江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ:上方落語速記本・原典 > 初代露の五郎兵衛 元禄笑話

元禄笑話

01~10    11~20    21~30    31~40
41~50    51~60    61~70    71~80
81~90  91~100  101~110  111~126


凡  例

  1:底本は『元禄笑話』(露の五郎兵衛原著・上野竹次郎編著。1927年刊。国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:底本の仮名遣いはそのままとし、旧漢字とかなの踊り字は現在通用の漢字・かなに改めました。
  3:ふりがなは必要最小限加えてあります。
  4:誤植・脱字等が強く疑われる場合を含め、一切訂正を加えていません。
  5:現在では差別的とされる表現も、原典を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。
  6:「落語滑稽本集」(近代日本文学大系  第22巻 1928年 国民図書刊(国会図書館デジタルコレクション))所収『軽口露がはなし』に収録されている話については、目次に同書の巻号-話号を補記しました。


元禄笑話

贅  言

一 本集の話、一も編者の意に出でたるに非ず。即ち左の三書中より、百二十六題を抜瘁したるものなり。
一 元禄四年版『軽口露がはなし』五冊。元禄十一年版『露新軽口ばなし』五冊。宝永二年版『軽口あられ酒』五冊。而して是れ孰れも、露の五郎兵衛の話を集めたるもの。前二者は作者在世中の開版に係り、後者は即ち其死後に成る。
一 露の五郎兵衛は京都の人。貞享、元禄の間、軽口、頓作の巧妙を以て、洛の内外に鳴る。常に北野、清水の縁日に出で又四條磧、糺森の納涼等に出でて、辻噺をなし、行人をして其頤を解かしむ。実に此人を以て、辻噺の元祖となす。当時、五郎兵衛を称して、都の名物男となし、老若の間に持囃さる。後頭を円め、名を露休と改め、又雨洛とも称せり。元禄十六年五月九日没す。年六十一なりきと。
一 本集を元禄笑話集と題したる、其話の内容、概ね作者当時の事のみなればなり。
一 原作は最も不規則なる文章なるを以て、本集は聊か之を繕ひ、其語格、仮字遣等の誤謬は悉く之を改めたり。
  然れども夫れが為に、原作の趣向を改竄するが如きことは一切なし。而も口語の如きは猶其当時の言葉訛等、其儘に存せり。是れ今の語に改めて、為に反つて其実情を殺がんことを恐れてなり。
一 当時の風俗、方言其他全く現時と其容子異なれるものには、一々之が註を加へたり。是れ亦聊か童蒙の為に、当時の俗を知らしめんとてなり。
一 作者露の五郎兵衛は、もと京都の人。其話は殆ど同地の事にのみ属す。本集中、唯僅に一つの江戸の事と、二つの大阪の事とあるのみ。

  癸丑三月朔清水や地主の花を偲びつつ於僑居
            雍州浪生鈍 又識

校訂者注)「江戸の事」は「91 馬に乗れぬ医者」、「大阪の事」は「32 道頓堀にて巾著切を捕ふ」「105 一息に備前」である。


自  叙

 滑稽と謂ひ、可笑味と謂ふ。是れ故意に出でたるものの謂に非ず、即ち自然の発生に因るものの謂たるなり。人生の事たる、徹頭徹尾真面目ならざる可からず。爾り、滑稽は、実に其最も真面目なる裡に発せらるるものたらずんば非ざるなり。
 而も滑稽は、天真なり、没我なり。爾り、其天真、其没我、吾人の最も愛する所、最も喜ぶ所なり。而して之を強ひ覔むるに至つては、吾人即ち取らざるなり。亦彼の地口駄洒落クスグリ等に至つては、是れ劣の劣なるもの。吾人寧ろ慊厭の感無き能はず。而も可笑味其物も、猶其人の趣味如何に因る。然ればとて、是等を以て即ち滑稽とせん歟。滑稽も亦、実に堕落せりと言ふべし。
 茲に人あり。常に他人に譲らず。他人、面を冒して説くも、一切聴かず。更に強ふ。更に聴かず。最後に至つて平然一番「ウンさうだ」と無造作に人に降る。而も今の争に関せざるものの如し。為に他人往往呆然たり。何ぞ其淡泊にして没我なる。而も此人の言行たる、一も真面目ならざる無し。而して其最も極端に真面目なる所最も滑稽なり。吾人常に此人の為に頤を解く。
 又あり。一少年あり。余の物を筆するを見て、忍の字を指して「バズ」ならずや、と問ふ。余、頭を掉つて然らざるを答ふ。少年稍々声を張つて更に「バズ」なりと断ず。余、其故を問ふ。彼曰く「不忍」の「バズ」なりと。余、思はず一笑す。彼れ可憐なる無我の一少年は、得得として出去れり。何ぞ其無邪気にして滑稽なる。是れ亦一場の佳話たるの価値なしとせんや。吾人の即ち滑稽として、之を愛し、之を喜ぶ所のもの、皆此類たるなり。
 滑稽を以て人に售る所謂ボテ鬘式ニハカなるものを見よ。何人も其俗悪汚穢、見るに忍びず、殆ど嘔吐を催さんとす。落語家の駄洒落・地口の乱発、亦聞くに堪へざるものあり。而して是等俗悪卑陋なる笑を以て満足し得るが如き没趣味漢には、到底真の滑稽趣味は解し得らるべくも非ざるなり。否、斯る殺風景漢の劣情寧ろ滑稽而已。
 而も観じ来れば、唯是れ一の走馬灯の浮世、社会は一面より滑稽的活人画とも言はば言はるるものなり。但夫れ人の世に処するや、徹頭徹尾真面目ならざる可からず。而も其真面目即ち他観に滑稽なるあり。愛す可き哉、滑稽。喜ぶ可き哉、滑稽。爾言ふ己の業も亦、是れ他観に滑稽千万たる歟。呵呵。

