といふ事ぞ。」といへば、さかしきをとこが頓作をいふは、「総じて大じんも太こもみなみな六斎念仏の宗旨であらう。其のいはれは大じんはかねもちなり、太こといふ者はからりからりの身体なれば、かねもちに付いて歩まねばならぬ。」というた。

  第八 目は欲のもとでといふ事

 一 田舎人はじめて京へ上り、方々見物せり。大仏の釈迦を見てにはかに欲心発り、つれの友にいふやうは、「目は欲の元手ぢやといふ。あの仏の御手程おれが手も大きならば、京一番の両替屋の門に立ち、手に一ぱい小判をつかみ取りたい。」というた。

  第九 涙は人も尋ぬるたね

 一 うつくしき女中、ひとり途中にやすらひて、ものあはれさうになき居たり。ゆきあうたる人、「何事のかなしみありて、さやうに涙にむせび給ふ。」ととひければ、女聞きて、「さればこそ、あれあれあそこへ衣を著て、あみ笠めしたる人は、都にかくれなき歌念仏説教ときの林清(りんせい)といふ人なり。あの人のむねの内にいか程あはれしゆしようなる事の侍らんやと、おもひやられて袂をしぼる。」というた。(但しぬれかけのある女かしらぬ。)

  第十 六波羅の勧進といふ事

 一 無意気なるにはか道心、六はらの勧進というて門々をありくなり。人々不審に思ひ、「何と六はらの堂が立ちなほるか、慥か昨日も東山へ行くとて通りたるに、作事の体は見えず、いかさま此の坊主は似せ勧進にて有るべし、いざいざよびて尋ね申さん。」と、二三人立ちよりて此の坊主に謂れを聞きけるに、「御不審尤もなり。愚僧が庵室は六はらの片原町に罷り在り、庵に許り居たるは片原よ。」とそのままむねをひろげ腹をたたきてをしへ、「勧進と申すは此のろく腹へ。」というた。

  第十一 老いてもわかきにまけぬ事

 一 或在郷に七十ぢかき姥あり。にあひたる者の方へ嫁入をするに牛にのり、二十ばかりの孫に牛の口を引かせ行くなり。道にてさはる荷物の有るをみて、孫牛に声をかけ、「のいてとほれ。」と云ふ。姥これを聞き、「そうて通れといはんこそ本意なるに、のいてといふ言葉は気にかかり不吉なり、いやいやけふは行くまい。」と嫁入をやめけるも興あり。

  第十二 推量と違うた事

 一 ある所に久七といふ下人有りけり、かたのごとくよくはたらき、主人の気に入り奉公せしが、或時主人他行の折ふし、お内儀へ、「近頃はづかしながら、私が心底を包まずはなし申し度し。」といふ。内儀は面を赧めて、「あらきやうこつなる人や、何をいふ事の有るべし。」と申されける。久七、「かやうに申すうへに、御聞きなきにおいては覚悟いたした。」といふ。内儀申すは、「それほどに思ひ侍らば、重ねて折も有るべし。」と申されけり。「さいはひただ今は人もなく、よきしゆびにて候まま、ぜひ今申さん。」と、つかつかと耳のはたへより、小声にささやく様は、「あすより飯のしやくしをおし付けて下されよ。」というた。(『元禄笑話』16「推量と違うた」)

  第十三 人をけしてはまりのはやき事

 一 ある人、「京にめづらしき軽口咄はないか。」と、とはれけるに、「さして思ひ付きたる咄も御座らぬ。此のほど京中のとほり道をよくいたし、門の真中をたかくかまぼこなりにいたす。」といひもはてぬに、「そのはなしはふるいぞふるいぞ。」とけされければ、「さればこそ其のふるひによつてかまぼこにいたした。」といふ。(此の人は肴やではないか。)

  第十四 人はそだちの事

 一 ふり暮したるつれづれの折節、二三人呼びあつめ、とろろ汁を振舞ひける。其の中にこびたる人の申さるるは、「色々の御馳走、ことにけふのことづて汁は、いつにまさりて、一入出来たる。」とほめ給ふ。そばに相伴したる人、これはめづらしき御言葉やと思ひ、其のしさいをとふに、「されば此の汁にてはいか程も飯がすすむゆえ、よくいひやるとの縁により、ことづて汁といふならん。」「聞えたる作意や。」と感じ、宿にかへりてやがてくだんの汁にて客をよぶに、ことづてをとはれて、「めしのままをやる。」とぞ申しける。

  第十五 恥をいはひなほす事

 一 或町に寄会有りけり。二階座敷にてつとめける。事過ぎてかへるさに長座にくたびれ、そさうなる者はしごのもとにて、大あくびするとて、尻の辺よりぽんと音のせしを、そばなる人とんさくを申された。「扨も天下太へいで御座る。」といへば、彼の者も、「さればこくとあんどいたした。」というて笑うた。(『元禄笑話』15「恥を祝ひ直す」)

  第十六 小僧が利口で却つてめいわくといふ事

 一 去る寺にうつくしきお児有りけり。檀那参られて小僧をちかくよびて、「あの児はどなたの子なれば、あのやうにうつくしいぞ。」といふ。小僧、「あれは屋敷方のお子なり。爰の弟子になりに御出で有る。」といふ。檀那ききて、「おれが思ふやうならば、あの児を女子にしてほしい。」と申せば、小僧がいふやう、「いづれ人の目は九分十分ぢや、さたはない事、長老様も左様に御申しある。」と云うた。

