江戸期版本を読む

当コンテンツは、以下の出版物の草稿です。『翻刻『道歌心の策』』『翻刻・現代語訳『秋の初風』』『翻刻 谷千生著『言葉能組立』』『津の寺子屋「修天爵書堂」と山名信之介』『津の寺子屋「修天爵書堂」の復原』。御希望の方はコメント欄にその旨記して頂くか、サイト管理者(papakoman=^_^=yahoo.co.jp(=^_^=を@マークにかえてご送信ください))へご連絡下さい。なお、当サイトの校訂本文及び注釈等は全て著作物です。翻字自体は著作物には該当しませんが、ご利用される場合には、サイト管理者まご連絡下さい。

カテゴリ:壺阪霊験記 > 新講談壺阪霊験記 沢市お里の実伝(1910刊)

新講談 壺阪霊験記 『沢市お里の実伝』
講演 旭堂南陵  速記 浪上義三郎

WEB目次

 一 
概要 観世音とは 洪水 新六、お里を助ける お里父子、礼に来る
 二 
七之助、お里に恋慕 中川、縁談の橋渡しに立つ
 三 
お里、縁談を断る お里と新六の祝言 新六、鍼医沢市となる お里、新六の眼病治療を志す
 四 
お里、伝九郎に騙される 七之助と伝九郎の悪計 偽の証文 お里と沢市の別れ
 五 
お里、駕籠で高木の屋敷へ 伝九郎、お里を折檻 佐平次、お里を逃がす
 六 
お里、江戸屋へ駆け込む 江戸金、お里を隠す 伝九郎と中川、江戸屋に乗り込む
 七 
伝九郎と中川、江戸屋で袋叩きに 伝九郎、お里の居所を知る お里、再びさらわれる
 八 
伝九郎、七之助を裏切る 伝九郎と駕舁の争い 江戸金、お里を救い出す
 九 
郡奉行の捜査 七之助、郡奉行に賄賂 楊震四知の戒め 郡奉行の廉潔と知略
 十 
七之助と中川、断罪される 沢市、療治を断念 塙保己一の事 七之助と中川の争い
十一
伝九郎の悪計 按摩の広告 六地蔵での争闘 七之助の死 江戸金の深手
十二
中川の死 江戸金の死 お里の墓参 沢市の歎き お里の発願
十三
観世音の御利益 壺阪寺縁起 お里の夜詣り 沢市の疑念
十四
沢市の詰問 勘太真実を語る お里沢市の壺阪詣 沢市の投身 伝九郎の出現
十五
お里の投身 伝九郎の死 観世音の顕現 沢市の開眼 盲人の笑話 大団円


はしがき

夢が浮世と悟って見てもまた涙。鳥の声鐘の音さえ身に沁みて、ほろりと寂しい盲目(めしい)の夫に、命懸けての貞節は、いつか花咲く花の色もはっきりと、見えるぞ見えるぞ菩薩の大慈悲。泣いて聞いた鳥の声も鐘の音も冴え冴えと、過ぎて想うあの時の事この時の事。辛かった沢市夫婦が長物語をすっかりと打ち明けて、南陵ぬしがここに講ずる。今さら面白さのいかがいうまでもなや。
  四十三年中の秋       あかつき述


凡 例

  1:底本は「新講談 壺阪霊験記 沢市お里の実伝」(1910年 国華堂刊(国会図書館デジタルコレクション))です。
  2:底本の歴史的旧仮名遣いはすべて現代仮名遣いに直しました。
  3:底本の旧漢字とひらがなの踊り字はすべて現在通用の漢字とかなに改めました。
  4:底本のカタカナと踊り字はそのままとし、ふりがなは適宜加除しました。
  5:底本の句読点は適宜加除し、改行、改段落も校訂者の判断で行いました。
  6:2~5は、読みやすくするとともに、口演筆記の特徴も残すことを意図したものです。
  7:WEB目次の漢数字は底本のままですが、下段の内容梗概は校訂者によるものです。
  8:底本には誤記誤植が多くあります。明らかな誤りは訂正しました。カギ括弧やふりがなの乱れ等を除き、校訂者による訂正箇所は{*}で示し、詳細は各章最下段に示しました。
  9:現在では差別的とされる表現も、原典を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。

