江戸期版本を読む

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カテゴリ: 初代露の五郎兵衛 元禄笑話

元禄笑話 41~50

 41 百万遍の万日参り:3-7
 42 人より鳥が怖い:3-6
 43 盲目の頓作:3-3
 44 嗇き坊主の若衆狂ひ:3-8
 45 塩打豆:3-2
 46 御霊大明神に福を祈る:3-1
 47 親父が働き三国一:1-19
 48 羨ましきは食物の火事:1-18
 49 蛸薬師への日参:2-5
 50 京の某丹波へ婿入り:1-2


41 ■百万遍の万日参り

去る人、夫婦連れで、百万遍の万日回向に参らうとて、今出川の東野中へさしかかった時、知己に行逢った。其人出会頭に、
『偖も御亭は………………。』
と、声掛けらるるや、此方の女房ツカツカと摺寄り、
『どうぞソソと物言うて下され。』
と言はれて、其人訝りつつ、
『偖は誰ぞに隠れなさることか。ヤ、』
『イヤ、隠れまする人もござらぬ。が、内に幼女(あま)を寝させて来たが、そないに大きな声を立てられて、若しも目を覚まされては迷惑。』

□百万遍とは、洛北田中村の浄土宗知恩寺の称である。

42 ■人より鳥が怖い

東山黒谷の辺に、一人の百姓、打均(なら)したる畠へ頻りに種子を蒔いて居る。処へ隣家の百姓通合せて、
『其方は何を蒔きやるぞ。』
と、道端より声を掛けた。すると先の百姓は小手招きして、
『アア、声が高いぞ。低う低う!』
と制するに、「偖は世に稀なる唐物の種子でも蒔くにか。」と思ひ心得たりと、差足抜足して近寄り、如何にも低い声で、
『其方は自体何を蒔きやるぞ。ヤ、』
と問へば、先なる百姓抜(ぬか)らぬ顔して、
『些とばかり大豆を蒔いて居るぢや。が、其方のやうに大なき声で喚(わめ)かれては、烏や鳩が聞く程に。』

43 ■盲目の頓作

鍼立を渡世にする盲目坊主、去る檀那方へ療治に行き、四方山の物語りに興を遣り、暫らく時を移したる処へ、客来りて初めて知己になった。客は盲目に向ひ、
『何と座頭殿は、何方のお弟子でござるナ。いち方か、但しはじやう方か。定めて琴三味線も、平家小謡も妙手でおはさう。以後は拙者所へも申入れ、一曲承はりたうござる。』
と、懇に言入れた。すると此盲目、余り慇懃なる挨拶に痛入り些(ち)と当惑の風で、
『イヤ、私事はいち方でもじやう方でもござりませぬ。ハイはり方でござりまする。』

□いち方、じやう方とあるは、当時の検校を斥(さ)せる称であらう。

44 ■嗇き坊主の若衆狂ひ

去る寺に、至って嗇(しわ)い坊主が居た。而もこの坊主甚だ尾籠な奴とて、去る若衆を恋詑(わ)びて、思ひのたけを細々と認め、艶書もて口説いた。処が、口説かれた若衆も案外通り者と見えて、一夜坊主の方へ泊りに来た。坊主一夜を甘き夢に明し、フと目を覚ませば、軒には雨の雫にか、シトシトと音するにぞ、
『南無三宝、泊めて悔やしや、朝飯を振舞はずばなるまい。………………イヤ待て待て、これは空寝入りして、彼奴が起きて帰るをば知らぬ態(ふり)したが好い。』
と、思案を定めて空寝入りを構へた。乃て若衆は目を覚まし、ソッと起出でて帰った。この容子を看て取った坊主、もはや門の外へも出たらうと思ひながら、猶心元なさに、己れも起出でて見れば、こは如何に、まだ門の内に休らひ居た。坊主は吃驚仰天し、衝立ったまま目を塞いで、高鼾「グーグー』

45 ■塩打豆

去る町人、お出入先の儒者の方ヘ見舞った。処が儒者は自ら茶を煎じて侑(すす)め、茶受にとて小者を呼び、『あのエンダヅを少々参れ。』と言付けられた。小者畏まって、乃て小い盆に塩打豆を少しばかり盛って差出した。町人は変な顔して、
『モ-シ先生、この豆の名を何と仰せられまする?』
『これか、これはエンダヅと申すぢや。』
『へー、それは亦何と致して………………。』
『ハハ解らぬかナ、それエンと申すは塩、ダと申すは打、ヅと申すは豆ぢや。』
と、得意のお講釈をしながら、また小者を呼んで『今少々参れ。』と、彼の喰ひ減らした盆を出されると、小者は額際を撫でつつ
『モ-すきとお仕舞ひになりました。』と言ふ。先生聞いて、『フギウリキぢや。』と、舌打ちせられた。かの町人「フギウリキ」を聞いて、解せぬ顔で、
『先生そのフギウリキと仰せられまするわ………………。』
『ムムこれか、それフは不、ギウは及、リキは力と書いて、下から力及ばずと読返すのぢや。何と会得参ったか。』
と、お講釈を聞いて、町人大悦び、『偖も媚びた口上を覚えた。嬉しや、早う戻って内の女房に言含め、件の豆を拵へて、誰かな参ったら、この口上言うて振舞ひたや。』と、我が家を斥(さ)して駆戻り、女房にも聢(しか)と言含めて、待って居る処へ、舅の親父が出て来た。亭主まづ女房を顧みて、
『あのエンダヅを持って来や。』
と促せば、女房は『アア』と応へて、少しばかり盆に盛って差出した。処が親父は別に言葉の詮議もせず、瞬く間に頬張ってしまった。亭主悦んで、『今少し出せ。』と促せば、女房は、コロリ打忘れて、『アア』と応へつつ、既に出さうとした。が、フと思ひ出し、
『イヤ、もはや無いわナ。』
と遣ってのけた。亭主、
『ナニ、エンダヅはもはや無いとや。ムム………………』と言ひさしたが「フギウリキ」を忘れて『………………あのフグリナシ奴が!』
と癇癪立てて叱りつけた。すると女房は可笑しくて堪らず、
『モ-シ、それは言葉違ひでござらう。女に何の睾丸(ふぐり)があろかいナ。』