  第十七 悪性の名付親

 一 然る所に二十許りの悪性なるむすこあり。夜々外へ遊びに出でけり。親大きに腹立して、懇なる人を両人かたらひ、「御大儀ながら、今ばんむすこ奴が居る所へ同道頼む。」よし申して、さて親父は鉢巻よりぼうなどもちて、常に子が行く所を見とどけ、あわただしく表の戸をたたき、「爰にこちのむす子はゐぬか。」と急にたづねければ、子は親父が声ときき、やがて二かいへはしりあがり、かくれ所のなきままに天井へとび上りければ、腰より上は天井にてかくれたり。親父友三人ながら二階へ行き見れば、何かはしらずこしより下許りの物有りけり。子も絶体絶命、爰なりと息づむひやうしに、大きなる屁を一つぽんとこきたり。扨一人が云ふ様は、「是れは定めてろくろ首といふ物ぢや。」又一人がいふは、「いや首は見えぬほどに、ろくろ尻にてあらう。」といふ。親父も興をさまし、「いづれもの量見とはちがうた。ろくろくびでもろくろじりでもない、先のなり音を聞くからは、六郎兵衛にてあらう。」というた。

  第十八 羨ましきは食物の火事

 一 四條河原にうつくしき野良(やらう)あり。古郷親里は京の西じゆらくの者なり。五月十五日は今宮の神事にて親里へまつりに行きけり。常はつとめの身なれば、隙なく往来する事更になし。さるにより親も一しほ珍らしく不便に思ひ、何がな馳走せんとて餅をつきくはせけり。野良も逢うた時かさをぬげとかや、人目も恥もかまはず、したたかにくひけり。されども夕陽西に入りあひのなるころ、我がすむおやかたの内へ帰り、ねてもおきてもくるしさうに見えけるを、ほうばいの野良見かねて、「そなたの病ひはここちいかが有り。」と問ひければ、「唯けふのもてなしの餅をくひすごして、むねのやけがくるしい。」といひければ、「おれもちとその類火にあうて見たいよ。」(『元禄笑話』48「羨ましきは食物の火事」)

  第十九 親父がはたらき三国一

 一 夫婦おどけ者にて、嫁も娘もあつまりて、冬の夜寒の折ふし、とうふを二三丁もとめ田楽にする。親父いひ出すは、「おのおの秀句をいうてくふべし。」と。嫁やがて、「われは仏のつぶり*。」と申して三くし*取りてのくなり。むすめは、「いなば堂。」とてやくし*取りたり。母は屏風の陰より出づるをみれば、髪をばつとみだしたすきをかけ、左右の手にて目口をひろげ、「われは鬼なりみなくはう。」とて、有りたけ取りたれば、せんかたなさに親父はふるき手ぬぐひをあたまにかぶり、手をさし出し、「乞食に参りた一つづつとらして下され。」といふ。(『元禄笑話』47「親父が働き三国一」。*「頭(つむり)」*「三串〔御髪〕」*「八串〔薬師〕」)

  第二十 苦身も品によるといふ事

 一 上戸なる親あり。町内に伊勢参宮の坂迎へとて出でけり。暮におよび内にかへり、むねをなで額をとらへ、「あらくるしくるし。」と、時すぐるまでかなしがるを、利口なるむすこ有り、「ととはそれほどくるしい酒をよいころにのみもせで。」と申せば、親は目を見出し、「おのれはこざかしく何をしりがほにぬかすぞ、此の酔ひのさめるがくるしやというてあそぶに。」(『元禄笑話』21「苦しみも品に依りけり」)

軽口露がはなし巻之一 終

目次  次巻

軽口露がはなし

巻一  凡例  巻三  巻四  巻五


軽口露がはなし 巻之二

  第一 伊勢講の当番

 一 去る医者いせ講の有りし所へ風(ふ)と立ちより、「これはいかうにぎやかなる体ぢや。」と申さるれば亭主申すは、「伊勢講にて御座候。」「それは御大儀。」といふに、「されば貴様のお薬と同じ事にてよくまはり候。」といへば、ことの外医者よろこびかへりけるに、又存じたる所へ寄りける。爰もどたくたといそがしく料理しけり。亭主申すは、「今ばんはいせこうつとめ申すなり。さいはひの所へ御出でなされた、勝手にて酒一つまゐれ。」といふ。「これは御大儀ながらも目出たい事。」と申すれば、亭主、「されば貴公の薬と同じ事にてさいさいあたります。」というた。

  第二 蚤の式三ばん

 一 ある人蚤を壱疋とらまへ、式三番をまはせける。むかひの親父これを見て、「扨もおもしろき事かな、吾ものみ一つほしや。」と思ひ、著類(きるい)を見れども、かねて女房きれいずきせしゆゑ壱疋もなし。是非なく四五日も程過ぎ、ある夕ぐれ時分、何かはしらず壱疋とらまへうれしゆ思ひ、三番さうを始め、自ら口笛を吹きゆびにて畳をたたき、片手に扇子をもち、きげんよくまはせける所へ、成人の子外より帰り、「親父これは何をなさるる。」と云ふ。「のみに三番さうをふまするぞ。おれは目がかすんで太夫殿の舞ひぶりが見えぬに、火燭を灯してちやと見よ。」といへば、むすここころえたとて火そく持ちきたりみるに、「何とよくまやるか。」ととふ。「いや親父まひはせぬぞ、まはぬも道理で御座る、役者がかはりて白身太夫ぢや。」といふ。

  第三 藤の丸がかうやく

 一 ある所に藤の丸のつきたる、なうれんかけたる家にて番を勤めけるに、折ふし田舎人通りあはせ、その儘立ちより、膏薬を買うてみやげにせんと所望する。番の者、「爰にはなし。」といふ。「して是れは何ぞ。」ととふ。「いやかうやくにてはなし、是れは町役なり。」と返答した。いと興有る答へにや。(『元禄笑話』19「藤の丸が膏薬」)