【一】
概要 観世音とは 洪水 新六、お里を助ける お里父子、礼に来る

 エヽ……国華堂書店の御好みによって、浄瑠璃で大層流行いたします壺阪霊験記を講演致します。名人団平が節づけで行われております「三ッ違いの兄(あに)さんを」という、沢市の女房おさとの口説きがございます。当今は義太夫流行(ばやり)で、暗(やみ)の晩なぞは「三ッ違いの兄さん」にばかり打(ぶ)つかります。此処(ここ)の横町(よこちよう)からも「三ッ違いの兄さん」と怒鳴って出るかと思うと、向うの新道(しんみち)からも「三ッ違いの兄さん」が飛び出す。其の壺阪霊験記の内、「盲人沢市お里の伝」を、今日(こんにち)より講演をいたします。
 壺阪は和州高市郡(たかいちごおり)高市町(まち)の南に当りまして、西国三十三番の内、六番の観世音の像を安置いたし、俗に壺阪寺と申します。人皇(にんおう)五十代桓武天皇の御建立で、観音の像は弘法大師のお作でございます。壺阪山の岩の上に御堂(おどう)がございまして、其の周囲(まわり)の岩は、五百羅漢の像に梵字が刻みつけてございます。中々霊験あらたかの観世音。其の土佐町(まち)という処に居りました、盲人沢市・妻さと。此の二人が祈誓をこめ、沢市の目が明いたというのが此の講談の眼目でございます。
 そもそも観世音と申すは、観自在と申す事で、善悪禍福を自在に観察するという意味でございます。それを形に現わしたのが観世音の像。同じ「見る」という字でも、「観」の字は、目でばかり見る字ではございません。アレは心で見る字でございます。「鰯の頭も信心がら。」と申して、一心になって願えば、神仏が存在する以上は利益(りやく)は必ずあるべきもの。浅草の観世音様へ参りますと、賽銭箱の上に金字で「施無畏(せむい)」と三字書いた額がございます。あれは長崎の儒者で玄岱(げんたい)という先生の書かれたものだそうで、吾々には判りませんが、「実に見事な手跡だ。」と、心ある人は申して居ります。その「施無畏」という事は、観世音の利益広大なる事を示したものだそうだ。言わば観音様の御利益の広告でございます。「施(せ)」は「施す」と訓じ、「無」は「無し」、「畏(い)」は「畏れる」。つまり「悪人でも善人でも一心になって願えば利益は与えてやる。決して撰(よ)り好みはしない。施すに畏れなし。」という意味でございます。ソコデ、仏菩薩と申しますのは、つまり悟りを開いた其の階級で、仏菩薩は無上正真(しょうしん)道を得た者を言う。上もなき真(まこと)の道を得たものが、仏菩薩でございます。しからば観世音菩薩も、無上正真道を得たえらい人の尊称でございます。何も仏の道ばかりではない。学者でも商人(あきんど)でも職人でもはしたなき芸人でも、其の道の神髄を得たものはその道の仏、又菩薩と申して差支えない。こう言うと大層南陵学者のようだが、或るお寺の僧侶(ぼうさん)の蓄音機でございます。永口上は御退屈、ソロソロ本文(ほんもん)へかかってお話をいたします。
 徳川十一代将軍家斉(いえなり)公の御治世、時は寛政の始め、大和国高市郡高取町(たかとりまち)の在、土佐町に新六という百姓がございました。是は父母(ふぼ)に早く別れまして、伯父の源兵衛という者に育てられました。ちょうど寛政の二年、此の新六が十八の時でございましたが、其の年八月の上旬より毎日のように雨が降りまして、じめじめいたして居りまして、まるで五月雨のよう。
甲『どうです。よく降るじゃアありませんか。』
乙『さよう。よく降りますナ。こう降っては水が出るかも知れません。』
甲『どうか水が出なければ宜(よ)うございます。』
乙『早稲を収獲(とりこも)うという時分に、こう降られちゃア困ります。どうも天気にしたいものだ。』
 人が集まると雨の事を心配いたして居ります。と言うは、「旱魃に不作無し。」と申しまして、雨の降りつづくより旱(ひでり)の方が米には宜(よ)い。なかんずく大和は地の低い処で、ややもすると出水(でみず)がある。「大和雨降り米穫れず。」という例えがございます。是は、他国では雨乞いなぞを致しますが、大和では雨が降られると三年不作であるという事を申したのだそうでございます。既に先年、十津川が大洪水で、跡が立ちゆきませんから、十津川の人民を北海道へ移住(うつ)した事さえございます。ひどく水を嫌う処で、スルト八月の廿一日から廿四日の夜(よ)にかけて東南風(たつみ)の大暴雨(おおあらし)。ドーという音だ。バラバラバラバラ板屋を走る雨の音。
 新六は伯父に対(むか)いまして、
新『伯父さん、大層な暴風雨(あれ)になりました。』
源『ひどい暴風雨(あれ)になったのう。此の容子では水が出るぞ。』
新『どうか水の出ないようにしたいものでございます。』
源『いくら「出ないようにしたい。」と言っても、水の方で押してくるんだから始末がつかねえ。』
〇『モシモシ、源兵衛さん。起きて居(い)るかエ。』
源『ハイ、起きて居(い)ますヨ。』
〇『ちょっと出てもらいたい。新六さんも居(い)るなら一緒に来てもらいたい。』
源『なんでございますエ。』
〇『檜(ひ)ノ熊川が出水(でみず)で、大口の堤が断(き)れそうなんだが、「どうか此の町に居(お)る者は残らず出て防がせろ。」という郡(こおり)奉行からの御達しだ。五十から十五までの男は総出という事になったんだが、是非来て下さい。』
源『エー、それは大変だ。大口の堤が断(き)れた節には、此の土佐町は勿論、高取も海になってしまわなければならない。エ、只今参ります。サア新六、支度をしろ。』
新『伯父さん、堤が断(き)れますかえ。』
源『断れるか断れないかまだ判らないが、どうか彼処(あすこ)は助けたいものだ。』
と、新六を促して、源兵衛が蓑笠に身を固め、鍬を持って表へ飛び出すと、鼻をつままれても判らぬ暗夜。「ベリベリベリベリベリ、ガラガラガラガラ、ドー。」という物凄い音。どこの寺で撞(う)つか、「ゴンゴンゴンゴン。」という早鐘{*1}。間(あいだ)に「断(き)れるよー。」という人声。火と違いまして水程陰気なものはございません。七八町離れた大口の堤へ来て見ると、篝火を焚いて数百人、此処で檜(ひ)の熊川の出水(でみず)を防がんと、一生懸命に働いて居ります。山手から渦を巻いて押して来る濁流。平常(へいぜい)は川の間々に瀬がありまして、四五町ある川幅も土地の人は溝渠(どぶ)のように思って居りますが、いよいよ出水(でみず)になると、どこが瀬だか判りません。平(ひら)一面の水。内に夜(よ)はしらじら明けわたって参りました{*2}。
 処が、雨は中々やむ様子もなく、風も強い。高取の城主植村出羽守の郡奉行梁田重(じゅう)左衛門が、部下を引き連れ、馬上で「彼方(あちら)を防げ。此方(こちら)を防げ。」と下知をいたして居ります。ちょうど只今で言う六時、昔時(むかし)の六ツ。ガラリ夜が明けはなれたかと思うと、「ドー。」という音と共に堤を一ツ水が越すと、五六間(けん)断(き)れました。「それ、断(き)れた。」と言ったがモー間に合わない。「ドー。」と一時(じ)に水が押して来る。堤の上に居りました数百名の人達、モーこうなると水を防ぐどころではない。自分の家が大事だから、「ワッ。」と言って己々(おのれおのれ)家を指して引っ返す。是が為に水はいよいよ漲り、忽ち土佐町から高取へかけて押し来たる。
新『伯父さん。どこへ行った、伯父さん。』
源『新六、サア早く帰れ。此処に居(い)ると死ぬぞ。』
新『ハイ。伯父さんサア帰りましょう。』
 二人揃って土佐町へ引っ返す内に、モー股を越して、下腹あたりまで水がきた。足が自由を得ませんから、二人は鍬を杖にして、ようよう己の家に帰りまして、家財の内目ぼしき物を包みにいたし、「早く山手へ逃げよう。」というので、支度をして居(い)る内に、水はいよいよ劇(はげ)しく、とても下に居(お)られないから二人は屋根へ駈け上がった処が、土佐町一面の水となったが舟が参りません{*3}。
 「どうしたら宜(よ)かろう。」と、源兵衛と新六が顔と顔を見合して居(お)りますと、遥か上(かみ)の方から藁屋根が流れて参りました。いかさま家(うち)が押し流されたのでありましょうが、屋根だけ浮いて居ります。近寄るままに見ると、其の屋根に確かに人が居(い)るよう。