□この塩打豆は、当今にもある煎豆に塩をつけたるもの歟。フグリは陰嚢の古名である。

46 ■御霊大明神に福を祈る

上京に一人の職人が居た。この男怠惰者と申すでもない。が、とかく世渡拙手(べた)と見えて、今は朝夕をも送りかねる始末。そこで、「何でもマー信心すれば徳があるとか。まづ氏神様へお縋り申して、急に富貴にならうわい。」と、それより御霊大明神へ一七日日参して祈ることと決めた。偖毎朝毎朝前拝(ぜんぱい)に額(ぬかづ)いては六根清浄を唱へ、『どうぞ私に銀子一貫得させて下されまするやう。』と、一心不乱に祈った。嗟、明神の霊験顕著や、満願の日神前で眠るともなくトロトロと睡(まどろ)めば、神の御声として、
『汝恨みることなかれ。よく分別して神をも祈れ。分際に過ぎたる願ひは得させ難し。吾れ多くの氏子を持ちたりといへども上で御霊〔五両〕下で御霊〔五両〕とて、二所所帯にて十両なり。然るに汝銀子一貫の望みなれば、今小判にて十六七両に及べり何としてなるべきぞ。さりながら氏子のことなれば不憫なり。急ぎ是より真如堂の稲荷へ参り、福を祈れ………………。』
と、夢の中に告げさせ給ひ、今まで歴々(ありあり)見えた御姿は、そのまま掻消す如く見えずなった。かの男驚き目を覚まし、四辺をキヨトキヨト見回しながら、
『テモ聞えぬお告ぢや。自体稲荷とは、稲を荷ふと読むなれば、百姓の望みこそ叶ふであらう。我等は職人のこと、百姓の手業はならぬわい。イヤ、とてもならぬことなら、何も七日まで吊らずとも、疾っくに知らして給はいで。』
と糞理窟を捏ねかかり、腹立紛れに社壇を睨付け、
『さっても憎い四一両奴が!』

□四一両、合計〔五両〕御霊なり。御霊の社は二所ありて、俗に上御霊、下御霊と称して居る。

47 ■親父が働き三国一

一家中諧謔(おどけ)者の寄合った頗る伸気な内があった。冬の夜寒の徒然に、何がな遊ぶ工夫も。と、考へついたは、豆腐二三挺を買って田楽にすることだ。そこで親父が言出しで、手に手に秀句を言って喰ふべき定めである。嫁はまづ最初、
『妾は仏のお頭。』
とて、三串〔御髪〕取って退いた。すると娘は一層智恵を絞って
『妾は因幡堂』
といひながら、八串〔薬師〕取った。次はこの家の古女房、何をするかと思へば、乃て屏風の陰より現はれ出でた。兎(と)見れば、両の手で目と口とを引拡げて、
『妾は鬼ぢや。みな喰はう喰はう。』
とて、有るだけ取って退いた。後に残った親父面喰った。が、て考へた末、古手拭を頭に被り、手を差伸べて、
『難渋な者にござりまする。皆様エ、どうぞ一つづつ取らして下されませ。』

48 ■羨ましきは食物の火事

四條河原に、それは美しい野郎が居た。親里は京の西で聚楽の者とか。五月の十五日は今宮の神事なので、その野郎、親里へ祭の振舞受けに帰った。何様常は勤めの体、暇なければ往来も稀な間のこととて、親も一入不憫が懸るものから、何がな馳走して遣らん。と、餅を搗いて喰はせた。野郎も、逢うた時に笠を脱げとか。人目も恥もあらばこそ、喰ったも喰った、出る程喰った。偖夕陽も西に入相の頃.師匠の家に帰った。が、サァ事だ。寝ても起きても苦しくて堪へられない。朋輩の野郎見て気の毒に思ひ、
『其方はいかう苦しさうぢや。が、どうお仕やった?』
と、問はれて件の野郎、
『イャナニ、実はは今日の振舞の餅を喰ひ過して、胸が焼けてならぬわ。』
『イヤ、それなら、己も些とその様な類焼に逢うて見たいわ。』