  第四 はなし鳥のさた

 一 じやうのこはき者二人寄りあつまりゐける所へ、門をはなし鳥はなし鳥と売り歩くなり。一人が云ふやう、「あのつばくらといふ鳥はとび魚になる。」といふ。又一人、「いやそれは大きにうそなり。」というて、両人赤面してせりあひける所へ、わるじやれなるをとこ一人来り此のせんさくを聞き、「むかしよりも、山のいものうなぎになる抔といひならはしけれども、つひに見たる事もなし。然れどもさも有るべし、おれも此の二十五日に北野の天神へ参るとて、はちくのかはざうり一足十九文にて買ひたるに、宿へ戻りみれば長刀になつた。」というた。(『元禄笑話』20「放し鳥の沙汰」)

  第五 蛸やくしへの日参

 一 三條辺にうはきなる男あり。いつの頃より蛸薬師日参いたし、其の身一代のうち蛸をくはぬとて、人にも披露せしが、祇園の涼みの折ふし、四條河原の床のうへにて、友達酒のみ居けるに、茶屋の肴とてもみ塩の大蛸を、物の見事に切りはやし出しける。彼のをとこ、やがて此のたこをしたたかにくひけり。つれの友、「それはたこなるに、何とて其の身はくひ給ふぞや。」といへば、此のをとこ、「さればきのふ十二日に、ふや町のほてい薬師へ願をかけかへ、向後われ一代の間は布袋をくはぬといふて、蛸のさいしんを乞ひたり。」(『元禄笑話』「蛸薬師への日参」)

  第六 親も閉口

 一 十二三なるむすこに親意見するは、「おのれに何をいひ付けても返事せず、打ちうなづいて許りゐるていたらく、近頃見ぐるし。おし五郎にてはあるまい、人の物いふにはいやおの返答申せよ、但しうなづく許りにて物事済めば、しぜんおれが目が見えずば、その風俗は見えまいし、然らば一代埒のあく事は有るまい。」などと、さんざんにらみ付けしかりける。子がいふやうは、「返事を高声にしたればとて、もし親父つんぼの時は。」というた。(『元禄笑話』18「親も閉口」)

  第七 仏前三具足

 一 去る田舎に一村みな一向宗にて、道場へまゐりて御讃嘆を聴聞いたし、事をはりて講衆申さるるは、「仏前のみつぐそくの内、らふそく立を仕なほし申さずばなるまい。あの鳥を何ぞ余の鳥にこのみ申したいが、何とおもはるるや。」といへば、いづれも此の議に同(どう)じ、「されば、烏や庭鳥もいかがなり、何がよかろや。」とせんぎしけり。其の中に小ざかしき男のいふは、「とかく白さぎにめされかし。」といふ。座中此の議然るべしと談合きはめけるに、坊主罷り出でて申さるるは、「いやいやさぎは無用になされ、其のしさいは、どぢやう坊主にさし合ひぢや。」

  第八 一家の内の物語

 一 ある所に一家まじはり、色々の物がたりをする次に中ゐの女房がいふには、「あの正月ある事は、五月かならず有るとなれば、万事いはひもつつしみもいたしたがよい。」と申せば、十四五なるこしもと女が是れを聞き、「さてはさやうにあることか、おれは左右も思はぬなり、正月はかちんをさいさい見もしくひもしたが、五月のけふは二十八日になれど、餅とて一つもみぬ程に。」(『元禄笑話』17「一家中の物語」)

  第九 疱瘡の養生

 一 上京新在家あたりを、三十許りの男とほりけるに、にしの方よりとしごろなる女房、下女一人めしつれ来るとて、此の男をみてほやほやと笑ひより、「粗忽ながら其方様を私所へ御供申したき。」と語る。此のをとこ常に色このまぬにもあらねば、早速に同道してかの女の所へ行き見れば、れきれきの家居なり。やがてろぢの戸をあけ、屏風引きちらしたる座敷へよび入れ、種々料理をくはせ、さて最前の女房いふ様は、「ちかごろ申しかねたる儀におはしまし候へども、私はこれの養君に、乳をまゐらせしうばにて御座候。今年十六になり給ひて、あちこちより縁付の事のみ申し参りしが、そもじ様に一めあはせ参らせたく存じ、扨かく申し入れたる事に候まま、是非御あひ下されよ。」と、手をとりおくの一間へつれ行きけり。男夢かうつつかなどと思ひながら、ふるひふるひ屏風のそばまで行きけり。かのうばむすめの枕もとへ寄りていふ様は、「もうしおまへ様にかかせられますなと申す証拠は、此の人を御覧じませ、おかきなさるるとひとしく、あの人の顔のやうにみつちやが出来ます。」というた。(『元禄笑話』26「疱瘡の養生」)

  第十 道化者があいさつ

 一 文盲にしてしかもだうけ者あり、其のとなりによしある人住みけり。或時夫婦いさかひはじまりて、たがひに声たかくなりけるに、かのだうけ者行き、けんくわ最中にあいさつするこそ、「おまへ様がおまへ様なれば、こな様がこな様なり、事のたとへにも大坂に介(すけ)六といふ大工さへ御座るに、かんにんさしやんせ。」といへば、此のつかぬ言葉がをかしゆなりて、夫婦ともににがにが笑うて中をなほりた。(『元禄笑話』27「道化者が挨拶」)

  第十一 風呂入り

 一 「ちと御めんなれ、草臥ものでひえ者で、どうもならぬが、あき所はいかが。」「御通りなされ、奥は武蔵野にて侍る。」「近頃かたじけなし。」抔というて、小風呂の内へ入りけるに、然る人、「山高きが故にたつとからず。」と口ずさみに申すを、なま物じりなる者が是れを聞き、「庭訓のただ中をいはるる。」といふにをかしく思ひ、又一人がいふ、「其方は物しりがほな事を云ふ、あれは庭訓にてはない、節用集といふ謡の本にある事ぢや。」と。(『元禄笑話』25「風呂入り」)