新『伯父さん、向うに流れてまいりましたアノ屋根に人が居(い)るようでございます。』
源『ウーン。俺も先刻からそう見て居(い)る。』
新『可哀想です。助けて遣りましょう。』
源『馬鹿ア言え。滝のように流れて居(い)る此の水に入って、どうして助けられるものか。』
新『イエ、助けられぬ事はございません。』
 言う内に向うの方で、
〇『助けてくれえー。』
と言う人声。近寄るままに見ると、屋根にしっかりつかまって居(い)るのが女でございます。
 新六之を見ると、身を躍らして此の濁流へ躍り込みました。檜ノ熊川で毎年夏になると水泳(およぎ)を学びました事とて、逆巻く水を押し開き、其の女子(おなご)の居(い)る処へ進んで参りまして、屋根へ手を掛け、ヒラリと躍り上がった。
新『いずれの女中か知らないが、私(わし)が助ける。しっかりおし。』
女『有難う存じます。』
と言う声さえも切れ切れで、その藁屋に挿してございました竹を取って棹と為し、水を切って此方(こなた)に漕ぎ寄せる。二階に見て居(お)りました伯父の源兵衛、
源『新六、えらい事をした。今向うから舟が来るから、なりたけ水の緩(やわ)らかな処を撰(よ)って漕いで来(こ)ウ。』
と怒鳴りますが、水勢が劇(はげ)しき為、新六には聞えません。処へ、御領主植村様から助け舟を出しまして、水に溺れんとするものを救う。新六の居りまする処へ舟を漕ぎ寄せた役人、
役『サア、是へ乗れ。』
新『ハイ。私は兎も角も、此の女をお助け下さい。』
 役人が見ると、十四五にもなろうか、未(いま)だ肩あげはあるが、水の滴るような美人。
役『サアサア、早く是へ乗れ。是へ乗れ。』
新『有難う存じます。サア姉(ねえ)さ、しっかりおし。お役人様方が舟を出して下すったから{*4}。』
女『有難うございます。』
 新六に助けられて、ようよう向うの舟へ乗りうつる。
役『コレコレ。お前達はどこの者だ。』
新『私は土佐町に居ります百姓の新六と申します者。』
役『此の女はお前の妹か。』
新『イエ、私の妹ではございません。上(かみ)の方から流れて参りましたのを、気の毒に存じまして助け出しました。』
役『それは感心な事だ。よい功徳をいたした。向うに助け小屋があるから、アレへ参って手当をいたしてやれ。』
 此の舟を向うの堤際(どてぎわ)に漕ぎ寄せますると、植村家の定紋の幕が張ってあります。それには医者も出張いたし、焚き出しは大釜で飯を焚き、握飯(むすび)にいたして、今回の洪水で家にはなれました人達へ、施しを出して居ります。此の婦人を幕張の内に入れ、医者が気付(きつけ)を与え、介抱をいたした。「何処(いづく)の者である。」と尋ねると、土佐町の内に本町(ほんまち)と申す処がある。是は檜ノ熊川に添いました上(かみ)で、其処の穀物渡世、大坂屋万兵衛の娘さとといって、本年が十五才だと申します。「俄(にわか)に水が押し寄せたので、逃げる間もなくこういう事になった。それにしても両親の行衛が判らぬ。どうした事か。」と、涙を流して悲しんでおります。役人も気の毒に思って、大坂屋万兵衛夫婦の行衛を調べる事になった。処へ、新六の伯父の源兵衛も助け舟に救われ、無事に此処へ参りまして委細を聞き、ともども万兵衛の行衛を探す。
 何しろ此の出水(でみず)でございまして、四五日はまるで戦争(いくさ)のよう。どこに誰が往(い)って居(い)るか、中々判りません。六日目にすっかり水が退(ひ)いたので、始めて万兵衛夫婦が無事に高取に居(い)る事が判った。「水の押し寄せて来た時には、親子別れ別れになったが、運よく三人助かる事が出来た。万兵衛夫婦は水に流されて、西福寺(さいふくじ)という寺の榎(えのき)の木に上がって助かった。娘の行衛を心配して居(い)ると、土佐町の新六が助けた。」という評判。親子が会いました時の喜びは、死んだ者が蘇生をしたよう。取り敢えず新六に礼を申しまして、娘を引き取って高取の親戚へ参った。十日ばかり経って、ようよう家の掃除をして、新六に伯父の源兵衛と帰って参りました。
 家(うち)に帰ってから四日目の事で、
〇『御免下さいまし。』
新『イヤ、是は大阪屋の旦那さまで。おさとさんも一緒かエ。よくお出(い)でなすった。』
万『新六さん、今日は改めてお礼に上がりました。』
新『イヤ、お礼なぞに来られては却って迷惑です。伯父さん。大坂屋の旦那がお出(い)でなすった。』
 源兵衛は、二階で水で汚した物を始末して居りましたが、トントンと降りて参りまして、
源『コレはよくお出(い)でになりました。』
万『伯父さんでございましたか。其の節はいろいろ御厄介になりまして、お礼を申します。早速上がらなければなりませんが、何分此の出水(でみず)の為に家も流されてしまい、親戚の元に当時厄介になって居ります身体(からだ)で、殊には娘が水を飲みましたと見えまして、どうも四五日「身体(ぐあい)が悪い。」と申して居ります。それゆえお礼に参るのも延引いたしました。就きまして、甚だ軽少でございますが、ホンのお礼の印でございます。』
 糊入れに包み水引を懸けてある物をそれへ取り出しました。新六は之を見ると、
新『折角でございますが、かような物は要りません。私はお礼を受けように言っておさとさんを助けたのではございません。是はお断り申します。伯父さん返して下さい。』
源『コレ、新六。何を言う{*5}。折角大坂屋さんが持って来た物を「取らねえ。」と言う奴があるか、貴様は取らないで済むだろうが、先方は礼をしなければ心が済まない。こういう物は取って置くのも人助けの為だ。大坂屋の旦那、どうも新六はまだ年がまいりませんから、遠慮が無くて困ります。』
万『ハイ、御尤もで。どうかお気には入りますまいが、お取り置きを願います。明日(みょうにち)あたりより手前も宅(たく)を普請いたします。家が出来ましたらば、どうかお二人揃ってお遊びに来て頂きたいもので。』
源『ハイ、有難うございます。』
万『おさと、よく新六さんにお礼を申せ。十五までは俺が育てたが、今度の出水(でみず)からは、新六さんのお影でお前は世の中に居(い)られる事が出来るのだ。よくお礼を申せ。』
さと『其の節は有難うございました。』
と、嬉し涙を流して礼を申した。
 そこで大坂屋万兵衛は帰りましたが、跡に源兵衛が、
源『新六。人から物を貰(もら)って、取らねえばかりが正直じゃない{*6}。こういう時は貰って置くものだ。年が行かねえから仕方がねえが、是からもある事。貰うべきものはもらって、遣る物は遣れ。』
と言いながら、「何をくれたか。」と、糊入れを開いて見ると、上田(じょうでん)一反、穀物屋万兵衛から新六へ宛てての売り渡し証文。つまり、娘の命を助けられた恩に報ずる為、贈られた物。場所は天神下。是は今度の出水(でみず)でも更に水害を蒙らぬ、上々の地でございます。
 源兵衛が驚いた。
源『新六、之を見ろ。田地を一反、礼に持って来た。流石に大家(たいけ)は違ったものだ、一反の田地をお前に礼にするとはえらいもんだ。百姓には金よりも大事な品。なんと新六、大した礼ではないか。』
新『妙な物を持って来ましたな。折角贈られたのですから、貰って置きましょう。』
源『一人助けて一反の田地が取れるなら、二三人助けりゃア宜(よ)かったな。』
 慾ばった奴があるもので、其の後(のち)穀物屋万兵衛の家が普請が出来まして、それへ引き移ると、是が縁になって、源兵衛に新六が度々出入りをする。其の年が暮れて翌年八月の十五日。「昨年の縁起直し。」と、土佐町の八幡様の祭礼。去年の出水(でみず)で家蔵を流したと思えば、「何の仔細もない。」と、金満家(かねもち)が金を出して立派な祭りが出来た。大阪辺りから興行師が参って観物(みせもの)を張るなぞという、大層市中が賑やかでございます。二日ばかりで此の祭礼(まつり)が終(しま)って、若い者は此の間の祭の話を自慢に吹聴する{*7}。そもそも是が間違いの出来る原因は、次席(つぎ)に申し上げます{*8}。