  □野郎とは.関東でいふカゲマである。昔芝居の女形を上方では野郎といひ、関東ではカゲマと称へて居た。

49 ■蛸薬師への日参

三條の辺に浮気男が居た。何時の頃からか願懸をするとて、蛸薬師に日参を思立ち、『其身一代の中、決して蛸を喰ふまい。』と誓ひ、人々にも仰山らしく言触らした。が.偖一夏納涼にとて二三の朋友と四條河原に出掛け、床の上で一杯遣りかけた。シテ取寄せた肴の中に.塩揉の蛸を綺麗に切囃し、乙な器に盛って出された。例の男、イキナリこの塩揉を剛(したた)か喰ったので、連の衆は可笑しがり、
『ヤヤ、それは蛸であるに、何と思うて其方は喰やった?』
と、咎めると、彼の男抜からぬ面で、
『さればサ、昨日十二日に麩屋町の布袋薬師へ願を掛け代へ、此後己一代の間は、どんなことがあらうとも、布袋は喰ふまいと、屹と誓うて参ったわ。………………この塩揉の味いかう気に入った。今一鉢頼まう。』

50 ■京の某丹波へ婿入り

京の某といふ者、縁あって丹波の去る山家へ婿入りすることとなった。愈々輿入の日、何がな好い土産をと、見事なる生鯛一尾を、小者に持たせて出掛けた。大宮七條まで出て、そこで道中の用意にと麩の焼を買ひ、道々頬張りながら行いた。偖舅の家に著いたので、先方も大歓び、兎も角もとて風呂を侑めた。小者も乃て風呂に入らう。と、著物を脱ぎ捨てて飛込んだ。すると前の喰残しと見えて、麩の焼が一つ取落してあった。山家育ちの手合、これを見て口々に、
『偖も合点の行かぬ物ぢや、誰ぞ見知った者等はないか。ヤイ、』
と、いろいろ詮議したが、誰あって知る者も無い。「さらば堂の坊主か庄屋殿かに見て貰へば解らう。」と、早速人を立てて呼入れた。坊様澄ました面で、
『ハハー、これかナ。是は皆の者は知るまい。これが天狗殿の灸の蓋ぢや。』
これでまづ麩の焼の詮議は済んだ。が、亦更に一つの疑問が起った。それは土産に貰った鯛である。庄屋殿これを見て、手も無く、
『それをお知りやらぬか。是はナ、京の祇園の小宮にもある蛭子殿の、腰に差して居らるるお太刀ぢや。』

  □当時は、麩の焼とて一般に喰ったものと見える。思ふに今の饅頭麩の如きを味付けて焼いたものか。当今ならば差詰餡麺麭(ぱん)といふ所?

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元禄笑話 51~60

 51 筆まめなる書付:1-3
 52 重言苦しからず:1-6
 53 茶といふ語を利口に取直す:1-5
 54 河陥り
 55 邪推者
 56 夜食の飯鉢
 57 小謡好き
 58 鳥指し
 59 今業平
 60 一杯機嫌


51 ■筆まめなる書付

去る人の所へ客が訪づれた。折節夏のことであったから、亭主の心入で索麺(さうめん)を振舞うた。さて芥子を掻かうとて芥子粉を捜した所、生憎紙袋に書付はなし、気は急ぐ。彼か是かと引繰返して、やうやっと捜し当てた。サンザ気を揉んだ末振舞ひしまうて客を送った。日暮の頃、ここの忰フラリ帰って来た。親父些(ち)と気が立って居るから、イキナリ、
『この後もあること、あの紙袋にはそれぞれの這入って居る物を書付しておけ。総じて書付の無い物は、急いだ時とっと役に立たぬぞ。』
忰も藪から棒にお小言頂戴して、少々面喰った。が、親父の仰せと委細畏まって、それぞれ書付けた。其中に親父も寝床に入った。忰は親父の紙帳の中へ潜ったのを見届けて、墨黒々と、
『此内に親父有。』

□紙帳は今用ゐず。これは紙で拵へた蚊帳である。

52 ■重言苦しからず

持って生れたか、妙な口癖の男あり。何でも角(か)でも重言をいふ。或日、友に向ひ、
『この程、夜の夜中でもあらばこそ、昼の日中に、山中の山中でサ、馬から落ちて落馬して、腕の肱(かひな)を打折って、医者の医師(くすし)に懸けて、養生して療治したお蔭と、やうやう直って平癒した。』
聞いた友は目を円くして、
『偖も其方が言やる言葉は、皆重言ぢや。自分の前ぢやよって、好いやうなものの、余所で左様な言を滅多に申されな………………。』
と窘めた。すると例の男減らぬ口で、
『イヤハヤ其方は、テも文盲な仁ぢや。昔から聖人賢人の申された語に、随分と重言のござる。』
友は、憎い返し口と思ひ、
『シテ、それは何の書物に………………。』
『其方は知らぬかナ。彼のそれ、謡曲の本にサ………………高砂の浦に著きにけり著きにけり…………‥何と合点参ったか。』
『イヤ、それは目出度い言葉故、苦しうないのぢや。』
『申されな。外にもござるぞ。………………跡とぶらひてたび給へたび給へ………………といふのも有るぞや。』