  第十二 欲ふかき姥

 一 ある山家に欲ふかきうばあり。人の物と見ては、木の葉ひとつわら一すぢなりとも、くれいくれいとたくしもらふなり。ある時大きなる鼠をとらまへそこなうて、尾許り引きちぎれ捨てけるを、「それをくれよ。」といふに、人、「これは鼠の尾なり。そなたにやりてもやくにたたぬ物よ。」といへば、かの姥、「成程やくにたつ。」と云ふ。「何にするや。」ととへば、その尾を干しておき、姥が家に伝はりたるきりのさやにするというた。(『元禄笑話』24「欲ふかき姥」)

  第十三 舞まひと百姓と口論

 一 それぞれに忌言葉のあるぞかし、茄子にはまふといふことばを百姓も憚るなり。都七條朱雀にてなすびをうゑる百姓あり、又その節は吉祥院開帳の折から、参詣の人の勧進をせし舞をまふ男あり。或時とほりあはせ見れば、大きなる土工李(とくり)に杯をそへて有り、ちと是れをなん望みにや思ひけん、畠へ立ちより、「さらば一節まはん。」と云ふ。百姓聞きて、「あらもつたいなや門出あしし。」と大いに腹立しけれ。兎角いひより酒をのみのませけるが、立ちて行きざまに、「さきほどの腹立は、たがひにねもはもおりない事よ。」と上ぬりを申した。

  第十四 坊主魚の願ひ

 一 ある所の地頭と中のよき出家あり。振舞によばれて色々食物の咄ありしに、「海月と云ふものは精進めきたる物なり、出家にもまゐらせたや、殿に云うて是れをゆるしにせん。」などと語る。年たけたる弟子聞きて、「殿へ仰せ上げらるるついでに鯉鮒の事をも頼み入れ、又私が名を替へます、宗加と申すがすきで御座る。」

  第十五 きれいずき

 一 きれいずきなるもの有り、けぬきを持ちて口のはたのひげをぬきゐたり。そばなるもの、「少しそれをわれにかし給へ。」といふ。「かし候はん間、むさい所をぬき給ふな。」とて渡しける。「扨もよくくふけぬきぢや、なんでもたしなみ人(て)かな。」抔とほめちらし、大かたしまひ、のどの下をぬきければ、かの者いふやうは、「それむさい所よ。」とゆびざししければ、「のどの下にむさき所がありや。」ととがめければ、「成るほど成るほどむさい、御身の下帯をはさむ所ぢや。」といふ。(『元禄笑話』23「綺麗好」)

  第十六 ひけふ者の喧嘩

 一 夜ふけて三條大はしを通る者あり。むかうより来る人に橋の中ほどにて行きあたり、それをとがめたがひに口論になし、一人は大男一方は小男、双方につかみ合ひ、大男は苦もなく小男をくみふせ、馬のりにしてゐたり。小男今ははやこれまでと思ひ定め、九寸許りのさすがをぬきつかんとせしを、上なる大男これをみて、高声に、「やれ人ごろしよ出合へ出合へ。」というたは、組みふせて居ながら卑怯者ぞと。(『元禄笑話』22「卑怯者の喧嘩」)

軽口露がはなし巻之二 終

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軽口露がはなし

巻一  巻二  凡例  巻四  巻五


軽口露がはなし 巻之三

  第一 御霊大明神へ福を祈る事

 一 上京にひとりの職人あり、朝夕を送りかねゐけるが、とかくは氏神へ祈りをかけ、急に富貴になるべしと思ひ、御霊明神へ七日詣でいたし、私に銀子一貫目得さしてたび給へと、かんたんくだき祈りける。満ずる七日の夜あらたに御告あり、「汝うらむる事なかれ、よく分別して神をもいのれ、分際に過ぎたる願ひは得さしがたし。われ多くの氏子を持ちたるといへども、上で御霊(ごりやう)下で御霊とて二所(ふたところ)じよたいにて十両なり。汝一貫目の望みなれば、今小判にて十六七両に及べり、何としてなるべし。さりながら氏子の事なれば不便に思ふ、いそぎ是れより真如堂の稲荷へ参り、福を祈れ。」と御れい夢有り。此のをとこ目をさましすこしりくつをこねたり。「稲荷とはいねをになふと読むなれば、百姓の望みこそかなふべし。我等はしよく人の事なれば、百姓の手わざはならぬなり。とてもならぬ事ならば、七日までつらずとも、とくにしらせ給はいで。」と大いに腹立し、社壇をにらみ、「扨もにくひ四一両(よいちりやう)めが。」というた。(『元禄笑話』46「御霊大明神に福を祈る」)

  第二 塩打豆

 一 或儒者の所へ町人見まひければ、茶をのませ、其の上にて小者に、「其の塩打豆(えんだとう)少し持参せよ。」といふ。やがてちひさき台に塩うち豆を少し入れ、座敷へ出す。町人是れをみて、「此の豆の名は何と申す。」と問へば、「塩打豆といふなり。」「其の心はいかに。」といへば、「塩はしほ打はうち豆はまめ。」と講釈せられ、「今少したべ候へ。」といへば、小者が申すは、「もはやなし。」といふ。主人、「ふぎふりきなり。」といふを、町人又、「其の御言葉はいかに。」「不及力(ちからおよばず)といふ事ぢや。」扨はこびたる口上を覚えたると悦び帰り、内の女房にいひふくめ、件の豆をこしらへ、誰がな此の言葉を云ひて振舞ひたやと待ちし所へ、舅の親父来れり。亭主、「その塩打豆持参せよ。」といへば、女房ああと云うて少し出しけり。親父何心もなくひた物くひける。亭主喜び、「今少し出せ。」といふ。女房打ちわすれああというて既に出さんとせしが、急度思ひ出し、「いやもはやなし。」といふ。亭主、「何塩打豆はもはやないとや。」不及力(ふぎふりき)を忘れて、「あのふぐりなしめが。」と女房をしかりければ、女房、「それは言葉違ひで御ざろう、女に何のふぐりがあろう。」というた。(『元禄笑話』45「塩打豆」)