校訂者注
 1:底本は「何処(どこ)の寺(てら)で橦(うつ)か」。誤字誤植と見て訂正。
 2:底本は「夜(よ)はしら(かな二字の繰返し記号。濁点なし。)明(あ)け」。読みやすくする意図で修正。
 3:底本は「家財(かざい)の内(うち)目(め) しき物(もの)を」。欠字一字を補った。
 4:底本は「舟(ふね)を出(だし)て下(くだ)つたから」。欠字一字を補った。
 5:底本は「コレ新六(しんろく)何(なに)を言(い)。」。欠字一字を補った。
 6:底本は「新六(しんろく)、人(ひと)から物(もの)を貰(もら)て」。欠字一字を補った。
 7:底本は「祭礼(まつり)が終(しま)つて若(わか)い持(もの)は」。誤植と見て訂正。
 8:底本は「抑々(そも(かな二字の繰返し記号。濁点なし。))も」。「も」は衍字と見て消去。

【二】
(七之助、お里に恋慕・中川、縁談の橋渡しに立つ)

 植村出羽守は高取より土佐町へかけての領主でございます。先祖は植村新三郎。徳川譜代の大名で、高は二万五千石だが富貴な家。ここに大阪の蔵屋敷の奉行で、三百石を領(と)って高木七兵衛という者がある。中々の人物でございまして、殿様には大層用いられて居ります。倅に七之助といって、廿一になる若者がある。工面の宜(い)い高木の家に生まれ、殊には一人息子というので、大層母親があまく育てる。と、是へ屡々出入りをいたして居りますのが、高木七兵衛の下役、中川幸之助と申す者が、
幸『今日(こんにち)は御不沙汰をいたしました。お頭(かしら)、其の後(のち)はいかがでございます。』
と申したは、七兵衛病気に就いて、当時大阪蔵屋敷より家に帰って居ります。七兵衛の妻君(さいくん)元と申す者が、
元『オヤ、どなたかと存じましたら中川様でございますか。お影様で大分(だいぶ)快(よ)くなりましたが、倅が又、四五日前から臥せって居ります。』
幸『それは困りましたナ。お頭(かしら)が快(よ)くなったかと思うと、今度は若旦那が御病気は困る。早速アノ玄庵でもお呼びなすって、診察(み)ていただいたら宜(よ)ろしゅうございましょう。』
元『いエ、夫(やど)の病気を毎日のように玄庵が見舞いに参りますから診察(み)てもらいましたが、女で言う血の道のようなものだと申します。』
幸『さようで。ちょっとお見舞いいたします。』
 七之助の病間(びょうま)に入って参りました中川幸之助。
幸『若旦那。いかがでございます。』
七『コレはどなたかと思ったら中川さんですか。どうも四五日前から心持ちが悪く、打ち臥して居ります。』
幸『寐て入らっしゃるのは却って宜(よ)くない。ちっと運動にお出掛けなさい。ブラブラ遊びに参りましょう。御病中(ごびょうちゅう)のお父上が御心配なさる。歩けぬ程の大病でもございますまい。』
七『それが中々の大病。』
幸『自分の口から大病と言うようじゃア大丈夫。「死にたい。」と言う病人に死んだためしは無い。あなたは気が弱いからいけない。』
七『イヤ、全く大病。いかなる名医が診察いたし、いかなる妙薬を調剤しても、手前の病気は癒(なお)りません。』
幸『是は怪しからん。そんな理由(わけ)はありません。なぜ「名医妙薬でもあなたの病気は癒らん。」と被仰(おっしゃ)るか。』
七『手前のは、四百四病の外(ほか)で。』
幸『四百四病の外(ほか)だとは、どういう病気ですか。お話しなさい。』
七『あなたならば手前の病気は癒(なお)す事が出来るかも知れぬ。玄庵如きがいかなる薬を調合しても、よし人参で湯を沸かし、それを浴びた処で手前の病気は癒りません。あなたなら癒す事が出来る。』
幸『ヘエヘエー。妙な病気に取りつかれましたナ。私は医道は学んだ事がない。殊に御覧の通り壮健の身体(からだ)で、薬というものは孤児(みづこ)の時にまくりより外(ほか)に飲んだ事はございません。それゆえ他人(ひと)の病を癒(なお)すなんという事は、とても出来ません。』
七『イヤ、中川さん。私が真(まこと)の病気ならあなたに癒らないかも知れませんが、病の外(ほか)の病気ですから癒す事が出来ましょう。此の病気を御癒し下されば、お礼としてあなたの慾(ほ)しがる此の一竿子(いっかんし)の刀と金子を五両、失礼ですが差し上げましょう。』
幸『ヘエー。それは有り難い。全体どういう御容体。』
七『お笑い下さるな。』
幸『あなたの病気と承って、何で私が笑いましょう。』
七『それならお話をしますが、実は拙者の病気は恋病(こいやみ)でござる。』
幸『ブッー……。』
七『コレはしたり。お笑いなさるではないか。』
幸『是は笑わずに居(い)られません。病人が戯れを言われるようなら大丈夫。モー御全快だ。』
七『戯れではございません。』
幸『しからば全くの恋病(こいわずらい)。』
七『いかにも。』
幸『真実(ほんとう)に。』
七『さよう。』
幸『確かに。』
七『いかにも。』
幸『いよいよもって。』
七『さよう。』
幸『全く。』
七『勿論。』
幸『確かにいよいよ。』
七『そう御念には及びません。お疑いとあらば、手前金打(きんちょう)をして御覧に入れる。』
幸『なにも金打する程の大業(おおぎょう)な事ではございません。して、恋病(こいわずらい)と言う以上は、拙者察する処、相手は女でござろう。大地を打つ槌は外(はず)れるとも、拙者は見込んだ恋病の原因は、此方(こっち)が男ならば相手は女、此方(こっち)が女ならば相手は男でござろう。若旦那、うまく当たりましたろう。』
 人を馬鹿にした奴があるもんだ。
七『いかにも相手は一婦人(いっぷじん)、赤面の至り。』
幸『決して赤面する処はございません。伝え承るに、清水寺の清玄(せんげん)は、京極宰相の御休所(おやすみどころ)の艶なる姿に迷い、遂に堕落いたしたと申します。又岩倉谷の宗玄といえる坊主は織琴姫に迷い、寝ても覚めても姫の事を忘れず、「アー、忘れたい。忘れたい。」と申した由。そんなに忘れたければ茗荷でも喰えば宜(よろ)しかろうに、アノ坊主は日本に茗荷あるを知らぬ。アレを「茗荷知らずの坊主」と言う。名僧智識ですら、婦人に迷えば斯くの如し。況(いわん)や凡夫も凡夫も大(おお)凡夫、機械凡夫のあなたが……。』
七『マアお待ち下さい。機械凡夫は怪しからん。』
幸『して、相手は何人(なんぴと)でございますか。仰せ聞けられたい。』
七『しからば申し上げよう。』
幸『何人(なんぴと)でございます。どうもあなたは変わって居(い)るから、普通(ただ)の女ではありますまい。大方、古い草双紙の中にある女なぞを見て「是が宜(い)い。」なんと言われては、向うの相手が草双紙の絵にある女ですから、尋ねようがございません。』
七『イヤ、さような者ではございません。近所に居(お)る婦人で。』
幸『ハヽア――。一ツ当てて見ましょうかな。さよう、さようさ。あなたの目につく女は御家中(ごかちゅう)の娘で、誰だな。中村の娘。アレは本年確か十七八才、色の白い丸々と肥満(ふと)った綿細工のチンコロのような形をいたして居(お)るが、彼かな。』
七『イヤ、さような者ではござらん。』
幸『夫(そ)でなければ川崎か、但し鶴見の娘か。夫(そ)でなければ神奈川か平塚か。藤沢か小田原を越したかな。』
七『マアお待ちなさい。東海道五十三駅(つぎ)を並べられては堪らない。申し上げるからモソット傍へお寄り下さい。』
幸『宜(よろ)しい。』
七『お耳を拝借。』
幸『サア御遠慮なくお遣い下さい。ウフン、成る程。さては是は恐れ入った。』
七『と申すような次第。お判りになりましたか。』
幸『とんト判らない。』
七『是は怪しからん。あなた今お聞きになったではありませんか。』
幸『イヤ、此の右の耳はナ、昨年斎藤の為に竹刀で横面(よこめん)を打たれて、それから以来、右の耳はどうも思うように聞こえません。』
七『聞こえない耳をお出しになるのは……。』
幸『イヤ、「お貸し申すのだから悪い方が宜(よ)かろう。」と思ったが、聞こえなくッては何にもならぬ。サア今度は大丈夫。左の耳、是は受け合(あつ)てさし上げる{*1}。決して他の店で売り捌くような品は差し上げない。丸に八の字の商標にお目とめられてお使用(つかい)を願います。昨日此処に居(お)って今日此処に居(お)らんという商人(あきんど)とは違う。』
七『御冗談被仰(おっしゃ)るな。それは香具師が蚤よけを売る口上だ。宜(よろ)しいか、よくお聞き下さい。こういう訳で。お判りになりましたか。』
幸『是は怪しからん。あなたは大阪屋万兵衛の娘さとを見染めたとは、是は……。』
七『しッ。』
幸『イヤ、是は失礼。』
七『中川さん、言ってしまってから口に手を当てても間に合わない。実は先日、祭礼に招(よ)ばれて万兵衛方へ参った際に、彼の姿を見て、それから以来鬱々として心楽しまず。大方是が恋病(こいわずらい)とでも申すのでござろう。』
幸『高の知れた大阪屋万兵衛の娘。あなたより縁談を申し込めば喜んで承知いたします。先方は承知をするとした処で、此方(こっち)の御両親が不承知では困る。』
七『どうか其の事は、あなたから両親に話していただきたい。』
幸『委細心得ました。此方(こっち)の御両親の承諾を得て、大阪屋へ参って談判(かけあい)ましょう。あなたのお父上は蔵奉行。大阪屋は穀問屋。お父上の為に儲けた事があるから、先日の祭礼にもあなたをお招(よ)び申したので。宜(よろ)しい。早速大阪屋へ出懸けましょうが、ちと手前が困る事がある。と申すは、一昨年、払い米(まい)の時に大阪屋には三両借用がござる。どうもそれを持ってゆかずに参るというのはちと困るが、いずれ御返済いたしますが、御手元に三両ございますか。』
七『三両で宜(よろ)しいか。』
幸『さよう。一昨々年二両借りた事がござったが、それは返さずと宜(よ)かろう。』