53 ■茶といふ語を利口に取直す

些と薄い男の、何か話しの次(ついで)に「茶道坊主』といふ言葉を、側に居合せた小物知の男聞咎めて、
『尤も茶を立てる身分ではあれど、あれはサダウといふものぢや。総じてチャにはサといふ言葉を用ゐるほどに。』
と、一廉学者振って教へて遣(つか)はした。すると薄い男は亦薄いもので、
『それは、其方の申されやうが無理でござる。サとチャーと同じなら、笹屋ノ三郎兵衛を茶々屋ノ茶ブ郎兵衛というても大事ないか。』

54 ■河陥り

去る人桂河の土手を通ったが、どうした機勢(はづみ)にか、早瀬へザンブとばかり陥(はま)ると、アともいはず下へ押流された。が、幸ひと河下で在所の衆に引上げられた。上げは上げられた。が、水を喰(くら)ったものか、早眼を閉ぢて歯を喫(くひ)縛って居る。人々様々介抱して、『其方は何処の者ぢや。名は何と言ふぞ。』と、銘々声高に問うた。が、返事がない。其内一人屹度思案して、
『是では気が付かぬ。早う気付けに水飲ませ!』
と大声で度鳴った。すると河陥りの男、バチと眼を開き、ムックリ起き上りさま、
『水は下地がある。』

55 ■邪推者

去る所に若い衆寄合った。其席で一人が、
『あの毛氈と申すものは、何で染めるものぢゃやら。』
すると知った態(ふり)する男、
『あれは、猩々に酒を飲ませて其血を取り、それで染めるのぢや。』
と、仔細らしく講釈する。所へ、小者茶を持出でて侑めた。この男小者を瞰(ねめ)付け、
『偖も偖もお手前は利口な仁ぢや。己達に茶を飲ませて置いて、後で小便を取らうと云ふことか。それはなるまいなるまい。』

56 ■夜食の飯鉢

当年の寒気怪しからぬ故、親炬燵を離れず、夜食の飯鉢を睾丸の辺に宛行(あてが)うて当り居る。所へ、十二三になる徒(いたづ)ら息子バタバタと駆来り、イキナリ炬燵へ足を踏込み、親父の足をば、厭といふ程踏付けた。親父暴腹(むかつぱら)立てて、
『この罰当り奴が!アタ勿体ない。親の足を踏むといふ法が何処にあらう。』
と頭貶(ごな)しに歪めた。息子面脹(ふく)らかして、
『何しに罰が当らう。己は飯鉢を踏みはせぬ。』

57 ■小謡好き

去る亭主、投節(なげぶし)が好きで、内でも外でもノベツに謡って居る。或夜のこと、此亭主用事あって去る所へ行いた。内にはお内儀一人留守をして居ると、表の方を意気な声で投節を謡って通る人がある。其声が如何にも亭主に違ひないので、お内儀は、「此方の人の戻られた」と、猿戸(さるど)を排(あ)けて待ち居った。が、其人は遂に謡ひ流して下の町へ行く容子、「ハテ合点の行かぬ。能う似た声の人もあればあるもの。」と、表を閉めて座敷に上った。所へ亭主はカラカラと表を排けて帰った。お内儀迎入れるや、
『偖も能う似た声の人もあるもの、今し表を謡うて通られた仁を、此方ぢやと思うて迎へに出たが、其儘下の町へ行かれた。ホンに能う似た声の人ナ。』
『イヤ、それは己ぢやった。謡が余ったさかいでに、下の町まで行て、謡ひ了(しま)うて今戻った。』

  □投節は、明暦の頃、島原柏屋方の抱へ河内といへる者の謡初めたもの、遂に三都に流行するに至った。

58 ■鳥指し

去るお大名の方、何かお祝事あって、御一門方始め御入魂の方方を召され、お振舞せられた。御主人の殿も御機嫌の余り、
『何と方々身共方に珍斎と申す小坊主、無調法ながら小舞を舞ひまする。が、お座興に一指し舞はさせまする程に、お許し下されい。』
お客方も興あることに思ひ、
『これは一段の御馳走是非とも………………。』
と所望せらるるに、殿は給仕のお坊主に仰せて、『珍斎是(これ)ヘ。』と召された。乃て珍斎と呼ぶ十二三の小坊主出来り、殿の前ヘ手を支(つか)へて、
『お召し遊ばされましたか。』
『ヲヲ何れも様へ御馳走に、其方何ぞ一指し舞へ。』
珍斎畏まって、お座敷の真中へ立上り、節可笑しく、
  指いた指いた見さいナ。鳥を指いた見さいナ。一日の日は又一つ鵯(ひよどり)、日和好かれと囀る所を、チウで指(さ)いて押捕(おつと)った。二日の日は又々、二日の日は又々、又々………………
と、行詰り居ったが、この小坊主頓智な奴で、殿が脱置かれた縮緬のお羽織が、お座の脇に在るを見出し、
………………殿様のお羽織を………………
と、其儘お羽織を指しをった。するとお客衆は、
『珍斎能い物を指された。為になりさうなもの………………。』
とて、ドッと笑はれた。殿も可笑しく思して、
『それは其方に取らせる。』
とて、其儘珍斎坊に下された。珍藩坊これに味を得て、
  三日の日は又々、又々………………殿様の………………
と謡ひさして、お指替の金作のお刀があったのを見付け、忽ちこれを指さうとする。殿は此容子を御覧じて、
『ヤイヤイ、それは身共が指すのぢや。』