  第三 目くらの頓作

 一 針立の目くら坊主、旦那がたへ療治に行き、よも山の物語にとりまぎれ、しばらく隙(ひま)を入れける所へ、客来りはじめて知人になる。客より申すは、「何と座頭どのはどなたの御弟子にて候や、いち方かじよう方か、定めて琴三味線も、平家小うたも上手にて坐し候はん、以後は拙者所へも申し入れ、一曲承り候はん。」などと懇に申されければ、此の目くらもあまりいんぎんなるあいさつにいたみ入り、たうわく*せしめ、「いや私はいちかたにてもじようがたにても御座なく、はりかたにて。」と申した。(『元禄笑話』43「盲目の頓作」。*「当惑」)

  第四 賀茂川の大水

 一 きのふけふの大雨にて、都の賀茂川一ぱいに大水出でたり。四條三條のほとりにて諸人見物する中に、一人がいふやうは、「さのみ大水といふ程にもない、夕と見合はすに水の高さ五寸にはまされず。」といふ。ありあふ人の申すは、「それは目ちがひにてあるべし、夕とは一尺や二尺のましと云ふ事はないに。」といへば、かの者じやうこはく、「はてさてへたなことをいはるる、今二寸たかければ、爰のぽんと町は一なでぢや。」

  第五 おどけ事もときによる

 一 おどけたる者、或時長老を申しうけ斎を進じけるに、老僧だんなにむかつて、「今朝の追善は、六親(しん)の内たれ人の年忌、どなたのためにて候。」と申さるれば、亭主いんぎんにかしこまり、手をつきまき舌の口上にて、高々と申しけるは、「御尋ねにて御座候條つまびらかに申し上ぐべき、今日は拙者が兄嫁や妹むこのしうとの日て御ざる。」と申した。(こびたる口上うるさし、只親の日といはいで。)

  第六 人より鳥がこはい

 一 ひがし山黒谷の辺に畠をうつに、となりの百姓通りあはせ、「是れは何をまくぞ。」といふに、彼のはたうち小手まねきして、「ああ声がたかいぞひきうひきう。」といふ。扨は世にまれなる唐物の種をううるにやと思ひ、心得たりとさし足してちかく寄りたれば、いかにもおのれが声のてうしをひきくいふには、「大豆をまく、烏や鳩がきく程に。」(『元禄笑話』42「人より鳥が怖い」)

  第七 百万遍の万日参り

 一 ある人夫婦づれにて、百万遍の万日ゑかうに参るとて、今出川のひがし野中にて知人に行きあうたり。扨も御亭はといへば、女房そのまま返答におよはずはしりより、「そそと物をいうて給はれ。」といふ。「扨は誰ぞにかくるるかや。」「いやかくれます人も御座らぬが、内にあま*をねさせてきたが、もし声のたかきに目がさめればめいわく。」というた。(『元禄笑話』41「百万遍の万日参り」。*「幼女」)

  第八 しはき坊主の若衆ぐるひ

 一 しはき坊主が去るわかしゆを恋ひわびて、かずかず文をかよはしくどきければ、若衆とほり者にて、一夜坊主の方へとまり行きける。暁雨のふる音を坊主ききつけ、南無三宝とめてくやしや、朝飯をふるまはずばなるまい、そらね入りして、起きてかへるを知らぬふりにせんこそよからめ、と思案しければ、若衆そと起きて行きける。もはや門のそとへも出でぬと思ひ心もとなさに、おきて見ければ、未だ門の内にやすらへるを見付け、仰天し立ちてゐながら目を塞ぎ、高いびきをかき事よ。(『元禄笑話』44「嗇き坊主の若衆狂ひ」)

  第九 わたまし祝儀の使者

 一 あたらしく普請出来たる所へ、知音の方より祝儀をもたせ使をやるに、「かまへて常の所へ使に行くとは違ふぞ、一言にても粗怱なる言葉を申すな。」と。「畏まりて候。」とて行きける。先の亭主悦び、献々をくみ馳走いたす。されどもつひに瘖(おし)のごとくなれば、亭主すまぬ事に思ひ、「貴所はいかな仔細により無言の仕合(しあはせ)ぞや、わめきさめく*こそ目出たけれ。」といふ時、「さればさき程から物がいひたうて、胸がやける程にあつたれど。」(『元禄笑話』90「移渉祝儀の使者」)

  第十 とがのない盗人

 一 「おれが秘蔵せしわきざしがみえぬ、そちがぬすみたる。」といふ。「いやとらぬ。」「さりとては証拠人有り。」とつよくいふ時、「取りはせぬ。人の見ぬまにもらうた。」

  第十一 魚がしやみせん引く事

 一 「月花の遊興に、琴三味線を引きもよほすは人間(にんげん)のならひなり。さる程に此の度われら西国より上り、海上永々かかり、めづらしき事を見侍る。」といへば、座中、「何事なるぞ、おもしろき事ならはなし給へ。」といふ。「さればしやみせんは人間許りのなぐさみにてない、海底の魚も引きならふ。」といふ。「それは近頃聞きおよばぬめづらしき咄なり、但し貴所も久々西国の住ひにて口がしこく、御江戸にはやる、けいあんことばを申されける。」といへば、「いやしかも小うたにのせて、鱈とふぐと毎日引きあそぶなり。其の小うたは、たんたらふくつるてんたらふくつるてんと引く。」

  第十二 せいじんの娘に意見する事

 一 さる人むすめ二人持ちけり、あねは年十八、妹は十六、ふたりともにえん付きせり。さきにてあねはにくまれさられ、妹はよつばりたれるとてさられける。おやさんざん腹立しけれども、是非なくてしかじか意見申すより外はなし。かかる所へ頓作のよき人来り、此のよしを聞き、親にいふやうは、「さのみ御意見無用になさるべし、今年は道理なり、来年からは両人の子達よくなほり申すべし。」といへば、おや、「ことしはあしし、来年はよしとはいかが心えがたし。」といふ。彼もの申すやうは、「あねはにくまるるはずぢや二九の十八、妹のよつばりはししの十六なり、とかくことしは其のはずぢや。」