  大正二年癸丑三月     鈍識


元禄笑話  目次

 01 下座違ひ:3-16
 02 児の摘喰ひ:3-15
 03 始めて呼ばれし祇園会の客:4-1
 04 金剛の念仏講:4-2
 05 焚物の取違へ:4-4
 06 嘘講の参会:4-5
 07 物の哀れは人の行末:4-6
 08 印判屋の息子:4-7
 09 船の仕方:4-8
 10 文盲なる者仔細を習ふ:4-9
 11 灸下しの沙汰:4-10
 12 花見の提灯:4-13
 13 悋気話し:4-14
 14 文盲なる田舎侍書付を批判す:1-1
 15 恥を祝ひ直す:1-15
 16 推量と違うた:1-12
 17 一家中の物語:2-8
 18 親も閉口:2-6
 19 藤の丸が膏薬:2-3
 20 放し鳥の沙汰:2-4
 21 苦しみも品に依りけり:1-20
 22 卑怯者の喧嘩:2-16
 23 綺麗好:2-15
 24 欲ふかき姥:2-12
 25 風呂入り:2-11
 26 疱瘡の養生:2-9
 27 道化者が挨拶:2-10
 28 順礼と捨児:4-17
 29 嘘説にもせよ小気味の好い話し:5-1
 30 葬礼の七五三:5-2
 31 古法眼の二幅封:5-3
 32 道頓堀にて巾著切を捕ふ:5-4
 33 性悪坊主:5-5
 34 此碁は手見せ禁:5-6
 35 伊勢へ抜参り:5-7
 36 恵比須講の書状:5-10
 37 知らねば是非なし江戸の島原京の島原:5-13
 38 欲深き長老:5-14
 39 小間物屋の覚帳:5-16
 40 十夜の長談義:5-17
 41 百万遍の万日参り:3-7
 42 人より鳥が怖い:3-6
 43 盲目の頓作:3-3
 44 嗇き坊主の若衆狂ひ:3-8
 45 塩打豆:3-2
 46 御霊大明神に福を祈る:3-1
 47 親父が働き三国一:1-19
 48 羨ましきは食物の火事:1-18
 49 蛸薬師への日参:2-5
 50 京の某丹波へ婿入り:1-2
 51 筆まめなる書付:1-3
 52 重言苦しからず:1-6
 53 茶といふ語を利口に取直す:1-5
 54 河陥り
 55 邪推者
 56 夜食の飯鉢
 57 小謡好き
 58 鳥指し
 59 今業平
 60 一杯機嫌
 61 弱き者の喧嘩
 62 嗇き親父
 63 掛物の批判
 64 親子倶に足らぬ
 65 水仙を知らぬ人
 66 短気なる浪人
 67 米屋の番頭
 68 粗怱なる医者
 69 磔刑者に意見
 70 碁に危がる人
 71 息子の自慢
 72 犬の呪禁
 73 碁に助言
 74 親父の頓作
 75 案じぬ事
 76 足らぬ男
 77 紺屋へ使に遣る
 78 間に会ひなる年寄
 79 謡初め
 80 下馬札
 81 何も知らぬ男
 82 商売露はる
 83 阿房なる丁稚
 84 子供の軽口
 85 小癪なる子供
 86 反対
 87 粗怱者二人
 88 福の神には油断ならぬ
 89 柴売の言訳
 90 移渉祝儀の使者:3-9
 91 馬に乗れぬ医者
 92 子の自慢過ぎたり
 93 昨夜の蚤
 94 喜蔵魚を洗ふ
 95 元日の粗怱
 96 倥侗者加茂の競馬に餅を売る
 97 願はぬ事
 98 伽羅の油
 99 山伏露はる
100 河流れは拾ひ勝
101 戒名
102 棚吊り
103 謎々
104 無筆なる親父
105 一息に備前
106 了簡違ひ
107 楊貴妃露はる
108 鉢坊主の頓作
109 八百屋の島原通ひ
110 親父の小謡
111 田舎者色里へ行く
112 朝寝
113 手の相と足の
114 変った買物
115 当流の謡曲
116 田舎者三條の宿屋
117 観音のオンの字
118 悪推なる眼一
119 矢張り被ってござれ
120 利口過ぎたる小性
121 表札
122 薬喰ひ
123 賢うない人
124 無言
125 男自慢
126 眠い上の眠さ

目次  終

元禄笑話
鈍太郎編

 01 下座違ひ:3-16
 02 児の摘喰ひ:3-15
 03 始めて呼ばれし祇園会の客:4-1
 04 金剛の念仏講:4-2
 05 焚物の取違へ:4-4
 06 嘘講の参会:4-5
 07 物の哀れは人の行末:4-6
 08 印判屋の息子:4-7
 09 船の仕方:4-8
 10 文盲なる者仔細を習ふ:4-9


01 ■下座違ひ

去る人、番に当り、裃を著けて勤め居た。すると、東の方より網代の轎(かご)に、天鵞絨(びろど)の立傘、挟箱なんど物々しく立て、大勢の供人を連れて通りかかられる容子。番の者、「これは如何様由緒あるお方のお通りさうな。座上は慮外の至りであらう。」と、道端に下り打蹲(つくば)ひ謹んで待受け居った。乃(やが)てお列は近々と進んだ。乗物の主人とは浄土宗の長老。この様を見て、お辞儀をするものとは思ひもよらず、「十念の望みでがなあらう。」と、其儘乗物の戸を排(ひら)き、瞑目合掌して、
『南無阿弥南無阿弥。』
これを聞いた番の者、興醒顔に袴の塵打払ひながら、
『ヘン』

□昔は町々に自身番を置き、町中交代で勤めたものである。

校訂者注)「裃」底本は「衣偏に上」「衣偏に下」の二字。

02 ■児の摘喰ひ

去る家に、茗荷の膾を拵へて在った。そこのお児(こ)これを見付出して摘(つまみ)喰った。側に居合せた人、それを見咎めて、
『コレコレ、これは昔からどんごん草と言うて、喰へば物忘れするとて、滅多には喰はぬものぢや。お身のやうに此先き物読み覚えようと嗜む人は、これからもあること、屹度喰ふまいぞ!』
児は聞いて、
『それなら、己はもっと喰はう。シテ此飢(ひだ)るさを喰うて忘れう!』

03 ■始めて呼ばれし祇園会の客

六月は祇園会とて、京洛中の男女綺羅を競ふのである。ここに祇園の氏子に、一人の富貴な人が居った。この人、生国は去る片田舎で、十歳の時から京へ上り、怪しからず嗇(しわ)うして金を溜込んだ。まづ寒い時には、神棚の灯明で背中を暖め、暑い折といへば、煮締めた越中一筋で稼上げ、今では銀で八千貫ばかりも贏(まう)け、毎年諸方へ貸付けては銀利を徴(はた)って、只管殖行くのを楽しみに暮して居た。が、偖つくづく思ふやう、「己も幼少の時より京に上り、これまでの身代になった。が、遂ぞ故郷の親類一人呼んだこともなし、幸の事今度の祇園会には呼んでくれう。」と、ここに初めて客設けした。何が相手は田舎者のこととて、従弟初子孫玄孫まで、在所中を催して、宵宮から泊懸けに上って来た。さて亭主が神事の膳分はと見れば、摘(つまみ)大根の汁、玄米の飯、瓜の膾に、甘酒一杯より外には、香の物一切も喰はさぬ始末に、中でも亭主に最も近い人、眉を顰めて、
『テモ初めて呼ばれに上った神事には、余り料理が麤末ぢやないか。』
『さればサ、今年ほど仕合(しあはせ)の悪い年はない。さるによって、其方達を呼んだも縁喜(まん)直しぢや程に、悪うは思うて下さるな。…………来年は屹度仕合して、結構にお振舞ひ申さう。』
『それは亦近頃気の毒な。シテ如何様なことで?』
『その容子は、これ見せう。』とて、皆々を導き、奥の五間四方なる土蔵の扉を排(あ)けて見せた。中には銀十貫目入の箱を、物の見事に積重ねてある。亭主指さして、
『あれ見や。何時もここには一箱も無いに、今年は貸所がなうて、金殿がこの様に昼寝をして居られる。』