59 ■今業平

町方の若い衆、二三人連れで去る町を通った。すると向ふより年の頃二十三四にもならうか、濃い髪を厚鬢に結ひ、眉を細く作った如何にも華奢な色男が通り懸った。此方二三人連れの一人、
『偖々能い器量ぢや。あの様なのが正真の今業中ぢや。』
と、羨ましげに褒めそやすを、中の一人これを聞いて、「あの様なのは皆業平と言ふか。己もああ遣って業平と褒められう。」と、宿へ帰ってから、髪結を呼びにやり、月代を好み鬢を厚く結はせ、眉を細く作らせた。偖鏡に向ひ、「これで好い。」と独り悦びつつ、フラリフラリ町ヘと出かけた。が、久々の人に行逢ひ互に久闊の挨拶を述べた。すると向ふの人は心得ぬ顔で、
『偖々久しうお逢ひ申さなんだ。が、其方は何時の間に癩病(なり)におなりやったぞ。』
『偖も其方は通った仁ぢや。平を退(の)けて業(なり)とは、洒落た申分言はしやる。』

  □癩病のことを、俗にナリンバウと云ふ。ナリはナリンバウを略した言葉、上方にては今も用ゐる。

60 ■一杯機嫌

去る檀那、八蔵といふ下部を呼付け、
『八蔵、其方これから伏見まで使に参れ。シタが、今日は殊の外寒いよって、酒を一つ飲んで参れ。』
と言付けながら、下女を呼んで、
『成るだけ暑う燗して、八蔵に飲ませ。』
下女は畏まって台所に引下り、銚子を銅壺に掛けたが、乃(やが)て、
『檀那、お燗が宜しうござりまする。』
『それでは此処へ持って参れ。己が燗を見て遣らう。』
と、有合ふ茶椀で二つ三つ続けざまに煽り、八蔵には遣らず、
『偖々好い燗ぢや。一段と好い気味……………八蔵、この勢ひで行てこい。』

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元禄笑話 61~70

 61 弱き者の喧嘩
 62 嗇き親父
 63 掛物の批判
 64 親子倶に足らぬ
 65 水仙を知らぬ人
 66 短気なる浪人
 67 米屋の番頭
 68 粗怱なる医者
 69 磔刑者に意見
 70 碁に危がる人


61 ■弱き者の喧嘩

去る町に喧嘩あり。双方散々に踏合ひ擲(たたき)合ひをった。が、辺の人出でて仲に入り、まづ一方を宥めて、
『ママ平に堪忍おしやれ。此方のお相手はモー逃げた程に。』
といふを聞いて、かの喧嘩せし男、
『無念や。先を越された。己が先に逃げうと思うたに。』

62 ■嗇(しわ)き親父

去る所に、七つ八つ許りになる孫、急病で相果て、一家親族集まって嘆き居た。此処の親父といふは法無しの悋嗇(しわん)坊である。皆々を宥めて言ふやう、
『皆のものが嘆かさっしゃるは尤もぢや。……………イヤ己とても悲しいには悲しい。が、其様に声を立てて泣いては、近所へ聞える。ソレ弔ひに人が来れば、命日には茶の一杯も立てねばならず、其様な事では所帯がならぬ。……………ヤイ三蔵、此児が死んだが、葬を出すこと人に知らすな。野立(のだち)があれば、立酒(たちざけ)の一つも盛らねばならぬ程に。人の知らぬ様に畚(ふご)に入れて、其方一人で担(かた)げ行き、埋めて戻れ。そして是を埋めたら定めて土が余らう程に、戻りに其畚に一杯入れて戻れ。竃(へつつい)の上塗りにせう。』

63 ■掛物の批判

去る所に振舞あり。客一同座敷に居流れた。其中の一人、
『皆様、此お床に掛けられた鶴の絵は、何でも名ある方の筆ぢやとて、御亭主重宝致し置かれまするが、今日は皆様へ御馳走に掛けられましたさうな。』
と言ふに、何れもそれを拝見し居った。すると一人の無作法者、床際に進んで、暫し眺め居た。が、乃て、
『イヤモーシ、これは鶴ではない、雁ぢや。』
先の人嘲(せせら)笑って、
『能うお見やれ、これが鶴でなうて何とする。』
『イヤイヤ、雁に極まった。鶴であるなら蝋燭を銜へて居る筈ぢや。』