  第十三 東寺の塔にてばくち打ち

 一 さる博奕打とうじの塔へしのび入り、三国一よき所とて大声あげてうち居たり。所の衆僧より申すは、「此の塔へ出入する事かたくきんぜい、殊に見れば博奕なり。其の儀は日本国の御法度なり、いそぎ立ちさり申すべし。」と申さるる。博奕打共口をそろへて申すやうは、「御法度なればこそ爰で打ちます。」といふ。「それいかに。」と申すに、「塔の下にて殊に大勝負にて更になし、銭にては八文にたらず、高九りんの勝負なり。」というた。

  第十四 浄土宗と法華宗と相住居の事

 一 さる町人に情のこはき法華宗と浄土宗と、一軒の家に壁をへだて住ひける。或時念仏講にて大鐘を打ちならし、夜半の頃まで念仏申して、扨夜食になら茶をせしが、件の法華のかたへ、「今ばんはおやかましう候はん。あまり夜寒に候ままおくり候。」よし申して、かのなら茶をやりける。忝しとて此の食をしたたかたべけり。くふとひとしく腹中いたみ、夜中に二十五度くだりける。かた法華の事なれば口すさまじくそしるこそ、いやの南無阿弥陀仏を数々聞きたる故、法然が日と同じやうに雪隠へ行くも二十五度と、散々に呟きけり。翌日はらも直りければ、女房いふは、「今朝の下りは何と有るぞ。」「されば南無阿みだまではやみたり、さりながらまだ残りたるやらぶつぶつといふ。」

  第十五 児のつまみぐひ

 一 さる所に茗荷のさしみありけるを、お児是れをつまみくひけるを、そばなる人申すやうは、「これをばむかしより今にいたり、物よみ覚えん事をたしなむ人は、みなどんごん草と名づけ、物わすれするとて、かたく食はぬ物ぢや。」といひをしへければ、児聞きて、「それならばおれは猶くふべし。」といふ。「ひだるさをくうてわすれう。」というた。(『元禄笑話』02「児の摘喰ひ」)

  第十六 慮外ちがひ

 一 ある人番にあたり上下を著してつとめけるに、ひがしのかたよりあじろの駕(かご)に、びろうどのたて笠、はさみ箱、供人あまたつれて通られける。番の者どもいかさまよしある御かたなり、座上慮外のいたりなるべしと思ひ、土べにおりてひざまづき、つつしんで待ちうけたり。のり物なるは浄土宗の長老なり、此のよしを見られて時宜するとは思ひもよらず、十念の望みなるべしと心得、やがてのり物の戸をひらき、合掌して、「南無阿み南無阿み。」といはれければ、番の人々興をさまし、はかまの土をふるひけるとぞ。(『元禄笑話』01「下座違ひ」)

軽口露がはなし巻之三 終

校正者注
 第十)底本は「『いやとらぬ。さりとては証拠人有り。』」。カギ括弧の脱落と見て補った。
 第十一)底本は「第十一」。脱落と見て補った。
 第十三)底本は「三国へよき所とて」。咄本大系データべースにより訂正。

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軽口露がはなし

巻一  巻二  巻三  凡例  巻五


軽口露がはなし 巻之四

  第一 始めてよばれし祇園会の客

 一 京に富貴なる人あり。生国は田舎人にて、十歳より京へ上り、物事しはくて銀をのばしける。寒き時は灯明の火にてせなかをあたため、暑き折には越中ふんどし一筋にてかせぎ、こまかうして銀高八千貫目持ち、毎年諸方へかしけり。其の銀の回る事淀の水車はいそなり。幼少より京へのぼり、かほどの身代になるといへども、つひに古郷の親類ひとり呼びたる事なし。或年六月ぎをん会にはじめて呼びければ、何が田舎ものの事なれば、いとこはつこに至るまで、宵の日よりとまりがけに上りける。神事の膳部は、つまみ大こんの汁、黒米飯、瓜なます、あま酒一ぱいより外に、香の物もくはせず、中にも亭主にちかき人いふやうは、「はじめてよばれ候神事には、料理そさう*なり。」といふ。「されば今年程無仕合(ぶしあはせ)なる事はなし、さるによつてそちたちをまんなほし*に呼びたるぞ。来年は仕合して結講申すべし。」といへば、「それは心もとなしいかなる事や。」といふ。「其のやうすは見せ申すべし。」とて、みなみな引きつれ五間四方の蔵の戸あけて見せたり。十貫目入の箱入を物の見事につみかさね、「あれ見給へいつもは一はこもなきに、ことしはかし所がなうて、かね殿が昼ねをしてゐらるる。」というた。(『元禄笑話』03「始めて呼ばれし祇園会の客」。*「麤末(そまつ)」「縁喜(まん)直し」)

  第二 野郎の金剛念仏講

 一 野郎の草履取を異名に金剛といふとかや。あるとき途中にて念仏講の同行に逢ひたり、「そちは此の季より自前に宿を持ちたるよし、それに付き此の月の講は其方があたり番なるが、いかがつとめ申さるべきや。」といふ。「いかにも明晩つとめ候はん、同行衆へも其のよし申し給はれ。」というて互にわかれける。扨宿へかへり女房にかくといへば、女房あきれていふやうは、「こちはいまだ此のころの宿ばひりにて、仏もなくいかがすべき。」といへば、男聞きて、「気遣ひするな、其の才覚はふんべつしたぞ。」さいはひ夜の事なれば人の見知り有るまじとおもひ、立像の仏一体かりととのへ、箱持仏堂へ押し入れつとめけり。何れもわれいちとしこりかかつて、せめ念仏を申し、已に回向とおぼしき時、かの仏の御面くるりとめくれ鬼の顔になりけり。何れも念仏を申しやめ、「おそろしやこれはこれは。」と許り申しけり。亭主是れをみて、「其の筈ぢや、苦しうないぞ糸がきれた。」といふ。せんさくすれば、芝居より借用したからくりのはりぬきぢや。(『元禄笑話』04「金剛の念仏講」)