04 ■金剛の念仏講

野郎に使はれる草履取をば、異名に金剛といふとか。去る金剛途中で念仏講の同行に行逢った。同行衆は呼止めて、
『其方は此節自前に宿を持たれたげな。それで此月の講は其方が当番ぢや。が、どうぢやお勤めやるか。』
件の金剛、承はって、
『如何にも明晩手前所で勤めませう。余の衆へも左様に申伝へて給もれ。』
とて、互に別れ、偖宿に帰つて女房に云々(しかじか)と計らへば、女房は呆れて、
『此方はまだ此頃の宿這入りで、仏も無いのに、何とお仕やる?』
『イヤ気遣ひするな、其才覚はチャッと分別したぞ。』
と呑込み、「幸ひ夜の事故、人の見知ることはあるまい。」と、何処からか立像の仏一体を調へ、夜具入をば持仏堂に宛てて、香華など殊勝らしく備へて勤めた。日暮頃から同行衆はゾロゾロ詰掛け、何れも我一にと凝(しこ)り懸って責念仏を唱へ、巳に回向と覚しき頃、これはしたり、かの仏の御顔はクルリと横へ回ると見る間に、身の毛も弥立つ程恐ろしい鬼の顔に化けた。何れも念仏どころか、
『恐ろしヤノ恐ろしヤノ…………。』
と唇の色を変へて打戦(わなな)いで居た。亭主これを見て、苦笑ひしながら、
『イヤイヤ其筈ぢや。苦しうないぞ、糸が切れたわ。』
と言ふに、何れも訳が解らず、怖々寄って穿鑿して見た。処がこの御仏と申すは、芝居から借用して来た機関(からくり)の張抜人形でおはした。

05 ■焚物の取違へ

去る男、招かれて由緒ある方のお振舞に行(ゆ)いた。偖飯の後で湯を出された。其風味殊に香ばしく得もいはれぬに、客ども口々に、
『これは大きに結構なお湯でござりまする。』
と褒めちぎった。此家の内儀聞きつけて、嬉しげに襖の蔭より顔さし出し、
『香ばしうござりまするか。それは薫物を焼(く)べましたもの。』
座敷の人々耳にして、さても心利いた仕方よ。と、感じ合った中にも先の男は、一入羨ましきことに思ひ、宿に戻って、女房に云々(しかじか)と語った。処が、女房は手も無く、
『それ位のことは誰でも言ふわ………………。』
と一向に嗤(あざ)笑って居た。或日のこと、知己の誰彼を呼並べて、心ばかりの振舞事をした。さて以前のやうに飯の湯を侑(すす)めた。人々、
『さてさて香ばしいお湯ぢや。』
と、お上手に褒めそやしたので、女房は暖簾の間より顔を突出し、
『お湯は随分香ばしからう。それも其筈、柴を三束足らずも焼べたもの!』

□当時は饗応の仕舞に、必ず飯の湯を出したものと見える。

06 ■嘘講の参会

日頃仲好い朋友、十人ばかり寄って講を取結び、切々(さいさい)参会し居った。シテ、講の名は嘘講とつけた。此講、何が目的かと問へば、互に色里へ往来せん為の手管の沙汰を研究するのである。が、或日のこと講中の一人、途中で甲乙(たれかれ)に行逢ったを機会に、
『今晩は手前所で内々の講を勤めるほどに、皆々誘うてお出でなされ。ヤ、』
と、固く契約して別れた。偖暮に及んだ頃、講中誘合せて、彼の人の家に行いた。すると取次の者、『主人は昼過ぎより他行致し、生憎宿には居ませぬ。』とのことに、講中詮方なく帰り去った。翌(あけ)の日、彼の人また甲乙に逢うて、
『昨夜皆々己所へ参られたのを、聞いては居たが、態(わざ)と留守を使うた。』
と言はせも敢へず、口々に、
『それは近頃届かぬ仕方ぢや!』
と敦圉(いきま)くを、彼は平気な顔で、
『デモ、もともと此衆に、手筈の違ふことは苦しうない。これへ寄る程の者は、皆嘘吐きぢやものを。』

07 ■物の哀れは人の行末

去る男、以前は大金持の大尽であつた。が、世の盛衰とて近年は禿(ちび)れ果て、彼の雑色が鉄棒(かなばう)よりも痛き貧乏に擲(たた)かれ、脚腰も悩み果てて、詮方もなく乞食に零落(おちぶ)れ、或時は清水、又は北野七本松の辺に出でて、往来の人に袖乞うて居た。其処へ、当流の大尽と見えて、大勢の女児供に取巻かれ、幇間交りで、上下さざめきながら来懸った。件の乞食、破編笠に面を蓋ひ、肩あたりの抜けた綴衣(つづれ)を身に纏うて、
『モーシ、旦那様エ、どうぞ………………。』
と、手の内を乞ふ刹那、フと一人の幇間と顔を見合せた。が、これはしたり、以前目を懸けてやった男、余りの恥かしさに、ツと其処を避けうとした。処が、この幇間なかなかの通り者と見えて、昔の恩を思ひ忘れず。かの乞食の側に寄添ひ、
『モ-シ、お前はそんじよう何方様ではござらぬか。偖も久しや。シテこれは亦、如何なことでかやうのお姿にはならしやった?』
と、泌々(しみじみ)と訪ねた処、彼の乞食も以前はさる者、
『コレコレ、声が高いわ高いわ。必ず沙汰はないこと!態(わざ)と此様な姿になって、親の讎敵(かたき)を狙うて居るぢや。』

08 ■印判屋の息子

或所に印判屋がある。ここの親父年更けて眼疎(うと)く、常に眼鏡を当てて細工し居った。去る人、印一つ誂へて、前銭を渡し、何時何日は出来と契約しおき、偖其日になって取りに行いた。処が、折節親父は不在で、店には、百の銭から十二三文抜けたやうな、二十歳ばかりの息子が居て、
『其方様は知りませぬ。』
といふに、客は、
『イヤ、先日誂へ申した時、其方は此処に居て、能く存じてお居やるはずぢや。………………今夜はどうでも夜船で大坂へ下るよって、是非貰うて行かう!』
息子暫らく打案じて、『一寸お待ちなされ。』と、いひつつ、親父の眼鏡を取出し、我が目に当てて客の顔をつくづくと見遣り、ハタと小膝を打って、
『解りました。………………私は存じませぬ。けれどもが、此眼鏡で見まするに、偖は先日お出で下された御仁ぢや。それではこれを!』とて、註文の印を渡した。