□三具足の燭台は、多く鶴に造られてある。

64 ■親子倶に足らぬ

去る阿房息子、月の夜に長竿を持ち、蹣跚(よろめ)きながら懸命になって空を打ち居(を)る。親父見て、
『ヤイ、オノレは何をする?』
『星を羸(か)つわ。』
親父抜(ぬか)らぬ顔で、
『下からは届くまい、屋根へ上れ上れ。』

65 ■水仙を知らぬ人

極月の頃、或座敷の床に水仙一株を瀟灑(せうしや)に挿してあった。去る男これを見て、
『偖も珍らしい。』
亭主得意になって、
『其方様にも花にはお心あるさうな。』
かの男不審な顔して、
『イヤ、些とも欲しうはないが、デモ寒の中(うち)に、大蒜(にんにく)に花が咲いたのは見始めでござる。』

66 ■短気なる浪人

去る浪人、焙烙頭巾、紙羽織、鍋の蔓のやうな刀を指し、寒空にも扇を離さず、山寺など謡ひながら、去る町人の所へ行き、見た事聞いた事己がしたかの様に尾鰭を付けて戦場の物語り長々とせられた。が、其中に夕餉の時分になったので、お内儀は叮嚀に手を支(つか)へ、
『侮(あなづ)りがましうござりまするが、今晩はお雑炊(みい)を焚きました。どうぞ緩り召上って下されませ。』
とて、膳を据ゑた。浪人は、『忝なう。』と、椀の蓋を把って見るや、散々に腹を立て、刀を把って反を打たすに、亭主顫へ上がって、
『粗末なお膳を差上げまして、何とも恐入りまする。お腹立ちは御尤も。どうぞ御勘弁を……………。』
と、辺にオロオロするお内儀を叱りながら、手を摺合せ平謝りに謝った。浪人猶も眼を瞋らし、
『イヤイヤ御亭主、お内儀への申分些とも無い。言分は此雑炊にある。……………ヤイ雑炊、オノレは何の意趣あって身共が行く先々へ附いて回りをる?』

67 ■米屋の番頭

高かった米の価(ね)も次第に下り、皆々喜合ふ折のこと、或日、雨上りの道いと悪きに、米屋の番頭高下駄を穿き、四斗俵担いで得意へ持ち行く。町の年寄、愛嬌ある人にか、是を見て、
『米を持って行かれるか。ナ、』
と声を掛けられた。番頭も、「年寄に逢うて、高下駄穿いたままは慮外、」と心得、
『ヘイ、これは高うござりまする。』
年寄肝を潰し、
『又騰ったか。』

  □町の年寄とは任期あって町内互撰で撰ばれるもの、即ち年寄である。又私にこれを宿老とも称へ居た。所謂町総代。

68 ■粗怱なる医者

去る医者、風邪気で少し煩って居た。所へ病家より、「直ぐに診て貰ひたい。」と呼びに参った。医者も欲と相談、押して見舞うたが、
『愚老も少し風を引いて居まする。が、定めて其方のも風邪気でおはさう。』
と、脈を取りつつ、
『ムム、愚老のも其方のも同じ症ぢや。イヤ宜しい。薬を調合致し置きませう、取りにお越しなされ。容態が変ったなら、此方から申して進ぜう。』

69 ■磔刑者に意見

贋金拵へたる者、いよいよお仕置極り、粟田口で磔刑に懸った見物の男女は矢来の外に犇いて居る。罪人も今を娑婆の名残と、流石に転(うたて)しく思ひ、木の空より、
『皆様、一連托生のお念仏頼みまする。』
下に控えて居た奴、罪人を白眼(にらみ)上げ、
『サー今は念仏申してやらう。以後もあること、重ねてはお嗜みや。』

70 ■碁に危がる人

去る人、碁を打つを見て居た。が、最初の程から、『危い危い。』と、口癖のやうに言続ける。打つもの聞咎めて、
『何が危いぞ。抑へたら抜かうし、仕切ったら亘らうし。見な、石は此様に続くが、何が危いぞ。』
『イヤ、端な石が落ちやうかと、それが危うてならぬわ。』

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元禄笑話 71~80

 71 息子の自慢
 72 犬の呪禁
 73 碁に助言
 74 親父の頓作
 75 案じぬ事
 76 足らぬ男
 77 紺屋へ使に遣る
 78 間に会ひなる年寄
 79 謡初め
 80 下馬札


71 ■息子の自慢

去る所に、四五人打寄って世上話しして居た。が、話しの上で、一人の男、
『私が親父は後生願ひで、毎日毎日寺参りばかり致して居まする。』
と言ふに、人々口を揃へて、
『偖々それは奇特な事でござる。』
と、サンザ褒めそやした。側に居た無分別なる男、己れも人に褒められう。と巧み、
『私が親父は生れてから以来、まだ女の肌には触れませぬ。』
と、小鼻ひこつかせて遣った。人々興を醒まし、
『其方は養子か実子か。』
『成程私は実子でござる。』
『それでは、其方は何処からお生れやった。』
『イヤ、其処へは気が付きませなんだ。』

72 ■犬の呪禁(まじなひ)