七『イヤ、しからば五両お渡し申そう。返すものは返して談判していただきたい。』
幸『デござるか。しからば此の金子は手前拝借をいたす。いずれ両三日内に持参を……ハア、さようでござるか。それはお気の毒千万。しからば頂戴いたし置く……。』
 何とも向うで言わぬ内に貰ってしまう。弱身につけ込む、是を疫病神と言う。
 七之助の病間(びょうま)を出て母に対(むか)い、
幸『御新造。若旦那の御病気、悉皆(すっかり)判りました。実はこういう訳で、あなた方が「町人の娘で宜(よろ)しい」と言うのならば、手前がお橋渡しをいたす。いかがでございます。』
 言われて、元来一人子息(こ)とて、玉のように思い居(い)る倅七之助の事、母親は早速承知をした。此の事を高木七兵衛に告げました。七兵衛も大阪屋の娘さとが頗る親孝行で、心だて良き事は兼ねがね承って居(お)りますから、「此の縁談が纏まれば、倅も仕合せ、吾々老夫婦も安心が出来る。」と、是も喜んで承知をいたしました。
 ソコで愈々橋渡しが中川幸之助と決定(きま)ったが、此奴(こいつ)飽く迄狡猾な奴。七之助の母に対(むか)って、
幸『さて御新造。誠に恥じ入った事でございますが、一昨年払い米(まい)のありました時に、大阪屋には三両借用金がございます。是から懸け合いに参るにも、其の金を返さずに参るは、ちと赤面いたします。甚だ恐れ入りましたが、三両御拝借をしたいもんで。』
母『ア――、宜(よ)うございますとも。それじゃア之をお持ち遊ばせ。』
幸『有難い事で。処で御新造、此の拝借金の事は、若旦那へは御内聞に願います。余りと申せば手前が意久地の無いようで、若旦那に聞こえては赤面のいたり。どうか御内聞に……。』
 ひどい奴があるもので、両方から金を取って、「まず運動費が出来た。」と、本町の穀物問屋大阪屋万兵衛の処へ参ります。
 お話し別れて、此方(こちら)は大阪屋の娘さと。当年十六才。鄙には稀な美人で、殊に頗る親孝行。近頃新六が眼病(がんびょう)で苦しんで居(い)る事を聞き、「どうかそれを癒(なお)したい。」と一生懸命壺阪の観世音を信じて居(お)ります。
 此の新六が眼病(がんびょう)になった元は、去年の出水(でみず)の時、おさとを救わんと濁流に身を投じた其の時に、泥水が眼に入って、それから引き続いて悪い。今日(こんにち)でも隅田川なぞで水練をなさる方が、よく眼を病(わずら)います。泥水に眼をひたしては堪りません{*2}。おさとは一生懸命に「恩人の眼を癒(なお)したい。」と、神仏に祈誓をする。
 同じ娘でも鮨屋の娘とは大違い。鮨屋のおさとは三位中将維盛卿を慕い、「草めずらしい片田舎に、絵にあるような殿御のお出(い)で。雲井に近き御方に鮨屋の娘が惚れらりょうか。」と、枕を持って愚痴をならべる。親子親類縁者揃っては、聞くに堪えぬ見るに堪えぬ、猥褻極まった芝居や浄瑠璃でございます。同じおさとでも此のおさとは、特別垢(あく)抜き砂糖、一斤三十銭位。一杯五厘のアイスクリームには遣えない品物。かほどお里が苦心をしても、日増しに新六の眼が悪くなりまして、近頃では物の黒白(あいろ)も判りません。
 人間の身体(からだ)にどこがだいじだといって、眼程大事なものは無い。眼は「まなこ」と言う位、人を見て賞(ほ)めるにも、「アノ人は目鼻立ちがパラリとして居(い)る。」と言う。もっともどんな人間でも、目と鼻と一所(いっしょ)にくッついて居る奴はない。目と鼻はパラリと離れて居(い)るに違いないが、顔はいくら包んでも、目を出して居(い)れば誰という事がすぐ判る。
〇『誰だエ、其処から覗いて居(い)るのは。横町の熊の奴郎(やろう)だろう。』
 是が目だからすぐ判る。同じ顔の道具でも、鼻では判りません。
〇『誰だ、其処から鼻を出して居(い)るのは。大きな鼻だナ。弓削の道鏡でなければ円遊だろう……。』
 鼻で判るのは円遊と道鏡ばかり。デ、人間の目は二ツあって、物は逆さに映(うつっ)て真直ぐに見える{*3}。二ツあって物が一ツに見える。本来ならば、二ツの目に映て居るから二ツにみえなければならない訳。一ツの目の人でも一ツに見えません。どうも二ツあって物が一ツに見えるのはおかしい。「それなら何が為に人間に二ツ目をつけて置くか。」と、先日学者に質(たず)ねたら、「それは目の力を強くする為、二ツつけてあるのだ。」と申しました。目の力を強くするが目的なら、二ツだけの力を一ツにしたら宜(よ)さそうなもの。二ツあって一ツに見える処から考えると、片目の人が真人間で、二ツある吾々は不具者(かたわ)、或は贅沢者かも知れない。此の事を医者に聞くと、「二ツあって一ツに見えるのは、微妙なる神経の作用だ。」と謂う。此の「微妙なる神経」という言葉がどういう訳かと聞いても、答える人は少ない。高尚なような曖昧な言葉だ。なんと諸君、講釈師にもえらい学者があるでしょう。此の位、目の事を委しく知って居(い)る者は余りない。浪花節と違う処はここにある……、自慢をする程えらくもないが。
万『是は中川さん、よく入らっしゃいました。』
幸『どうも御無沙汰をいたした。少々今日はお話し申したい事があって参ったが。』
万『何の御用でございますか。』
幸『時に娘はどうした。』
万『宅(たく)に居ります。』
幸『何才(いくつ)になったかナ。』
万『本年十六でございます。』
幸『早速話をするが、お前達の喜ぶ事がある。と申すは、お前も知って居(い)る、蔵奉行の高木七兵衛様だが、其の御子息の七之助様、先達て祭礼(まつり)の時にお前の処へ参って馳走になった由。』
万『ヘエヘエ。存じて居ります。』
幸『アノ方が、お前の娘のおさとを見染めて「どうか女房(かない)にしたい。」と申すのだ。勿論武家が町人の娘を公然(おもてむき)女房(かない)には出来ないから、仮親(かりおや)をこしらえて、嫁にもらうのであろう{*4}。ご両親も「アノ孝行な娘が倅の嫁になれば誠に有難い。どうか周旋(せわ)をしてくれ。」と拙者にお頼みになったから、今日(こんにち)参ったが、どうだろう。さとを高木様の処へ遣らんか。お前も親類になって是から先、商売都合も宜(よ)かろうと思うが。』
万『有難い事で。高木の若旦那はお何才(いくつ)でございます。』
幸『本年廿一才、顔も悪い方ではない。アレならば、さとを遣わした処で、恥ずかしくはあるまいと思う。』
万『結構でございますが、一応娘に申し聞かせました上で御挨拶をいたします。両三日御猶予を願います。』
幸『委細承知した。それでは明後日迄に返答してもらいたい。拙者が聞きに参るから。』
万『畏まりました。』
 是から御馳走をして中川幸之助を帰しました。
 高木の倅七之助は、「どういう先方で返答をしたか。」と待って居りまする処へ、中川が返って来た。
七『イヤ、是は中川殿。大きに御苦労でござった。先方は何と申しました。』
幸『さよう。』
と言ったが考えた。明後日返答を聞きにゆくのであるから、今の処は雨か風か判りませんが、「十中の八九大丈夫。纏まる。」と思いますから、「是は七之助を喜ばして、五両の金に一竿子(いっかんし)忠綱の刀を貰って置く方が宜(よ)かろう。」と、飽く迄も狡猾な中川幸之助{*5}。
幸『イヤ、若旦那お喜びなさい。大阪屋も大層喜んで、「こんな結構な縁談は二度と再びかかるまい。娘の出世である。有難い事だ。」と、夫婦二人は嬉し涙を流して喜びました。ソコデ拙者もお口入をいたした甲斐があるから、あなたに一刻も早く此の色宜(よ)い返事を申し上げようと存じて……』
七『それは千万忝い。おさとも承知をいたしましたか。』
幸『エー、大阪屋夫婦は「誠に良縁だ。」と申して喜んで居ります。』
七『イエ、拙者はおさとを妻にいたすので、大阪屋夫婦を引き取るんではない。当人は何と申して居りましたか、それを承りたい。』
幸『それは勿論……』
と言ったが、おさとの返事はまだわからない。しかしここは曖昧にゴマカシて置く方が利益だと考えて、
幸『大阪屋夫婦がおさとを招(よ)んで聞きました処、何分本年僅かに十六才の処女(おぼこ)の事とて、遂に返答はいたしません。顔に紅葉(もみじ)をちらし、畳のけばを摘(むし)って、袂の先で「の」の字を書いて居ります。「め」の字なら薬師様へ納めますが、「の」の字では是を蛇の目の紋と見たって、清正公様へ納めるより他に持ってゆき処がない。』
七『何も額の話を聞いて居(い)るのではござらん。おさとは何と答えたか。』
幸『十中の八九大丈夫。しかし念の為であるから明後日、拙者が今一度参って質(たず)ねて見ましょう。』
七『それは忝い。多分宜(よろ)しいようですか。』
幸『多分どころではござらん、まるでと宜(よろ)しい。受け合って此の縁談は纏まります。』
七『いろいろ御尽力下すって忝い。かねてお約束したお骨折りのお礼として、一竿子(いっかんし)の一刀と金子五両……』
幸『それは千万忝い。折角のお志、頂戴仕る。』
七『イヤ、是は誤りもござるまいが、明後日の返答によって其許(そこもと)にお渡し申そう。それまでは確かに拙者がお預かり申した。』
幸『ハア、是は少し驚いた。』
 中々先方(むこう)も狡猾で、迂闊(うか)とは渡さない。
七『処で中川氏。成るべく輿入れは早い方がよろしい。あなたがお出(い)でになった跡で暦を調べましたが、どうも当月は吉(よ)い日がない。そこで隣家から暦を借りて調べましたが、是にも当月は吉(よ)い日がない。』
幸『是は御冗談ばッかり。暦は何処の暦でも同じ事。御当家のと隣家のと異(かわ)りはない。』
七『どうか此の上とも何分お願い申し上げます。』
 それより七之助の両親にも、「明後日になれば判る。」という事を告げて、中川幸之助は立ち帰りました。次はいかがに相成りましょうか、明晩。