09 ■船の仕方

町人四五輩打寄って酒飲むことあり。其中に始めての衆が二人あった。が、一人まづ酒盃の滴を切って、
『ママ一つ………………。』
と献(さ)したので、今一人、
『イヤ、これは忝なう!』
と、受けた。すると先の人箸を把って、前の肴を挟む容子。それと見た一人、「さては己にくれるよ。」と、受けた酒盃を下に指置き、両手を重ねて差出せば、其人には遣らで、自分で挟み喰った。かの手を出した人、如何にも跋が悪く、苦し紛れに、左右を見回し、
『モーシ何れも様、沙汰はないこと、此私が手は船に能う似てませぬか。』
とて、漸々手を引いた。

10 ■文盲なる者仔細を習ふ

二六時中医者の家へ出入する男あり。或時そこの医者、病人に向ひ、『瀉しまするか、結しまするか。』と言はれたのを聞いて、其言葉の仔細を問うた。すると医者は、『瀉するとは下ること、結するとは下らぬことぢや。』と教へて遣はした。件の男承はって、「これはまた媚びた言葉ぢや。一番己も使うて見よう。」と思うて居る矢先、親類で諸国へ取引きする人来って、
『明日長崎へ罷下るが、何も御用のことはないかナ。』
と言った言葉の尻を受けて、
『何とナ、明日は長崎へ瀉するとや、随分道中気を注けて、乃て無事で結しやれ。ヤ、』

元禄笑話 11~20

 11 灸下しの沙汰:4-10
 12 花見の提灯:4-13
 13 悋気話し:4-14
 14 文盲なる田舎侍書付を批判す:1-1
 15 恥を祝ひ直す:1-15
 16 推量と違うた:1-12
 17 一家中の物語:2-8
 18 親も閉口:2-6
 19 藤の丸が膏薬:2-3
 20 放し鳥の沙汰:2-4


11 ■灸下しの沙汰

ここに旦暮(あけくれ)ブラブラ煩ひの者あり。或日、医者の許へ行いて脈を診て貰った処、医者は小首を捻りながら、
『この病は薬だけでは中々治し憎い症ぢや。デ、これはふじ三里へ、思さま灸を据ゑられよ。』
と教へた。病人は、『重ねてお願ひ申しませう。』と、急ぎ宿に戻り、
『偖々空けたお医者の申されやう!ふじ〔富士〕とはまだ見たことはござらぬ。が、音に名高い大山さうな。其ふじ三里が間に灸をせよとは、如何に病が癒ると言うても、そりヤそも、艾(もぐさ)が続くものか。』

□フジ三里とは、灸点の名どころ歟。

12 ■花見の提灯

吾人ともに一日の遊興、千年の齢を延ぶる心地せらるるは春の楽しみである。ここに西陣の中、去る一町内、残らず東山双林寺へ花見にとて出かけた。が、春の永日も暮近く、夕陽漸く入相の頃、町の番屋の又助といふ男、『最早暮れまする程に、迎への人をお遣りなされよ。』と、家々を触歩いた。処で何れも絹屋のこと、内に居るは女弟子ばかり、男気とては更にない。………………『兎角町中の迎へぢやよって、総容の名代として、又助!其方何とか了簡しておくれヤ。』と、年取ったお内儀から頼まれた。又助畏まって、乃て会所の提灯を取出し、東山さして急いだ。偖町内の連中が一群を見付出し、『又助お迎へに参りました。』と、促したので、-同は座を立つた。折ふし宵闇の道闇(くら)ければとて、又助予(かね)て用意したる提灯に火を点(とぼ)した。点したは好いが、普通の提灯でもあらうことか、町中の互怨(かたみうら)みも如何と思ひ、町の高張提灯を長い竿竹に押立て、張肘厳(いか)らし腕捲りして持ったるを見れば、「西陣何組何町」と、筆太に書かれてある。花見戻りの群聚、これを見て肝を潰し、
『火の手も見えず早の音もせぬに、ハテ不思議や。如何様気違ひか。』
と笑ふもあれば、中には気の早い若者どもは、尻端折って、
『何処ぢや何処ぢや。』

13 ■悋気話し

去る所に至って悋気深い女房あり。或夜半のこと、其隣に酷く諍ふ容子。男の銅羅声、女の金切声の手に取るやうに聞えるので、何事にか。と、夫婦ともに起出でて聞き居た。処が、結局は男の悪性徒(いたづ)らから起つた悋気喧嘩であると知れた。するとここの女房気の早い女とて、隣のことをば我が身に指当て、貰腹立てて、何の理も非もなく、我が夫の頭を続拊(ば)りに拊り倒した。夫は不意を喰って、
『ヤイヤイ、これは何とする?気でも違うたか。』
と、避けんとするを女房は、遣るものか。と、武者振付いて、
『イヤイヤ、些とも気は違はぬ。其方も向後嗜ましやれ。この後とも、彼の隣の悪性男のやうに身をお持ちやるな!』

14 ■文盲なる田舎侍書付を批判す

掻暮(かいくれ)文字の解らぬ田舎侍、若党一人二人連れて、京は室町、大店の寄合った街を通った。家々に裾長く掛けられた暖簾の染抜どれを見ても読めた字は一軒もない。兎見れば傍に、日中戸を鎖して、其上に「かし家かし蔵」と、貼紙しあるを見とめ、仔細らしい面付で、暫らく立留って眺め居た。が、乃て若党に向ひ私語(ささやき)声で、
『これは何と申す字ぢや。』
若党畏まって、
『ヘイ、かし家かし蔵とござりまする。』
侍は小首を傾けながら、何やら打頷き、
『尤も手はよろしうない。が、如何にとしても文言は好い。ノー、』

15 ■恥を祝ひ直す

或町に町寄会するとて、会所の二階座敷で勤めた。何くれと相談畢って、一同帰らうと立上った。中に一人の麤怱(そそう)者、長座に草臥れたか、人前をも憚らず大欠伸すると同時に、尻の辺よりブウと一つ取外した。ハッと思ったが、モー取返しが著かない。唯顔を赤めてモジモジして居ると、其中に一人の頓作者、
『偖も天下泰平〔屁〕でござる。」
と祝ひ直したので、一同大笑ひで納まった