  第三 人のうわさ

 一 二三人よりあひて物のよしあし評判せしが、「そんじようそいつは賢い奴ぢや、水の中をもぬれずにくぐるやうな奴よ。」といへば、一人がいふやうは、「それは其方の余り誉めどての言葉よ、今でもよびよせ水に入れたらばぬれべし、殊に紙子を着せたらば猶ぬれべし。」とせり合ひける。「してもかしこい者ぢや。」といひけり。「それは御身の申されやうあしく、科簡の不科簡といふ物なり、人の目にみづにいる時は、ぬれずにくぐる事は扨おき、ねてゐても、いかなことぬれまい。」というた。

  第四 たき物の取りちがひ

 一 よしある人の方へ振舞に行きければ、飯後の湯出でたるに、「風味殊にかうばしく大きによし。」とほめけるを、内儀聞きつけ、うれしげになうれんのひまより顔さし出し、「お湯のかうばしきもことわりや、薫物をくべた程に。」と申されければ、座敷にゐたる人々も耳にしみてぞかんじける。中に一人うらやみ、宿に帰り女房にかたれば、「それ程の事は誰もいふべき物を。」とあざわらひ、知音をよびならべ飯の湯を以前のやうにととのへ出し、人々かうばしやとほむる時、女房はばからず、「おゆはかうばしからう、柴を三束たらずくべた程に。」(『元禄笑話』05「焚物の取違へ」)

  第五 譃講の参会

 一 常に中よき友達十人許り講をむすびて、さいさい参会せし、名をうそ講と付けたり。此のいはれは色里へ往来せんための手くだの沙汰なり。或時友々途中にて行きあうて、「晩には内々の講をつとめ候間、御出で候へ。」とかたくけいやくして、暮におよびて行きければ、昼すぎより他行いたし宿にはゐぬといふ、講中せんかたなくかへりける。あけの日彼の友がいふやうは、「夕みなみなわれ所へ参られたるを聞きてゐたれども、わざと留守を使うた。」といふ。「それはちかごろ届かぬしかたぢや。」とせんぎすれば、彼のものいふは、「元来此の衆中にて筈の違ふ事はくるしからず、寄る程の者はみなうそつき講ぢやものを。」(『元禄笑話』06「嘘講の参会」)

  第六 物のあはれは人の行末

 一 むかしは大金持の大じんなれど、世の盛衰とて近年おちびれ、雑式の金ぼうより、いたきびんばふにたたかれ、あしこしもなやみはて、せん方もなく乞食になり、或時は清水寺又は北野七本松のとほりにて、往来の人に袖乞してげり。然るところへ当流の大じんと見えて、友達多くつれだち、太こ*交りにて弁当したたかにもたせ、上下さざめきありく所へ、かの乞人(こじき)やぶれあみ笠かぶり物を乞ふ折ふし、おとに聞えし太こにへたとあふむなり。はづかしく思ひちやくと見ぬ顔せしが、何が当世のとほり者の太こなれば、むかし思ひを見たるよしみあり、彼の袖乞人にことばをかけ、少し小腰をかがめいふやうは、「もうしお前はそんじようどなた様にては御座らぬか、扨もひさしや、して是れはいかなる事にてかやうの御すがたにならせ給ふぞ。」と、いとしみじみとたづねければ、むかしせんじやういうたるくせにて、「ああ音たかしたかし必ずさたはない事、わざと此の身になりて親のかたきをねらふ。」というた。(『元禄笑話』07「物の哀れは人の行末」。*「幇間(たいこ)」)

  第七 印判屋のむすこ

 一 ある所に印判屋はとし頃の親父にて、常に目金をあてて細工せられける。さる人いんばん一つ誂へさき銀をわたし、いついつの日は出来申すけいやくして、扨其の日印判を取りに行きければ、折ふし親父他行いたし、百の銭十一二文ぬけたる二十許りの息子がいふやう、「其方様は見知りませぬ。」といふ。「先日あつらへ申す時、そちは爰に居てよく存じたるはずぢやに、何とてさやうには申すぞ。今日夜舟にのり大坂へ下るなり、是非いんばん請取るべし。」といふ。件のむすこ、「今しばらく御まちなされ。」といふより早く、親父の目がねを取り出し、わが目にあてて此の人を見て、「私は見知らねども、親父の目金で見れば、先日御出でなされた人ぢや。」というて印判を渡した。(『元禄笑話』08「印判屋の息子」)

  第八 船のしかた

 一 町人四五人寄りて酒を呑みけり。其の中に始めての衆両人あり、たがひに杯をいただきけるに、肴をはさみぬる体をみて、われにくれると覚えて、杯を下に置き手をさし出せば、その人にはやらで、おのれが儘にはさみくふなり。かの手をさし出した人、はづかしくてにはあしくて、「まうし何れも様沙汰はない事、此の私が手は舟によく似ませぬか。」というて引きたり。(『元禄笑話』09「船の仕方」)

  第九 文盲なる者の仔細を習ふ

 一 さいさい医者衆へ出入致したる人有り、医師病人にむかひて、「瀉するか結するか。」ととはるるを聞きて、ある時其の仔細をとふに、「瀉するとはくだる事なり、結するとはくだらぬ事なり。」是れはこびたる言葉やと思ふ折ふし、親類中の商人来たりて、「明日長崎へ罷り下るが、なにも御用の事は候はぬや。」といふ時に、「何とて長さきに瀉するとや、やがて無事にて結せよ。」というた。(『元禄笑話』10「文盲なる者仔細を習ふ」)