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校訂者注
 1:底本は「是は受け合(あわ)てさし上げる。」。誤植と見て訂正。
 2:底本は「泥水(どろみづ)に眼(め)をしたしては」。読みやすくする意図で修正。
 3:底本は「物(もの)は逆(さか)さに映(うつ)て」。脱字と見て一字補った。
 4:底本は「武家(ぶけ)が数人(すうにん)の娘(むすめ)を」。誤植と見て訂正。
 5:底本は「明後日(めうごにち)返答(へんとう)を聞(き)くにゆく」。誤植と見て訂正。

【三】
(お里、縁談を断る お里と新六の祝言 新六、鍼医沢市となる お里、新六の眼病治療を志す)

 婚姻は人一代の大礼。妻にしろ夫にしろ、撰(えら)み損じると一生の不作。「冠婚祭は人間の大礼。」と申しまして、町人でも白無垢を着るのを許されるは、階級の六ヶ敷(むずかしい)徳川時代でも、元服に婚礼葬式なぞでございます。
 西洋では三年も四年もお互いに気心を知った後(のち)に夫婦になる。一定の財産が無ければ法律で結婚を許しません。夫婦になるとすぐに旅へ参りますが、アレハ誠に宜(よ)い事で、西を見ても東を見ても知らぬ他国。自然と二人の愛情が濃(こま)やかになります。英吉利ならば日本へ遊びに行くとか、亜米利加なればパリーへでも行くとか。日本人も近頃は大分、新婚旅行をいたします。夫婦そろって欧米を見物に出掛ける。其の一段下がった処で、朝鮮から満州に遊びにゆくとか、其の一段下がった処で、夏期(なつ)ならば有馬の湯治から須磨・明石を見物して、帰りに京大阪を廻って来るとか、其の一段下がった処で箱根へ行くとか、愈々下がった処で深川富川町(ちょう)の木賃宿へ泊って、翌日(あくるひ)馬肉のカツレツを喰って帰るなぞという事がございます。
 昔時(むかし)は「親の許さぬ不義いたずら」と申して、娘でも倅でも、自由結婚をすると不義の汚名を被(き)たもの。「親の許したものを嫌うのは不孝である」なぞと申します。「十人寄れば気は十色(といろ)。」親の眼識(めがね)に叶っても、子の眼識(めがね)に叶はぬ上は、婚礼を無理にさせるという訳にはゆかない。「言い交した男にすまぬ。」と言って、婚礼の晩に逃げ出す娘なぞがある。出入りの者は手を八方にわけ、之を探すなぞという大騒ぎ。婿も義理で探しに出る。古い川柳に
   『礼々と追手の中に婿の顔』
こうなっては困ります。
 大阪屋万兵衛夫婦は娘の縁談について大層喜び、早速おさとを呼びよせ、
万『婆さん、こういう事は女の役だ。お前からおさとに話をしておくれ。』
母『おさとや。お前、モー子供ではないから、よく今妾(わたし)の言う事を聞いて返事をしておくれ。実は先刻(さっき)中川さんがお出(い)でなすって、蔵奉行の高木様の若旦那七之助様が「お前を女房(よめ)に欲しい。」と被仰(おっしゃ)るのだが、高木様は三百石お領(と)んなすって御内福ではあるし、若旦那は今年廿一、此の間祭礼にお出(い)でなすって、お前も見て知って居(い)るだろう。誠に柔(やさ)しいお方。それに御両親も柔和(やわらか)な方だから、何も辛い事はあるまいし、こんな宜(い)い縁談は又と来る気遣いもない。「葉桜になるまで知らぬむこ撰(えらみ)」という古い句があるが、男と違って女は年頃を外すと出世が出来ない。是は取り極めた方が宜(よ)かろうと思うが、お前どうお思いだエ。』
 聞かれておさとが何も言わず下俯向(したうつむ)いて考えて居ります。親父万兵衛、此の様子を見て、
万『何を考えて居(い)る。考える処はあるまい。吹けば飛ぶような町人の娘を蔵奉行の高木様から貰いに来た。それも妾(めかけ)・てかけというじゃアなし、「御新造・奥様にしよう。」と言う。こんな結構な縁談はお前一代に此の後ともあるまい。いかに「女にすたりが無い。」と言いながら、年頃をはずすと、今婆(ば)アさんの言った通り出世はできない。黙って居(い)るのは不承知か。親の言い付けを背くか。』
さと『ハイ。妾(わたし)は高木様へ参るのは不承知でございます。』
万『なに、高木へ行くのは不承知だ。それは又どういう理由(わけ)だ。若旦那が気に入らぬか。但し先方(むこう)の身分が気に入らねえか。』
さと『どういたしまして。勿体ない。』
万『それじゃア何で高木様へゆくのを「否(いや)だ。」と言うのだ。』
さと『それなら阿父(おとっ)さん、お話を申します。妾(わたし)が高木様へ参るのを否(いや)だと申しますのは、去年の八月、アノ出水(でみず)の時、既に死のうとした処を新六さんに助けられ、妾(わたし)は危うい命を取りとめましたが、お気の毒なのは新六さん。アノ時濁った水が目に入って、それから此の方眼病にかかり、当時では物の黒白(あいろ)も判らぬとの事。其の元は妾(わたし)でございます。「どうか生涯の夫とするは、新六さんより他には無い。」と、覚悟いたして居ります。眼の不自由なアノ方の傍に従(つ)いて、命を助けられた御恩報じ。末永く御世話をしたいと思います。アノ去年の出水(でみず)に新六さんが助けて下すった時に、阿父(おとっ)さんは何と被仰(おっしゃ)いました{*1}。「十五までは俺の子であったが、今度の出水(でみず)からは新六さんのお影で、お前は此の世の中に居られるのだ。」と被仰(おっしゃ)いましたろう。其の恩人の新六さんの御介抱をして、一生終わりたいのが妾(わたし)のお願い。どうぞ此の縁談は断って下さいまし。』
 キッパリ言われて大阪屋万兵衛、妻のおなをと顔を見合わせたが、
万『ウーン。それで此の縁談を断るのか。』
さと『ハイ。』
 此の時に万兵衛が思わずホロホロと涙を流し、
万『イヤ、お里。それが真実なら、お前は大層なものだ。親に勝る子というものは世間に少ないものだ。けれどもお前は親に立ちまさった立派な人間。命を助けてくれた恩人が盲目(めくら)になったら、其の人を介抱をして生涯を終わりたいとは美しい心懸け。お前の心にくらべると、此の万兵衛の胆肝(きもたま)は雪と墨ほど違う。実にお前に恥ずかしい{*2}。「向うは三百石領(りょう)の蔵奉行の御子息。お前を縁付(かたづ)けて置けば、何かにつけて利益があるだろう。」と、町人のさむしい了見から、此の縁談をまとめようとして。イヤ、恐れ入った。早速中川さんがお出(い)でになり次第、断るとしよう。是が、高木様より御身分のある処へ縁付(かたづ)く為に断ったら悪かろうが、水飲み百姓の、しかも盲目(めくら)の新六の処へ縁付(かたづ)けると言うのだから、慾に眼が眩(くら)んでした事とは先方でも思うまい。イヤ、泣くな、泣くな。親恥ずかしい立派な心。婆さん、どうもお前と俺の子にしちゃア、ちっと出来すぎた娘(こ)が出来た。』
母『すべて子というものはネ、女親の了見に似るものだと言うから、結局(つまり)妾(わたし)が心立てが善(い)いから、こういう娘が出来ました。』
万『此の婆ア、すぐに自慢を言いやアがる。畑がよくッたって、種が悪ければ仕方がない。俺の種なぞは、農商務省試験済、特別製の種だ。何しても、娘は大層な心懸けだ。それに就いて、新六の伯父さんを招(よ)んで、一ツ相談をして見なければならない。』
 とんだ事から縁談が纏まるもの。「若鮎やつらぬ柳にはねてゆき」という句がございます。世の中の事、とかく反対に出たがるもの。すぐに新六の伯父の源兵衛を招(よ)んで、縁談を申し込む。源兵衛は、「夢ではないか。」と驚いた。すぐに此の事を新六に告げまして、「善は急げ。」九月の十五日を以て婚礼当日と定めた。
 こういう事とは知らず、中一日過(た)って、吉左右(きっそう)を聞きに参った中川幸之助。
幸{*3}『万兵衛。娘は不承知はあるまいナ。先方も大層お喜びなすって、御病気であった若旦那が、すぐに床を離れて飯を喰うというような勢いになった。どうだ。娘は何と申した。定めし喜んだろう。』
万『処が誠にお気の毒様。』
幸『何がお気の毒さまだ。』
万『娘も定めし喜ぶ事と存じまして、あなたがお帰りになって間もなく、だんだん話しました処、「どうか此の縁談は断ってもらいたい。」と申します。本来「親類に苦情があります。」とか「御籤(おみくじ)が悪い。」とか言って、お断り申すんでございますが、そんな古い事を言った処で仕方がございません。肝心な娘が不承知では、とても此の縁談は纏まりません。お断りを申します。』
幸『是は驚いた。他に驚く事はないが、一竿子(いっかんし)に五両、損をしてしまった。』