16 ■推量と違うた

去る家の雇はれ人に久七といふ男あり。此男至って律義者にて陰日南(ひなた)無く働くものから、自然主人夫婦の気に入って居た。或日のこと、主人は余所へ行いて、内には年若いお内儀一人、居間にツクネンとして居った。所へ、久七極り悪さうに這入り来て、俯向き勝ちに、
『お内儀様!………………近頃お恥かしいことながら、私の心底包まず申上げたうござりまする。………………お情に、どうぞお許し下されませ。』
と、さも切ない思ひに焦るる風情である。お内儀はサッと耳元を赤め、
『あの久七わいナ………………。』
と、これも上目使ひで久七を偸(ぬす)み見るばかりである。久七今は堪へかねて、
『かやうに申しましても、お許し下されませねば、最早覚悟致してござりまする。』
と、如何様思ひ迫つた体である。お内儀も何となく不憫に思ひ美しく火照った顔をば半ば襟に埋め、
『それ程までに思うておくれるなら、また重ねての折もあらう程に………………。』
と、心苦しけれど、流石に情なくも言ひかねたるを、それと看て取った久七、
『幸ひ唯今は檀那もお留守………………此上も無い首尾にござりまする。』
と言いながら、其儘這寄り、ハラハラするお内儀の耳元へ口を寄せて、
『実は御飯を頂くのに、貴方が軽う下さるので、腹が透いてなりませぬ。どうぞ明日からは、些と杓子を押付けて下されい。』

17 ■一家中の物語

去る所に、一家中打寄り様々物語りせし次(ついで)に、中居の女房が、
『あのお正月あった事は、必ず五月にもあるとのこと、万事祝ひもし慎みも致したが好い。』
と言つたのを、十四五にもならうか、年よりはオボコなる腰元これを聞咎めて、
『さては左様におはすことか。なれども妾(わたし)はさうも思はぬ。お正月には餅々と言うて、見もし喫(た)べもした。が、五月の、今日は二十八日になるけれど、餅が一つも無いわ。サ、』

18 ■親も閉口

去る家の徒(いたづ)ら息子、年は十二三なるが、手にも足にも合はぬ腕白である。それで愛嬌らしい所は更に無い。親父は何時ものやうに呼付けて、
『ヤイ、オノレは伺を言ひ聞かしても、とっと返辞を致し居らぬ。宛(まる)で唖五郎のやうに、唯頭でばかり頷いて居る。が、いかう見苦しい態(ざま)ぢや。ただオノレのやうに、頷くばかりで物事が済めば、自然己の目が見えぬやうにもなったなら、その頷くのも見えまいし、兎ても一代埒の明くことでは無い。此後は些とサイサイ口を利け!』
と、散々に叱り飛ばして瞰(にら)みつけ居ると、徒ら息子は青洟(ばな)啜り啜り、
『己が大きな声で返辞したとて、父の耳が聞えぬやうになった時には、何とお仕やる?』

19 ■藤の丸が膏薬

去る町に、藤の丸の紋所染抜いたる暖簾を掛けた家を、町役所に宛てて自身番を勤め居た。折節田舎の人通りあはせ、フと其紋所をば見とめ、「ハテ、薬は何々丸といふが、ここも薬屋さうな。」と、其儘ツカツカと立寄り、
『モ-シ、里への土産にするぢや。が、何ぞ好ささうな膏薬を下されぬか。』
と所望したので、番の者、
『ここは薬屋ではおはさぬ。』
と答へると、田舎の人怪訝な顔で、
『シテ、此処は何でござるノ?』
と、ムキになって問うたので、
『これかナ、これはカウヤク〔膏薬〕でない、チヤウヤク〔町役〕ぢや。』
いと興ある答へにや。

20 ■放し鳥の沙汰

馬鹿堅意地なる男二人寄って何やら噂し居る所へ、門前を、「放し鳥イ放し鳥イ。」と売歩く声が聞えた。すると一人が、
『あの燕といふ鳥は、海に入って飛魚になるさうな。』
と言出すを、今一人の男、
『イヤ、それは大きな嘘説(うそ)ぢや。』
『何とお言やる。主は身が言うたことをば、嘘説ぢやと言やったナ。』
『嘘説ぢやさかいでに嘘説ぢやと申したが、それが又何とした?』
と、碌でもないことから、両人赤面になつて迫(せり)合って居る。処ヘ、何時も悪洒落ばかり言ひ歩く男来り、この穿鑿を聞付け、
『イヤ、燕ばかりではない。昔から山の芋の鰻になるなどといひ習はして居る。が、遂ぞ見たこととては無い。シタが、強ち無いとも限れまいテ。己も此の二十五日に、北野の天神へ参らうとて、十九文で淡竹(はちく)の皮草履を一足買うて履いたのに、宿に戻って見ると、ハヤ、その草履が長刀になって居たわい。』

前頁  目次  次頁

元禄笑話 21~30

 21 苦しみも品に依りけり:1-20
 22 卑怯者の喧嘩:2-16
 23 綺麗好:2-15
 24 欲ふかき姥:2-12
 25 風呂入り:2-11
 26 疱瘡の養生:2-9
 27 道化者が挨拶:2-10
 28 順礼と捨児:4-17
 29 嘘説にもせよ小気味の好い話し:5-1
 30 葬礼の七五三:5-2


21 ■苦しみも品に依りけり

上戸の老爺、町内に伊勢参宮の坂迎へとて出掛け、夕暮の頃、グタグタに酔ひさらばうて家に帰り、胸を撫で額を叩いて、『アー苦しい苦しい。』と、時過ぎるまで喚くを、この家の息子聞きかねて、老爺が部屋に到り、
『父はそれほど苦しい酒を、好い程に飲みもせいで、なぜ其様に過しやる?』
と窘(たしな)めると、老爺目を剥いて、
『オノレは小賢しく、何を知つた顔に吐(ぬか)すぞ。ヤイ、己は此酔ひの醒めるが苦しいと言うて遊んで居るものを。』

  □伊勢参宮の坂迎へ。昔は今と違ひ、汽車が無かったから、皆テクテク日を重ねて参宮したものである。別けて上方地方では、春先町々村々団体を組んで、ヤンヤと囃しながら、陽気に参ったものだ。それで下向の日には、其町々村々、大勢打連れて二三里位の所まで迎へに出るので、これを坂迎へといふ。京都ならば三條蹴上の坂まで迎へに行いたものだ。

22 ■卑怯者の喧嘩

夜更けて、去る男、三條の大橋を通ったところ、出合頭に向ふより来懸る男に衝当り、二言三言いひ合った。が、一人は大男一人は小男、双方掴合ひを始め、大男は苦もなく小男を組伏せ馬乗りに乗しかかって絞めつけた。絞めつけられたる小男、今は早これまでと思ひ定め、予(かね)て呑み居たる九寸五分を抜放し、藻掻きながら上なる大男を刺さうとする。大男は刃物を見るより身を顫(ふる)はせ、声を限りに、
『ヤーレ人殺しイ!助けてくれー助けてくれー!』