去る人、
『犬が喝(おど)す時には、小指に虎と云ふ字を書けば、それで喝さぬものぢや。』
聞いた人、
『それでも、何時ぞや書いて通ったけれど、上の町の犬は大分喝しをった。』
先の人、
『イヤイヤ、それは一概には言はれぬ。無筆な犬に係っては仕様事もない。』

73 ■碁に助言

去る人、癖にか、人が碁を打つとさへ見れば、ノベツに助言する。打手衆は皆々厭がって、
『今から助言言やるならば、科代に銭百文づつ取る程に、構へてお言やるな。』
と窘めた。かの人、初めの程こそ堪へても居たれ、今は堪へかねて、
『五十文で負けて給も……………そこな黒石渡れ!』
と言捨てて遁帰った。

74 ■親父の頓作

去る所の親父眼鏡を当てて物の本を見て居たが、トロリトロリと居眠り、了ひには横に倒れたまま高鼾を掻いた。お内儀見て、
『寝られるなら眼鏡も外して、碌に休んだら好からう。』
と揺起せば、親父目を覚まし、抜らぬ顔して、
『デモ夢を見る。』

75 ■案じぬ事

去る抜作男、額に手を当てて、
『偖々忘れた。』
側に居た男、怪訝な顔して、
『何を?』
『イヤ、去年の八月十五夜は、月か闇か、コロリ忘れた。』
『それは亦古いこと、シタが案じいでも好い、暦を見てみや。』

76 ■足らぬ男

去る出家、頚に珠数を掛け、網代笠被って通る。足らぬ男これを見て、「あら不思議や、あの珠数は笠より小さいに、何として頚へは這入ったぞ。但しは頚ともに珠数屋へ誂へたのか。」と不審がり、兎も角もと跡を尾けて行いた。すると此出家知己の人に行逢ひ、『偖久しうござる……………。』と笠を脱いだ。かの足らぬ男是を見て、
『偖は笠を著ぬ先きに珠数は掛けたものぢや。まづは是で安堵致した。』

77 ■紺屋へ使に遣る

仰山抜けたる男を、紺屋へ使に遣るとて、
『色は花色にして、霰小紋を付けて、と言へ。若しも霰を忘れたなら、あのそれ、二月十五日に煎って喰うた霰を思出せ。』
抜作男、『心得ました。』と、其儘紺屋へ行き、霰を忘れて、
『色は花色にして、小紋は……………ソレソレ、釈迦の鼻糞を付けて給もれ。』

  □二月十五日涅槃会の日、豆に霰を交へ煎って喰ふ。これをば釈迦の鼻糞と云ひ、今も僅かに残れる習俗である。

78 ■間に合ひなる年寄

去る町に月次の寄会あり。会所で何時ものやうに法度書を読むとて、町年寄は分別顔に、
  一、町内遊女野郎(のら)堅く禁制。
と読上げると、人々可笑しさにクスクス笑った。すると座中の一人、
『モーシ、それはのらではない。野郎(やらう)でござらう。』
と突込んだ。年寄首を掉って、
『イヤイヤこれはのらと読んだが好い。到底も此町に野郎抱へる程の者もない。所で得て若い者共はノラノラしたがる程に、矢張りのらと読まう。』

79 ■謡初め

正月のこと、去る者共寄会ひ、
『今夜は謡初めぢや。お互に番謡曲(うたひ)こそ知らざれ、小謡曲の一切づつなりとも謡はうではござらぬか。』
と相談する。座に居合わせたる一人、
『私は高砂や此浦舟に帆をあげて……………と、だけは覚えました。』
といふに、皆々可笑しがり、
『されば、それ程なりとも謡出されたら、跡は皆で附けう。』
『しからば、外聞でござる。何分お頼み申す。』
と、人並に座敷に列なり、偖思ふやう、「何様今夜は数ない謡曲、人に謡はれぬ先に遣って退けう。」と、真先に扇を取直し、友なしに、
  高砂や此浦舟に帆をあげて、
と謡上げて、左右を目配せした。が、何れも呆れて附けうともせぬに、「偖は引きが短かったか。」と、又一段声を張って、
  高砂や此浦舟に帆をあげてエー……………
と息の続く限り引張った。それでも附けてくれ手がない。いよいよ狼狽(うろた)へて、声を限りに、
『助舟!』

80 ■下馬札

紫野大徳寺の門前に、筆鮮かに「下馬」と制札を建てられてあった。周章(あわて)者これを見て、
『偖も廉いことぢや。一卜(ぶ)で馬があるさうな。』

□一歩(ぶ)は、一両の四分一。

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元禄笑話 91~100

 81 何も知らぬ男
 82 商売露はる
 83 阿房なる丁稚
 84 子供の軽口
 85 小癪なる子供
 86 反対
 87 粗怱者二人
 88 福の神には油断ならぬ
 89 柴売の言訳
 90 移渉祝儀の使者:3-9


81 ■何も知らぬ男

去る人、十月十六日に東福寺の開山忌に参り、
『偖も目出たい此伽藍、聖一国師より、遂に炎上のないお寺ぢや。又通天の紅葉、爰許の名木ぢや。誠に諸木多い中に、紅葉の色著いたは、一段と見事なものぢや。』
といへば、何も知らぬ男、
『お言やる通り、偖々大きな紅葉の木ぢや。が、可惜(あつたら)葉が皆赤う枯れた。』