万『それはお気の毒さま。』
幸『何で断る。只「厭だ。」と言うのではあるまい。「こういう訳だから断る。」という、確かな処を申して貰いたい。』
万『ヘエ。』
幸『又当人が厭と申しても、親の威光で纏められぬ事はあるまい。』
万『イエ、私は娘のモー親ではございません。』
幸『なに――、おさとの貴様は親ではないとは、それはどういう訳だ。』
万『実は去年の出水(でみず)に既におさとが死ぬ処を、此の土佐町の下(しも)に居ります百姓の新六が助けました。其の者がおさとを助けた時に、濁り水が眼に入って、それから後(のち)眼病となり、トウトウ只今では盲目(めくら)になりました。其の節私が「十五までは俺が育てたが、是から先世の中に居(い)られるのは、新六さんのお影だ。」と申しましたから、おさとはモー私の子ではございません。娘も「自分を助ける為に盲目(めくら)になった新六を、其の儘にはして置けぬ。アノ人の女房になって、生涯介抱したい。」と申します。どうか高木様へ御立腹の無いよう、宜(よろ)しくお断りを願います。』
幸『全くか。』
万『何しに偽りを申しましょう。』
幸『随分貴様の娘は変わって居(い)るな。』
万『どうも仕方がございません。』
幸『コレ、万兵衛。断るに都合が悪いから、そんな口実を設けて、一旦此処をだまして、娘を金満家(かねもち)の処へ、妾(めかけ)奉公にでも出すのでは無いか{*4}。もしそういう事があると、其の分にはすて置かんぞ。』
万『決して偽りではございません。昨日結納が済みまして、明日十五日が吉日(きちにち)でございますから、おさとを遣わす事になりました。誠にお気の毒さま。さようなら。』
幸『コレコレ、「さようなら。」は此方(こちら)で申す言葉だ。どうも困ったナ、是は。こうと判って居(お)れば、最初に手金を取るんじゃアなかったが、どうも仕方がない。デワ、先方には何とか申して置こう。』
と中川幸之助、失望して高木七兵衛の処へ参りました。
 「今日はいよいよ纏まる。」と思うから、七之助は父の前に母と二人で控え、父七兵衛も身体(からだ)も快(よ)くなりましたから、「中川が来たら一口飲ませて先方の返事を聞こう。」と、酒肴(さけさかな)を取り揃えて待って居る。
女『中川さんがお出(い)ででございます。』
父『是は是は中川。大きに太儀であった。倅もナ、是(これ)へ疾(と)くに参って、お前の帰りを待って居った。ハア、何は無くとも今日は芽出度い日だ{*5}。一口飲んでもらいたい。』
幸『有難い事で。』
とは言ったが、どうも此の事を言い出すのが気まりが悪い。「大丈夫、大丈夫。」と最初受け合ったのだ。今更「先方が不承知。」とは言えない。といって、秘(かく)して置く訳にはゆかず、頻りに考えて居ります。
 七兵衛親子は知らぬから、
父『何と申したナ、先方は。』
幸『どうも利害を知らぬ奴は仕方の無いもので、町人は困りますナ。』
父『何と申した。』
幸『イヤ、お話するも馬鹿馬鹿しい。実は十中の八九と申し上げたいが、十の物なら十二まで大丈夫だと思った此の縁談が、破談になりました。』
 之を聞くと、一番驚いたのは七之助。「ウーン。」と呻吟(うな)り始めた。七兵衛も些か意外の思いをして、
父『何故破談に相成った。拙者の身分が気に入らぬか。但し倅が気に入らぬか。』
幸『イヤ、それが馬鹿々々しい話で、去年の出水(でみず)の時、水に溺れておさとが死なんとした時に、新六という百姓が助けました。それが、其の節濁水が目に入って盲目(めくら)になりました。「自分故盲目(めくら)になった新六故、同じ人の妻になるなら其の人の妻になりたい。」と、こう申して居(い)るそうで、何と馬鹿な女ではございませんか。「名を取るより徳を取れ。」の今日(こんにち)、生涯連れ添う夫に盲目(めくら)を撰(えら)むとは、何事でしょう。アノ女は馬鹿ですナ。呆れて物が言えません。しかし破談になった言い訳を私がするようですが、アンナ馬鹿な女はおよしなさい。実に何とも言うべき言葉もございません。呆れた奴で。』
父『ウーン。感心な者だナ。そう聞く上は、尚更倅の嫁にほしい。えらい者だ。』
幸『ちっともえらくはございません。馬鹿女で。』
父『イヤ、そうでない。年頃な娘が当家を嫌って、命の恩人であるから盲目の新六を生涯の夫に定めるとは、見上げた心懸け。七之助、此の縁談は言わぬ昔時(むかし)と呆(あきら)めろ。実に万兵衛は良い子をもって幸福(しあわせ)だ。イヤ、中川。いろいろ世話になって忝い。』
 礼を言うて、之から御馳走をいたしました。流石に高木七兵衛は、おさとの志に感心して大層之を賞(ほ)めた。失望したのは七之助。己が盲目(めくら)に見かえられたのだから、口惜(くや)しくって寝ても眠(ね)られない。
 スルと此方(こちら)は大阪屋万兵衛。九月十五日に立派な支度で娘のおさとを新六の元へ遣わしました。時におさとが十六、新六が十九。伯父の源兵衛は大層喜んで、「過ぎさった新六の両親新兵衛夫婦が生きて居たら、さぞ喜ぶ事だろう。それについて、芽出度いには違いないが、新六が盲目(めくら)になったのが気の毒だ。婚礼の当夜、今宵を晴(はれ)と着飾った美しいおさとの姿を、見る事も出来ないとは実に不愍な者だ。」と思うと、先立つものは涙のみ。
 若夫婦は頗る仲睦まじく、新六は盲目の事でございますから、鋤鍬を取って百姓は出来ない{*6}。高取に三田村春庵という鍼医がございまして、是が植村家へ出入(はい)って、名人と言われた者。其の人に従(つ)いて新六、揉療治なぞを学び、傍ら生田流の琴を学びました。琴の方は自分が好きで習ったので、鍼術(しんじゅつ)は三年目にようよう師匠から免(ゆる)しを受けました。デ、今では土佐町で鍼医となる。此の間に伯父の源兵衛が病死をし、引き続いておさとの実家・大阪屋万兵衛が相場で損をして、身代を潰す。之を気病(きやみ)にして冥途の客。続いて母も没しました。
 サア、おさとが困ったは、今までは不足(たらぬ)処は実家から貰ったが、こうなると夫新六、当時鍼医の沢市。此の人の稼ぎと僅かな田地の上(あが)り高で生活(くらし)を立てなければならぬ。それも実家が分散をする時、沢市所持の田地も売って、残るは僅かなもの。小作に任して置いては、思うように収入(みいり)がございませんから、おさとが自ら鋤鍬を取って田に出るような始末。しかし、是を辛いとも思わず、一心不乱に稼いで居ります。
さと『沢市さん、お帰りかエ。』
沢『今帰って来た。モー何時(どき)だろう』
さと『モー日が暮れましたヨ。』
沢『アーそうか。秋の日は短いなア。』
と言いながら、ホロリと涙を流した。
さと『沢市さん。お前さん、何で涙を流しなさる。』
沢『イヤ、涙じゃアない。』
さと『確かに妾(わたし)は涙と見た。世には嬉し涙という事があるが、今の身分で嬉し涙の出る訳はない。何でお前さん、涙を流したか。妾(わたし)に話して下さい。』
沢『おさと。それじゃあ言うが、「お前は高取から土佐町へかけて分限と言われた大坂屋の娘。それが私のような盲目(めくら)の元へ嫁付(かたづ)いて、慣れぬ百姓業(わざ)をし、人は物見遊山に行く時も、俺のような不具者(かたわもの)の面倒を見て、こんなはかない生活(くらし)をして居(い)るか。」と思うと、実に気の毒になって涙が出る。』
さと『何の沢市さん、そんな事に遠慮は無い。お前の眼の見えないのは、妾(わたし)は承知で来たのだから、悲しい事も辛い事もありません。そんな事を思って身体(からだ)を悪くするといけないから、気をしっかりもっておくんなさい。それにお前さんの眼も、生まれつきの盲目(めくら)ではないのだから、名医にかかって手当をしたら、元の通りになる事もございましょう。』
沢『イヤ、其の事でお前にちょっと話そうと思ったが、大阪の八軒家(はちけんや)に、松並良山という大層な眼医者があるそうだ。其の人にかかって眼の開いた者が二三人あると、今日療治に往った伊勢屋の旦那が話をなすった。どうか其処へ往(い)って療治をして見たいと思うが、先に立つのは金だ。アー。貧は諸道の妨げ。』
と言いつつ、ゴロリと横になって手枕をした沢市。泣き顔をおさとに見せじと、手拭を顔に当てる。夫の言葉を聞く度に、胸に釘を刺されるような心持ち。貞節なおさとが、何とかして金を都合をいたして、沢市の眼を癒(なお)さん、と思う処へつけ込む悪党ども。ここにおさとが大難にかかるというは、次席に申し上げます。