23 ■綺麗好

去る所に法外れの綺麗好きな男あり。鑷子(けぬき)を持って頤の辺を撫で回しながら、頻りと髯を抜いて居った。すると側に居た男、
『些と此方にも貸して給も。』
と無心した。かの綺麗好きの男、
『貸しては遣らう。が穢(むさ)い所を抜いてはならぬぞ。』
と、まづ念を入れて渡した。側の男も亦頤の辺を抜き抜き、
『扨も好う喰ふ鑷子よ。其方は何でも嗜み手ぢやノ。』
などと褒めちらかしつつ、大方抜き仕舞うたから、ボツボツ咽喉(のど)の下を抜きにかかると、綺麗好きは顔顰めながら、
『ヤヤ、そこは穢い所よ。』
と言へば、
『咽喉の下に穢い所があるものかい。』
『イヤイヤ、穢い穢い。デモ主は下帯をする時に、そこで挿まうがノ。』

24 ■欲ふかき姥

去る山里に恐ろしい欲の深い姥が居た。この姥、人の物と見たら最後、木の葉一ひら藁一筋でも、くれいくれいと迫(せが)み、貰はねば納まらぬといふ難作者(なんさくもの)である。或日のこと、近所の男が、大きな鼠を捕へ損なひ、尾ばかり引断(ちぎ)れたのを道端へ投捨てた。すると例の姥通り縋りにこれを見て、
『兄イ!これおくれや。』
と言ふに、かの男、
『姥や!それは鼠の尾ぢやものを、其方に遣ったとて役には立つまい。』
『イヤ、役に立つ。』
『シテ亦、何にお仕やる?』
『この尾をば干しておいて、姥が家に伝はった錐の鞘にするぢや。』

25 ■風呂入り

『些と御免なされ。草臥者で瘡掻(ひえかき)で、どうもならぬ。が、どこぞ明いた所はおはすか。ナ、』
とは、お客の洒落。湯屋男迎へて、
『サーどうぞお通り………………奥は武蔵野デ。へヘヘ』
『イヤ、それは近頃忝ない………………。』なんどといひながら著物脱捨て小風呂の中へ潜込んだ。中には相応にお客も見える。その中の一人、身のまはりを磨きながら、
『山高きが故に貴からず………………。』
と、節でもない節付けて口吟(ずさ)み居るを、生物知(なまものじり)の男小声に、
『庭訓の唯中を言はれるわい………………。』
と、独り可笑しがって呟くを、横合から抜作の出者張者が小耳に挿んで、
『其方は物知顔なことをお言やる。が、あれは庭訓ではない。節用集といふ謡曲の本にある事ぢやほどに。』

  □昔の風呂屋には、立派な座敷が幾間もあって、客の需めに応じ、酒肴をも出し、また風呂女とて美しい女を抱へ、客の相手となり、三絃(さみ)などを弾き、時には怪しかることをもやるのである。さればこそ此お客、「どこぞ明いた所はおはすか。ナ、」と言ったのである。当今の銭湯などとは、宛(まる)で趣きの違ったものだ。

26 ■疱瘡の養生

上京新在家の辺を、年の頃なら三十ばかりの男、ソロリソロリと急ぐともなく通って居ると、西の方より、これは亦、年増ながらどこやら婀娜(あだ)な粧(つく)りの女、下女一人召連れてイソイソと来かかり、この男と摺違ひざま、心ありげにニッコリとした。其姿がまた一段と艶めかしいので、件の男、さてはと合点して、我知らず笑顔を造った。すると女は羞(はに)かみながら、男の側に摺寄り、
『モ-シ、まだ初にお目にかかった此方様へ、麤怱(そそう)ではござりまするが、其様(そさま)お急ぎでもおはしまさねば、妾所へお立寄り下さる訳には参りまするまいか。エ、』
と、甘えるやうに頼入れて、覘き見る目元口元の優しさ。かの男ボーッとして見惚れて居た。が、否むどころか、二つ返辞で承知した。さて連立って、かの女の所へ行いて見るに、屋敷の構へレッキとしたものである。乃て導かるるままに座敷に通れば、ここは亦、目眩むばかり見事な屏風を隅々に折立て、床違棚の飾付はいふに及ばず、設けられたる調度の類ひ、善尽し美尽し、口にも筆にも述べられぬ程である。とかうする中に膳は布(し)かれる。無論料理は、この男なんど生れて以来嗅いだこともない珍らしいもの。お負に美しいお女中のお給仕付き。宛(まる)で夢見て居るやうである。食事が済むと、最前の年増しとやかに出で来り、
『これは近頃申しかねた儀におはしまするが、実を申せば、妾は此方の嬢様に乳を参った乳母でござりまする。嬢様も今年はお十六になられまして、彼方此方より御縁談のことばかり申越されまする。が、どうぞ此方様に一目お逢はせ申させたいと存じ、お連れ申しました次第。シテ、嬢様には最早申入れたことでござりますれば、是非々々お逢ひ下されませ。』
と、いよいよ甘い話しに、例の男は、狐にでもつままれたのではないか。と、顫ひ顫ひ手を拉(と)られて、奥の一間に連れられ、小屏風の陰に堅くなって控へ居るを、乳母は強ひて娘の臥し居る枕下へ招き寄せ、さて娘に向ひ、
『モーシ、お前様に此乳母が、何時も掻かせられまするなや掻かせられまするなやと申しまする証拠は、これ此御仁を御覧じませ。お掻きなされますると、此方のお顔のやうに菊石(みつちや)が出来まする程に。』

27 ■道化者が挨拶

持って生れた道化者の目には一丁字も見えぬ文盲男あり。其隣に由緒ある人住ひけるが、或時、夫婦内事をか諍ひ、互に疳声立てて言募るほどに、彼の道化者驚き、隣の好誼捨ててもおけまい。と、駆付けて、まづ双方を取静め、
『お前様もお前様なら、此方様も此方様ぢや。事の譬へにも、大坂に助六といふ大工さへござるに、ママ勘忍さしやんせ。』
と、一廉分別らしく遣って退けたので、夫婦のものも、此のつかぬ言葉が可笑しくなって、倶に苦笑ひしながら、それなりに仲が直ったとか。

28 ■順礼と捨児

関東の生れにか、言葉に訛りの多い順礼二人連立ち、初めて京へ上り、五條の橋を通った。所が、勾欄際に哀れげな児が捨てられてあった。かの順礼、一人は少し後れて歩いたが、これを見て、先なる一人を呼留め、
『ここに児奴(こめ)が捨ててあるぞ。』
と言ヘば、先なる者振返って、
『米なら拾つて来いや。』
『しかも赤児奴だぞ。』
『それや大唐米であるべい。よしサ、苦しゆないこんだ。早く拾って来やーせ。』