  第十 灸おろしのさた

 一 あけくれぶらぶら病(わづら)ふものあり、医者の許へ行きて脈を見せければ、「薬ばかりにては中々治しがたきしやうなり、これはふじ三里におもさま灸をすゑられよ。」といふに、病人「かさねて談合申すべし。」と急ぎ宿に帰り、「扨々うつけたるくすしの申されやうや、富士はききおよびたる大山なり、其のふじ三里が間に灸をせよとは、いかに病がなほるとて、そりやそももぐさがつづく物か。」と。(『元禄笑話』11「灸下しの沙汰」)

  第十一 新仏一体の望み

 一 にはか道心おこし、新仏一体のぞみて仏師所へ行き、大座後光のせんさく申す折ふし、「それに付き、京の因幡堂の本尊、薬師如来は棋(ご)ばんに乗らせ給ふが、あれはめづらしき大座にて侍る、何と謂れの有る事か。」といへば、「成程いはれもあり尤もなる事なり。」といふ。「其の子細は。」「あの因幡堂は四町にかかつた。」といふ。

  第十二 同じく不審

 一 「又信州善光寺の如来は臼に乗らせ給ふと聞き及びたり、成程尤もさうなり、えんぶだんごなればうすへ入りましたもことわりなり。」「して立像か。」と問ひければ、「杵蔵(きねざう)にて有るべし。」

  第十三 花見の提灯

 一 われ人ともに一日の遊興、千年を延ぶる心地ぞせり。爰に西陣の内さる一町中のこらず、東山双林寺へ花見に行きけり。春宵一刻あたひ千金の永日も、夕陽にしに入りあひのなる頃、番やの又助家々をふれけるは、「迎へに人を御やりなされよ。」といふ。何れも絹やの事なれば、女弟子許りにて男ぎれは鼠もなし。「とかく町中の迎へなれば、総ようの名代に又助何とぞ科簡せよ。」と、宿老の内儀が申された。又助やがて会所の家より提灯を取り出し、東山さして行きける。「又助お迎へに参りたる。」といへば、いづれも座敷を立ちけるに、道闇なれば又助ちやうちんをとぼしける。常の提灯にてもあらばこそ、町中のかたみうらみもいかがとて、町のたて提灯を長きさを竹におし立て、はりひぢ肩まくりして持ちたるをみれば、西陣何組何の町と大筆にて書付の有るなれば、花見戻りの群集きもをつぶし、火の手も見えずはやの音もせぬにふしぎや、如何さま気違ひなりと諸人此のちやうちんをみて「どこぢやどこぢや。」と云うた。(『元禄笑話』12「花見の提灯」)

  第十四 りんきばなし

 一 りんきふかき女房あり、其のとなりに夜半のころいさかふ声しけり。何事にやと夫婦起きて聞きゐたれば、男の悪性いたづらなるによりおこりたるりんき、いさかひの修羅なり。此の女房もとなりの事を身にさしあてもらひ腹を立て、何の理も非もなく我が男のあたまをつづけばりにはりけり。男、「これは何とする事ぞ気が違うたか。」といへば、「いや少しも気はちがはぬ、そなたも向後たしなみ給へ、此の後もあのとなりのいたづら男のやうに身をもつなといふ事よ。」(『元禄笑話』13「悋気話し」)

  第十五 同講のくはだて

 一 わかき嫁の方より、隠居のかみ様方ヘこしもとを使にやりければ、「何事の使に来たぞ。」と仰せあれば、「いやおくさまの仰せられには、少し物の講を御むすびなされますにより、御いんきよのかみ様も、人数に御入りなされぬかとの使に参りたる。」と申す。「あらきやうこつや、是れ程いそがはしくてならぬに、それは何の講ぢや。」と問はれければ、「別の仔細にあらず、悋気講をおく様の大将にて、誰々も御入りむすび有り。」と申せば、「りんき講ならば、おれも二人前まじらうぞと云うてくれい、成程つねづねおれがこのむ所よ。」

  第十六 辻談義

 一 去る人辻談義を説く坊主に逢ひて不審するは、「あの鶏きじ抔といふ鳥をみるに、男鳥の毛色は殊に見事に侍るなり。あれは先生(せんしやう)は何ものが生まるる。」と問ひけるに、とんさくのよき坊主にてあれば、「大方役者の若女房若衆方の生まれ替りさうな、其の仔細はうつくしく衣裳がよい。」というた。「然らば女鳥は毛色あしきが何ものぞ。」「あれはびんばふなくわしや方の生まれたると、因果経にある。」というた。

  第十七 順礼捨子の咄

 一 関東の言葉になまりの多き順礼二人つれだち、はじめて京へのぼり、五條の橋を通りけるに、折ふし捨子あり。かの順礼此の子を見て先へゆく同行にいふは、「爰に子めがすてて有る。」といへば、つれ聞きて、「米ならばひろつてこい。」といふ。「しかも赤子めだ。」と云ふに、「それはたいたう米*であるべい、よしさくるしゆないこんだに、はやくひらつてこよせ。」というた。(いかい料簡ちがひぢや。)(『元禄笑話』28「順礼と捨児」。*「大唐米(たいたうまい)」)

  第十八 文盲なる人水瓜のせんさく

 一 祝言振舞のうへにて亭主水瓜を出しければ、其の座に文盲なる人のいふは、「此のすゐくわと云ふ物はくはぬ物ぢや、これをくへば神鳴につかみ殺さる。」と片じやうしきにいふ。座中興をさまし、「其方はちかごろそさうなる事をいはるる、さやうの言(こと)いはぬ物ぢや。」と笑止がりける。「扨はいづれもは、物のわけを御存じないとみえた、神なりは水瓜のたたりといふに。」

軽口露がはなし巻之四 終

校訂者注
 第十)底本は「。』といふに、病人かさねて談合申すべし。』」カギ括弧の脱落と見て、補った。

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