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校訂者注
 1:底本は「時(とき)に附父(おとつ)さんは」。誤字誤植と見て訂正。
 2:底本は「実(じつ)にお前(まへ) 恥(はづか)しひ」。カスレ一字を補った。
 3:底本は「万『万兵衛(まんべゑ)、」。誤植と見て訂正。
 4:底本は「一旦(いつたん)此処(こゝ)をだたまして」。「た」は衍字と見て消去。
 5:底本は「ハア何(なに)は無(な)くども」。誤植と見て訂正。
 6:底本は「頗(すこぶ)る仲睦(なかむつま)しく」。読みやすくする意図で修正。

【四】
(お里、伝九郎に騙される 七之助と伝九郎の悪計 偽の証文 お里と沢市の別れ)

 新六の妻おさとは、何とかして夫の眼病を癒(なお)したいけれども、療治をするにも先立つは金、今の身分では一両の融通も付かない。「どうしたものか。」と思案にくれましたが、ふと思い出したは、この高取の在に柏木村の百姓与作は父の義理ある弟。此の者に話して金子調達なさんと、新六の前は「神詣り。」と申して宅を出ました。ちょうど町の外れ、松並木迄かかると、向うから参りましたは、此の町の遊び人・伝九郎という奴。かねて新六の叔父の源兵衛と懇意な仲。自然、おさとを知って居ります。
伝『おさとさん、何処へ御出(い)でなさる。』
さと『柏木村まで用があって参ります。』
伝『そうですか。大層顔色が悪いが、感冒(かぜ)でもひきなすったか。』
さと『ハイ。』
伝『イヤサ、おさとさん。どうも私(わっし)の見た処では、言うに言われない心配があるようだ。お前さんの御亭主新六さんの伯父さんとは、子供の内から友達であるし、先方(むこう)は堅気な百姓になり、此方(こっち)は金兵衛親分から盃を貰って博奕打ちとなり、稼業が雪と墨程違うから、其の後無沙汰がちに過ごしましたが、お前さんの阿父(おとっ)さん大阪屋の旦那にも、世話になった事がある。して見れば知らねエ仲じゃアねエ。何か心配があるなら、相談相手になろうじゃアございませんか。モー私(わっし)も是五十だ。今迄した事を考えれば考える程恐ろしくなった。壺皿を握った手に、御覧なさい。此の通り、珠数を持って、今寺詣りをした帰りだ。悪党も仏いじりをするようでは往生でございます。』
さと『御親切に御尋ね下さいまして有難う存じます。実は夫の眼病の手当てをいたす為に、柏木村の親類へ参りまして、お金を借りようと思って是迄参りました。』
伝『何かエ、新六さんの眼病を癒(なお)す為。成程、アレは生来(うまれつき)の盲目(めくら)でないから、手当をしたら癒らない事もありますまい。全体、何処の医者を頼みなさる。』
さと『大阪の八軒屋に眼科のお医者で松波良山という先生が、大層な名人だと承りました。是へ遣って、療治をさせようと思います。』
伝『成程。しかしこいつは入費がかかる。新六さんの介抱人にお前さんが従(つ)いて、旅籠飯(はたごめし)を喰ってお医者様に通って居た節(ひ)にゃア、少しばかりの金じゃア中々十分な手当は出来ねエ。こう申しては失礼だが、お前さんの実家は潰れてしまい、新六さんも貯えがある方じゃアなし。ソコデ柏木村の親類へ金算段にお前さんがお出(い)でなさると言うが、先が有り余る身代なら知らねえ事、ようよう其の日を送って居(い)る百姓。お前さんの為には大切な新六さんだろうが、御親類の為には別段大切な人でもあるめエ。ソコへお前さんが出懸けて往(い)って「金を貸してくれろ。」と言った処で、二朱や一分は貸すだろうが、大阪へ二人を遣って宿屋に泊まって医者に通わせる程の金は貸すめエと思う。おさとさん、コリャアお止(よ)しなすった方が宜(よ)かろう。修羅を燃やして帰るだけ、つまらねエと思う。』
 言われておさとも、「成程、伝九郎の言う通り。遠縁の与作、纏まったお金は貸してはくれまい。早くこうと知ったなら、出て来るのではなかった。」と、頻りに考えて居ります。
 容子を見て取る伝九郎、
伝『おさとさん。全体いくら金があったら新六さんの療治が出来ます。』
さと『十両もございましたら。』
伝『十両。お前さんは大家(たいけ)に育って金の有難味を知りますまいが、一両は判金(ばんがね)と言い、十両は大金と言う。どうして百姓が十両、容易な事で出すものじゃアございません。田地を質に入れて金を借りるにした処で、モー十両となれば、組頭の二人も判を押して、名主立ち合いでなければ貸人(かして)がございません。しかし、お前さんの貞女に私(わっし)も感心した。どうです。奉公して、十両でも廿両でも入り用だけの金を借りたら、どうでございます。』
さと『ハイ。アノ、奉公と申しますと。』
伝『一口に奉公と言うが、是にも種々(いろいろ)あります。何も女郎になれと言うのじゃアございません。此の奈良の天蓋に桜屋という料理茶屋があって、其処の亭主と私(わっし)は昔の博奕友達。是は今では料理屋の主人(あるじ)で、元道楽者だけ人の思いやりもあり、中々判った人物です。此の間、私(わっし)が奈良へ遊びに往(い)った帰りに、桜屋に寄って昔話をした末に、酌女を一人頼まれました。「年が若くって容貌(きりょう)が美(よ)く、人応対の宜(よ)いものがあったら、少し位金は多(は)っても抱えたい。」と、こう言って居りました。「諸方の料理茶屋を飛んで歩いた渡り者は、少し尻が暖(あった)まると出て往(い)ってしまい、貸した金を踏み倒される。どうか『堅気でこういう奉公をしたい。』と言う者が慾しい。」との事だ。というのは、桜屋が馬鹿に堅い茶屋で、お客が女中に悪戯(ふざ)けをすれば、亭主が出て来てお客に小言を言う位なのです。質朴(いっこく)者で桜屋の主人(あるじ)が通って居ります。是へ奉公したら、十両や十五両の金は無理に頼んで借りて上げましょう。なアに、金せーありゃア、お前さんが従(つ)いて居なくっても、新六さんの療治は充分出来ます{*1}。』
さと『御親切に有難う存じます。それでは新六に相談いたしまして、いずれ明日(みょうにち)にもあなたのお宅へ御挨拶に参ります。』
伝『善は急げ。こういう事は早い方が宜(い)い。桜屋に女中が這入ってしまうと、お前さんの世話が出来なくなる。すぐ帰って新六さんに話して、明日(あした)の朝、返事を聞かして下さい。』
さと『それではそういう事に願いましょう。』
伝『用が済んだら早く御帰んなさい。新六さんが待って居ましょう。何しろ中年で盲目(めくら)になったから、さぞお前さんが骨が折れるだろう。じゃア明日(あした)御目にかかります。』
さと『それでは御免遊ばせ。』
と、二三間(けん)往(ゆ)くを呼び止めた伝九郎。
伝『モシモシ、おさとさん。私(わっし)の家(うち)を知ってるネ。』
さと『ハイ。存じて居ります。』
伝『それから新六さんによくそう言って下さい。「以前(むかし)の伝九郎とは伝九郎が違った。此の通り珠数を持って寺詣りをする程耄碌をした。親切で世話をするんだ。決して野心があってするのじゃない。心配をしなさるな。」と、よく話しておくんなさい。宜(よ)うございますかエ。ヘエ、さようなら。』
 おさとの姿を見送る後(うしろ)の松影よりヌッと出たは、植村の家来、蔵奉行を勤める高木七兵衛の倅七之助。
七『伝九郎か。』
伝『コレは高木の若旦那。今の話をお聞きなさいましたか。』
七『イヤ、委細は此の松影で聞いた。流石は悪党。うまいものだナ。』
伝『ヘヽヽ。賞(ほ)められるんだか悪く言われるんだか判りません。かねてあなたに頼まれたおさとの一件。「普通(あたりまえ)じゃアとてもあなたの言う事をきくめエ。」と思い、先方(さき)が困って居(い)るのが幸い。茶屋奉公と欺(だま)して引き出し、あなたの思いを晴らさせようと、婆アさんの持った珠数を道具に、是から新六の処へ出懸けて往(ゆ)こうという処へ、アノおさとと出会ったのが運の尽き。七年前に郡奉行に引き立てられ、石を抱いた其の時に流した涙を、久しぶりで今日出して、アノ女を欺(だま)しました。しかし若旦那。是ほど骨を折る伝九郎に、いくらか褒美の手付をくれても宜(よ)うございましょう。』
七『イヤ、恐れ入った。サア、手を出せ。コレコレ、両手を出すには及ばん。片手で宜(よろ)しい。』
伝『貰う物なら夏も小袖。全体いくら下さいます。』
七『黙って之を取って置け。』
伝『ヘヽヽヽ。是やア二両でございますネ。』
七『事成就いたせば、約束通り十両は遣わす。』
伝『有難うございます。』
七『処で伝九郎。是から先どういうようにして、おさとを連れ出す。』
伝『細工は流々、仕上げを御覧(ごろう)じろ。ちょっと若旦那、お耳を。』
七『ウフン。成程、さようか。』
伝『お宅へ連れて往(い)って宜(よ)うございますか。』
七『宜(よろ)しい。父は大阪へ出張して留守。母も四五日前から大阪へ参って是も不在。跡は若党の佐平次に僕ばかり。別に心配な者はない。』
伝『宜(よ)うございます。それじゃア遅くも明後日(あさって)の晩までに、きっと玉をお届け申します。』
七『どうか頼む。』
 悪い奴があるもので、伝九郎が頼まれて居た処へおさとが相談したのですから、間違いの出来る訳。伝九郎は我が家(や)に帰り、女房のお亀に此の話をした。「鬼の女房に鬼神。」とやら。此のお亀が、旅から旅を股にかけた悪婆(あくば)の果て。男出入りで額に受けた疵から「三日月お亀」と異名を取った毒婦。「相手は蔵奉行の高木の倅。ここの十両は安いが、一旦此の悪事を押さえて置けば、金が入り用のある度毎に七之助をゆたぶれば、小遣銭(ぜに)に不自由はない。高取町の高木という家(うち)に金の成る木の芽生(めばえ)を植えたも同じ事。大分運が向いて来た。」と、夫婦は前祝いに一杯呑んで寝に就きました。
 翌朝早く起きて食事も済み、「モーおさとが来そうなものだ。」と話して居(い)る処へ、
さと『御免下さいまし。』
伝『ハイ。イヤ、是は誰かと思ったら、おさとさんでございましたか。阿母(おっか)ア、おさとさんが来たよ。』
かめ『オヤマア、よくお出(い)ででございました。どうか此方(こちら)へ……イエ、家(うち)の人から万事は聞きましたが、真実(ほんとう)に貴嬢(あなた)は貞女だねエ。新六さんの目を癒(なお)したいというので、大層御苦労なさるとの事。お気の毒さまでございますネ。』
伝『オー、阿母(おっか)ア。余計な事をベラベラしゃべりなさんナ。おさとさん、新六さんは何と言いましたエ。』
さと『いろいろと昨日も相談をいたしました処、一時不承知を申しましたが、段々と話を致しましたら、ようやく承知を致しました。』
伝『さようですか。堅気は茶屋奉公というと驚くから、どうかと思って、今朝も阿母(おっか)アと其の話をして居りました。処で、是からすぐ私(わっし)は奈良へ往(い)って、桜屋へ懸け合って金を借りて参ります。明日(あした)の朝、お金は私が証文と引き替えに、お前さんのお宅へ御届け申します。マア今日はゆっくり此処に遊んでお在(い)でなさいまし。そうでございますかエ。「病人があってそれが気になる。早く帰りたい。」御最もな事だ。それでは明日(あした)お目にかかります。』
 万事親切に受け合ってくれたので、詐(だま)されるとはすこしも知らず、おさとは喜んで帰る。
 すぐと伝九郎は高木の処へ出て参りました。七之助は待ち兼ねて居ります。
七『オー、伝九郎。どうした。』
伝『エー、おさとが参りました。明日(あした)証文と引き換えに金を渡す事にしましょう。どうか十五両出しなすって下さいまし。』
七『さようか。佐平次。ちょっと其処にある手文庫を持って参れ……デワ十五両。』
伝『確かに受け取りました。』
七『ソコデ、おさとはいつ連れて来る。』
伝『明日(あした)日が暮れると、此方(こっち)へ連れ込んで参ります。』
七『なるべく早い方が宜(い)いナ。』
伝『イエ、それがそういきません。と言うは、昼間此方(こっち)へ連れて来れば、おさとに判ります。夜なら駕(かご)の垂(たれ)を下ろして、殊に暗夜(やみ)だし、駕(かご)屋は此方(こっち)の同類。胡摩化してお宅へ連れて参ります。どうか其のつもりでお在(い)でなすって下さい。』
七『さようか。どうか頼む。』
 伝九郎は十五両の金を持って帰って参りました。翌日新六の処へ参って其の金を渡した{*2}。
 新六は、心に済まぬ事であるが、「たっておさとが、茶屋奉公をしても自分の目を癒(なお)したいという親切。それを無にするも気の毒。目さえ癒れば必死に稼いで十五両の借財を払い、おさとを連れて帰る事も出来よう。殊に、女郎になるとは違い、料理屋の酌女。おさとが操を汚す事もあるまい。」と、こう思って承知を致しました。
伝『じゃア新六さん。十五両、お前さんに渡す。処で、証文を入れてもらわなければならぬ。お前さんは目が悪いから書けまいと思って、此方(こっち)で証文は拵えて来た。どうか是へ判を押してもらいたい。それからおさとさんの爪印が入り用だ。なに、読むにやア及ばねエ。大抵判って居(い)る。只「二年奉公する。」というだけの文句だ。心配な事はねエ。』
沢『ハイ。それじゃアおさと、ちょいと判を出して。』
さと『どこへ判を捺します。』
伝『ここへ名前が書いてあるから、此の下へ捺して、お前さんの名の下へ爪印を捺しておくんなさい。それで結構結構。』
 証文をクルクルと巻いて懐中に入れた伝九郎、
伝『ソコデ、おさとさん。今日すぐ私(わっし)の処へ来ておくんなさい。先方(むこう)から迎いの駕(かご)が来るから、それへ載せて奈良へ往(ゆ)くように話が出来て居(い)るんだ。』
さと『ハイ。』
とは言えど、目の見えぬ夫を一人残して行(ゆ)くおさとの腸(はらわた)は、断ち切るような思い。
さと『それでは新六さん、是から伝九郎さんのお家(うち)へ参って、奈良へ行(ゆ)きます。どうぞ其の金を持って療治をして、一日も早く癒(なお)って下さい。』
沢『イヤ、お前の親切、仇には思わない。どうか伝九郎さん、おさとの処は願います。』
伝『決して心配しなさんな。是が死に別れというのじゃアなし、十五両の金さえ持ってゆけば、いつでもおさとさんは帰って来られるんだ。サア、支度が宜(よ)ければ出懸けましょう。』
 急き立てられて、おさとは着替えの衣類を小包にし、別れともなき夫に別れ、門口に出る。思いは同じ新六が、見えない眼を開いて、手さぐりながら門口へ出て、
沢『おさと、忘れ物はないか。』
さと『イエ、忘れた物はございません。新六さん、お前の身の上は、向うの伯母さんに頼んで置いたから、一日も早く大阪へ往(い)って療治をして下さい。』
沢『イヤ、言う迄もない。涙で出来た此の十五両、なんで俺が無益(むだ)に遣うものか。煩わぬようにしておくれ。コレコレ、おさと……オー、モー往(い)てしまったか。』
 汚れし手拭を顔にあて、男泣きに新六が泣き出す。おさとは伝九郎に連れられ、一と足ずつに深みへ這入るとは夢さら知らず。是からいかが相成りましょうか。ちょっと休息。

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校訂者注
 1:底本は「何(な)アに金(かね)せ一ありやア」。読みやすくする意図で修正。
 2:底本は「其金(そのかね)を渡(わた)し 新六(しんろく)は」。カスレ一字を補った。

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