□大唐米は、アカゴメともカラボシともいふ。

29 ■嘘説にもせよ小気味の好い話し

去る所へ、伸気(のんき)者落合って、口々に、思ひも寄らぬ贏(まう)けをしたとの話しの次に、一人の瓢軽(へうきん)者、
『己も話さう。昨日河原の村山が芝居へ見物に出懸けた。が、丁度狂言最中に行懸り、詮方なく桟敷の下で立見して居たに何の気もなく場の真中程をチラと見ると、年の頃なら二十歳ばかりの女房、並ならぬお姿で、下女一人連れて見物して居られた。己は唯一目見るなり、其儘気がゾウとして、何とやら心も浮か浮かと、舞台の方へは目もやらず、如何様口説いて見たいものぢや。と、そればかり案じて居ると、その女房は下女を連れて出られた。己も最早芝居は見たうも無いによって、跡に尾いて出た。偖それより跡を尾けて、祗園、清水、大谷、大仏と方々を回った。が、さのみ礼拝せられる体でもなく、如何様此女、己を見て当世の仕掛女ぢやナと思ひ、イヤこれは是非共宿を見届け置いて、重ねて口説く種にせう。と、猶それからもソロリソロリと付回った。所で、最早日暮になる。すると其女房は誓願寺の墓の奥へ這入られた。幸ひ好い所、宿へ行くまでもないこと、ここで一番口説落いて、是が非でも念を晴らさう。と己も墓原へ這入ったれば、何と巧いこと、郤(かへ)って向ふから言葉を懸け、「お前様は今日一日妾に付添ひ、これまでお出でなされた。疾くにも言葉を掛け参らせたうはおはしたが、流石に人目を遠慮致しました様な次第………………お前様の物が此中におはすのなら、お取りなされて、どうぞお慈悲にお見遁し下されまするやう。」と、鼻紙袋巾著又は金子銀子の這入った打違(うちがへ)など、数々の物を懐から投出した。己も案に相違して吃驚した。が、是は皆私が物でござると言うて、有るだけ取つて戻った。………………シタが、これは皆夢であつたわ。ヤ、』

  □京都四條大橋東に、二所相対して大芝居の出来るまでは、河原で興行したのである。京雀に、昔松原の東川端に、人形繰りの芝居を構へ、川には細い仮橋を渡してあった。が、太閤の時、伏見より禁中に参内せらるる道筋に好いとて、ここに大橋を架けられ、川端の芝居をば四條河原へ移されたことが見える。また京童には、四條河原の景色を書いて、歌舞伎や浄瑠璃のあった状(さま)が見える。

30 ■葬礼の七五三

去る所に、阿房な男があった。或日、さる人から、『明日は上の町から結構な葬が出る。』と聞き、結構といへば振舞の事ぞ。と心得、屹度押懸けて剛(したた)か喰ってくれう。と巧み、未だ見知らぬ人の葬礼を弔うた。偖大勢の人々は早く帰った。が、此男だけは一の尻果(しりはて)に帰り、直ぐ其足で昨日話したる人の所へ行き、
『其方は大きな嘘説(うそ)を吐いて、己を陥(はま)らしたナ。』
と、恨みタラダラである。彼の人、
『それは亦何として?』
『イヤ、尤も今日の葬礼は、七五三程に結構ではあつた。なれども膳は出なんだ。余りなことぢやと思うて、己が盛物に手を掛けたら、御坊奴(おんばうめ)が擲(たた)き殺すぞと言ひをったわ。』

□七五三とは、祝儀の辞である。

前頁  目次  次頁

元禄笑話 31~40

 31 古法眼の二幅封:5-3
 32 道頓堀にて巾著切を捕ふ:5-4
 33 性悪坊主:5-5
 34 此碁は手見せ禁:5-6
 35 伊勢へ抜参り:5-7
 36 恵比須講の書状:5-10
 37 知らねば是非なし江戸の島原京の島原:5-13
 38 欲深き長老:5-14
 39 小間物屋の覚帳:5-16
 40 十夜の長談義:5-17


31 ■古法眼の二幅対

何事のお振舞にか、
  明後十一日、霊山宿阿弥に於て御酒進上申度候。御出可被下候以上。
とあるに、寄々誘合せ、大勢前後して行いた。亭主の心入とて床には古法眼が筆、龍虎の二幅対、いと立派に掛けられた。皆皆床際に立寄り眺め居た。が、一人の頓狂者、つくづくと虎を眺めて、
『偖も此猫は、何でも妙手の書いた物に違ひない。此様な逸物を一疋持つならば、夜の目の合はぬことはよもあるまい。』
又一人の男、
『鼠を取るやうな目で、何やら瞰(にら)んで居るさうな。』
この二人が言葉を聞いて居た年寄、龍の絵を指さして、
『実々(じつじつ)、其筈でござる。ここな乾鮭(からざけ)を狙うて居まする。』

□乾鮭は、鮭の腸(わた)を取って、塩をせずに乾し固めたものである。

32 ■道頓堀にて巾著切を捕ふ

去る町人、大坂は道頓堀、群聚雑沓の中で巾著切を捕へ、
『サー、先の巾著を返せ!』
と、胸倉把って責徴(せご)した。が、巾著切は、言葉を左右に構へて何時かな出さうとはせぬ。そこへ次第に人多く重なって、『それ踏め擲(たた)け!』などと、声々に詈(ののしり)立てたので、巾著切は、
『其方様の巾著は取ると直ぐ同類に渡し、ここにはござらぬ。明日は屹度返進申しまする。』
『偖もオノレは、肝の太いことを吐(ぬか)す奴ぢや。ヨシ、其儀ならば打擲してくれうほどに。』
と、凄い顔して白眼(にらみ)付けた。するとかの巾著切は、術無ささうに、
『自体己(おれ)がのが分別ちがひぢや。矢っ張り横著を徹したが能かつたに、謂はれぬ巾著になった故よ』
と呟いた。

33 ■性悪坊主

去る町庵(いほ)に坊主が居た。この坊主甚だ曖昧な奴で、妹と言触らして怪しき女を置き、甥と言繕うて子供を持って居た。併しながら、人には必ず一つの取得はあるもの、此奴、念仏の音声能く、亦妙手(じやうず)に鉦を叩く処から、俗衆は重宝がって、二六時中(しょつちゆう)念仏講の鉦叩きに雇うた。然るに此坊主、女だけの瑕(きず)かと思ひの外、猶厭な癖のある奴で、博奕を好き、人に隠れては折々其場へ行きをった。或日のこと、念仏講の同行衆、例の回向勤めようとて、彼の庵へ誘ひに寄った。処が、他行の由である。………………『それでも今晩は講ぢやもの、是非ここの御坊を連れねば、講中には鉦の打手がない。何方へ参られたぞ。』と、言ふに、留守居の女も、初めは言渋つて居た。が、余りの催促に、詮方なく其処を教へた。同行衆、さらばとて先へ行いて見れば、是は亦思ひも寄らぬ勝負の真最中。人々目を見合せて、
『扨々人には人屑とて、お身は頭を円め、生年寄つて居られながら、何として斯様な掛勝負を召されるぞ。テモ所存の悪い御坊ぢや。善し悪し人に謳はれぬ先に、些と嗜まんせ。内には女房子もない物か何ぞのやうに。この性悪奴が!』
と、散々に窘めた。すると件の坊主、
『ママ其様にお叱りめさるな。何も掛勝負では無い、座中皆現金勝負ぢや。そないにお言やる其方達が念仏講の鉦は、皆来世鉦ぢや。まづまづ今晩だけは赦しておくれやれ。』