□聖一国師は、東福寺の開祖である。

82 ■商売露はる           、

去る髪結の若い衆、傾城買ひに行き、兎有る揚屋へ上った。偖女郎を呼びに遣り、其支度を待つ間に、トロリトロリと居眠りして居た。其処へ女郎来り、
此処は端近、どうぞ床へお越し……………。』
かの若い衆、眼を擦り擦り、
『イヤ、今日は床へは行かぬ。代りに日手間を雇うた。』

83 ■阿房なる丁稚

或夜のこと、去る檀那、丁稚を連れて余所へ行き、座敷へ上りがけに、
『少し談合もあるよって、定めて暇入らう。其方は提灯の火を消し、其所に腰を掛けて休んで居よ。』
と言付けられた。丁稚畏まって火を吹いた。が、消えぬ。
『モーシ檀那様、火が消えませぬ。』
『ヤイ、立てて置いては消えぬぞ。下に置いて消せ。』
『下に置いては皺が寄りまする。』

84 ■子供の軽口

去る所に、五歳供(くらゐ)を頭に頑是もない子供が四五人集まって、「飯事(ままごと)せう。」とて、蜜柑の皮を盃にして、実汁を絞込んでは酒盛して遊び居った。すると中で一人の賎(いやし)ん坊、絞捨てた実の糟を拾ひ頬張った。友達咎めて、
『其方は衆にせぬ。』
『なぜ?』
『デモ、お燗鍋を喫(く)やった。』

85 ■小癪なる子供

去る人、兄は十歳弟は七歳になる二人の子を持って居た。或日のこと、此児の母、物参り致すとて、髪結直し著物着替へて出られた。兄息子見て、
『母様も内では好うないが、出立ちやれば満更捨てられぬ。』
父親聞いて、
『口の過ぎた餓鬼!』
と瞰(にらみ)付けるを、側に居たる弟、
『それや、主ある者に浮か浮かと物言うて、能い面ぢや』

86 ■反対

双六と呼ぶ座頭、夜歩くに提灯を点して行いた。去る人見知って、
『其方は目も見えぬに、提灯は何の為ぢや。』
『イヤ向ふより来る者が、若し行当らうかと存じてのこと。』

87 ■粗怱者二人

去る町に、草履草鞋を沢山吊って商ふ小店があった。其処を通合せた人表に立懸り、軽く会釈しつつ、
『伏見へはかう行きまするか。』
と指させば、店の者、
『ハイ、向ふのは四文、前のは六文』
『これは忝なう。』
とて去った。

88 ■福の神には油断ならぬ

正月のこと、去る身上好(よ)き家の内庭へ、大黒舞入来り、
  ござったござった、福の神のござった。大黒のござった。大黒の能には、一に俵踏まへて、二にニッコリ笑うて……………。
と、手付腰付可笑しく踊る。檀那も見て居られた。が、思出して、ソと小者を呼び、
『ヤイ三蔵!大黒様のござった、早う雪駄隠せ。』

  □大黒舞は、昔の穢多が大黒に扮して、正月戸毎戸毎を踊り歩き、銭を乞うたものである。この舞は早く廃ったらしい。何が賎民のこととて、得て家人の目を偸み、雪駄下駄などを盗み去ったものか。

89 ■柴売の言訳

丹波の柴売親父、馬に柴を付けて、京の七條口まで来懸った。すると其日は引回(ひきまはし)ありとて、辻々に人垣造って騒いで居る。此柴売の親父陽気者とて、引回と聞いては見たくて堪らず。付けた柴をば捨売に売飛ばし、徒走(かち)では遅からうと、乃てかの痩馬に打跨り、細引手綱を煽りつつ、室町通りを北へ上った。辻々に立てる見物の男女この体を見て、
『引回は上からばかりと思へば、アレ下からも来た。』
と、口々にぞよめいた。親父馬上で狼狽へ、
『イヤイヤ是は丹波の柴売でござる。』

  □引回は今はないこと、昔は斬罪以上の罪人に附加へた刑で犯人を縛めの儘小穢い馬に乗せ、其罪状を旗に書記し、府内を引回したのである。偖此柴売親父の馬に乗った姿が、それに似て居たと見える。

90 ■移渉(わたまし)祝儀の使者

去る人、知音の者の新しく家造りたるを祝はうとて、召使を呼付け、
『常の所へ使に行くとは違ふぞ。構へて、一言でも粗相なことを申すな。』
と、呶(くど)く言含めた。召使の男、『畏まってござりまする。』と、祝儀の品抱へて、イソイソと出掛けた。先方の亭主悦び、酒肴を侑(すす)めて、剛(したた)か馳走した。偖使者に立った男は更に物を言はず、宛(まる)で唖のやうである。亭主も何とやら気が済まず、
『其所は如何な仔細で唖黙って居やる。かういふ節は喚き叫(ぞめ)くが目出たいものを。』
『イヤ、されば先程から、物が言ひたうて言ひたうて、この胸〔棟〕が焼ける程におはしたわヤ。』

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