34 ■此碁は手見せ禁

去る有徳なる町人、早く子供に世を譲り、其身は頭を円めて裏座敷に隠居し、余世安楽に暮し居た。同じ町に、亦同じやうな隠居が住って居た。二人は旦暮碁を打って楽しみ、相手も変らず此二人より外に友とする人もなかった。或日のこと、一方の人は続け打ちに二番負けて、些(ち)と気色を悪くして打つ程に、ど
うやら三番日も負けさうに見えた。そこで、『大石の死んだ所を一手見せよ。』と言った。処で、先方は、なかなか見せる気色も無し。『是非見せよ。』『イヤ見せまい。』と、互に盤の上で手を捻(ねぢ)合ひ、揚句のこと、黒白の石を突崩し、双方腹立紛れに、おのれしのれと迫(せり)合ひ、『向後一生、其方と碁は打たぬ程に。』『ヲヲ如何にも参会止めに致す。』と互に勘当辞(ことば)で別れた。偖其日も夕陽西に傾き、外に友とてもなければ、暮れると直ぐ枕引寄せ、寝入らんとすれども寝入られず、つくづく昼間の口論を思出し「とかく昔がら短気は損気と謂ふはここのことぢや、先程の碁一番負けて打つなら、今時分までも凝懸(しこりかか)って打って慰まうものを、由ないことをしたわい。」と、両方ともに後悔した。何が同町のこととて、明くれば早天から彼の相手が門を通り、互に尻目で瞰(にらみ)合ひ、
『生年寄りくさって朝っ腹から碁の打ちたさうな面ナ。』
『ナニ打ちたいがオノレに構うたことか。』
『ヤイ打ちたくば爰へうせをれ。慈悲に打ってこませうぞ!』
『慈悲にもせよ讎(あだ)にもせよ。サーサー打って見くされ!』
と、誰挨拶なしに仲直りしたとか。

35 ■伊勢へ抜参り

江州矢走の渡しで、九州肥後の者とて、十二三歳なる子供二人伊勢へ抜参りとて船に乗込んだ。此子供、路銀の少い心細さにか、但しは腹の飢(ひも)じさにか、一人の児、三上山を指さして、
『あの山が飯なら、唯の一口にせしめうものを。』
、と言へば、今一人の児も早速の返辞に、
『此湖水がとろろ汁なら、をんでもなう喰ひかねはせまい。』
と言ふに、乗合客に心ある人、此言葉をや不憫に思ひけん。船中を勧進し、銭壱貫文括って、此二人に遣はしたとか。偖も神徳忝なや忝なや。

36 ■恵比須講の書状

十月二十日、恵比須講の振舞するとて、文盲なる人の方ヘ文持たせて使に遣った。其人封押切り、
  今日は恵比須講にて御座候。早々御出仰ぐ所に候以上。
    誰殿参
とあるを見て、殊の外に腹を立て、
『此様な拙手(へた)らしい文の書様があるものか。此寒天にお出あふぐとは何事ぢや。かういふ処は、お出なされ候はば炬燵炬燵、と、書きたいものぢや。』

37 ■知らねば是非なし江戸の島原京の島原

江戸の芝居街を島原と云ひ、京の傾城街を島原といふ。去る江戸の人始めて京へ上り、上京に宿を取って居た。が、此宿の亭主といふは、些とも融通の利かぬ頑固老爺であった。或日のこと、かの客は四條河原の芝居を見物して戻った。すると亭主、
『今日は何処を見物なされた?』
客は何心なく、
『今日は島原へ参ったが、偖々面白いことでござった。酒を飲む所もあり、濡れかけた所もあり、近年の慰み。又明日も参らう。』
これを聞いた亭主色を変へて、
『偖々悪性な人や。昨日今日上ってまだ間もないに、早傾城狂ひをめさるか。』

38 ■欲深き長老

法無しに欲の深い長老、或日、納所一人連れて、檀家の方へ回向に参った。亭主は斎料にとて布施を包み、子供に持たせて先づ長老の前に差出した。是は百文包みである。次に二十文包みをば、亭主自ら持出て納所が前に置いた。長老これを見て、「あら不審や、これは御亭が後前をば違へたな、シテ納所のは包みも大きい。」と安からず思ひながら、寺へ帰ってかの納所に向ひ、
『最前の布施は、施主が取違へたやうぢや。デ、自分がのを其方へ遣り、其方のを此方へ貰はう。』
と言ふを、納所は態と迷惑さうな風をする。長老いよいよ堪らず、我が分を向へ投出し、大包みを無理遣りに取上げて見た。すると銭二十文に小蝋燭二挺出た。

39 ■小間物屋の覚帳

去る所に、一生読書(よみかき)知らぬ小間物商人があった。現金商ひならば世話もないが、帳付商ひになると実に不自由である。さりとて一々人にも頼まれず、それで自ら才覚して、三尺ばかりの木を備へ置き、帳商ひあるごとに小刀もて其木へ刻(きざ)を附け、まづは我が覚えとして埒を明けをった。或日のこと、日暮の闇(くら)紛れに商ひがあったので、又かの木に刻を附けて居るを、此処の息子眺め居て、
『父(とと)!闇がりで物を書いて、手をお切りやるな。』

40 ■十夜の長談義

関東より上って来た長老、去る寺へ坐って、始めて十夜の談義をせられた。毎夜毎夜洛中の男女参詣して、なかなか群聚した長老高座に登り、
『昨晩談じた次を、今晩も講釈致しまする。それについて、フと承はれば、愚僧が談義が長うて怠屈ぢや。とお女中方が申されるとの評判でござる。が、愚僧はただ理句義の能く詰まるやうにと存じて申すのぢや。さりながら今晩からは皆様次第に致さう。が、お女中達何と思しめすぞ。短いのが善いか長いのが善いか。』
と、繰返し繰返し言はれたので、参詣の男女は返辞をせずに、唯クツクツと笑って居た。長老腹を立てて、
『それは方々の気の遣りやうが悪い!』

前頁  目次  次頁

↑このページのトップヘ